第16話 最初の事件

「私は何も言ってません。誰があんな男に」


 馬雲千香は不満げに大声を上げたが、探偵は目すら合わせない。


「後は簡単な話。まず持ってきた酒の中に、睡眠導入剤をタップリ入れておく。夜に四界をたずねて部屋から引きずり出すと、六道の部屋に引っ張り込む。あそこなら、どんなに叫んでも他の部屋には聞こえないからな。そして三人がかりで無理矢理酒を飲ませた。睡眠導入剤と酒は最悪の組み合わせだ、一気に悪酔いして意識を失ったんだろう。その四界を部屋に運んで、アイスピックで首の後ろを刺せばオシマイ」


「証拠はあるんですか」


 強い視線で見つめるいずる。口元には微笑みすら浮かべて。


「言っただろう、証拠なんてどこにもない」


 ウンザリしながら探偵は言った。


「だが確信はしてる」

「証拠もないのに確信できるのか」


 それは祈部豊楽からの疑問。探偵は静かにうなずいた。


「豊楽さん、あんた四界が殺されたとき、あの部屋で何て言ったか覚えてるか」

「はて、ワシが何か言ったか」


「ああ、言ったね。『おまえまでも、か』ってな」


 探偵は八乃野いずるを見やる。


「つまり、豊楽さんはあのとき、四界と誰かをセットで考えてた訳だ。誰とだ。先に死んだ三太郎とか。いいや、違うな。豊楽さんの頭にあったのは、四界と双子のように仲の良かった六道だ。六道と同じように四界も殺されたって言ったんだよ。すなわち、三太郎はそうじゃないって自白でもある」


「それは憶測です」


 思わず声を上げたのは、キラリ。数坂が額の皺を深くしてにらんだ。


「おい、多登」

「でも数坂さん、こんな憶測じゃ逮捕状は請求できません」


 キラリは譲らない。ここを曲げる訳には行かない、それは刑事としての意地でもプライドでもあった。しかし。


「憶測はもっとあるんだが、どうする」


 探偵の言葉に、キラリは動揺する。


「えっ」

「俺は別に話さなくても構わんのだがね」


「あ、それは、その」

「駄目だ、全部話せ」


 言い切ったのは、築根であった。


「問題があれば私が責任を取る。おまえの頭の中にあるものをすべて出せ」


 探偵は口元で小さく笑うと、視線を霜松市松に向ける。


「霜松さん」

「な、な、何だ」


 もはやどう見てもグロッキー気味の霜松市松は、懸命に虚勢を張っているものの、その様子は文字通り風前の灯火に思えた。探偵は静かにたずねる。


「変わった男で、他人のやらない事ばかりやって失敗するの繰り返し。あんた事務所で自分の父親の事をそう言ってたよな」


 霜松市松は少し記憶を探った。確かにそんな事を話したような気がする。


「それが、どうかしたのかね」


 すると探偵は、こんな事を言い出した。


「それって本当の父親の事か」


 絶句する霜松市松に、探偵は続ける。


「それって祈部豊楽に借金をした、あんたの育ての父親の事じゃないのか」


 その場にいた誰もが沈黙している。まるで意味がわからない、そんな静寂。


「これは、まったく証拠も何もない憶測なんだがね」


 探偵は疲れたように、またため息をついた。


「霜松さんの本当の父親ってのは、祈部豊楽じゃないのか」


 ギョッと目を剥く音が聞こえそうな気がした。霜松市松は、口をパクパクさせている。凍り付いたような静けさの中、最初に震える声を出したのは、豊楽。


「何故、そんな事を思った」


 鍵は視線を豊楽に向ける。その視界の中には、愕然とする八乃野いずると馬雲千香もいた。


「カエルの子はカエル、子は親の鏡ってね。末っ子の九南に家督を譲るつもりなのに、あんたが四界と六道に目をかけていたのは、自分の若い頃に似てたからじゃないのか。他人の女にすぐ手を出すところなんかが。一方同じ血を引きながら、人生を賭けて祈部の家に尽くしても祈部の姓を名乗る事ができなかったヤツがいる。信頼も愛情も勝ち得なかったのは三太郎じゃない。霜松市松だ」


 苦々しげな顔で、豊楽が押し黙った。


「もし本当に、霜松市松の父親が祈部豊楽だとしたら、だ」


 そのとき探偵が見つめたのは、八乃野いずる。


「さて、おまえの本当の父親は、いったい誰だ」


――どっちなんだ、わかってるんだろう


「八乃野いずるの両親は、昔ここで働いていた。なら、母親が四界と六道に目をつけられていてもおかしくはない。しかも六道に金まで借りている。果たして何もなかったのか」


――わからないって言ったら?


「いずるの本当の父親が、四界なのか、六道なのか、それともわからないのか」


――殺してやる、おまえも、あいつらも


「何にせよ、四界と六道を殺す動機にはなる」


 場を包む重い沈黙。凍り付いた空気の中、築根が探偵に問うた。


「つまり、八乃野いずるが四界と六道を殺したのは、復讐のためなんだな」


 うなだれる霜松市松は、それを肯定しているように見える。祈部豊楽もそう理解しているのか、硬い表情で沈黙している。馬雲千香は目を伏せ、八乃野いずるはため息をつく。しかし面倒臭そうな探偵のつぶやきに、場の一同は目を丸くした。


「だったら話は簡単なんだがね」


 簡単? この話のいったいどこが簡単なのか。誰もがそんな顔をしている。原樹など頭から煙を噴きそうだ。


「言ったろう、豊楽はいずるの目的を見誤っていると」


 そして探偵はたずねた。たいして興味のない風に、まるで世間話をするかのように。


「なあいずる、おまえどこまで殺す気だった」


 八乃野いずるは、しばらく探偵を見つめた後、微笑みを浮かべた。またあの薄っぺらい微笑みを。


「どういう意味でしょう」

「おまえの目的は復讐じゃない。だから、六道と四界を殺しただけじゃ終わらないはずだ」


「それも憶測ですよね」


 すると、探偵は指を三本立てた。


「人を殺すヤツは、だいたい三パターンに分かれる。憎しみで殺すヤツ、ついカッとなって殺すヤツ、殺す事を楽しむヤツ。だが、おまえがこの三つのパターンに当てはまるとは思えない。だとしたら」


 そして四本目の指を立てる。


「四つ目のパターンかも知れない。つまり、殺人を適切な手段と理解して使うって厄介なヤツだ」


 いずるは微笑みながら首をかしげる。


「そんなに厄介ですかね」


「厄介だね。何せ罪悪感も後悔もない。目の前に飛んできた蚊を潰す感覚で人が殺せる。憎しみで殺すような切迫感はないし、カッとなるヤツみたいに短絡的な行動も取らない。まして楽しみで殺すほどの執着もない。だから証拠なんか残さない」


「証拠がないのは自慢できる事じゃないでしょう」

「俺は警察官じゃないんでな。証拠を元に推論を立てなきゃならん義理はない」


 そこに慌てて口を挟んだのは、市警の数坂。


「いや待て、待ってくれ。そもそも何で八乃野いずるが四つ目のパターンに当てはまると思ったんだ。そこから説明してくれんか」


 すると一瞬、探偵は不思議そうな顔をして、すぐに「ああ、なるほど」と納得した。


「そのとき何を見て、何を聞いたのか、そこまではさすがに想像がつかんがね。ただ五年前、八乃野いずるは決断した。それが今回の事件の本当の始まりだ」

「五年前?」


 思わず声に出したのはキラリ。いったい五年前に何があったというのか。探偵は横目で見つめている。


「五年前、いずるの両親が死んだ」

「それくらい、わかってます」


 そう、それくらいはわかっているのだ。だが。


「どうわかってる」


 探偵の言い方にカチンと来たのか、キラリは声を大きくした。


「どうって、二人が心中して……」


 そこで言葉は止まった。息を呑む音がする。キラリの顔がこわばっている。ようやく気付いたのだ、五年前に何があったか。動揺する眼がいずるを見つめた。


「え、いや、それは、そんなはずないですよ」


 震えるキラリの声に、探偵が応えた。


「何故、そんなはずがないと思う」

「だって、だってそのとき彼は、十二歳じゃないですか。まだ小学生ですよ」


「だからどうした」


 探偵は冷たく言い放つ。


「小学生に自分の親が殺せないと思う根拠は何だ」


 瞠目した。築根麻耶が、祈部豊楽が、馬雲千香が、数坂修平が、祈部九南が、そして霜松市松が。


「それは、嘘だ」


 青息吐息の霜松市松の言葉に、馬雲千香が引きつった顔でうなずく。


「そう、馬鹿げてる。いくら何でもあんまり」


 二人は動揺し、だからこそ真相は際立った。この事実を、何としても隠し通すつもりだったに違いない。けれど、いずるは二人に目を向けず、まっすぐに探偵を見つめている。


 さしもの築根麻耶も、簡単には同意しかねるといった顔だ。


「子供が、小学生が大人二人を刺し殺したと言うのか。だが、物的証拠がない。両親は胸を刺されて死んでいるんだ。たとえば、返り血を浴びた服とか」

「家の中だ、子供が全裸になって何の問題がある。それに胸を刺しても包丁を引き抜かなきゃ、返り血なんかそう浴びないはずだろ」


 話す探偵の顔からは、感情が消えているようだった。


「仮に返り血を浴びても、風呂で洗い流せば終わりだ。もちろん風呂場から血液反応は出るだろうが、誰が体を洗ったかまでわかる訳じゃない。いや、仮にわかったところで、死体の胸から包丁を抜こうとしたら、手に血がついたから洗った、で済む話だ。包丁に付着した指紋もこれで説明がつく」


「それは、そうかも知れないが」


「死亡推定時刻だって、たいして当てにはならない。両親が死んだのが、息子が塾から帰る前か帰った後か、そこまでキッチリわかるはずなかろう。しかも夫婦喧嘩の声は近所に何度も聞かれてるんだ、そっちの方に話が行くのは当然だ」


 言葉通り、さも当然と言わんばかりの鍵に対し、数坂が腹を立てたようにたずねる。


「動機は。動機は何なんだ」


「だから言ったろ。こればっかりはわからんよ。いずるの出生の秘密が関係してるのかも知れないし、祈部六道への借金が関わってるのかも知れない。とにかく両親を生かしておけない、生かす理由がない、死んだ方が幸福じゃないか、殺してやるのが愛情じゃないか、そういずるに思わせる何かがあったんだろう」


 探偵はしつこいほどにため息をつく。


「とにかく、この事件がなければ他の事件もなかった。おそらくこれに六道は感付いたんだ。だから千香を脅迫した。いずるを脅しても金にはならんが、その事実上の保護者である千香はちょっとした音楽家だ。金は引き出せると踏んだんだろうな」


 スラスラと、立て板に水で話す探偵に向かって、今度は豊楽がたずねた。


「ならば四界は。四界も脅迫していたと言うのか」

「あんた、いずるたち二人がここに来たとき、六道殺しの犯人が誰がわかったはずだよな。そのときどう思った。これは復讐だと思わなかったか」


 探偵の脚はリズムを刻むように揺れている。


「いずるが復讐者だと定義付けられた時点で、両親殺しのイメージからは解放される。両親を心中に追い込まれた可哀想な子供という設定が、いずるを守るからだ。その設定がある以上、あんたは六道がいずるに殺されたとは主張しない。主張できない。そんな事をしたら、殺された理由がクローズアップされる。そうなれば自分にまで火の粉が降りかかるのは間違いない。祈部の家は、あんたの代で終わりだ」


 探偵は指を差した。豊楽を、貫くように。


「それを理解していればこそ、いずるは四界を殺した。ダメ推しだ。四界と六道の二人が組んで悪さをしてたのは、この辺の人間なら誰でも知ってる事だろう。ますます表沙汰にはできない。もう祈部の家はいずるに抵抗できない、それを教えるための人身御供。そこまで行けば、後は霜松市松にあれやこれや吹き込まれた幾谷いつみが、邪魔な探偵を始末して話は終わる。そのはずだった」


 探偵は手を下ろして背筋を伸ばし、豊楽をにらみつける。


「あんたは思ったのかも知れない。祈部の家をいずるの自由にはさせられないと。だが違うんだ、相手はこんな家どうでも良かった。だから、あんた方を切り捨てようとした。事件のすべてをおっかぶせて逃げ切ろうとね。八乃野いずるの望みは最初から一つ。旧い名前でもなきゃ祈部の財産でもない。こいつはただ、最初の殺人を何としても隠したかっただけなんだよ」


 何か憑き物が落ちたかのように、キラリが呆然と息を吐き、うなだれる。


「……木の葉を隠すには森の中」


「そう、死体を隠すには死体の中。いずるにとってはラッキーな事に、三太郎が死んでくれた。ここで四界を殺せばどうなる。自殺で片付けられれば良し、他殺扱いになっても手口が同じなんだ、警察は三太郎殺しと四界殺しを一連の事件として考える。そこには当然矛盾が生じ、堂々巡りに陥るだろう。真っ先に容疑者として挙がるのは豊楽か九南だ。その次に疑われるのは馬雲千香。自分の所まで順番が回ってくる事はない。そう思ってたんじゃないか」


 そして探偵はフッと笑った。


「実際、この鍵蔵人もそう思いかけてたんだ。幾谷いつみに襲われるまでは」

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