第2話

 梟会の暗殺者は、幼少時から暗殺者としての技術を叩き込まれる。

 福の巣は、通常の児童養護施設同様、保護者のいない児童や家庭に問題を抱えた児童が入所する。しかし、通常のそれらとは違い、親元へ帰る子は皆無だ。同時に、子を引き取りたいという親も皆無だろう。

 何故なら、福の巣に預けるという事は、捨てることと同義だと、承知しているからだ。

 福の巣に入所させる親は皆、堅気ではない。

 意図せずに生まれた子や、存在を隠さなければならない子――例えば、暴力団幹部が、組長の女との間につくってしまった子など――が入所させられる。

 子の安全や幸せを願う親は、そもそも福の巣には辿り着かないだろう。

 入所させられ暗殺者としての技を磨かれた子ども達は、『フクロウ』と呼ばれた。

 その朝も多くのフクロウ達が、各々おのおの技を磨いていた。


 「よお、葉子、少し付き合ってくれないか」

 朝の鍛錬を終えた葉子に、声が掛けられる。振り向いた葉子の視線の先にいたのは、葉子と同じ位の年の男だった。

 「咲也さくや

 その男――咲也も、朝の鍛錬が終わったところだった。

 この朝の鍛錬とは、戦闘要員のフクロウが、平日・休日問わず課せられている、ランニングとパルクールのことだった。平日だったら、朝の鍛錬後はすぐに朝食を食べ、学校に行く支度を整えねばならないのだが、今日は土曜日だ。休日は朝の鍛錬後に各々が自主的に訓練をする事が多い。

 「いいよ。何やる?」

 「サンキュ、じゃあ、で」

 そう言うや否や、咲也は施設の屋外の一角へ歩き出し、葉子もそれに続いた。

 屋外といっても、施設の敷地内だ。福の巣は、民家や商業施設からは遠く離れた場所にあったが、それでも、ランニングやパルクール以外の訓練を施設の敷地外でやるのは憚られる・・・というより、禁止されている。

 故に、訓練で使う場所は、かなり広い。二人が向かったのは何もない平地だったが、人型の的が備え付けられている場所だったり、小さな廃墟のようなものもあった。

 的は、スローイングナイフ――梟会では、フクロウにちなんで『ハネ』と呼んでいる――の練習用のものだ。

 フクロウに叩き込まれる技術は、実際の梟を参考にしたものが多い。故に、フクロウに求められるのは、音もなく獲物を仕留める技術だった。遠距離攻撃に銃ではなくスローイングナイフを使うのも、なるべく音を立てないようにする為だった。・・・なお、これはあくまで建て前であり、本当は銃にかかるコストを削減したいだけではないかと多くのフクロウ達が考えていたが、それをわざわざ口に出すものはいなかった。

 勿論、投げナイフで相手を仕留められるとは思っていないので、あくまで牽制や相手の隙を作るために使っている。本命はやはり、近接戦だった。

 二人が向かった平地には、既に多くのフクロウたちが二人一組、或いは三人一組を作って訓練をしていた。咲也が言った『クチバシ』とはダガーナイフのこと――言うまでもなく、梟にちなんでいる――で、戦闘要員のフクロウ達にとってのメインウェポンだった。戦闘要員のターゲットは主に裏世界の人間で、武器を持っている者や腕に覚えがある者が多いので、相手が銃を持っている場合や、自分と同様ナイフを持っている場合などを想定した対人戦闘訓練が主流だった。――勿論、相手に気づかれずに殺せればそれに越した事はないので、索敵や不意打ちを重視した訓練用として、廃墟が使われている。

 咲也と葉子は定位置につくと、どちらともなく動き出し、ナイフファイトが始まった。双方がナイフを持っている事を想定した戦闘訓練だった。本物のナイフを使う場合もあるが、現在二人が使っているのは刃引きされたものだった。

 ナイフと、蹴りを主流とした格闘技術。

 フクロウには、クチバシやハネの他に、『ツメ』と呼ばれる、爪先に刃が仕込まれたブーツがあるのだが、現在は二人とも普通の運動靴だ。蹴りが致命傷にはならないように思われる。しかし、葉子にとんできているのは、まともに食らわなくても致命傷になりうる蹴撃だった。

 ――相変わらずバケモンだな、咲也は――

 舌打ちのする余裕のない葉子は、心の中で舌打ちをした。

 咲也は一体、何割本気を出しているだろうか。既に葉子は全力を出していたが、咲也は到底本気とは思えなかった。――咲也が本気だったら、自分はとっくに倒されていると知っているから。

 葉子は必死に、カウンターを狙ったり関節をきめようとしたりするが、咲也は体を引くのがはやく、全く触らせてくれない。

 体の疲れか、精神の疲れか。葉子の動きが鈍ると、咲也は一気に間合いをつめた。手首、腕、肩の腱と次々打ち込まれたナイフは、最後、葉子の喉元で動きを止めた。完敗だ。

 葉子は膝をつくと、地面に大の字に倒れた。荒い呼吸を繰り返す彼女に、咲也は「お疲れ。ちょっと水もってくるな」と言って、屋内にかけていった。少しも疲れた様子なく。

 そして入れ替わるように、女性が歩み寄ってきた。

 「お疲れ〜葉子ちゃん」

 葉子は、顔を女性に向ける。それは、葉子より五歳年上の、姉のように慕っていた女性だった。

 「つぼみさん・・・来てたんですか?」

 蕾は、二年前に退所している。しかし、梟会との繋がりが切れたわけではない。子どもでは難しい依頼は、退所後のフクロウがこなす場合が多い。福の巣を退所した後は、道はおおよそ二つにわけられる。腕の良いフクロウは、退所後も梟会直属の殺し屋として雇われるが、そうでない者は、大体が梟会の管轄を外れ、フリーの殺し屋になったり、運が良ければどこかの用心棒になれたりする。勝ち組は、前者の方だ。そして蕾は、前者だった。

 蕾は、戦闘要員ではない。その証拠に、彼女の体は筋肉が少なく、しなやかだった。加えて、出るとこは出て引っ込むところは引っ込んだ、見事なプロポーションだ。戦闘要員として育てられ、筋肉量が多く硬い葉子の体とは、大違いだった。

 「うん。ちょっとネズミを仕留めるのに、協力を頼まれてね。なんでもその人、色仕掛けに弱そうな人だったみたいで。やっぱり壮年の男性を仕留めるには、施設の子のハニートラップじゃ無理があるでしょう?」

 『ネズミ』とは、梟会でいうターゲットのことだ。葉子は、例の政治家だと思った。

 「それにしても葉子ちゃん、さっきの訓練見てたんだけど、ちょっと調子悪くなかった?咲也くんは福の巣きっての実力者だけど、なんだか葉子ちゃんの方がいつもの調子が出てないような気がしたなぁ」

 続けられたその言葉に、葉子は僅かに顔を顰める。

 自分が本調子でないことは、葉子自身も分かっていた。なぜ、本調子でないのかも。

 葉子は前日言われた、養子になれという言葉を引きずっていた。そしてそれ故、普段は割り切っていたことを、いちいち気にしてしまったのだ。

 葉子は女性戦闘員きっての実力者だが、男性の上位陣には及ばない。だからと言って、戦闘用として作り上げられたこの体では、今から蕾のようになることもできない。

 小さい頃葉子は、男性と寝る事を強いられる非戦闘要員になるのが嫌で、戦闘の訓練を人一倍頑張った。しかしどんなに頑張っても、男性と女性の壁は越えられない。

 ――戦闘要員としては中途半端。でも、今から非戦闘要員にはなれない。だから私は、梟会に捨てられるんだ――

 今までの自分の努力が無駄だったように思えて。

 葉子は、ただただ虚しかった。

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