第7話

「おなかいぱい」

「本当によく食べるんだな、アーリは。バレントが少し残した分も食べてしまうなんて」

「ここの本当に肉はうまいからな、臭みもないし食べやすい」

 ループは皿に入った水を飲みながら、アーリの胃袋の大きさに感心した。

 バレントは最後に残ったパンで皿に残ったソースを絡め取って口の中に押し込んだ。数回咀嚼してから飲み込むと、ふうと息を吹いて満足したように腹を摩った。

 アーリはまだ余裕があると言った感じで、頭を楽しそうに振っている。

「ループ、満足したか?」

「この一ヶ月で一番の食事だったのは確かだな」

「ハッ……正直だな。今度いいムムジカを捕まえたらステーキにしてみるか」

「臭みはちゃんと抜いてくれよ? パンもふかふかで頼む」

「俺もちゃんと料理を学ばないとな、スパイスもリストに追加しとくか」


 バレントが席を立つと同時に、キッチンの奥から店主が出てきた。コック帽を取ると、その下から中年男の白髪交じりの茶色い髪の毛が現れた。

 ガーレルの後ろに隠れるように、小さな男の子がバレント達の方を覗いている。店主と同じ黒髪でストレートヘアーと、綺麗な茶色い目が特徴的だった。店主に似て、彼も引っ込み思案なのだろう。どうやら歳の近いアーリの事を気にしているようだったが、アーリは気にも留めずに楽しそうに鼻歌を歌っている。


「三千八百グランだ」

 バレントはカバンから数枚の札を取り出し、ガーレルに手渡した。釣りをキッチンに取りに行って、すぐ戻ってきた店主は小声で、

「決め手は黒胡椒とブランハーブミックスだ。使うといい」

と呟くようにバレントに言いながら、二枚の札と小瓶に入ったスパイスを二本手渡した。赤と緑の粒が混じるスパイスミックスだ。

 蓋を開けて匂いを嗅いでみると、薬草のツンとする香りと、香辛料の刺激的な匂いがする。


「ありがとうな、試してみるよ」

 バレントはそれを受け取ると、カバンに押し込んだ。


 ループの背中に飛び乗ったアーリは、少年を発見すると小さく手を振った。

 店主の影にいた少年は、恥ずかしがって手を振り返しはしなかった。


 バレント達が店を出ると、男達が何やら大声を上げて騒いでいるのが聞こえてきた。どうやらクルスのいた酒場の前が騒がしく、ガタイの良い男達が誰かを取り囲んで喚き散らしているのが見えた。

男達の中からバンダナを巻いた男が振り返り、唖然としているバレントを見つけて、慌てて走り寄ってきた。

「バレントさん、ガードベル兵団がバレントさんを探しているみたいです! 逃げますか?」

「兵団が……か? お前、なにかしたのか?」

 ループはバレントの顔を見上げている。

「何もしてないのは一緒に居たんだから知ってるだろ?」バレントは自分達のシティでの行動を頭の中で振り返り、一つの可能性を考え出した。「この子を探しているのか……?」


 バレントの中で生まれた小さな可能性の種は、考えれば考えるほど、一つの最悪な予想へと膨らんでいく。背中にツーっと冷たい汗が流れるのを感じた。

 それと同時に、何か厄介な事に巻き込まれた事を理解した。


 兵団に目をつけられることなど、彼の生きてきた人生の中でも滅多に聞かないことだった。シティとは名ばかりの狭い街で、悪事を働く者はそう多くなかったからだ。勿論、大量に人を殺して回った殺人鬼や、セントラルに火炎瓶を投げ込んだ過激な者はいたが、子供が罪を問われることなど一度も聞いたことがない。


 バレントはこの幼い子供が犯罪者ではないことはわかっていた。

 ではなぜ、という疑問がベットリとヘドロのように張り付いてバレントの思考を阻んだ。

「ど、どうしましょう、バレントさん。馬を五番街に回しますか?」

「あ……ああ、頼む。バングロッドの店主に預けてある」


 バンダナの男は頷いて、騒ぎの中に戻っていった。

「ったく……どういうことなんだ? とりあえず見つかるのは避けよう。走るぞ」

 そう言ってバレントは、少女をループの背中から持ち上げ、抱きかかえて路地の奥へと走っていく。


 路地の出口、大通りとの境目で周囲を確認しているバレントにループが声を掛けた。

「落ち着け、バレント」ループは意外にも冷静だった。「あいつらはどうやら危険物を探しているらしい。この子がそれに該当する訳ないだろ」

「俺らはこの子のことを何も知らないんだ。この子がその危険物なのかもしれない」バレントは路地から顔を出して、周囲を探っている。「第一、この子が置いていかれた次の日なんだ。可能性は拭い切れない」


 なんとなく危険な空気を察したのか、アーリは何も言わずバレントに持ち上げられて、静かに事の成り行きを見守っていた。

 バレントは兵士がいないのを見ると、人混みに紛れて大通りを南の方角へ進んだ。

 三番街の中心にある十字路に差し掛かると、先ほど入った路地の入口には兵士達が大勢屯っているのが見えた。どうやらクルス達と言い争っているらしい。幸運なことに野次馬達がうまい事、兵士達を取り囲んで視界を遮っている。

「歩け、なるべく目立つな」

 バレントは息を殺し、行商人達に紛れ込むように速度を合わせて五番街へと続く道を進んでいく。カバンの大きさも相まってどうにか行商人風に見える。

「そう言われても私はすぐに見つかってしまうぞ」

「大丈夫だ、見つかったら走ればいい。オクトホースの二倍の速度で走れるお前なら絶対に平気だ」

「ああ、お前を置いてでも逃げるぞ?」

 バレントはループの冗談に、先ほどまでの張り詰めた表情を緩めた。

 十字路を抜けると、再びバレント達は走り出した。

 アーリは移り変わる景色と行き交う人々を眺めている。走ってくる大きな狼と髭面の男に、街の人々は道を開けた。


 二百メートルほど先には、幅広の木板を打ち付けた頑丈そうな五番街への橋が見える。

「あれを渡れば……」バレントは急にその場で足を止めた。「まずいな」

「ちっ、ガードベルか」ループはその理由を即座に理解し、首を振った。「アーリ、静かにしているんだぞ」

「うん」

 アーリはバレントの腕の中でなるべく小さくなった。全く状況を理解していないのか、バレント達に信頼を寄せているのか、怯える様子はなかった。


 橋の上には金髪でオールバックの男が、他の兵士を従えて立っていた。端正な顔立ちに茶色い目、程良く日に焼けた肌。クルスよりも太い腕に、二メートルを優に超える身長。全身を覆う鎧と風に靡く豪華な紅蓮のマントは、彼の兵団の中での地位が高いことを表していた。彼の鎧は白色を基調とし、所々に黒色の十字の模様が刻まれ、肩には獅子の顔を模した細工が施されている。


 彼はバレントを見つけるなり、ゆっくりと近づいてきた。

「ハンター・バレント、待っていたぞ」

「俺は待たれる覚えはないけどな」

「お前が危険物を所持しているという情報が入った。信頼できる情報筋からな」

 男はその太い腕を組み、踏ん反り返っている。バレントは少女を抱きかかえながら、よくわからないと言った感じで肩をすくめた。

「危険物……ループのことか? 確かにこいつは危険だぞ」

 バレントの言葉に、ループはわざとらしく牙を剥いて、獣らしく低く唸った。

 

 兵士達は彼らのジョークを受けて顔をしかめた。だが、金髪オールバックの男は、その冗談を鼻で笑うと雄弁に語り出した。

「街の人々からはどうやら慕われているらしいが、危険物を持ち込む人物は排除せざるを得ない。その鞄の中を見せてもらおうか。何が出てくるか楽しみだ!」

「仰せのままに、ガードベル兵団長様」


 ウェルカムという意味の手を広げるジェスチャーをした。バレントは焦りを皮肉で上塗りし、手持ちの鞄を地面にゆっくりと置いた。


「おい、中身を確認してこい」

 金髪の大男は兵を顎で使うと、後ろに立っていた二人の兵士達はバレントの方に小走りで駆け寄った。

「背中の鞄も降ろせ」

 兵士の強くはっきりとした言葉に、バレントは鞄をゆっくりと降ろし、丁寧に地面に置いた。

「ガードベル兵団長! こちらの子供は——」

「青臭い子供なんかどうでもいい。早く危険物を探せ!」


 兵団長のその言葉に、バレントとループは顔を見合わせた。バレントは自分の心配が現実にならなくて良かったと安堵した。それと同時に、ガードベルが探している物を〝危険物〟と呼んでいるのがなにか引っかかった。


「こちらの鞄には紙幣と何かが入った小瓶、クリスタル、それとモンスターの素材が入っています!」

「素材を見せてみろ。危険なモンスターの一部かもしれない」


 兵士は鞄に手を突っ込んで、中身を引っ張り出した。濃い灰色の毛皮に黒い斑点が付いた物と、八本ほどの真っ黒い牙、手のひらより少し小さいサイズの朱色の鱗が数十枚。すべてを取り出して、ガードベルに見えるよう上に挙げた。


「ちなみにそれはグイムローヴァの革と牙だぞ。鱗はアルマゲーターだな。知ってるか?」

 バレントはガードベルを茶化すようにとぼけた口調でそう言った。

 兵団長の顔が羞恥心で段々と赤らんでいくのが、少し離れたバレントからでもわかった。

「そんなことは知っている! 黙っていろ!」

「兵団長、他に怪しい物は発見できません!」

「ぐっ……そ、そうだ、小瓶は! 小瓶はどうだ! 毒性の強い物が入っているのではないのか?」

 ガードベルは苦し紛れにそう言った。

 兵士は小瓶の蓋を開け、匂いを確かめたが、その正体がわかると首を振った。


「おい、ガードベル兵団のガードベル兵長様。通らしてもらってもいいか? こっちにもやることがあるんでな」

 バレントの言葉にガードベルの顔は、塩漬けにしたブラッドプラムのようにシワだらけになった。怒りと羞恥で小刻みに震え始める。


「下がれ、兵士共」

 兵士達は鞄の中身を元に戻すと、ゆっくりとバレントの元を離れた。


 バレントは鞄を背負い、もう一方を手に持つとゆっくりと橋の方へ歩き出した。

 ループはいつも以上に、気丈な振る舞いでバレントの後ろを付いていく。

「悪いな、お目当の人物は俺じゃなかったらしいな……信頼できる情報筋ってのは、ネズミかなんかだったんじゃないか?」

「はっはっは、兵団長様はネズミとお友達だったとは知らなかった! こりゃ傑作だな」


 彼らはガードベルと兵士の脇を抜ける時に、わざとらしく冗談を言いあった。バレントもループも、似たようなしたり顔をしていた。


 バレントに抱きかかえられているアーリは、バレントの肩越しに後ろの兵士達に向かって無邪気に手を振った。

「ばいばいー!」

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