第14話 初めての能動的侵入

 最後に一度、壁に全力投球をする。


 ご近所迷惑な音を立ててボールが戻ってきたので、腰を曲げて素手で掴み上げた。


 惣三郎が立てた音、と思われたのなら悪くは思うが、まだ夜と言うよりは夕方なので許してほしい。それまでも小さく音は鳴っていたのだから、急に音が、という訳でもないし。


 うん。だから、大丈夫だと思いたい。


「やっぱり、俺はクズ側の人間か」


 呟きに対する返答はない。

 住宅街ではあるが、少し寂しくも映るこの地区は、陽が落ちれば車で帰ってくる人か、バスから降りてくる大抵一人、多くて数人程度の学生ぐらいしか歩かないのだ。


 だからこそ、人影はない。

 人影が少ないから、堂々と正髄からもらった名刺を取り出せる。言葉を紡げる。


「なしょふぁにドロ」

『案内せよ』


 名刺が土くれに変化したように見え、肥大するように足元に広がる。

 ぼこぼこと、泡立っているかのように、巻紙が作られていくかのように足元で蠢き、盛り上がり、世界が変わった。


 ずっと前にも思えるが、片手で足りる時間程度遡れば嫌と言うほど見ていた世界。知らない植物が生い茂り、嫌な水分を孕んだような、薄暗い森。


 マスクをはぎ取ってから、運動靴のまま移動する。なるべく木々の薄い、遠くまで見えそうな方向がある場所を探して、歩く。


 候補地が見つかれば、一度リュックを下ろしてボールを一つ取り出した。


 朱音さんの言葉だと、斥候部隊のようなモノが来るんだっけか。来ないのに越したことはないが、サバイバルシミュレーションゲームのような世界、だとしたら、あの斧をプレイヤーに落とさないといけないだろう。そうしないとプレイヤーは何も得ることができないのだから。


 まあ、素手で武器持ちの灰色に勝てるのか、と言えば微妙なところ。

 しかも元は人間かも知れないだなんて、ハードモードにもほどがある。


「さて、と」


 ネズミ花火を取り出してポケットに入れ、養生テープを閉じたリュックの上に置いた。


 五分だけ待って、来なかったら移動しよう。


 下にボールを持って、手首のスナップだけでバックスピンをかけて上にやる。掌の近くに来れば掴んで、再び投げる。


 黒い棒を使うことになるのであれば、手首もきちんと動かしておいた方が良いのか。


 そこまですると打席に入る時のルーティーンと被る部分も多くなって嫌なのだが、基本的には自分が正髄に勝っている点はほとんどないのだから、できる手は全て使わないと。しかもこちらはアウェーで戦わざるを得ない。朱音さんは敵の手の中。ただでさえ不利なのに、さらに不利が重なるのだ。


 受け入れるしかない事なのだけどさ。


「来たな」


 草木の揺れと、「キキ」だか言う短い叫び声。

 木の隙間から、灰色が見えた。ちらりと見えたのは二人だったけれど、もっと多いかも知れない。


 まあ、良いか。

 何が仲間を誘引しているかわからないし、そもそも近接戦闘で勝てる保証も無いし、出し惜しみをして怪我をすればこの後が辛くなる。


 左手から、ゴケプゾを取り出した。


「じゃぐドロ」

『蔓よ』


 周囲に円を作るように蔓が現れ、灰色を絡めとる。

 身動きは封じることができたようで、口元も封じて声を出させないように命令を追加した。同時に、斧を持った一人を近くに寄せる。


「悪い」


 硬球を握りしめ、手首に降り落とす。

 嫌な感触の後、くぐもった叫びが聞こえた。斧が落ちる。


「ぃなねドロ」

『仕舞え』


 蔓が灰色を掴んで、地面の下に引きずり込んだ。

 死んではいない。ただ、しばらくは動けないだろうし、仲間に見つけてもらえなければ脱出はできないだろう。

 正髄が何かしても、解放できるとは思うけれども。


「これだけでも疲れるか」


 僅か二人の捕縛だと言うのに。

 大きく息を吐いて、無理矢理にでも呼吸を整える。


 整えながら、ネズミ花火を養生テープでボールにつけた。ゴケプゾから出した火を保持しやすい蔓を、導火線に少し結び付けてから、ライターで火をつける。


 きちんと進んでいくのを確認してから、木々が少なめの、障害物が少ない方へ遠投した。


 九十行けば良いけど。八十超えれば万々歳かな。

 強肩に見せるのは得意だったけど、本物の、天才的な強肩ではなかったからなあ。

 ネズミ花火が途中で外れる、と言う可能性もあるか。


 感傷は後回しだ。


 ネズミ花火の音がどれだけ怪物たちを引き付けてくれるかは分からないし、そもそも効果があるかは分からないけれども今はこの場を離れなくては。


 朱音さんと居た時のような大群が来る可能性があるのであれば、ゴケプゾ動きを止めるだけでなくこっちの世界の武器も使わないと行けなくなってしまうだろうし。


 でもその前に、ここにネズミ花火は置いて行こう。


 ネズミ花火を二つ取り出して、草の上に置く。導火線に蔓をつけて、その周りの草木をどけてから耐火性の高い蔓で覆った。

 水を一口飲んでから火を点け、斧を掴み上げ、なるべく音を立てないように歩きだす。


 ある程度進めば、小さな木を斧で叩く。叩き方は適当でも良いらしく、細い木なら二、三回程度で壊れ、素材に代わった。

 枝から短槍を作りつつ、リュックの中へ。普通の槍は二本だけ作って、手で持って歩く。


 後は石と布があれば斧も作れて嬉しいのだが、布の入手法が分からない。

 斧があるのに斧が作れる、と言うことは耐久度と言う概念があるのだろうか。無いのであれば、これは性能が落ちるのか、あるいは紛失も容易に起こるのか。


 紛失は容易に起こりそうだな。道など分からないし、本の中では方位磁針などが役に立つとは思えない。多少は違うとは言え、似たような景色が続いているのだ。迷子になって怪物に襲われてジ・エンドなんて結末もあり得るだろう。


「そもそも俺って客人じゃね?」


 まだ正髄に何も伝えていないし、決断を伝えに来たのと同じだから。

 襲われる道理はない。

 襲われたけど。


 ただ、そうなると頼りになるのは名刺ぐらい。


 後は何も正髄に繋がるものはない。はず。


 玄人ならば此処で森に、見晴らしの悪いところに隠れられるか、すぐに三方を物体で囲われた場所を探し当てられるのだろうが、そんなことは自分にはできない。

 見晴らしの悪いところに行けば、不意打ちを喰らうのは自分だし、下手に歩けば来た方向を忘れるかも知れない。


 だからこそ、名刺を見るために見晴らしの良さそうな方向へ一直線に進み続けた。


 幸いなことに人影はなく、ウサギのような生き物が跳ねるだけ。それだけで川岸に着けた。


 本来、川は双方が接近に気づきにくいからクマの場合は要注意な場所である。

 でも、今は音を出すわけにはいかないのだから森にいるよりは良いだろう。

 良いはずだ。


「人影は、無し、と」


 槍を近くの地面に突き刺し、念のために新しいボールは手に取ってから、名刺を取り出す。


「ヴぃじしゅぃヴぇぇ」

『道を示せ』


 予想通りと言うべきか、名刺が一人でに浮き、動き出した。

 動き出すのは予想通りではなかったが、示してはくれるのだろう。これが怪物の攻撃も防いでくれれば言うことなしなのだけどもさ。


 ボールをポケットにしまい、槍を引き抜いてから名刺に続く。


 歩いていく道にはほとんど見覚えが無い。


 当然と言えば当然か。

 意識を失って、朱音さんに運ばれていた距離も相当あるのだろうから。その距離がどれくらいかは分からないけれど、名刺に従ってしばらく歩くことで、ようやく見たことがあるかも知れない場所には出られた。


 起きたのが夜のような状態の時だったから、本当に正しいかは分からないけれど、此処は敵の松明で焼いた場所だろう。これまた半ば予想できていたことだけれど、朱音さんが開けた大穴はすっかり無いことになってしまっている。


 当然のことながら、灰色の死体も無い。無いはずだが、自分が殺してしまった灰色の遺骸ははっきりと見えるようだ。


 完全に、幻覚なのだろうけれども。


 蜘蛛の糸を払うように目を離し、名刺を追いかける。


 途中で携行食品を食べながら、水だけは一気に飲まないように気を付けて。


 途中で疲れさせるために歩かされているのではないかとも思ったが、思い直して歩き続けていれば洞窟のような場所に出た。自然の洞窟のようにも見えるが、下に降りるためのロープがついており、そのロープは土をねじったような感じの、正髄が従姉妹を改造した怪物を捉えた時の物に似ている。


「ぶしゅぃしゅドロ」

『分身よ』


 ずるり、と体から抜け出すように植物が出てきた。

 相変わらずの何かを持っていく感覚が、今回に限っては植物に行ったのが良くわかる。


 その植物が、自分と目線の高さが同じ人形になった。きっと、体格とかもほぼ完璧に再現できているのだろう。


 我ながらイケメンだ。惣三郎の次にイケメンだ。

 人形だから上手くできている可能性もあるけれども、イケメンだ。



 ……冗談はさておき。


 両頬を手で軽く叩く。

 ふざけられるのはここまでだ。


 この先は敵地。もしかしたら、時間との勝負かも知れない。惣三郎が無事であり、怪物に変えられないかも、時間との勝負かも知れない。


 既に遅いなんてことは無いはずだ。あっては、ならないはずだ。

 そんなことをすれば必ず自分が敵対することぐらい正髄にもわかるだろう。


 だから、そんなことは無いはずだ。


「みろぬドロ」

『起動せよ』


 人形に先行させる。


 少なくとも体重で作動する罠などはなさそうだ。

 自分が止まれば止まっていた名刺も人形に合わせて進んでいるので、感知体系が同じであるとすれば人形が無事なら自分も無事に通れるだろう。ただし、耳をすませば水音のようなものも聞こえる気がした。ロープを降りるくらいなら、長靴でも大丈夫だろうか。下が水なら、一応履き替えようか。危険だけども。


 リュックから長靴を取り出して、履き替える


 靴をしまってからロープのようなものに手をかけた。


 ひんやりと冷たく、粘体のようでありながらも化粧水のようにさらりとした、なんとも形容しがたい触り心地である。

 その中を慎重に降りていけば、光が無くなり真っ暗になった。


 動きを止めて、暗闇にだいぶ目が慣れたころに止まる前よりもゆっくりと降る。


 どこまで降りたのか、良くわからないが、暗くなってからさほど時間が経たずにオレンジ色の明かりがついたような気がした。


 足を壁につけて、しっかりとロープを握って下を見る。

 どうやら人形が地面に着いたようで、それに反応して明かりがついたらしい。


 なんとも危険な仕掛けをしてくるものだ。


 数十秒ほど遅れただろうか。

 自分も地面につき、人形について移動する。


 中は岩盤をくりぬいたような見た目で、歩きやすくはなっていたが、時折地面に土踏まずを刺激するようなでっぱりがあった。

 気温は低く、遠くで水音も聞こえる。湿気は少ない。自然の洞窟に近いが、それよりも空気が澄んでいるようにも感じる場所だ。だが、足音だけは立たない。岩ならもっと音がしそうだが、それよりは土のように音が吸収されている。


 先頭の名刺が一度止まった。


 引っ張られるように、右側の通路を通っていく。一見行き止まりに見える左側は、どこか引っ掛かるようなものを覚えた。



 いや、自分が、というよりもゴケプゾが覚えたのだろうか。



 暗い中で見える見た目は何も変わらない。左側と言いつつも少しくぼんでいるだけで、たいして引っ掛かりはしない場所のはずだ。


 それなのに、引っ掛かる。


 人形に目を向け、名刺に付いていかせた。

 元々、どこかで朱音さんを探すために別れようとも思って作ったものだ。ここで使っても、問題はない。


 人形は右へ。自分は左へ。


 壁に左手を伸ばせば、脈と同期するように植物の蔓のようなものが手から出てきた。

 正直、心臓に悪い。心臓に悪いけど、これも受け入れるしかないのだろう。

 本の中以外でこういった蔓とかが出てこないことを祈るしかない。


 この発想が、だいぶ毒されてきたなと思わずにはいられないが、まあ、仕方ない。色々ありすぎたのだから。


「ぬめにげぐじょにぬもぬろぬだ、ヴぉじょじょヴぉまじゃむ、ヴぉじょじょヴぉじょぬじょみもぬろぬれなぐ」

『受け入れると言う行動は、最も難く、最も尊き行動である』


 ハッキングするように、それでいてオートで開くように。

 目の前の岩のようなものが折りたたまれつつも、ガソリンスタンドにある自動の洗車機に乗った車のように中に吸い込まれた。

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