第15話

 次に病院の扉が開いた時、外の世界は真っ赤な夕日の色に染め上げられていた。そして、扉の前に立つ銀色の体毛一本一本が赤く輝いていた。

 先程までモゾモゾと踠いていたバレントは、額に汗を滲ませていた。

「……遅かったじゃないか」

「そんな体勢で言われてもな?」首を捻りながら、いつもと変わらぬ様子で毒突いた。「何があった、アーリはどうしたんだ?」

「……ガードベルの手下に連れて行かれた、二時間前くらいにな。彼女が超変異の影響を受けた危険な存在と言っていたが……」

 なんとなく察していたのだろう、ループはあまり驚いた素振りは見せなかった。

「なるほどな……まぁあの光景を見たら、危険と言われても納得は行くがな……」

 バレントはそういうと体の向きを変え、ナイフホルダーの方をループに見せた。

 ループはナイフを口に咥えて、ロープを切った。

「ハンターが捕えられるとは……これ以上の皮肉はないな」

 ループはやれやれと行った感じで首を振る。

「……それで? 助けに行くのか?」

「ああ、当たり前だ」バレントは凝り固まった手首を、感覚を確かめるように回す。「セントラルに侵入するのはかなり無謀だがな……」

「なら、どうするんだ?」

「取り敢えずロッドに相談しに行くぞ、武器もそこに置いてある」

「強行突破するのは構わないが……フレイム・シェルをぶちまけるのには賛成しないな」

「……出来るなら侵入だ。正面突破で暴れたら、アーリがどうなるか分からん以上、迂闊には動けないだろう?」

 ループは片眉を上げて、そうなのかと言わんばかりの顔をした。


 三人は鉄屑が置かれた倉庫のような場所で、ああでもないこうでもないと話し合いをしていた。部屋の中は掘り出されたままの鉄鉱石やクリスタルが乱雑に置かれていて、鉄の匂いが充満している。

 部屋の隣からはもう遅い時間だと言うのに、若い男達が鉄を打っている甲高い音が小気味良いリズムが、響いてきて鼓膜を揺らす。錆びた鉄脚に木の板を乗せただけの簡素なテーブルの上には、街全体の地図が置かれている。

「ロッドの定期輸送車の荷台に潜むのはどうだ? 特別輸送ならば——」

「あいつらは荷台の隅の埃を見つけて、難癖を付けてくるんだ。無理に決まってる。クルスの作業員の一人に変装して……いや、無理か……」

 ロッドは自分の発言で、肩を落とした。背もたれに全体重を乗せて反り返り、声にならない呻くような声を出した。

「変装は……ループが確実に……」

 バレントはループの毛むくじゃらの体を見て首を振った。

 ループは私が悪いのかと言わんばかりに首をすくめた。

「私は塀をよじ登って、飛び超えれるぞ? バレントは変装でいけば良いじゃないか。中で合流すればいいんだろ」ループはその場で、軽くジャンプして見せた。「まぁ、バレントは見つかったら、確実にその場で死刑だがな。お前も塀をよじ登る練習を今からしてみるのはどうだ?」

「時間が掛かり過ぎる……下水路を通っていくのは——」

 ループの言葉を聞いて、ロッドは腕を組んで何かを考え始めた。低い唸り声を出しながら、立ち上がって倉庫部屋から出て行った。


 もう一度戻ってきたときに、彼は歪な形をした左手の指先から肩までを覆う鎧の一部を持っていた。

「なんだそれは……」ループはロッドの持ってきた物をじっくりと観察した。「……こんな短時間で、兵士を一人殺して手を奪ってきたか?」

「ちげーよ! おいバレント、手を出してみろ」ロッドはアーリのジョークを鼻で笑うと、顎でバレントに立てと指示した。「お前が寄越した、あのデカいサンダークリスタルを覚えてるか? それで作ったおもちゃだったんだが、もしかして役に立つかも知れん。元々は遊びのために作ったんだが……」

 金色の鉄板を組み合わせ、甲殻類の背中の様になっていて、手の動きを制限しない構造になっている。鉄板一枚一枚には、二センチほどに加工された黄色いクリスタルが等間隔で並べられている。肩の部分には歯車のようなものが、ぶ厚めの肩当ての中に埋め込まれていて、そこから伸びるケーブルが肘を伝って前腕下部の装置に繋がっている。

「意外と軽いな。ん、なんだこれは? 銛か?」

「そうだ、銛を発射して、肩についたケーブルリールが巻き取る仕組みだ」ロッドは肩と腰を繋ぐ革のベルトを少しきつく締め上げた。「よし、出来たぞ。外に出てたところにある木で練習してみろ。多分調整が必要だからな」

 バレントはガントレットの付いた指や手首を動かして、感覚を確かめた。

「かなり自由に動くんだな」バレントは顔を上げ、ロッドを見る。「ちなみに聞くんだが……テストはしたんだろうな?」

「行くぞバレント、一秒でも時間は惜しいんだ。アーリちゃんを助けるんだろ?」

「ああ、行くぞ」

 ループはそそくさと部屋から出ていくロッドの後ろについて、倉庫から出ていく。

 バレントは訝しげにもう一度左腕の装置を見たが、意を決したように左手を握り込んで、ロッドの倉庫を後にした。


 傾きかけた夕暮れの中、二番街のすぐ外にある一本の大きな木のすぐ側、数十メートル離れた場所でロッドは立ち止まった。

「よし、あの木に向かって打ち込んでみろ、三十メートルくらいまでなら届くはずだ」ロッドは離れた場所にある背の高い木を指差した。「手の甲にある黄色いクリスタルを押し込んでみろ。それが電源スイッチ」

「これか?」

 バレントがクリスタルを押し込むと、埋め込まれたクリスタル全てに光が灯っていく。バレントが肘を動かすと、ケーブルの長さを微調整するように肩の機構が回転を始める。新しい腕を得たかのように、バレントはその仰々しい装置を見た。

「……なんだこれは——」

「ああ、言わなくても分かんぞバレント! 俺は天才発明家だ!」ロッドは大口を開けて自慢げに笑い声を上げた。「薬指の爪の部分のスイッチを押すと発射される。精々自分の手のひらを撃ち抜かんように気をつけろ?」

「分かった、まぁ、骨が折れたら新しい左腕も作ってくれよな」

 バレントは左手を前に突き出し、右手を添えて大きな木に照準を合わせた。薬指の上に中指を重ね、爪と腹を密着させ、強く押し込んだ。

 前腕の装置からフックのような銛が音もなく飛び出し、ワイヤーを巻き取っていた機構が高速で逆回転をし始める。一瞬のうちに、フックは木の幹にめり込んで、ばきりと音を立てる。

 まるで自分がしたことではないかのように、バレントは驚き、キョトンとした表情をロッドに向けた。

 ロッドはまるで自分の子供が大出世を果たした時のように、喜びを噛み締めながら、したり顔でゆっくりと頷いている。

 先ほどまで、毒突いていたループもこれには驚いたようで、黄色い目玉を大きく見開いていた。

「巻き取る時は人差し指の付け根だ」ロッドは握りこぶしを作り、爆弾のスイッチを押すようなジェスチャーをして見せた。「ただし——」

 バレントはロッドの言葉を待たずに巻き取りのスイッチを押し込んだ。肩の歯車が高速回転をし始め、ギュンギュンと音を立てた。

「う、おおおおおおおい」

 左腕を歯車の強力な力に引っ張られ、地面を擦りながら、銛の着弾地点へと移動していく。

「っ……まだテストしてないんだけどな」ロッドは額を手で拭い、小声で呟いた。「まぁ……改良はしてやるぞ」


「ったく……散々な目にあった」バレントは革のベルトを緩めながらそう言った。「しかしこれで塀を登って侵入できるな」

「しかし、塀に登った後はどうするんだ? 勿論セントラルの中にも警備兵はかなりの数、配置されているはずだが」

「深夜ならば少しは薄くなるが、それでも百名近くはいるはずだ」ロッドはバレントの腕から装置を外しながらそう言った。「兵士に酒でも振る舞ってみるか? あいつら、この間の輸送で俺の持っていた酒を押収したあと、裏で飲んでいたのを見たぞ」

「悪くない案だが……そんなに大量の酒を用意できるのか? 出来たとしても、持って行ったら怪しまれるだろう?」

「珍しく正論じゃないか、ループ」

「じゃあなんだ、爆弾でも作れば良いか?」ロッドは自分の冗談を鼻で笑った。「まぁいい……少し考えておけ、俺はこいつを調整をしてくるからな。後、深夜出発になるなら飯も食ってけ、リルルには伝えておくから」

「ああ、ありがとう」

「すまないな、ロッド」


 バレントはテーブルの上に広げられた、一メートル四方のマップをぼーっと眺めていた。マップのセントラルの部分には、子供の乱雑な文字で「サイアク」と書かれ、その横にはへの字口のスマイリーマークが描かれている。

「バレント……最悪私が囮になる」ループは意を決したようにそう言った。「お前が——」

「ループ、お前がいなかったらどうやってアーリの居場所を探すんだ? 俺には人間の鼻しかないんだぞ」

 ループはバレントの言葉に俯いて、小さく頷いた。

「わかった、別の方法を考えるとする。何かいい案があれば言おう」


「おい、調整しといたぞ、バレント」ロッドは少し眠たそうな目に力を入れながら、ガントレットを持って部屋に入ってきた。「適当だが塗装もした。出力を少し上げておいたから、地面で顔を摩り下ろすこともないはずだ……多分な」

 そう言ってロッドは手をこまねいた。左腕を出せということだとバレントにはすぐにわかった。

 夜の闇に溶け込めるようにと、灰色と黒の中間ほどの色で塗装されたそのガントレットを、ロッドはバレントの左腕に装着し始めた。

「名前はロッド・スペシャル・マークⅡに決めたぞ」

「……もう少しマシな名前にしてくれ」

 ループはそう小さな声で呟いた。

「ロッド、付き合わせてすまない。アーリを取り返して、無事だったら……何か埋め合わせをさせてくれ」

「いや、いらんさ。俺はお前らに恩がある。だから、生きて帰ってこい。そしたら今度は四人で飯を食おう」

 ロッドは喋っているうちにガントレットを装着し終えて、バレントの背中を力強く叩いた。

「よし、できたぞ。早く行って、クズ・オーソリティのお偉方供に一泡吹かせてこい」

「……ありがとう」

 バレントの言葉に、ループも小さく会釈をした。

 ロッドは二人の顔を見て、親指を立てた。

 彼らがロッドの店を出るときには、時刻は十二時を回っていた。


 バレント達は事前に計画を練った経路でセントラルへ走った。

 歓楽街であり、治安の悪い六番街がある西側を避けて、静かな東側の四番街を目指した。

「おいバレント。やけに西側が騒がしいようだが?」ループはバレントを先導しながら、尖った耳をさらに尖らせて音に集中した。「塀の上の兵士も五、六番街側に集中している。いつもだったら、奴らは塀の上でボケっと、星でも眺めているのにな」

「……きっと何かあったんじゃないか? どちらにせよ、俺らには好都合だ」

 閑静な四番街の大十字路に突き当たると、ループはバレントと目を合わせ、セントラルへ繋がる大門の方へと曲がっていった。

 夜の暗がりを照らす家先のランプの光を避けて、銀色の毛が靡いているのをバレントは見届けた後、十字路を超えて、一本目の路地に入って奥へ、奥へと進む。

 閑散とした路地は移動や荷車の往来が多いため、道幅が広く取ってある。クリスタルランプの明かりはなく、まん丸な月が落とす弱々しい光だけがバレントの道を照らしている。


 目当ての倉庫は川のそばにあった。この辺りで一番背が高く、二十メートルほどの高さの倉庫だ。水路に面してもいることから、侵入経路に適しているとバレント達は判断した。

「上手くいくといいが……」

 バレントはガントレットの電源を入れ、倉庫の突き出した屋根を目掛けて照準を合わせた。薬指に中指が重なると同時に、銛が発射され、屋根に突き刺さった。

「すまない、サム、今度修理を手伝うからな」

 倉庫の持ち主に届かないとは分かっていながら、せめてもの気持ちからか、そう謝罪の言葉を呟いた。

 親指を人差し指の付け根に押し当てると、エレベーターのようにバレントの体が宙に浮かんでいく。十秒も経たない内に、バレントは二十メートルほどの建物の屋根に指をかけてよじ登っていた。

 屋根に突き刺さった銛を抜き取って、もう一度巻き取りのボタンを押すと、銛が元の発射台にカチャリと音を立てて装填された。

「今度はあそこか……高いな」

 バレントは高い壁を見上げた。白っぽい石を切り出した石材を組み上げた塀は、冷たくバレントの視線を受け止めている。

 壁の上には監視の姿は見えなかったが、怪物を撃退する為に備え付けられた大砲や大型弩級が、月夜に照らされてその影をぼんやりと浮かび上がらせている。


 夜の冷たい風の中で、バレントは数秒壁を見つめていた。緊張からか、表情は固い。落ち着きなく手を開いたり閉じたりしている。手のひらには汗が滲む。

「行くか……待ってろ、アーリ」

 覚悟を決めたバレントは右手を左腕に添え、壁の少し上に狙いをつけて発射する。銛は真っ直ぐに飛び、壁のさらに奥へと落ちていった。

 巻き取りのボタンを少し押すと、ワイヤーが数メートル巻き取られ、ある一点でピンと一直線に張った。

「……上手くいったか」

 バレントは数回右手でワイヤーを引き、銛が塀の向こうに引っ掛かっているのを確認した。それと同時に最大の不安がバレントを襲う。ここから、川を越える為に飛ばなければいけないのだ。つまり、壁に引っ掛かったフックを軸に、水路の上をスイングして飛び越え、壁を登らなければいけない。

 やることは分かっていても、実行するのは躊躇われる。脚が竦み、執拗に唇を噛む。しかしアーリが今感じている苦痛や恐怖を思えば、そんなことは小さい悩みのように思えた。


 バレントは意を決して、倉庫の屋根から勢いをつけて飛び降りる。 

 地に脚が付いていない。

 決して快適ではない浮遊感が、バレントを包み込む。

 かなり長い時間、風を切っていたように感じたが、実際は五秒も掛かっていなかった。

「ぐっ……」

 壁への着地時、脚で衝撃をいなした。

 痛みこそあれど、グラキべドムに噛みつかれるよりは、幾分マシだろうとバレントは思った。


 壁を蹴り、巻き取りスイッチを押すと、バレントの体はゆっくりと登っていく。壁を蹴ってはケーブルを巻き取ってを繰り返していると、上からループが覗いているのが見えた。

「……遅かったじゃないか」ループはニヤリと笑った。「早く登ってこい、落ちない様にな」

「悪かったな、こっちはかなりヒヤヒヤしたってのに」

「そうか? 顔面はまだ、すりおろされてないようだが?」

 バレントは縁に手をかけ、壁をよじ登った。反対の壁に引っかかったフックがガントレットに戻ってくる。

「……眺めは最高だな?」

「ああ、生きている間に怪物の私が、壁の上に登ることがあるとは思わなかったぞ」

 初めてまじまじと見るセントラルの内部が、眼前の闇夜の下に広がっていた。

 大きな聖堂や高級レストランらしき建物、噴水が設置された優雅な広場など、壁の外とは全く別の世界がそこには広がっていた。道の幅も広く、レンガを敷いて丁寧に作られている。

 所々に巡回の兵士達が、明かりを持って移動しているのが見える。

 明るい月の薄黄色に照らされて全く見えないというわけではなかったが、やはり暗く見通しが悪い。

「何処にいるか、分かるか?」

「この微かな匂いで追えるのは、あの真ん中の一番デカいレンガの建物までだ。かなり広い建物だし、匂いが多すぎる」

 中央街セントラルの真ん中にある、広大な長方形の敷地の上に建てられたレンガの建物をループは示した。

 長方形で四階建ての建物。その周りは立派な庭園になっているのが、遠くからなんとか見える。

「……それだけで十分だ」バレントはセントラル内部の建物群を今一度を見渡した。「屋上を伝っていこう。二十分あればつけるはずだ」

 バレントはそういうと、左回りに壁の上を走り、壁とほぼ同じ高さの建物の前で、フックを撃った。

「よし行くぞ。見つかるなよ」

「……ああ、そっちこそ落ちて、死ぬんじゃないぞ?」

 バレントは頷くと、塀を登った時と同じ要領で、アーリがいるであろう建物に近づいていく。

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