竜の愛し子と魔法使い

中村悠

第一章 竜の番 竜王編

第1話 わたしの決心

 



 わたしの居城は、小高い丘の上にあった。眼下には古めかしい壁が竜の背の如く連なり、その向こうには歴史を感じさせる煉瓦づくりの家々が幾重にも建ち並び、遥か遠くには山々が霞む。時折空に黒い影が差し急いで上を見上げると、陽の光を背にした雄々しい飛竜の姿が雲の合間に消えていく。


 これが幼いわたしの生きている、わたしの部屋の窓から見えるちっぽけな世界。


 幼い頃のわたしは一人きりで過ごしてばかりだった。父上と母上は忙しい人達だったし、長期に城を留守にすることも多かったから。だからといって、わたしのことを顧みないということはなかったし、忙しいなりにわたしに愛情は惜しみなく注いでくれていたと思う。務めの合間を縫っては会いにきてくれた。わたしと触れ合う時間は決して多くはなかったけれど、見つめる瞳には慈しみの感情がみてとれた。だけど、それでも幼いわたしの寂しさを埋めることはできなかった。

なぜなら、外に出るのは危険だと言われて育ったわたしには、友人と呼べる者が一人もいなかったからだ。同じ年頃の子と接したことがない。そもそも外との交流はほとんど断たれていた。

 父上と母上、側仕達が数名、家庭教師。そして部屋の窓から見える景色。それがわたしの全てだった。



 そんなわたしがソレと出会ったのは、ようやく文字を覚え、父と母に拙い手紙を書けるようになった頃。

 ソレは、かたちがあるようでいて、かたちが無い、靄のような、黒い霧のようなものだった。

 心が穏やかでいられないときソレはどこからともなくやってきて、わたしの周りにまとわりつく。ふわふわ、ふわふわとそばにいて寄り添い見守ってくれた。父上や母上に会えた後は、一緒に嬉しさや喜びを分かち合ってくれたし離れた後の感傷にも寄り添ってくれた。部屋から出られないストレスでイライラするときはイガイガの形になって気持ちを共有してくれた。

 友達のいないひとりぼっちの寂しさを埋めてくれる靄とすぐに心を通わすのは至極自然なことだった。ただ、一緒に寄り添ってくれるだけで心強かった。



 わたしの成長とともに出てはいけない範囲が部屋から塔へ、塔から城へと少しずつだけど段階を経て広がっていった。広がるに連れてただ寄り添い合っていた靄との時間もただのおしゃべりから遊戯へと、行動も範囲も興味と共に広がっていった。

 外で遊べるようになってからは、裏の森に入っては一緒に動物を追いかけ回し、匂い立つ花咲く野では妖精たちと一緒にかけまわって遊んだ。



「ねえねえ、この蝶。とっても綺麗だね。初めて見た!」

「ルリハリっていう名前の蝶なんだって。番を見つけるとお互いに色がかわって凄い綺麗らしいよ。この国にしかいないんだって」

「そうなんだー。色が変わるのも見てみたいね。もやは本当になんでも知っているね」


 もやとのたわいもないおしゃべりがただただ楽しかった。子どもの取るにたらないくだらない会話。

 外に出られない頃から雲の形がどーとか、鳥はどうして飛ぶとか、窓の外を一緒に眺めながらのわたしの幼い疑問に答えてくれたもや。わたしの広がる行動範囲に比例し、浮かぶ疑問と好奇心はとどまることを知らず、その度に黒い靄はわたしを優しく導いてくれた。生き物の生態から自然現象、人々の営みまで、あらゆることにもやは博識だった。たまにわからないことがあっても「じゃあ、二人で考えよう!」と前向きで、どんな疑問にも一緒に向き合ってくれた。

ちなみにもやが答えられなかった質問はいくつかある。例えばそれは



「この建物のどこかにわたしのおじいさまの隠し部屋があるんだって。どこにあるのか、知ってる?」


「わたしの好きな食べ物はいろんな野菜と獣肉をかっらーい調味料で炒め煮した暑い国の食べ物なんだけど、かくし味?っていうの?いくら食べてもわからないし教えてももらえないんだ。知ってる?」



 隠し部屋はもやと探検してみつけてしまった。しかも一つではない。種類も年代も様々で、古文書が所狭しと並んでいる黴臭い部屋や、棚にぎっしりと怪しく光る石が置かれた部屋、それからなんの部屋か用途はわからないけど朽ちかけたベッドが一つだけ置かれたただただ妖しい気配がする部屋などなど。それらは子ども心にみつけてはいけないものだと感じたので、二人だけの秘密とした。

 香辛料で作られる料理は、もやが厨房に忍び込み作る様子を見てきてくれた。だけど料理の隠し味は料理長秘伝のものだったので、知り得たものの口外するわけにもいかずこれももやとの秘密となった。


 そしてもうひとつ。

どうしてそんな雲みたいな姿をしているのって聞いたらもやもどうしてなのかわからないといった。でもこの姿じゃないと多分会いに来られないんだと思うっていうから、その話はそのままになった。




 そして、もやとの付き合いはそのまま何年も続く。年を追うごとにわたしの靄への信頼が大きくなっていったことは当然のこと、黒い霧は幼い私が唯一心を許せる存在だった。




 *****




 その出来事が起こったのは、わたしが成人の儀式を迎える半年ほど前のことだった。

 わたしの国では、生まれて十五年で成人となる。大小の違いはあれどどの家庭も自宅に人を招きお披露目の宴をするのが習わしだ。ただ我が家には他の家庭の成人の宴と異なることがある。


 ーーー成人の宴で一生涯を共にする伴侶を発表しなければならないーーー


この国始まって以来、ずっと続く儀なのだと父上は言う。父と母は成人の儀の前には出会っていたそうだ。なので、わたしの場合も例に漏れず現在進行形で父上と母上が相手を探しているのが周囲の様子から手に取るようにわかる。


……そして、それが難航しているということも。


 子どものころから、なんとなくわかっていたことだった。もし、わたしが普通に相手を見つけられるのなら、塔の部屋に隔離されたりなんかしない。友達だって、いっぱい作れたはずだ。外に出たら危険だなんてそんな人間、わたしだけに決まっている。自分のことも周りのことも守れない弱いわたしだからこそ、そんな自分と一緒にいてくれた靄が大好きで、靄の存在が愛おしくてしょうがない。

 もやの存在は誰にも秘密だったけれどわたしの心は決まっていた。一生を共にする相手は、靄しかいない、子どものころからずっとそばに寄り添ってくれていた靄以外考えられない。だから、わたしは伝えようと決めた、わたしの気持ちを。そして「わたしの成人の宴に来て欲しい」と。




 東の庭のガゼボでわたしはいつものように靄とおしゃべりをする。だけど今日はいつものようなくだらないおしゃべりなんてしない。家庭教師の口癖を真似て笑ったり、今朝のスープの嫌いな具の話なんてもってのほか。

このガゼボからは、とびっきりの景色が見える。池の水面に輝く波も、風にそよぐ赤い花も、今日は一段と輝いて見えた。だって、わたしは今日、新たな一歩を歩き出すのだ。もやとの輝く第一歩になる筈だ。

 わたしは深く息を吸って、ゆっくりと長く吐いてから言った。



「ねえ、もや」



 わたしの呼びかける声に楽しそうにふわふわと散らばっていた黒い霧は、返事をするかのように少し動いて ちょうどわたしと同じぐらいの大きさのかたまりになった。


「今日はもやに大切な話があるんだ」


 黒い影は、少し戸惑ったような揺らぎを見せた。だけど、わたしはもう黙っていられない。体をもやに向き直して、わたしは言葉を続けた。



「以前に話したと思うけれど。わたしの国では、十五歳が成人なんだ。そしてその時、成人の儀を執り行い生涯の伴侶を発表しなければいけないんだ。

……わたしも、あと半年ほどで成人になる。このわたしがもうすぐ成人になるんだよ。なんだか驚いてしまうね。小さい頃は部屋も出られなくて、友達もいなくて。わたしのできることは、先生から学ぶことだけ。もちろん、学ぶことは、大事なことだってわかってる。この国のことも、自分自身のことも、わたしがどうあらねばならないかということも。

 だけど、知れば知るほどにわたしは靄と過ごす時間が大切になっていったんだ」



 意を決してわたしは言う。



「いままで、もやがわたしの心の支えだった。そして、これからもそうであって欲しいと思ってる。

わたしの名前は、ユーリ。本当に今さらだけど、もやの名を教えて欲しい。もやの全てが知りたい。もやの真実の姿を見たい……どうすればもやを知れるのだろうか」


 躊躇いのようなしばしの沈黙の後、黒い靄の中から


「…………、………」


 囁くような、そして震える声が聞こえた。かろうじて聞こえたその名をわたしはそっと呟いた。


 そして


「これからも、ずっと君のそばにいたい。約束してくれるかな」


「……、…」


 呟くような小さな声が聞こえた。

その途端、わたしはその場に倒れ、もやは忽然と姿を消した。











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