怪物と狩人と時々グルメ 〜他人を信用しない狩人がある日一児の父親に〜

遠藤ボレロ

第1話

 前日の昼間から降り始めた冷たい雨は、広大なルーンベラ大陸一帯に降り注いでいた。青々と茂るデューランの森には、湿った木々や草花の匂いがせ返るほど立ち込めている。


 森を掻き分けるように流れる雄大なリード川は、茶色く濁った汚らしい水を轟々ごうごうと下流へと押し流している。森を抜けてさらに川を下流に降ったそこには、広大な平地が広がっていた。平地の真ん中には巨大な都市キュービック・シティがあった。


 シティの西側を流れるリード川から人工的に引かれた水流が都市全体を囲い、八つの貧困街を区切る堀に北側から流れ込む。南側で一つに合流しリード川へと帰っていく。これがこの都市の水道システムの軸になっており、生活の基盤となっていた。


 背の高いレンガ製の小綺麗な建物が乱立したシティの中心街〝セントラル〟は、五十メートルほどの高さの壁で正方形に囲われ、外の区域とは隔離かくりされている。

 高い防護壁の外の区域は背の低い赤錆びたトタン製の小さな家がお互いを押し退け合うように立ち並ぶ貧困街になっている。貧困街は八つのブロックに分かれていて、そのどれもが同じ構造をしている。太い十字の街道から伸びる細い路地だ。

 シティの外へとつながる橋は北の二番街、西の四番街、東の五番街、南の七番街から堀を超えて繋がっていた。貧困街の地面は舗装ほそうなど一切されておらず、雨により緩んでいて、決して歩きやすくなかった。遅い時間というのも相まって、街の街道を誰も出歩いてはいない。


 薄暗い闇の中、赤びのような毛並みを持つ馬が、屋根に打ち付ける雨音をき消すほど、ひづめを鳴らし、北部中央にある二番街を駆け抜けていく。引き締まった八本の脚それぞれを巧みに使い、ドロドロになった地面を抉り取りながら走る。


 その上には黄色いタオルケットに包まれた小動物ほどの大きさの塊を胸に押し当てるように抱きかかえた女が、振り落とされまいと手綱を握り締める。女の顔は半分以上フードで隠れ、全貌を確認することはできない。彼女が身に纏う濃い茶色のローブは、馬の巻き揚げる風になびきながら雨粒を弾き返していた。


女は手綱をグイと後ろに引き、豪雨のノイズに負けないくらい大きな声を出し、馬の耳元で叫んだ。

「走れ、オクトホース! 追っ手がくるぞ、速度を上げろ」

馬はそれに答えるように甲高い奇妙な声を上げ、脚の回転を早めた。地面に打ち付けられる蹄の音が、雷のようにけたたましくトタンの建物に反響した。


 事態を聞きつけた数人の住民がトタンの扉を小さく開け、辺りの様子を探ろうと中から顔を出したが、真っ暗な闇の中には既に音の正体はなかった。


 分厚い雲の下、馬はデューランの森を目指し進んでいく。灯りを付けねば五メートル先の様子すらわからないほど暗かった。それでも馬は速度を落とさず、川沿いの道をひたすらに上流へと進んでいく。


 辺りをぴったりと包み込む暗闇の中、女は鞄からランタンを取り出し、小さなノブを捻る。やんわりとしたオレンジ色の水晶の光が、暗い森の中を照らす。

 その動きに気が付いたのか、柔らかな黄色いタオルケットがモゾモゾと動き出し、中から幼い子供の声が聞こえた。

「おかさん、どこいくの?」


 その声は寒さからか、はたまた不安からか震えていた。タオルケットが雨を吸って、女の上で重たくなった。


 女は返答に少し戸惑って口籠る。数秒悩んでから、なるべく穏やかな口調と言葉を選んで話し掛けた。

「これから旅行に行くのよ。まだ、もう少しかかるから寝ていてもいいわよ」

「りょこー?」

「お出掛けの事よ。何日もかけても遠くの方にお出掛けするの」

「たのちい?」

「きっと……楽しい所よ。綺麗な湖が近くにあるって聞いたわ」

「みずみってなに?」

「湖はね、大きくて綺麗な水たまりのこと。泳いだりお魚を釣ったりできるのよ」

「アーリ、おかさなきらい」

「そうよね……」

 

 女はタオルケットの下の子供をさらに強くギュッと抱きしめた。フードから覗く彼女の頬には無数の水滴が滴り落ち、追加されては消えていく。

 八本の脚が生えた馬と呼んでいいのかも分からない生物は、女と子供を乗せて深い森の奥へと続く一本の道をひた進む。

 風に揺れる葉の隙間から、辛うじて見える濃い灰色のネズミのような空の色。葉に打ち付けられる雨の音、緩くなった地面に蹄が打ち付けられる音が二人の進む先で待ち構えている。



 二番街の北端、石を組み上げた橋の上で五人の男達は馬を止めた。彼らの身に纏った銀色の鎧を、ランタンの灯りがぼんやりと照らし上げていて、冷たい雨が彼らの鎧の繋ぎ目からじっとりと染み込んでいく。

「ガードベル様、女が逃げ出しました!」

「放っておけ、この雨の中で街の外に出ては何処にも行けまい。この外には何も無い。戻るか怪物にやられて野垂れ死ぬかだ。そんな馬鹿に危険な兵器とやらが渡ったのなら好都合と言うもの」

 野太く威厳のある物言いに、周りの男達は頷いた。

「では、街の警備を強化し、戻ってきた女の確保に努めます」

「絶対に、セントラルには入れるな。分かったな」

「はっ!」

四人の兵士が高らかに声を上げると、彼らは馬の方向を変えて街の中心へと走っていく。



「ったく、雨の日はこれだから嫌いなんだ」

 髭を蓄えた仏頂面の男が天井に板を打ち付けている。男が上に乗っている木製の椅子は、脚の長さが微妙に違うのか、男が金槌を振るう度に前後に小刻みに揺れた。


 一本の釘を打ち付けると、男は赤いフランネルシャツの右胸ポケットに入れていた釘を二本取り出して、一本は前歯に咥え、もう一本を板の端に打ち付け始めた。

 天井のさらに上からは安っぽい瓦屋根に雨が打ち付ける音が、家全体に反響するように鳴り響いている。


 床に置かれた使い古しのポットやスープ皿には、天井から染み出した水滴がポタポタと垂れて、まるで自然のオーケストラのようになっている。

 雨音のオーケストラを遮って、鈍い打音が一分間ほどリズム良く響き渡る。


「あと三箇所か……」

 男は小さく揺れる椅子からゆっくりと降り、ランタンを手に取って近くのソファーに体を埋めるように腰掛けた。ランタンを窓辺に置くと、ソファーの前のコーヒーテーブルに積んであった本の中から分厚い本を手に取って、おもむろにページをめくって読書を始めた。


 この部屋にほとんど家具はなく生活感があまり感じられなかった。男の座っているボロボロのソファーとコーヒーテーブル。手作りであろう簡素なダイニングテーブルと部屋の真ん中に置かれた脚の長さが微妙に違う椅子くらいだった。光源も窓辺に置かれたランタンと、長テーブルの上のロウソクのみと薄暗い。木の板を打ち付けただけの床は、歩けばギシギシと音を立てる。


 しばらくの静寂の後、廊下から床の軋む音が、男のいる部屋へゆっくりと近づいてくる。

「終わったのか、バレント」

 声の主は女性の、落ち着いた雰囲気のある低い声だった。姿の見えない相手に男は返事を返す。

「いや、まだだ」男は気だるそうに一枚ページを捲った。「残りは明日にでもやる」

「そうか、手伝えなくてすまないな」


 男のいる部屋を廊下から大きな毛むくじゃらが覗き込む。黄色いまん丸な大きな目が二つ、男の方に向けられている。


 ピンク色の舌がその毛むくじゃらの呼吸に合わせ、小さく出たり引っ込んだりを繰り返している。

「暑いのか、ループ。すまない、空調の調子が最近悪いんだ」


 毛の塊は舌を仕舞った。

「いや、問題ない。癖で出してしまっただけだ」


 ランタンの灯りの下に、黄色い目の持ち主がその姿を曝け出すと、銀色の毛が光に照らされて艶めきを帯びていく。

 二つの尖った三角形の耳に、伸びた鼻先。口元から見える真っ白な牙。狼、と呼ぶにはその体は余りにも大きく、人間の大柄の男と比べても二倍以上のサイズだった。額には緑のゴツゴツとした水晶が埋め込まれており、ランタンの光に照らされると緑の光が毛の白色に反射して色のある影を作る。

 

 巨大な銀色の狼は、ソファーに飛び乗ると、体を丸めて男の腿に頭をもたれ掛けた。


 バレントは左腿の上に乗っけられたループの頭を撫でながら読書を続けた。

「雨が止んだらシティにクリスタルを買いに行く。どうやら冷却装置内のアイスクリスタルが消耗したらしい」


 バレントは天井を指差すと、その先には白っぽい色の換気ダクトがあるが、生ぬるい湿った空気だけが噴き出している。


 白狼は鼻をピクピクと動かして、ぼんやりとそのダクトを眺めながら口を開いた。

「明日は止むはずだ。そうすれば、雨漏り修理もしなくていい」狼は窓の外を眺めた。「私もそろそろシティの飯が恋しくなってきたところだ」


「フッ」男は静かに笑った。「俺の料理はお口に合わないか? 食材はかなり新鮮な物を使っているんだがな」

「う……美味くないとだけ言わせてもらおう……。味付け(シーズニング)が薄かったり、ちょっと変わってたりな。それが悪いとは言わないが」

 ループは伏し目がちにそう答えた。バレントがこう言った時に、機嫌を悪くすると決まって料理を作るのを辞めると言い出すからだ。


 バレントは本から目を離した。

「そうだな……今月はかなりいい素材も手に入ったし、少し奮発しよう」

 

 それを聞いて狼は目をまん丸くさせた。

「じゃ、じゃあ、私はムムジカのモモ肉ステーキが食いたい」


 狼は大きな尻尾を左右に振り回し始めた。ソファーを尻尾が撫でると、摩擦でシュッシュと音を立てた。

「ガーレルの店のやつか。お前はあの店がお気に入りなんだな」

「あの店は肉だけじゃなくて穀物料理もうまい。特にベロール麦粉のパンはふかふかで小麦の風味が引き立って、ステーキにもよく合っている」

「まぁ、雨が止んだら……だな」


 それからしばらく沈黙が続いた。

 バレントがページをめくる音。雨が食器に溜まった水溜りに打ち付ける音。ループの鼻に空気が出たり入ったりする音。雨が屋根に打ち付ける音が全てを包み込んで纏めた。

 優雅な夜の過ごし方――とは呼べないが、彼らにとってはそれが日常であった。


 バレントが古ぼけた壁掛け時計にちらりと目をやると、時刻は九時手前を指していた。

「そろそろ晩飯にするか」男は狼の頭を持ち上げ、ゆっくりと立ち上がった。「メシの話をしてたら、腹が減ってきた。今日はカルダックのシチューとパンだぞ」


 ループは頭の枕がなくなったからか、少し不機嫌そうな顔をした。

「またカルダックシチューか……食べ飽きたな」

「明日までの辛抱だ」

 長テーブルの奥の部屋は簡素な料理器材が並ぶキッチンになっていた。古めかしいコンロの上には、陶器製の鍋が置かれていて、蓋の隙間からブイヨンと癖のある鶏肉の匂いが漏れ出している。バレントがコンロのノブを捻ると、バナーから赤い炎が伸び、鍋の底を覆った。

「フレイムクリスタルも予備を買っておくか」

 バレントは小さく呟くと、すぐそばにあった紙の端きれに〝小、赤二個〟と書き殴った。角張った文字で書かれた買い物メモには、数十項目の物が記載されていた。衣服や食べ物など、生活に必要な物がほとんどだった。


「明日は色々買い込まなければいけないんだな」

 二本の後ろ脚で立ち上がり、メモを覗き込んだループはそう言った。

 

「ん?」二つの尖った耳が小刻みに揺れた。「誰か近づいてきてるぞ、雨音で判別しづらいがオクトホースの走る音だと思う」


 バレントは小さく頷くと、火を止めて、なるべく音を立てずにリビングへ出た。窓辺に置きっぱなしのランタンを掴んで、廊下を出る。


 廊下は左右へ伸びており、正面はベッドが置かれた部屋の扉が開けっぱなしになっている。

 そっと歩いていき、左の奥の突き当たりの扉を薄く開け、左腕を真っ暗なその部屋の中へ突っ込んだ。引きぬいたバレントの手に握られていたのは、使い古されたダブルバレルのショットガンだった。


 バレルの付け根を折り、弾薬シェルを込めた。リビングにまで戻りながら、雨の音に注意を向けると、聞きなれた音が聞こえてくる。

「馬が近づいてきているな」

 なるべく小さな声でループに言った。


 狼は瞼を閉じて、感覚を研ぎ澄ませた。音の波系が一人の女とオクトホースの形を頭の中に映し出す。馬は家の近くで止まり、数秒後、また森の方へと走り出す。


 バレントはその様子をリビングの窓から覗き込んだ。小さい明かりが森の奥へと走り去っていくのが見え、ふうと安堵のため息を吐いた。

「行ったな」

「馬と大人の女だったが、何かを置いて行ったみたいだ。微かに匂いがする。怪物……じゃないとは思うが」


「そうか」バレントは銃の安全ロックを外した。「確認しておこう」

 リビングから出て右は、靴やら釣竿やらが雑多に置かれた玄関になっていた。ドアノブをゆっくりと捻り、ランタンと顔をゆっくりと外へ出す。


 生温い湿気を含んだ外の空気が、家の中途半端に冷やされた空気と混じりって見えない空気の渦を生んだ。

 それと同時に、湿った草木の匂いが玄関一杯に充満し、ループはそれに鼻をヒクつかせた。


 先ほど確認した通り、オクトホースに跨った人間の姿はなかった。


 バレントがランタンの光を照らすと、人型のタオルケットの塊が、鉄製のフェンスの網目の奥に見えた。

 高さ一メートルにも満たない、小さな塊は小刻みに震えている。タオルケットが吹きすさぶ嵐のような風に靡いて、小さな塊は今にも吹き飛ばされてしまいそうだった。


「子供か……?」


 バレント達がタオルケットの下が人間だと言う事に気付くのには、そこまで時間は掛からなかった。

ドアの隙間から鼻先だけを出したループが、鼻をピクつかせた。

「危険な物は持っていないみたいだが」

 ループの目は、バレントに決断を委ねるように向けられていた。


 バレントは小さく頷くと、タオルケットの塊に向けて叫んだ。

「おい、そこで何をしてる」


 威嚇目的で投げかけられたその声に、タオルケットの塊はびくりと一瞬跳ねあがったように見える。それがバレント達のほうにゆっくりと振り返ると、真っ赤な瞳がランタンの灯りに照らされてキラキラと輝いている。

 完全に向き直るのとほぼ同時か、今度はラベンダーのような濃い紫色の瞳がバレントとループに向けられた。色の違う両の目はランタンの灯りに照らされ、ゆっくりと潤んでいく。


 そこにいたのは珍しいオッドアイの少女であった。


「女の子か? 親はどうした。なんで一人なんだ」

 バレントのまくし立てるような質問に女の子は俯いた。

 高級な織物に使われる綺麗な絹のような金色の髪が、タオルケットからこぼれ落ちたかと思うと、少女は大きな声で泣き出した。

「おかさあああん」

 雨や風の音に負けないほどの大音量の金切り声が、バレントとループの鼓膜をつんざいた。


 風が彼女の喚く声に呼応するかのように、さらに強く吹き荒れ、木の葉が辺りに飛び散った。鉄製のフェンスが揺れ、聴くも耐え難い不協和音を鳴らす。


「ば、バレント、行ってなだめるんだ。私が行くより幾分ましだろう」

「あ、ああ……そうだな」

 どう扱っていいか分からない少女に、困惑した表情を浮かべるバレントとループ。


 手に持ったショットガンを玄関に置くと、バレントは泣きじゃくる少女へ恐る恐る近づいていく。


 ランタンが地面を照らすと、地面に散らばった木の葉の下にある泥が、炎の暖かい色を反射して淡く煌めいた。



 フェンスの留め金を引き上げ、肩で体重を掛けると、錆びた金属が擦れ合って耳障りの悪い音を立てた。


「お、おい」バレントはなるべく腰を低くして、少女に声をかけた。「お腹、空いてないか?」

 

 少女は泣きじゃくりながら、大きく首を横に振った。ランタンの灯りが、少女の絹のような肌を伝う冷たい涙を照らした。

 近くで見ると少女の体を包んでいるタオルケットは、腕利きの職人の手で作られた物なのか、きめ細やかに織り込まれていた。材質もよく、バレントの家にある全ての物よりも高価な物のように見えた。


「うーん……」バレントは頰を指で引っ掻いた。「そ、そうだ。名前はなんていうんだ?」

「あ、あ……アー、リ……」


 少女は泣き腫らして呼吸もままならない様子で、息を吸ったり吐いたりを繰り返し、なんとか自身の名前を名乗ったようだった。少女の両目から溢れる涙が、頬を伝ってタオルケットへと染み込んでいく。

 

「そうか、アーリっていうのか。俺はバレントだ」

 子供に慣れていないバレントの言葉はそこで止まった。


 ドアの後ろに隠れていたループも、心配そうに顔を覗かせた。

「なあ、アーリ、寒くないか? 家の中は暖かいぞ。んっと……綺麗とはお世辞にも言い難いけどな」

バレントの呼び掛けに、アーリは何も言わず鼻をすすっている。


 居心地が悪そうに首の後ろをさするだけのバレント。

 雨は容赦なく二人に打ち付けている。



 数分後、だんだん落ち着いてきたのか、腫らした目で真っ暗な森、馬の走っていった方向を見つめる。

「おかざん、どご……? し、しっ、てる?」

 真っ直ぐに向けられた少女の疑問と目線は、バレントを更に困惑させた。返答を躊躇いつつも、少女を刺激しないようにそれでいて伝わりそうな言葉を選んでバレントはこう言った。

「すまない、わからない……んだ。明日晴れたら探しに行こう」

 バレントの考え抜いた返答は、少女の表情を再び曇らせてしまった。赤く腫らした目がまたうるみ始めた。

 上がってくる嗚咽をなんとか堪えようとする少女の傍らで、何ができるわけでもなく立ちすくむバレント。そして玄関から覗き込むだけのループ。


 強まっていく雨足。バレントのシャツも、アーリに被せられたタオルケットも、水を吸ってどんどんと重たくなっていく。


 流れる沈黙。

 少女の啜り泣きと雨の音が、重たくバレントにのしかかった。苦し紛れにバレントが玄関の方へ目をやると、ループがその大きな体を縮こめて行儀よく座っていた。


「アーリ、見てな」

 そう言ってバレントは、ループの方へゆっくりと歩き出した。


 最初よりは落ち着いてきたアーリは、何も言わず色の違う両目でバレントの背中を見ていた。

 バレントは座っているループの後ろに回り込み、指を口元に引っ掛けて、ぐいと引き上げた。無理やり笑顔をループの顔に作り、バレント自身も慣れない笑顔でアーリに笑いかけた。


「は、はひほ、ふるんは!」


 無理やり作られた笑顔は、あまりにも不自然だったが、悲しむ少女に笑顔を分け与えるには十分だったらしい。


 アーリは男と狼の笑顔に釣られるように笑顔を取り戻した。


「アーリ、お腹空いたか?」

 少女は小さく頷き、

「うん」

と弱々しくもはっきりと答えた。


 バレントがフェンスの戸を開けると、少女は導かれるようにゆっくりと玄関へと歩いていった。 

 雨はまだ力強く降り注いでいたが、吹き荒んでいた風は止んでいた。

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