11話


 沈黙に張り詰めた部屋の中に、ダニアの地の底を揺るがす声が響いた。


 己の主人に対する傍若無人な振舞い。度を越えて身の程を弁えない道祖みちのやの態度に、今すぐこの不届き者を黙らせなければと、瞳に暗い光を宿らせながら一歩踏みだし――視界を遮る主人の手によって止められた。



「――ダーニャ。今話しているのは私だ」



 ダニアは片手を上げて制止を示してきた主人に対し口を開き――唇を僅かに震わせただけで何も言葉にはしなかった。


 自分が動けば主人に泥を塗ることになる、それが分からないほど我を忘れてはいなかった。故に、歯を食いしばるように唇を引き結び、ダニアは一礼し、元の位置まで下がった。


 その様子に道祖は一層顔を歪めてみせて……心の内で盛大に安堵の息を吐いた。


 昧弥まいやの存在もさることながら、このメイドもヤバい。

 いや、むしろキレたときに何をやらかすか分からない、見境のなさを隠し切れていないこちらの方が厄介な可能性すらある。


 昧弥が相手であれば常に準備を怠るたることはないだろう。だが、ダニアの場合は何が爆発のスイッチになるか分からない怖さがある。


 当然、主人である昧弥に関することが、その最たるものであるのは分かり切っているが、それ以外でもで着火剤になり得る。

 その何かが測り切れない。


 常に備えておくことよりも、突発的な災害への対応の方が肉体的にも精神的にも削られるものだ。


 ――昧弥だけで手一杯だというのに……。


 道祖は頭の中を愚痴が埋め尽くしていくのを感じ、今から頭痛が止まらなかった。

 だが……これもまた、つけ入る隙には違いない。



「従者の躾も碌にできないのか? これでは主人の程度も知れるなぁ?」



 ここぞとばかりに道祖は目一杯の煽りをくれてやる。


 これでダニアが暴走するなら、それを理由に学園の保有する全戦力を差し向けることになる。それで昧弥をどうこうできるとは到底思えないが、ダニアだけを排除するならば、やってできないことはないだろう。


 そうなれば悩みの種を一つ消えることになる。予定とは少々違うが、それならそれで今後の動きを修正するだけだ。何も問題はない。


 道祖はチラッと探るように視線をダニアへ流す、それが挑発と受け取られることもすべて織り込み済みで。



「――ッ!」



 ギリッと歯が軋む音が響いた。眉間に寄ったしわの深さが、そのままダニアの怒りの深さを表わしていた。


 背後で物理的な圧力を持った気配が膨れ上がる。その大きさと濃度は、昧弥が垂れ流している悍ましい穢れの中でなお、埋もれることはなかった。


 噴火寸前のマグマが膨れ上がっていくような危うさが、急激に部屋の中を圧迫していく……だが昧弥は振り返らない。


 太腿の上で手を組み、視線を道祖に合わせたまま静かに告げる。



「――ダーニャ。二度は言わんぞ?」


「……はい」



 それだけで、膨れ上がっていた怒気が枯れ花のように萎んでいった。


 ダニアは変わらず楚々そそとした立ち姿で控えていたが、俯いた視線と雀が鳴くようなか細い声に、彼女の落ち込みようがあからさまに見て取れた。

 しかし返事までに挟まれた小さな間が、彼女が納得し切ってはいないことも知らせていた。


 そのいじらしさに昧弥はクツクツと喉を鳴らして笑い、仕切り直すように道祖に向けて手を差しだして口を開いた。



「失礼した。何分、従者の自主性を重んじているものでな。特に主人への敬愛に制限などかけてはあまりに野暮だ。そうだろう? すべてを飲み込む器の大きさを示せればこそ、従者も心置きなく主人に尽くせるというものだ」


「ご主人様……ッ」



 感極まったダニアの声に、昧弥はフッと柔らかな笑みを浮かべる。


 主人とメイドの麗しい絆。普通なら二人の間に百合花の幻影でも咲き誇っているのが見えるところだろう。

 だが、この二人に限っては咲き乱れたとしてもトリカブトがいいとこで、想像上の絵で言えば冬虫夏草しか浮かんでこない。


 地面を埋め尽くす青紫色の小花の群れとかばねの山、そこから生える気色の悪い菌類が地上を嫉む亡者の手のように天に向かって伸び上がる。


 脳裏に浮かんでしまった凄惨な光景に、道祖はせり上がってきた吐き気を抑え込むため口を一文字に引き結び、黙したまま次の言葉を促した。


 その様子に昧弥は流れが自分の元に戻っていることを確認すると、おもむろに懐から煙管キセルを取りだし、手製の紙巻を差し込んで咥えた。

 すかさずダニアがマッチに火をともし、主人の前に差しだす。

 ゆっくりと吹かし、独特な香気と共に紫煙が登っていくのを見送ってから、昧弥は再び口を開いた。



「さて、貴様の質問は私が『学生』か否か、だったな?」


「……ああ」



 なんで学生が煙草を吸っているのかや、吸う前に断りを入れろなどというツッコミ、もとい注意をする気力は最早残っていなかった。

 そもそも、ここは本土の法が及ばない治外法権。この程度のことでいちいち目くじらを立てていては話にならない。


 だが、それはそれ。ぶり返すどころか悪化したように感じる頭痛に、思わず眉間を揉み解しながら溜め息に乗せて返事をした道祖に、昧弥は口角を鋭く持ち上げた。


 これまでのやり取りのすべてが茶番であったのは確かだが、時間を稼げたのも間違いない。ダニアの暴走の裏で、昧弥は着実に道祖の意図を紐解いていた。


 出た結論は――枷。


 二人に『学生』であるという枷を自らかけさせることで、今後の行動をある程度でも抑制しようといったところだろう。どうにも欲の薄い、堅実な一手だった。


 だが、同時にこの問いの嫌らしいところは、昧弥とダニアが既に制服を身にまとい、学園の敷地に足を踏み入れているという点だ。

 仮に、ここで学生であることを否定すれば、備品の窃盗に不法侵入、あらゆる理由をつけて学園の全勢力で以って自分たちを叩き潰しにくるのを認めるようなものだ。


 しかも、その後はこの学園に足を踏み入れるのすら難しくなるだろう。


 ――それはよろしくない。


 否定と肯定。どちらを選択しても、今後の昧弥たちは自由を著しく阻害される。

 自らの戯れによってもたらされた劣勢だが、上手い問答であることも確かだった。


 ――だが、吐いた唾を飲むことはできない。


 それは界昧弥さかいまいやという存在が、そうあるために外れることはできない一線だ。



 故に、その答えは――、

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