バイト戦争

森山智仁

第1話 こんな仕事で2000円

 これは発射スイッチじゃない。

 確かに僕がこれを押すことは相手の死に繋がるのかもしれない。けれど、原因と結果が離れている――風と桶屋ほどではないにせよ。時間にしても十数秒は間が空く。

 水平線上に何かが見えたらスイッチを押す。こんな簡単な、小学生でもできるような作業で時給2000円も貰えるのは、やはりこれが「人殺し」だからなのだろうか。実感がない。関わっているかもしれないけれど芯を大きく外している。

 人が「都民」と聞いて思い浮かべるのは九分九厘、二十三区内の住民であって、奥多摩の山麓に住む農家を誰がイメージするだろう。僕は人殺しの組織の一員ではあるけれど奥多摩に住んでいる。奥多摩に住んではいないが。だいいち、環境に配慮していない商品を買うすべての人間がいたいけな動植物や途上国の子どもたちを間接的に殺しているのだ。それはさすがに遠過ぎるか? でもそういうことだろう。原因と結果の間に挟まっているステップの数が違うだけで、自分の行動の先に他人の死があるという大筋は変わらない。

 僕は「何かが見えた」という合図を送るだけ。殺せなんて言っていない。合図を受け取って敵船かどうかを判断するのは別の人間、発射スイッチを押すのはさらに別の人間だ。僕が行動を起こしてから相手が死ぬまで少なくとも二人の人間を挟んでいる。これだけ隔てていれば殺したという実感はないし事実殺していない。

 撃たれた相手は恨むだろう。でも、「誰を」恨むのか? 発射スイッチを押した人間を? 「発見」しただけの僕にまで恨みは及ぶだろうか?


(あ)


 見えた。船影。

 何も考えずに、スイッチを押す。相手が死ぬかもしれないなんてことは考えなくていい。いや、頭をよぎったとしても、それはそれとしてとにかくスイッチを押せばいい。

 僕はただのレーダーなのだ。というか、バイトを雇うよりレーダーを置いたほうが確実ではないかと思うのだけれど、まぁ色々と事情があるのだろう。機械代より人件費のほうが安上がりなのかもしれないし、実は機械のほうが安いけれど救貧のために買わないのかもしれない。小売りの店長で、バイトを守るためにセルフレジを入れない人はわりに多いと、この前WEB番組で聴いた。海から目さえ離さなければ片耳で音楽やラジオ等を聞くことは容認されている。

 スイッチを押してから十秒が経った。そろそろ判定が終わる。

 あの船は、きっと、撃たれるだろう。撃たないという判定になることはあまりない。彼らは、見つけた僕を、恨むだろうか。恨めるのだろうか、顔も知らないのに。僕は無理だ、申し訳ないと思えない。顔を知らないから。

 一瞬、船影が赤く光った。

 そして、消滅した。

 この距離では音も聞こえない。

 立ち昇る煙もすぐに消える。

 乗員はどうなっただろう。爆発で死んだだろうか。それとも不運にも即死を免れ、広大な海原でもがいているだろうか。

 血を流し、海水を飲んで咳き込みながら、彼らは「僕ら」を恨むだろう。「僕」が殺したとは思わないけれど怨恨の波動の一部は浴びることになるだろう。でも、彼らが本当に恨むべきなのは不法入国を企てた自分たちであり、そうせざるを得ないほど彼らを追い詰めた指導者たちなのだ――と思う。たぶん。この目で見てはいないけれどそういう風に聞いている。

 彼らがどうすべきだったのか、僕らがどうすべきなのか、そんなことは考えても考えなくても時給には一切影響がない。考えても無駄だから真剣には考えないけれど、たまに考える。何しろ暇だから。


 ◆ ◆ ◆


 午後4時。夜番と交替する。

 ▪️▪️▪️を出て、山道を少し下り、国道▪️▪️号線を歩いて指定のバス乗り場へ向かう。


「おーい! おーい、お兄ちゃん!」


 声のしたほうを見ると、波止場で漁師たちが手を振っていた。ドラム缶の火が見える。イカでも炙っているのだろう。このあたりのイカはうまい。


「おつかれさん! ちょっと寄ってきなよ!」


 頭にタオルを巻いた漁師が手招きをしている。

 これが旅行ならぜひ寄っていきたいが、残念ながら帰着まで誰とも口を聞いてはならないことになっている。

 僕は会釈をして、視線を切った。釣りたてのイカを逃したせめてもの慰めに、家の近くのスーパーでサキイカでも買うとしよう。

 しばらく行くと、背後からエンジン音が近づいてきて、僕の歩きに合わせて減速した。

 何だ?

 おそるおそる目を向けると、軽トラの運転席の窓が空いて、日焼けした漁師の笑顔が見えた。


「お兄ちゃん、俺ら、感謝してっから」

「……」

「喋れないんだろ? いいよいいよ。とにかくさ、俺らは感謝してるって伝えたかったのよ」

「……」

「ニュースじゃあんまりやってくれないけど、めちゃくちゃだからね、あいつら。漁場は荒らされ放題だし、上陸してきた奴に女房犯された仲間もいる。本当だよ。いつかブッ殺してやりたいってずっと思ってた」

「……」

「だからさ、俺らは感謝してるし、応援してるよ。何か困ったことあったらいつでも言って」


 口を聞いてはいけない。

 僕は目を伏せ、また会釈した。


「じゃあな! おつかれ!」


 軽トラが走り去っていく。

 波は穏やかで、遠くウミネコの鳴き声が聞こえる。

 今日の勤務は6時間。海を眺めてたまにスイッチを押すだけで12000円。

 恨まれるから楽に稼げるのだと思っていた。逆に感謝されるなら、こんなにいいバイトはない。

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