16頁 山の王

《サクラ》

 今宵も黄金に満たされた月下にただずむその緑峰は、威風堂々と数多の生命の居場所を守っている。その緑峰に寄生する古の草木は月の光を浴び、育っていくかのように、活き活きとその身を風の行く先のままに身を任せる。その反面、月の光さえ届かない漆黒の奥地は怪しげな薫りを放っている。


 迅翔竜の種族であるナウルに乗って早30分でサルタリス山脈の奥地まで着いた。それにしても、飛行速度がとてつもなく早かった。山域で飛行速度を緩めるまで、ナウルの体に一瞬でも必死にしがみつく力を抜いていれば、私は空中で置いてけぼりになるところだった。その分時間は浪費せずに済んだけど。


 急いで信仰地に行かないと。

 私はナウルの背中に乗ったまま、どんどん進んでいった。地面と平行に体を屈めて歩く速度も速い。

 それにしても、どうしていきなり信仰地まで行かなかったのだろう。その方がずっと楽なのに。


 ナウルの呼吸がやけに静かであることに、私はあ、と声をもらす。

 危険を察知したからここで降りたのかな。

 迅翔竜は空中戦より陸上での狩りを得意とする。そうウォークから聞いた。

 自分で納得したとき、ガサガサッ、と右から草をかき分ける音がした。私は担いであった、3つある細長い携行火器の一本を取り出し、火器を構えた。その重い火器は、勉強で教わった「火縄銃」のような形を成していた。

 1メートルばかりの草叢から現れたのは、ひょっこりと出てきた毛深い小動物。丸っこくて、抱きかかえられるほどの大きさをした、とてもかわいらしい何かの動物が3匹、ころころと転がるように草むらから出ては坂道を登っていく。一匹だけこちらを見、しかしすぐに二匹の後をついていく。


 かわいかったなぁ。ほっとしたと同時、そう和んでいたときだった。

 ガサリ、と大きな草の音。バッと同じ方角を見た。「ひっ」と変な声が出たが、それどころではない。

 草むらから出てきたもの。それは、ここの山脈では頻繁に発生する青毛の熊だった。

 基準なんてものはわからないけど、私を丸呑みしてもその大きなおなかにすっぽり入りそうなほど、大きな体。その青熊は強面であり、かなり凶暴なのは一目見て分かる。黒い毛並みをした竜とひとりの人間に向かい吼えた。襲う気だ。

 ナウルは眼を鋭くし、鋭利の牙を剥き出しにし、その獣に威嚇の唸りを上げる。


「えっと、こういうときの武器だよね……どうするんだっけこれ」

 どうしよう、使い方があまりわからない。手当たり次第で頭の中と手を動かす。

 銃口を相手に向けて、この引き金を引くんだよね……たぶん。

 私はぎこちなくその銃を青熊に向けて引き金を引いた。


「きゃっ」

 反動で身体が後ろに倒れる。

「いたた……」

 腕もちょっと痛めてしまった。大丈夫かな。

 手綱を引っ張りながら、身を起こして、相手を見た。銃口から大きな網が広がって青熊の方へ向かっていったところまでは確認できた。


「あっ」

 成功した。放った網が巨体の青熊を丸ごと包み込んでいた。青熊はその網を破ろうとするが、もがけばもがくほどその網は絡まっていく。


「あれってイルアの魔法なのかな」

 よく見てみるとその網からは電流が走っていて、網はどんどん獣の巨体を締め付けていく様子が見られた。

 とにかく今の内に進もう。

 私は網に抵抗し続ける青熊を後にし、サルタリス山脈の森を抜ける。悠久の大地、渓流地帯へと向かった。


     *


 美しかった。

 それは月下に映る渓流の景色は言葉にすることができない程に。自ら発光する虫や草花の仄かな光が、環境の美しさの調教をしているようにも見えた。生涯で初めて、支配されていない世界の宵の姿を見た気がした。空に映る億万の星々が、私の心に浅くも広く、浸み込ませていく。

 渓流に入ってから、青熊のような獣は全く出てこなかった。それどころか、危険な気配の片鱗さえ感じられなかった。私が心の奥底から警戒してないからだろうか。それとも本当に危険なものはないのか。いや、気配を隠しているのだろうか。そんな思考を巡らせる。

 どんなに安全だと思われる場所でも気を抜いたら一巻の終わり。いくらナウルと一緒にいるからといって、油断でもしたりしたら……。

 

 ナウルが突然立ち止まる。そして、前方へ唸り声をかけた。

「何もないけど、そこに何かいるの?」

 しかしナウルは、私の言葉に応えずに臨戦態勢をとり、身を低くし唸るだけだった。私は威嚇のつもりで、さっき使った重火器とは違うものをひとつ取り出し、前方へ撃ってみた。

 すると、撃った弾が何もない空間に当たり、空色の衝撃波を放った。


「……っ、何かに当たった!」

 その空衝撃によって吹き飛ばされた空間は、じわじわと肉眼で視認できるように姿を現していく。そして、それが岩の壁に激突したとき、鳴き声を上げながら姿全体を露わにした。


「銀色の迅翔竜!?」

 その姿は、ナウルの黒毛とは対を成し、白銀の毛が生えていた。シルバーバックや色違いなどでもない。爪や翼などの形状が微妙に異なる。

 その殺気は、肉体を軽く両断できる程の鋭さを放っていた。今、これだけの距離を置いてもこの瞬間、あの竜の餌食になりそうだ。


 最近読んだ図録に書いてあったような。迅翔竜に似ているけど異なる派生種である『月姫竜ツクノヒメ』。姿がナウルに似ていて、綺麗だったため、印象に残っていた。

 陸上動物であるにもかかわらず、色彩光学的にその姿を透明化し、獲物を狙う。また、夜行性で肉眼で視認できない程の素早さを持つ。尾に猛毒の棘を持った、夜行性の飛竜種って書いてあった。

 けれど、そんなことはどうだっていい。問題はその希少さや見えないことだけではなく、このサルタリス山脈に住む竜の中でもかなり危険な種だと認定されていることだ。


 私はさっきまで頭に思い浮かべていた悪い予想を、考えなければよかったと後悔した。そして、その後悔は恐怖へと変わる。

 しかし、その恐怖の塊の一欠片に安心感があった。少なくとも、こちらにはナウルがいる。それに、私の持っている魔力付きの武器もある。なんとか勝てるかもしれない。

 いける! そう思ったとき、低い体勢を持っていたナウルが突然身を起きだし、私をその大きな背中から滑らせては、地面へと降ろした。着地した勢いで、私は危うく転ぶところだった。


「ナウル? どうしたの? ふたりで協力しないと――っ!」

 ナウルから感じるオーラに違和感があった。

 いつもの穏やかなナウルじゃない。

 ナウルの眼は紅い流星の如く煌き、それは銀の竜へと向けられた。紅く染まった眼は、怒りや警戒、戦闘体勢を表している証。野生の竜と出会い、眠っていた本能が目覚めたのだろう。一対一を仕掛ける気なのか。

 不利すぎる。やっぱり私も戦わないと――。


『――』

「っ? 声……?」

 誰なの? もう一度耳を傾ける。

『――』

 私に構わず先に行け。と言っているのだろうか。

 もしかして……。

「ナウル?」


 私は声の聞こえた方へと視線をたどると、ナウルの姿があった。やっぱり今のはナウルの声なのか。

 けれど、竜が話すなんて有り得ない。幻聴? でも、今はそんなことを考えている場合じゃない。


 わかった――そうナウルに向かって答えると、ナウルは理解したのか、一吠えかけた。

 瞬間、月光竜に襲い掛かった。相手も対抗し、目にもとどまらぬ速さで突進する。

 生じる鋭い風が葉や小枝を吹き飛ばす。私のちっぽけな体もひっくり返りそうになるほど。でもそんなことはいい。互いに咆え合い、その鋭い爪や牙、尻尾の棘であいての肉体を痛めつけていく様子は見ていられなかった。


『早くいけ!』というナウルの声を聴き、我に返ると、私は躊躇っていた足を鞭打ち、すぐに信仰地へ続く道を走った。心の中で何度も謝りながら。



 ナウルを置いていき、後ろを振り向かずにひたすら走り続けた。走る最中、獣や竜の呻り声が聞こえた気がしたが、そんな不安や恐怖を振り払うように、構わず前へ前へと向かった。王宮の平らな床とは違い、山奥の地面は凸凹している。足元と体力が奪われていく。

 もう走れない。

 立ち止まり、荒くなった息を調えようとするが、眩暈がし、身体がふらつく。足が痛い。胸が痛い。頭が痛い。空気の味が違う。

 でも、ここまで離れればもう大丈夫だろう。

 そう思い、私は少し気を緩めた。


 ひたすら走り続けたため気が付かなかった。動物たちが私の横を通り過ぎていく。鳥の鳴き声も騒がしい。走る、というより逃げているのだろうか。

「どうしたんだろう……」


 ――パキ……。


 後ろの方から枝の折れた音が聞こえた。小さい音だったが、その音はなぜか、この渓流の森に響き渡るかのように大きな音を立てた。嫌な気配がする……。

 さっきの月光竜の比じゃない。何か危険な――


 ――バチバチバチッ


 放電音が激しく鳴る。私は恐れつつも、すぐに振り返る。

 そこにいたのは見上げる程の大きさをし、黄色や青緑の流れるような毛並みは野生の美しさと同時に力強さを物語っていた。

 頭から生えた二本の角は鬼の風格を表現し、四肢は逞しく、この険しい渓流地帯の切り立った崖や岩山を飛び移る際に発達したものといえよう。その竜の周りには青緑の仄かな光を放つ電光粒子が舞い、青い高電圧を纏う。

 小さいころから教わった神話にも登場し、アマツメやゲナ同様、サルト国でこの竜を知らないものはほとんどいない。


 竜の名は迦雷獅子カラジシ。又の名を雷王。

 この森の、この山の王だ。

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