第16話 天秤の説得

 ノッシリノッシリと迫りくる怪物は、速く動けないのか。

 それとも、肉食獣のように確実に仕留められる距離になるまで速度を上げないのか。


 どちらにせよ、距離は自分の味方だろう。


「のにぃくぇげ、じゃぐドロ」

『生い茂れ、蔓よ』


 掛け声と共に、イメージと違わずに怪物を埋め尽くすほどの蔓が伸びた。


 緑色のそれらは怪物を捕まえると葉を茂らせて、覆っていく。怪物が身をよじれば蔓も動くが、今回は伸縮性を先の物より高くしている。動きを完全に止めることは出来ないが、ちぎるのに時間はかかるはずだ。


 その間に、ネズミ花火を取り出して火をつけた。怪物の奥を狙って、投げすてる。


 怪物を越えるか越えないかのところで、ネズミ花火が踊りだした。


 注意は、引けただろうか。


 どうやって動きを完全に封鎖するべきか。あの巨体を地面に沈めることはできるのだろうか。

 やってみなくちゃ、分からないか。


「ぃヴぁねドロ」

『仕舞え』


 怪物の足元の世界もゴケプゾが侵食する。

 そのまま、クリオネが捕食するように下へ下へと怪物を引きずり始めた。


 しかし、上手く進まない。怪物が暴れるのだ。


 蔓を伝って情報が流れてくる。怪物の砲丸のような尻尾が暴れていると。先端が割け、手が伸びて蔓を捕食していっていると。拘束を解きつつあると。


「駄目そうだねえ」


 怪物を直接見られないはずの朱音さんにも、自分の顔色から戦況が伝わるらしい。


「そう思うなら哀れな人間に知恵を授けてくれませんかねえ」

「やーよ。何で私がそんなことしなきゃいけないんですか?」


 こいつっ。


 まあいい。朱音さんが奔放なのは知っていたさ。短い間しか一緒に居なかったはずだけれども、なんか、うん。ある程度はどう行動するかを理解はできた気がするよ。


 さて、と。


 蔓がちぎれるか。時間はない。どうするべき?

 もう一度縛る? 体力の無駄遣いか? 本当に消耗しているのが体力である保証はないのだけれども。


「縛り上げろ。そのまま、黙れ」


 背中から、正髄の声がした。


 直後に土格子が姿形を変え、怪物に襲い掛かる。圧倒的なパワーで怪物を押さえつけたようで、怪物の物と思われる人間の手足が横にずれた。地響きが鳴り、怪物が地に伏せる。

 そのまま、先端にも幾つものねじれたような土が巻き付いた。


「悪いねえ。でも、案内を付けたのに裏口から入る誠二君が悪いんだよ。人形だなんて小細工も使ってさ」


 ぱたん、と本が閉じたような音がした。


 朱音さんに背を向けるようにして、怪物にも声の主に対しても半身になる。声の主、と表現したが、声色の通りに正髄だったわけだけれども。


「先生を脅して勝手に惣三郎を人質にした人を無条件で信用しろって? それで、何人が信用してきたよ」


 人形は壊されてしまったらしいと、感覚的にわかる。


「そうか? 道案内は完ぺきだったはずだ。名刺が先導している間は怪物にも襲われなかっただろう?」

「ここで、お前の母親らしき人に襲われたけどな」


 正髄が笑い声をあげた。


「母親。母親か。確かに、あれは私の母をベースにはしているが、私はあんな怪物から産まれた覚えはない」


 外道が。


「従妹だってそうだろ? 手足の長い怪物は祖父、肘から先が三つに分かれていた怪物は従妹。そんな奴が差し出したものを、信用してついて来いって?」

「なるほどなるほど。そこまで行きつくか。いいね。十分合格だよ。よくぞ洞察できた。私は従妹が近くに住んでいるとしか明かさなかったのに、良くぞベースを見破ったね」


 満足げに正髄が頷いた。

 マジもんの外道だな。こいつは。


「言い訳ぐらいは聞こうと思うが?」


 ボールはポケットに二つ。リュックに九つ。

 ネズミ花火は残り十八個。ライターの残りは万全。短槍もリュックの中で、長い槍は地面に二つ転がっている。


 まあ、ここで作った道具が正髄に届くのかは分からないけれども。

 対策は、普通ならするよな。

 ああ。持っている物はまだ消毒にも寒冷地で体を温めるのにも鈍器にも使えるウォッカもあったか。


「言い訳。言い訳か。その表現は適切ではないな。大事を為すための犠牲だよ。必要なことなんだ。見知らぬ誰かに身を切らせるわけにはいかないだろう? 指導者たるもの、自分の身を切らないと」


 自分の身だあ?


 犠牲になってんのは他人だろうが。


「弟君についてもそうだ。仮初とはいえ信頼を築くには、互いに弱みを握っておかなくてはいけない。誠二君は弟を、私は罪の証拠を。互いに握っているからこそ信頼も生まれると言うもの。だろう?」


「信頼ねえ。そこから信頼になるまでには、大分時間がかかりそうだ」

「時間ならあるさ。これは、国家、いや、種族に関わる大きな事業。各地に転移した悪性の腫瘍を取り除く大手術。一朝一夕でできることではない。それに、私は要求するだけで代案もその後の展開も考えないクズ共とは違う。その後も見据え、動く必要がある。君と共に働く時間はたくさんあるだろう?」


「俺は、返事をしてないんだが?」


 リュックをゆっくりとおろす。


「拒否するのかい? 拒否してどうする? クズ共を一人一人更生させていくのかい? しない奴の方が多いぞ。それに、君も正義の塔を見ただろう?」

「正義の塔?」


 なんだ、それ。


「ここに入る前にあった塔だよ。あれだけの悪人を粛正しても、世の中は全く良くならない。むしろ次々と新しいクズが見つかる始末さ。来るところまで来てるんだよ」

「だから、リセットする、と?」

「ああ。私だって取りたくなかったさ。こんな手段。でも、取らなきゃいけないんだ。世界が腐りきる前に。人間の進化が無駄になる前に。世を良くしたいと思っている人が、その実、無力なことが如何に多いことか。ことを為せずに志半ばで尽きる者の如何に多いことか。君は、想像もできまい」


 正髄が悔恨のような表情を浮かべた。

 声も、心なしか悲痛なものになっている。


 殺した者への罪悪感は、まるで感じないんだけどな。


「でも私には力がある。実行への道筋を、現実にできる力がある。選ばれたのだ。私は、神に、いや、大いなる意思に。だから成し遂げなくてはならない。茨の道でも、どんな代償を払うことになっても! 必ず!」


 代償を払う、か。

 正髄の昔からの考え方なんだろうな。だから、禁書を手にできた、と。


「代償を払っているのは、本当にお前か?」

「私だって辛いのだ! だが、その辛さも、同じ禁書を持つ同士なら分かち合える。同じ目的に進む者なら、胸の内を打ち明けられる。頼む。比良山誠二君。私を、助けてくれ」


 胸を大きく叩いたと思えば、次は眉を寄せて。

 正髄が真剣に見える頼み方をしてきた。


「助ける、ね」


 承諾の意ではない。


 それは、十分に伝わったようだ。

 正髄の前のめりになっていた上半身が戻っていく。


「それとも、その神に着くのか? これは君を生贄に捧げようとしていたのだぞ。君を、いや、正確には君の持つ禁書が他の神に渡るのが惜しくて、禁書に選ばれた君を失って禁書を見失うのが怖かったから君を連れてきたのだ。それだけ大事なら、いざ逃げる段階で君が代償になると胸算用したのだ。重ね重ねにはなるが端的に言おう。君は、捨て駒として連れてこられたのだ」

「まあ、だろうとは思っていたよ」


 普通に考えてただの足手まといだし。

 想定に無くはなかった。


「でも、結果だけ見れば朱音さんは俺を逃がした。俺が庇ったから捕まったのに、だ」

「そりゃ放っておけば君が死んだから庇ったのだ。死んでは、代償にならないからな」

「殺そうとしたのは誰だよ」

「さっきの怪物を君も見ただろ。簡単な命令は出来ても、完全には従わない。完全に従うなら、あの塔を立てずにもっと怪物を増やしたともさ。まあ、あの塔もあの塔で。示威には役立っていますがね」


 示威行為。


 つまり、監獄から見えるようにすることで捕らえた者が選べる選択肢をほぼ一択にするわけか。


「ある程度、従っているようにも見えるけどな」

「誠二君と同じだよ。使い方が分かったんだ。だから、ある程度コントロールできる個体も作り上げることができた。何せ私の『ドウォパショ』は特別製だからな」


 ドウォパショか。

 それが正髄の禁書の名前か。


「話を戻そうか。誠二君。君は、禁書を何だと思っている?」


 随分とざっくりとした質問だな。


「何だと、か。そうだな。凶器、が一番近いか。人を簡単に殺せる凶器。それも大量に。凶器と言うよりも兵器と言った方がイメージは近いか?」


 ゴケプゾも、力加減を間違えれば蔓で人を締めあげ、殺すことができてしまう。

 正髄のドウォパショも同じこと。怪物を解き放てばたくさん殺せるはずだ。


「そうだ。誠二君の言う通り、禁書は個人が持つには大きすぎる力だ。だからこそ、手にした者には責任が付きまとう。義務が生じる。何のために使うのか、何のための力か。正解はないだろうが、決して個人のために使って良い力ではない。違うか?」


 土に捕らえられている怪物に目を向ける。


 動きはなく、捕まったまま。暴れてもいない。大人しく服従している、とでも言うべきだろうか。


「分かりにくいか?」


 正髄が馬鹿にした感じは無く言った。

 目を正髄に戻す。


「この力を仲間の場所取りと称して荷物を点々と座席に置くような奴が持ったらどうする? 不正な金を手にするような者が手に入れたらどうする? 自分本位な政治屋たちに渡ったらどう変わる? 人を馬鹿にして喜ぶ餓鬼どもに渡ったらどう使われる? 待つのは、悪逆非道な行いと周囲の破滅だけだ」

「自分の家族を見て、もう一度言ってみろ」


 正髄の目が怪物と、それから朱音さんを捕えている牢に向いた。

 倒れていた二人も、正髄の家族なのか?


「自己中心的で、他人を考えられない奴らに禁書が渡れば、周囲の破滅しかない。周囲の破滅は、そのうち広がって町が潰れる。日本が牛耳られる。世界が破滅する」


 そして、皮肉をものともせずに正髄が言い切った。


「お前の周囲も、破滅してるんじゃないか?」

「犠牲の無い革命などあり得ない。血が流れずとも、何かが犠牲になっている。何よりも、自分が大事で自分の益しか考えない輩なら、世界を変える必要はない。そういう奴らが、上にいるのだから」


 スケールが大きいんだよ。


 説得する気がある、と言うよりも自分に酔っているように見えるぞ。


「人への迷惑を娯楽にしているクズが居る。少し我慢すれば良いだけなのに自分本位で動いて周りに迷惑を掛けるクズが居る。そこかしこに、クズが居る。そのクズを消せる力が、私と君にはあるんだ。クズの系譜を、絶ち切れる力が、私たちの手にある。浄化できるのだ。君は、なぜ行わない?」

「嫌な奴に対して、死んで欲しいと思ったことはあるけど殺してやると思ったことはないからじゃないか?」


 長く感想を書いていたら「先生へのご機嫌取りで必死だね」とか言ってくる奴とか、思い出すだけで怒りが湧いてくる。


 だが、殺したいとは思わない。


 その程度の感想も浮かばないほどに貧相な感性とつるつるな脳みそをお持ちなのですね、と思う程度だ。


 道を封鎖して笑いながらゆっくり歩く三人組以上に対しても、結局は顔も思い出せない。

 見た直後はイラつくのに。


「それは、無責任だ」


 刃を見せるように正髄が言う。

 冷たい目をして、正髄が口を開いた。


「いじめを見て見ぬふりをするのもいじめの加害者だと言う言葉がある。禁書を手にして何もしないのは、それと同じだ。クズの味方をする行為だ」


 殺気、と言うものがあるのならばこんな感じなのだろうか。

 そう思えるぐらいに、正髄の声音が低くなり空気が冷え切った。

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