1×2=「金よりもくすみ、黄よりもくらく」

「あ、鮮ちゃん、たちは、どうしてたたかっ……戦ってるのっ、?」

「……無理して喋ンな、苦しいんだろ」

 あれからあたしは、尖った歯と黒髪が特徴的な扇子の女の子────鮮ちゃんの先導で、建物の合間をひた走っていた。謎の女性の声に指示された通り、北東に五百メートルの地点を目指して。

 とはいえ、あんな大立ち回りを見せた直後でも何ら変わりなく軽快な彼女とは対照的に、あたしの体はといえば走り始めてすぐに悲鳴を上げ始めていた。どれだけ運動してないんだこの体はと、記憶なき今嘆いてみても仕方がない。

 たまらず立ち止まり、ぜえ、ぜえ、と肩で息をしながら、あたしの少し先で立ち止まっていた鮮ちゃんの涼しい顔を見上げる。彼女にとってはこの程度、肩慣らしに過ぎないのかもしれない。汗一つ浮かんだ様子も、ついでに言えば愛想も無い顔をひいひい言いながら見上げていれば、その顔色が一瞬で変わる。

「寄ってきたな……徒歩は無理か」

 息を無理矢理落ちつけながら、「さっきの化物?」と声を潜めて問いかける。彼女は一つ頷き、忌々し気に口元を歪めた。その小さな唇の隙間からやけに尖った歯が少しだけ覗く。

「姿は見えないけど……」

「見える位置まで近付かれた時点で、交戦は避けれねェんだよ。普段なら構いやしねェが、今はマズい」

 それは、十中八九あたしというお荷物がいるからだろう。あれだけ戦闘慣れしている彼女ならば、きっとどれだけの数に襲われようと潜り抜けられるに違いない。だが戦えないどころか、満足に走り続けることさえできないあたしがいる状況ではきっと難しい。彼女は今、本意ではない選択肢を取らざるを得ない状況なのだ。

 あたしのせいで。

「……ごめん」

 ぽつりと零せば、周囲に巡らせていた青の瞳が再びこちらに留められる。ほとんど同じくらい、それでも少しだけ高い目線があたしの心を穿つようで、ますます申し訳なくなる。

「鮮ちゃんは、あたしがいるから……多分、思うように動けないんだよね。どうしてこんなところにいるのか、自分でもよく分からなくて……ごめん」

 謝ったところでどうにもならないということ、十分に承知している。それでも見ず知らずのあたしのために迂遠な方法を選んでくれている彼女に対して、胸の中は申し訳ない気持ちで一杯だった。自分が分からないもどかしさと、彼女に問いかけに上手く答えられない歯痒さと、命を救われたことへの感謝と、足を引っ張っていることへの後ろめたさ。

 それらから顔を俯かせてしまっていたあたしに、少し上から静かな言葉が降ってくる。

「……別に、それは謝ることじゃねェだろ。私が助けたくて助けたんだ、責任は私にある。オマエが気に病むことじゃねェよ」

 思ってもみなかった言葉に、ぱちり、と目を瞬かせる。ぶっきらぼうで、手探りだったが、それでもそこに込められた感情はほのかに暖かなものだった。

 数拍してありがと、とぽつりと返せば、彼女はごまかすようにふい、と顔を背ける。何かを続けようとした唇は、しかし紡ぐ前に険しく顰められた。

「鮮ちゃん……?」

 こわごわと名を呼べば、シ、と沈黙を強いられる。眼差しはあたしとは全く別の方向を見つめていて、何かを探るように眇められていた。おとなしく口を閉じながら同じ方向に視線をやっても、あたしの目には何も映らない。

 ただそれでも、ひりつくような気配は薄らと感じることができた。冷気のようにひたりひたりと忍び寄って、足を竦ませるような冷徹な殺意────それらを惜しげも無く振り撒きながら、先の化物がやってくる。そんな錯覚に体が震えかけて、寸前で、掌があたしの手を掴む。

「御津、これから一気に行くぞ。説明する時間は無ェ。ただ舌を噛みでもされたら困る、口は閉じてろ。いいな」

 いつの間にか視線をあたしに戻していた鮮ちゃんが、ぐ、とあたしの左手を握り込む。絶対に離れないようにと触れた掌は、冷たく透き通った眼差しとは対照的に暖かかった。

 喋るなと言われた通り、あたしは口を噤んでこくこくと頷くことで理解したことを伝える。空いた左手で頭の上の帽子を慌てて抑えた。何をするんだろう、舌を噛むようなことなのかな? もしかして鮮ちゃん、あたしがめちゃくちゃ遅いから、それに痺れを切らして思いっきり引っ張っていこうとかそういう────

「行くぞッ」

 鋭い声が耳朶を打った、その瞬間。


 世界が、ぶつりと途切れた。




 世界が、ぶつりと再開した。


 体が重力から解放されたかと思いきや、すぐにまた捕らわれて頽れる。一度確かに失われたはずの地面はすぐそこにあって、しかし予期せぬ変化に戸惑った体は上手く着地してはくれず、あたしはぽかんとしたままへたりこんでしまった。

「……?」

 首を傾げる。刹那の暗転を経て、視界の中に映る光景は確かに変化していた。確かにあそこにあったはずの街灯がない。少し先にあった小さな広場は、一際重厚感のある大きな建物に圧し潰されてしまっている。そもそも、足元の道の伸びる方向が全く違っていた。

 そう、まるで、全く違う場所に、一瞬にして移動してしまったかのような。

「────オイ、立てッ!」

 はっとした時にはもう、遅かった。

 呆けていた間に忍び寄っていたのか、はたまた単に気付かなかっただけなのか、それは分からない。どちらにせよもう、刃は間近に迫っていた。


 先のそれよりも一層小柄。兵士のように甲冑を纏って、しかしその兜の隙間から覗く瞳に光は無く────ただ淡々とした殺意だけが、その白銀の刃には乗っていた。

 鮮ちゃんが動き始めるも、間に合わないな、というぼんやりとした諦めだけが脳裏を覆う。不思議と世界がゆっくりと見えて、しかしだからこそ、悍ましい剣閃の中に滑り込む山吹色がより一層鮮やかに映った。



「若人よ。決して、諦めてはいけないよ」


 ────────斬



 迸る一閃が、微かな斬光だけを残して化物を切り伏せる。それはまるで鎧など紙屑のように、布切れよりも薄いものを断つかのようにして切り払い、どうやら死の脅威がなくなったらしいと体が理解してようやく、世界が元の流れを取り戻した。

「死神は志の折れた者から手にかけていく────などと、誰が言ったものかぬぇ。さておき……大丈夫かい、お嬢ちゃん方」

 ざあ、と吹き去る風の中に立つのは、金よりもくすみ、黄よりもくらく、されど眼には明るい流れるような長髪の麗人だった。金糸のような髪の一本一本は丁寧に三つ編みに編み込まれ、その背に流されている。中肉中背、体つきは細やかであるのに、不思議と女性とも男性とも断じ得ぬ揺らめくような佇まいはさながら幽玄。ただ手にした太刀だけがはっきりと陽光に煌めいて、それもまた手にした鞘へと静かに収められてしまった。

「……立てるか」

 繋いだままだった手が、くい、とやや遠慮がちに引っ張られた。はっとしてそちらを見上げれば、鮮ちゃんはどこか申し訳なさそうに眉尻を下げてこちらを見下ろしていた。慌ててうん、と頷き、そのまま引っ張り上げてくれるのを頼って立ち上がる。

「悪い、私の警戒が疎かだった。一応確認するが、傷はないな」

「だ、だいじょうぶ、鮮ちゃんが謝ることじゃないよ……あたしも呆けてたし」

 唐突なことだったとはいえ、まるで状況が飲み込めずぼんやりとしていたあたしもあたしだ。お礼を言おうと思って先ほどの女性? 男性? の方に向き直ろうとすれば、更にそれよりも先んじて鮮ちゃんが距離を詰める。

「けどはるか、テメェならとっくに一帯殲滅してるだろうと思って飛んだんだからな。終わってねェなんて聞いてねェぞ」

「おっと飛び火かい鮮ちゃん……それについては、きちんと助けたってところで手を打って欲しいぬぇ。突然飛び出していったから、こっちもびっくりしたんだよ?」

「……それは、悪かった」

 噛み付く鮮ちゃんに、遥と呼ばれた彼女(仮)はあくまで飄々と返し、あまつさえ言いくるめてしまった。鮮ちゃんも女の子にしては背が高く、迫力のある眼力をしているというのに、彼女には全く怯えた様子がない。

 不思議な人だった。その長身はおそらく170くらいはあろう、細く緩やかな体つきの上には男女ぱっとは判断のつかぬ小さく整った顔が乗っている。靡かせた山吹色の長髪は可愛らしい三つ編みに収まって微風に揺れ、淡いクリーム色を基調とした燕尾服と手にした太刀は対立するようでいて見事な調和を描いていた。ボリュームのあるフリルに彩られた袖口からは、細やかで白い手首が覗いている。

 身内、あるいは仲間なのだろうか、あたしにかけるよりも数段厳しく乱暴な言葉遣いの鮮ちゃんにも怖じることなく、柔和な微笑みを浮かべ軽妙な言葉を返す彼女は、まるで風を受け流す柳のようにあたしには思えた。

「それで、その子は?」

「助けた。だから責任もって姐御のところまで連れていく」

「ふむ」

 「姐御」。先ほども聞いた呼び名だ。鮮ちゃんのお姉さんなのだろうか、しかしそれにしては思い返す会話は淡々としていて、あの不思議な妖精越しに聞こえてきた声音はどこか冷ややかだった。その「姐御」とやらと、鮮ちゃんと、遥という女性と、一体どんな関係性なのだろう。

 そう考えていると、「ばちり」と眼差しがかちあった……気がした。遥さんのそれは常に細められて眼差しの先を見つけることを良しとせず、だからこそ見られているのか見られていないのかも曖昧でやや居心地が悪い。どんな反応をしたら良いのだろう。仮にも命を助けてもらっておいて、怯えるのもなんだかおかしい気がする。ああそういえば、まだお礼すら言っていないのだった。

「あのっ、助けてくれて、ありがとうございました……!」

「うん? ああ、気にすることじゃないさ。私の落ち度でもあるしぬぇ。レオちゃんのところにいくんだろう?」

「れお……?」

 聞き慣れぬ名前に首を傾げれば、脇から鮮ちゃんが「さっき話してた、姐御のことだ」と付け加えてくれる。……この子、目付きと口調はちょっと怖いけど、やっぱりそこまで乱暴な子ではないのかもしれない。

 はい、と遥さんに頷けば、彼女はにっこりと笑みを深めた。

「じゃ、一緒に行こう。レオちゃんからもそう指示されたからぬぇ。『鮮ちゃんが逃げ遅れを拾ったから』、『その護衛をせよ』、って」

 逃げ遅れ。あたしのことは、彼女たちにはそういう風に伝わっているらしかった。確かに、周囲を窺う限りここは打ち捨てられた廃墟というわけではなく、ついさっきまで人の生活があったような場所だ。そこに一人倒れていたのだから、「逃げ遅れた」と判断されても不思議ではない。

 だがそれは、彼女たちの「思い込み」だ。真実は違う。いや、違うのかどうかさえ、当の本人のあたしにも判断がつかないのだ。記憶が無いなどと、説明したところで訝しまれるに決まっている────それでも彼女たちの「思い込み」を訂正せず、良いように使って助けてもらおうとしていることに、一抹の後ろめたさがあることもまた事実だった。

「おや、どうしたんだい。鮮ちゃん」

「……、いや」

 一瞬だけ、鮮ちゃんがこちらを見つめた気がした。遥さんの声に、青い眼が視界の中を横切って、前を向く。

「遥。そういやこっちにくる最中、デケェのを一匹見かけた。コイツを連れてたから手出しできなかったが……」

「んん。それは、あれのことかぬぇ?」

「……え?」

 遥さんが、おもむろにあたしと鮮ちゃんの背後を指を差す。

 その先には、先ほどあたしが襲われたのとほぼ同じ化物が、小型のそれを二匹連れて────あたしたちを、睥睨していた。

「────ッ、……」

 息が詰まる。あれらはこんなにも冷え込んで体中を抑えつけてくる圧を放っているというのに、今の今まで気付くことができなかった。

 光無き眼が「ぎょろり」と蠢く。焦点が合っているのかさえ定かではないそれが、けれども確かにあたしたちを標的と定めて────三つの剣が、ひたりと振り上げられて、


 閃きが過ぎ去る。

 「ちん」という小さな金属音と同時に、三匹の化物は上半身と下半身とに別たれて────────崩れ落ちた。

 刹那の身動ぎさえ許さず、山吹色の旋風が通り去ったのだと気付いた時には、既にその刃は鞘に納められていたのだ。


 その背が、振り返る。あたしたちの目の前にいたはずの痩身が、崩れ塵になっていく化物だったもの越しにこちらを見止め、にこりと微笑んだ。

 笑みは懐っこい。だのに身に秘めた爆発力は人の域を容易く超えていた。踏み込む様すら悟らせず、柳のように、風のようにしてすり抜けて、「斬った」という事実すらまるで後付けしているようにすら見える。

 派手な爆炎も光彩も伴っていないにも関わらず、何よりもただ残された「結果」だけがその鋭利を物語る────揺らめくような佇まいの中に、秘められた力の一端を垣間見た気がして、あたしはつい呆然としてしまった。だから遥さんがてくてくと寄ってきた時も、咄嗟に反応を返すことができなかったのだ。

「平気かい? 二人とも」

「……助かった。気を抜いていたわけじゃなかったんだがな」

「普段と違うんだ、仕方がないさ。レオちゃんや艫居くんと違って、私や鮮ちゃんはあまり護衛はしないからぬぇ」

「まァ、火力特化だからな……その艫居は?」

「彼はもう少し先にいるはずさ。ええと、……名前を教えてくれないかぬぇ? お嬢ちゃん」

 細められた目がこちらを捉え、首が傾げられる。あたしや鮮ちゃんよりも高い背に威圧感はなく、老成した言葉遣いの割に奇妙な人懐っこさが浮かんでいた。知らず詰めていた息を緩めながら、あたしはおずおずと「御津です」と名乗る。

「御津、っていいます。さっき、鮮ちゃんに助けてもらって……」

「うんうん、話は聞いているよ。ここからは私も一緒だ。私たちと居れば、滅多なことは無いから安心していいよ」

 何よりも説得力に裏打ちされた言葉に、はい、とあたしは頷く。確かにあれだけの力量であれば、先の化物の大群が押し寄せたりしない限り、よほどのことは無いだろう。

 それだけの力を持つ優しい人に、あたしは本当のことを伏せている。その罪悪感を抱えながらも────ついていく以外に、道はないのだった。

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