第7話

「んーっと……」アーリはごちゃごちゃと食材が詰め込まれた冷蔵箱の中身を漁る。「朝ごはん、なにがいい?」

「パンが余っている。エッグブレッドはどうだ? バレントも簡単に作れると言っていたぞ」

「確かに、バレントが作ってるところ見たことあるし、出来るかも! えっと卵と牛乳だよね」


 アーリは冷蔵箱から卵と瓶に入った牛乳を取り出した。一番大きなボウルの中に卵を割り入れ、牛乳を注ぐ。

「あとは……砂糖だよね?」

 シンクの上にある棚から砂糖を手に取ったアーリを見て、心配そうにループは首を傾げた。

「そうだな、あまり入れすぎないよう——」

 ループの言葉は間に合わなかった。アーリはスプーン山盛りになった砂糖を、二杯、三杯、四杯、かなり大量の砂糖をボウルの中へ放り込んでいく。


「アーリ……?」

「え? 少ないかな」

「いや……」

 ループはそれ以上何も言わなかった。習うより慣れろ、ハンター達の格言だ。それは狩りでも道具の手入れでも、勿論料理でもそれは同じだ。

  

 アーリはそれをスプーンでかき混ぜる。砂を混ぜたように砂糖はジャリジャリとしていて、卵と牛乳の中に溶け込んでいく気配がない。

「……い、入れすぎちゃったかな」


 時すでに遅し、アーリが気づいた時には元に戻せる状態ではなかった。ねっとりとした黄色っぽい液体に砂糖の粒が見える。


「んー、まぁいっか」

 長細い筒状のパンを手に取り、おもむろに切り始めた。まな板に直線で包丁を入れようとしているのは伺えるが切り口は若干斜めになっていたり、ぎざぎざと波打っていたりと不揃いに切れたパンが並んでいく。


「……はぁ」

 あれを自分も食べるのかと一際不安そうな顔を浮かべるループなどそっちのけで、アーリは料理を——というよりは工作に近いのだが——彼女は自分の思う通りの工程で進めていく。


「これをつけて——」


 アーリがエッグブレットを必死に作ろうと二十分ほど奮闘する。本来であれば五分足らずで出来上がってしまう簡単な料理なのだが。

 キッチンから漏れ出た白い煙には、焦げた砂糖の香ばしくも甘ったるい匂いが混じっている。

 

「で、できた! ループ、見て!」

 彼女がループの目の前に出した白い大きな皿の上にはエッグブレッドがこんもりと盛られている。大きさも一定ではなく、焼き加減もまだらだが、湯気が鼻へと運んでくる匂いはエッグブレッドの甘く香ばしいものではあった。


 不安そうにしていたループも、笑顔で自分の創作物を見せてくるアーリにつられて頰を緩め、尻尾をゆっくりと左右に振った。

「なるほど……初めてにしては上出来に見えるな」

「でしょ! さ、食べよ!」


 テーブルにどんと聳えるエッグブレッドの山を少し切り崩して、別の小さな皿に取り分けてループの前に置いた。 


「いただきます!」「いただきます」 

 アーリはまだ湯気の立つそれを一口サイズへ切って口の中に押し込んだ。砂糖そのものを舐めているかのような甘さが舌を飴細工のようにコーティングする。時折感じるダマになった砂糖の塊を歯で砕くと、くどいほどの甘味が口の中へ広がってくる。牛乳を含むと、まろやかな旨味がべたべたとした口をさっぱりとさせてくれた。

 

「ちょ、ちょっと甘いけど……美味しい」

 決して上品な料理とは呼べないが、自分で作ったからなのだろうか、彼女にはそれが世界で一番美味しいものであるかのように思えた。

 

「うむ……私には甘すぎるが……菓子だと思えばおいしいな」

 ループは皿に入ったミルクをちょろちょろと飲みながら、少しずつ食べている。

「バレントは砂糖と塩を間違えていた時もあるしな。それに比べればかなり上手いじゃないか」

「うん! 料理って楽しい! もっと美味しいものを作れるようになりたい!」

「ああ、アーリは勉強熱心だからすぐに上達するさ」

 

 山が半分ほどになった所でアーリの手が止まった。

「……食べたな」

「うぐ、う、うん……片付けたら、能力の訓練する」

「食べたら動く、いい、心がけだ」


 ふうと大きく息を吐き、食後の余韻をに浸る。

 アーリは余ったエッグブレッドは冷蔵箱に入れ、皿を綺麗に洗って片付けるとキッチンにある裏口から外へ出る。

 厩舎に止められている茶色い毛のオクトホースが、のんびりとした朝の日差しの中で水を飲んでいる。

「おはよう、ルズ」

 ルズはアーリの愛馬で、四年ほど前に街で商人から購入してきた。気性は穏やかで、アーリによく懐いていた。彼女が近づくとルズは撫でて欲しいと言わんばかりに首を垂らしてくれるほどだった。


「今日もいい毛並みだね」

 アーリも毛を撫でただけでルズの体調が分かるほどに、お互いを理解しあっていた。


 餌箱に餌を追加してやったり、厩舎の掃除をし始めた。嫌なことがあっても、なんだか心がやきもきしていても、ここにくればいつもの平和な日常があった。



「これでよしっと……」

 アーリは厩舎の仕事を終えたころ、いっぱいで苦しかった胃袋は幾分か落ち着いていた。

  

「今日はゆっくりしててね。おやすみだよ」

 ゆっくりと背中を撫でるとルズゆっくりと跪くように膝を折り畳んだ。

 人間の言葉を理解できるほどの知性はオクトホースにはないのだが、それでもルズはアーリの言おうとしていることが分かるのかもしれない。


 

 家のすぐ裏手、薪を切る為に少しずつ切り開いた広場がそこにあった。元々は木が生い茂り暗がりだったが、今はその場所だけに光が目一杯に降り注ぎ、どこか幻想的な場所にすら感じる。

 涼しい風がゆっくりと流れるこの場所はアーリ達のお気に入りでもあった。

 

「どうしようかな……?」

「今年は薪割りをあまりしてない。斧の代わりになる能力はどうだ。訓練と雑用が一緒にできるぞ」

「んーっと……だったらアックス・ペッカーかな?」


 少女は自分の手のひらをじっと見つめた。自分の最古の記憶を遡っても、既にそこにあった縦一線の傷。歳を重ねて背が伸び、顔が少し大人びても、その傷だけは薄れずにそこにあった。


 彼女の右腕に宿る能力の源。誰に教えられることもなく、まるで生まれた時からそこにあったかのように、彼女はその傷と能力とのつながりを感じ取ることができた。


「あんまり食べたこと、ないけど……」

 アーリは右手の平に意識を集中させ、自分の体の内側に強く呼びかける。木を切るための力を貸してほしいと。

 目に見えない力が全身から肩、肘を通って右手に集まってくるのが僅かながらに感じ取れる。

 

 最大限にそれが高ぶった時、アーリは右手をぐっと握り込む。

 手の平からまばゆいほどの白い光が溢れ出し、それは右腕全体を流れていく。


「力を貸して! アックス・ペッカー!」

 彼女の叫びに光が一気に強さを増した。彼女の手に電気が流れたかと錯覚するような痛みが走り、アーリは顔を歪める。

 光が薄れていくにつれ、その中にあった彼女の手のシルエットが見えてくる。

 それは先ほどまでの少女の細い腕ではなく、湾曲した斧に変わっていた。肘から手にかけてが黒く硬化していて、そこから生える刃渡り十五センチほどの斧部分が鋭く黒く光っている。

 

「ふむ、小さいが木は切れそうだな、やってみせてくれ」


 アーリはコクリと頷くと、近くにあった木へ歩いていく。

 大きく息を吸い込み手を振りかぶる。息を吐き出すと同時に、腕を勢いよく振り抜いた。


 木の幹は弾け飛ぶ間も無く潔く切られる。しかし衝撃で葉が揺れることもなく、木はまだそこに平然と立っていた。アーリの放った斬撃は、一撃で木を切り倒すには浅かったのだ。


「えっと……まだ練習が足りない、かな」

 彼女が自分の右腕に目をやると、斧の刃が少し欠けてぼろぼろと落ちていく。


「アックス・ペッカーの力を使うの初めてだろう、そんなものだ。料理も能力の訓練も回数を重ねてやっと上手くなる、だろ?」

 ループの言葉に、アーリは自分がまだ未熟であることを悟った。

「まぁあまり気負うな、じっくりやろう」

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