1×6=「宣告」

「《終末時計》を探すんだ。そしてその目で見ておいで――――御津」


 また、この言葉だ。




 意識が、ぼんやりと浮上する。瞼の裏側には穏やかな暗闇の気配があって、おずおずと開けばそこには、仄暗さに覆われた天井があった。自分が何かに寝かされている、と気付いたのはその直後だ。

 知らない天井の模様に、知らない感触だった。それもそうだ、だってあたしには、記憶が無いのだから。

 とろとろと微睡むような意識の境目で、それでもまだ持ち合わせている数少ない糸を手繰り寄せるようにして一つ一つを思い返す。


 剣を携えた無機質の異形。

 明白な死の気配。


 それらを薙ぎ払い打ち払う、冴え冴えと蒼めく焔の轟き。

 たった一瞬の間隙を貫いた、一陣の風が如く迸る一閃。

 悉くを有象無象と切り捨てる、眩きは色彩の嵐。

 災禍と祝福を内包して、天蓋が零すのは星の煌めき。


 渦巻くような光と爆音、たった四人の人間によって巻き起こされたそれは、正直、あまりにも現実離れした光景だった。今でもまだ、夢だったのではないかという気がしてくる。

 だが、絶対に夢では無かった。目の当たりにさせられた冷厳で濃密な殺意はまだ肌にこびりついて離れないし、何よりも――――人の身には過ぎるほどの力を悠々と操る彼らに、強く強く惹かれてしまった興味は、高揚という形で未だあたしの心に残っている。

 あたしは、あたしを知らない。己の立ち位置さえ分からぬ空恐ろしさを、未知への好奇心で無理矢理上塗りしているだけなのかもしれない。

 それでも――――知りたい。だからその気持ちを、掴んでいなければいけないと、あたしは思ったのだ。

 と、その時。



「起きてるか?」

 飛び起きた。



 掛け布団を跳ね飛ばし、発条ばね人形もかくやと言わんばかりの勢いで起き上がったあたしは、次いで静かに横開きの戸――襖、というのだったか――を開けて入ってきた姿に、大きく目を見開いた。ドッドッドッと、飛び跳ねた心臓が痛いばかりの音を立てている。

 短く切り揃えられた黒髪と、鋭く眼光を湛える青の瞳。纏う制服姿からはまだ成長途中であろうすらりとした手足が伸び、「そんなに驚くなよ」とぼやく口元からは鋭く尖った歯が垣間見えた。

 蒼き焔の持ち主――――あたしを助けてくれた、鮮ちゃんだった。

「……調子はどうだ」

 ばくばくと鳴る心臓が落ち着ききる前に、彼女はゆっくりと歩み寄ってきてあたしの傍に屈みこんだ。どうやらあたしが寝かされていたのは布団だったようで、畳に手を突いた彼女はあたしの顔を覗き込み、一つ頷いてすぐに身を引いた。

 透き通った瞳が間近に迫って、すぐ遠ざかる。

「だ、……い、じょうぶ、」

 こほ、と空咳が零れ、続けようとした言葉が喉に絡みつく。一体どれくらい寝ていたのだろうか、絞り出した声はからからに乾ききっていて、見かねた鮮ちゃんが枕元にあった水差しから水を注ぎ、差し出してくれたのを一気に飲み干した。

 冷たい液体が喉を通り抜け、腹に落ちる。それが瞬く間に体に染み渡り、人心地がついたところで、あたしは改めて鮮ちゃんに向き直った。

「ごめん、ありがとう……あたし、どれくらい寝てたのかな」

「一日だ、それほどじゃない。……流石にこれ以上昏睡が続くようなら、予定を前倒ししようって話をしてたところだけどな」

 予定。なんの予定だろうと首を傾げたところで、彼女は背筋を伸ばしたまま、会話を断ち切るようにして綺麗な佇まいで立ち上がる。

「起きたなら、着替えて降りて来い。寝巻は適当に置いとけ。────下で、姐御たちが待ってる」

 視線を巡らせば、枕元、水差しが置かれたおぼんの隣に、綺麗に畳まれた衣服が置かれてあった。いつあたしが起きても大丈夫なようにという配慮だろう。それだけでなく、水差しのことも、こうして鮮ちゃんがここにいることも、おそらくはいつ目覚めるか知れないあたしを慮ってのことなのだと思う。

 その状況は、ありていに言って――――怖かった。だって、あたしは何も持っていない。命を助けてもらっただけでなく、あの時意識を喪ってしまってからの面倒さえ見てもらっている。でも、そこまでされても、あたしには何も返せるものがないのだ。己が何かを示す記憶すら持ち合わせていない者に、返礼として他者に分け与えることのできるものなど思いつこうはずもない。

「……なんで……」

 だから疑問が、口をついて零れかける。小さな呟きを逃すことなく拾ってくれたのか、襖に手を掛けた痩身が少しだけ振り返った。

 それでも、形にするには勇気が足りなくて。なんでもないよと首を振れば、少しの沈黙ののち、その背中が襖に遮られて去っていった。

 あたしは、再び一人になる。彼女にとって、「他人を助ける」ことは口にするまでもない当然のことなのかもしれない。けれどそれを良しとして甘えることに、依然罪悪感が無いわけではなかった。

 己の居場所を見出しかねて――――それでも、ただ布団の上で蹲っているだけでは、何も変わらなかった。


 ***


 服は洗濯されたあとだったのか、汚れ一つなく綺麗になっていた。しかし相変わらず、それが自分自身の私物なのか、彼らによって用意されたものなのかの判別すらつかないのだった。何せ、意識を喪う前の記憶は帽子を握りしめていたことしか残っていないのだから。

 白と紺色で構成されている肩の露出した上衣と、ミニスカート、揃いの帽子。おそらくは髪を留めるためのものだろう、その傍には花――――桜を模した髪飾りと髪ゴムが添えられていた。これは多分、あたしの私物だと断言しても良いと思う。

 部屋の中にあった鏡で確認した己は、黒髪の少女だった。ふわふわとまとまらない髪を肩口まで伸ばしていて、顔立ちはお世辞にも成熟しているとは言えない。肌は白く、まるで一度も日に当たったことが無いかのようだった。

 掌の上の髪ゴムと髪飾りを見、少しだけ考える。髪飾りはピンの上に淡い色彩の桜の飾りが付いているから、多分前髪を留めるためのものだろう。ぱちりと留めて、髪ゴムは当然、髪をまとめていたのだろうが……はて、どんな風に留めていたかも記憶にない。少し迷って、結局まとめずに手首につけるだけにしてしまった。

 おそるおそる襖を開けば、そこは同じようにして襖で隔てられた板張りの廊下だった。流石に知らない家の知らない部屋の襖を勝手に開けるのもどうかと思って、それらの部屋は無視することにする。

 鮮ちゃんは「下」と言っていたから、階下だろうか。階段を探せば、部屋を一つ隔てて左手側に手すりが見えた。静かに降りていけば、ぎし、ぎし、という床板の撓む音に混じって話し声が響いてくる。

「結局、例の医者のところには連れていくのかい? あの子……御津ちゃん、といったかぬぇ」

「ええ。星力マナの保有量が、普通の子にしては多いようですから。それに拾ってしまったからには、きちんと責任を持たなければ。ねぇ、鮮?」

「わァッてるよ姐御……だからこうやって逐一様子見てんじゃねェか」

「夷隅にしては甲斐甲斐しいもんだな。まあ検査したところで、俺らが深入りすべき案件かどうかは怪しいところだが」

 どうやら、というか案の定、話題はあたしのことらしい。話しているのは四人、女性が二人、男性が一人、男性とも女性とも判断がつかないのが一人、いずれも聞き覚えのある声だ。

 それも当然、鮮ちゃんの他の三人もまた、あの日あたしのことを助けてくれた人たちだった。飄々として真意を窺わせない性別不詳、鮮ちゃんが「姐御」と慕う派手な美女、鋭い目つきと雰囲気を漂わせる男性。ここは彼らの拠点なのか、非常に寛いでいるようにも見える。

 そんな中に寝起きの小娘が一人。入っていくのはなかなかに躊躇われて階段の踊り場で立ち往生しているところを、しかし男性――確か、艫居さん――とばっちりと目が合ってしまった。怜悧を湛えた緑青色が、つとこちらを見やる。

「何、んなとこで突っ立ってんだ。とっととこっち来いよ」

「こらこら、むやみに威嚇するものではないぬぇ。……取って食ったりはしないから、大丈夫だよ」

 苦笑しながらも男性のことを窘める彼女――遥さん、といったか――に招かれ、あたしはおずおずと階段を下りる。

 彼ら三人は、背の低いローテーブルを囲むように配置されたソファに腰かけていた。上は和室ばかりが並んでいたが、階下はどうやら洋風の造りをしているらしい。板張りの床の上にはカーペットが敷かれていて、広い空間にはテーブルとソファのほかにテレビも設置されてあった。右手側には、どうやらキッチンらしき場所も見える。

「ここに――――そう、そこに座りなさいな。お客人ですもの、丁寧にもてなさなければね」

 指し示された場所は階段側、いわゆるお誕生日席といわれるところだった。ソファに悠々と腰かける三人の顔をじっくりと眺められる位置ではあるが、反面、それはあたしもまたとっくりと「眺め回される」ということに他ならない。おずおずと腰かけると、鮮ちゃんが「姐御」と呼んだ女性――レオちゃん、と遥さんは呼んでいた気がする――はおっとりと微笑んだ。相変わらず一挙手一投足が優雅で、同性から見ても惚れ惚れしてしまうほど完璧な美貌だった。

 いや、それにしても居心地が悪い。こんなに綺麗で堂々とした人たちと、何故自分が一緒にいるのかだんだんとわからなくなってくる。せめて鮮ちゃんがいればと思うものの、おそらくは彼女のために開けられているのだろう場所にはその姿は無く、さりとて探して部屋中を見回すのも不躾なようで躊躇われた。自然、視界はうつむきがちになる。

 と、落とした視線の先に、横合いから静かにティーカップが差し出された。カップの中には、明るい赤色が湯気を立てて揺らめいている。びっくりしながらも反射的に受け取ってしまえば、そこには鮮ちゃんがおぼんを持って横に立っていた。

「……居心地が悪いのは分かるがな。そんなに委縮すんな、別に悪い奴らじゃない」

「あ、……ありが、と、う……?」

「ン」

 まるであたしの心を読んだかのような言葉だ。不思議ではあるが、その気遣いは本物だった。戸惑いながらも言葉を絞り出せば、彼女は一つ頷いて他の三人にも紅茶を配り――――そして、あるべき場所に座った。

 あたしから見て、右手側が手前からレオさん、遥さん。左手側が艫居さん、鮮ちゃん。あの日、確かにあたしを助けてくれた四人が、一堂に会していた。

「御津」

 レオさんが口火を切った。その艶めかしい口元が優しい声音を紡ぎ出して、



「貴女は、遠からず死ぬことになりますわ」



 ――――――――受け入れがたい宣告に、あたしの思考は見事にフリーズした。

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