第3話 絶句の出会い

「おっけーおっけー。本の名前ね、本の名前」

「Can you understand?」

「アイキャントアンダースタンド」


 分かるわけがない。


 なんだよ『ゴケプゾ』って。どういう意味だよ何語だよ。

 口元を抑え、とりあえず左手に古書を持ったまま腕を組んでしまったけれども、何一つわからない。理解ができない。


 自分自身知らないことが多すぎるとは分かっているが、それにしても何も手掛かりがない。

 自分の言葉を守ってくれているのか、『朱音さん』が黙っていてくれるのだけが幸いか。


 いや、考えていても仕方がない。


「俺は、行方不明になった『朱音さん』の友達を一緒に探しに行くことになっていた」

「うん。そだよ」


「と言っても、個人でできることには限りがある」

「たかが人間一人にできることは限りがあるね」


「だから精々が警察署に行くことと、紙を配ったりすることぐらいだと思っていたのだけれども……。そもそも探しに行くってことが、言っちゃ悪いが自己満足のためだと思っていたのだけど。あるいは神頼み的な当てもないものかと」

「残念でしたー」


 軽すぎる調子だ。


「残念でしたー、じゃないんだよ!」


 思わず出てしまった叫びは、木霊することなく木々の間を去っていったようである。

 だからどうした。

 強く短く一気に息を吐き出し、少し揺れていた肩を整える。


「声おっきいね」

「どうも」


 野球部だったからな。


「なんでこうなった」

「誠二さんがゴケプゾを持っていたから、かな」


 思わず眉に力が入ってしまった。

 きっと、今の自分は眉間に皺が寄っているのだろう。


「ゴケプゾは神に近いモノ。誠二さんが七年間も持っていても無事に生きていることから、使いこなしている可能性が高いと思うのは当然でしょう? ゴケプゾの攻略者なら、この本も、踏破できるんじゃないかってね」


 駄目だ。

 分からん。


 急に色々言われても、キャパを超えていくだけだ。バケツ程度の頭に、風呂の水を全部詰め込まれているようなものだ。


「いや、まったくわからん。朱音さんが話すたびにわからないことが増えるだけだ。何だよ神に近いって。無事に生きてるって? 死ぬ可能性があるのか、これは。大体、攻略ったって何もしてねえよ」

「うーん、だって、元居た世界と時の流れが違って、しかも全く違う法則のある世界を作り上げるなんて、人間に言わせれば『神の所業』でしょ?」

「時の流れが違う?」


 浦島太郎みたいになるって?

 今いるだけで、向こうで何時間消費した?


「そ。こっちで一週間経過しても、まだ陽も暮れていないかもね」

「あ、そっちか」


 少しだけ安心したよ。状況は何も好転していないけどな。


「何も好転してはいないけれど、まあ、その神とやらは受け入れるよ。現に変な世界に居て、朱音さんが炎を操っているし、ゴケプゾ? もいつの間にかあったし」

「話が早いねー」


 うりゃうりゃ、と朱音さんが肘でぐいぐい突いてきた。

 本当はよけたいところだったけど、結構前のめりで攻撃してこられてはねえ。避けたら朱音さんが転びそうだし。甘んじて受け入れるしかないわけでして。


「流石はゴケプゾの攻略者って感じ?」


 ため息は抑えられない。


「だからさあ」


 ため息を具現化させた言葉は、朱音さんがいきなりゼロ距離になったことで止めてしまった。


 耳元に吐息を感じる。


「ゴケプゾは」

 ううぇい。

 ぞわぞわするわ。

「受け入れることでしか攻略できない。未知の恐怖すら飲み込み、身をゆだねた結果、ようやく手に入れられる書。欲すれば遠くなる。貴方ならそこも読めていると思ったのだけど」


「とりあえず耳元でささやかないでもらえますか?」


 ついでに言えば、先ほどまでは近所の生意気な妹分みたいな雰囲気だったのに、急に隣に住む妖艶なお姉さんみたいにもならないでもらえますか?


「やぁよ」

「ひんっ」


 慌てて手で口を塞ぐも出た声は戻らない。

 耳に息を吹きかけるのは反則だと思う。本の匂いとかさ、大人のお姉さんとかさ。


 え? 何? 惣三郎(そうざぶろう)? 母さん? どっちか吹き込んだ?


 いや、母さんに好みとか話したことはないけれど、母親なら全て知っていてもおかしくはないとか思ってしまうのですけれども。


「はは」


 朱音さんが腹を抱えて笑い出した。

 笑い声はどんどん大きくなるし、自分の首はどんどん暑くなるし。


 兎にも角にも。

 足を起用に踏みかえながらその場で奇妙なステップを踏む様子はどこぞの部族の儀式ですと言われても納得するし、幼稚園児の奇天烈な遊びにも思える。


 やっぱり動いたら魑魅魍魎だよ。この人。


「良いねえ、面白いねえ。何なら私が導いてあげようか?」

「結構です」

「また耳元でささやいて欲しいって?」

「言ってないから」

「えー? でもぉ、体格的にぃ、誠二さんはいつでも拒絶できたじゃないですかぁ。それでもしないって、受け入れていたってことですよねぇ」


 朱音さんのしゃべり方に、思わず口角がひくついてしまう。眉も寄るし。

 正直、ほぼ初対面の方に対する態度ではないと思うけれど、致し方ない。


「受け入れてないです」

「またまたぁー」


 うっっざ!


 色々、置いて行ったりだとか無視したりだとかしたい気分ではあるけれど、現状、この異様な世界では朱音さんだけが頼りだ。


 それに、探し人がここにいるのであれば、炎を出したり変な玉座を出せたりする朱音さんであれ危険な世界なのだろう。

 そのことを知っていて置いてけぼりにするのも気が引ける。


 自分が居ればどうにかなるわけではないけれども、無視をすることは出来ない。自分が手に持っているゴケプゾが助けになるならばという思いもある。


 だから、落ち着こう。


 今は互いに利益がある状態なのだ。最悪なのはこの訳の分からない世界で見捨てられること。

深呼吸をしっかりと行う。


「ゴケプゾの攻略法を知っていたのに、なんで朱音さんが持たなかったのさ?」


 聞いてから、同い年ぐらいだろうから女子中学生が一人で動くことは出来なかっただろうと思いいたる。


「私たちは持てないから」


 私『たち』?


 言葉を紡ぐ前の小さな息の吸い込みと連動するように、「きいい」だか「きぃやぁぁ」だかと言った変な叫び声が聞こえた。

 言葉を飲み込んで周りを見る。


「来た」

「来たって、何が?」


 小声で朱音さんに聞きつつ同じ方向に目をやれば、植物が揺れ始めた。

 隙間からかすかに見えるのは灰色。何やら、それなりの速度で移動しているそれは、他にも何固体かいるようで。


 朱音さんと背中合わせになったようなタイミングで、何かがいきなり飛び出してきた。


「は?」


 何かは血の流れていないような灰色の、毛髪も服もない人間に似た存在。体色以外の違いは指が長く、攻撃的な爪のようになっていること。足は健脚のそれ。手には斧のような物。


「は?」

「どふぉのザゾ」


 炎が巻き起こり、灰色の人型が一掃された。


「え? 待って」

「死ぬよ?」


 冷静な朱音さんの声と共にもう一度放たれた炎が、突撃してきた人型を燃やす。

 肌の色がすっかり赤黒くなった死体のようなものが、三つ。地面に横たわった。


「は?」


 どういうこと? 何が? え?

 襲われて助けられたってことは分かるけどさ。

 でも。え? 


 人間、ではない、よな?


「これは何で、どうなってるの? 人じゃないの? というか、流石に手当てとかした方が良いんじゃないの?」

「近づかない方が良いですよー」


 訳が分からないけれど、朱音さんの言葉通りに踏み出した足を止める。


「それ、復活しますから。流石に灰にすれば蘇らないけどさ、全身を火傷させるぐらいじゃあ死なないよ」

「どういうこと?」

「不死の怪物ってこと。強くはないけど、人間にとっては強い怪物。その斥候部隊。わんさか出てくるから気を付けてね」


 ああ、もう!

 また分からないことばかりだよ。

 何が、どうなっているの? 教えてよ!


「サバイバルゲームに近い世界、かな。分かりやすく言うならね」

「分かった分かった。そういうことにしておこう。で、攻略法は? ゴケプゾの攻略法を知っていたなら分かるんだろ?」


 家に帰ってふかふかの布団で寝たいよ俺は。


「とりあえず、本部に行きましょうか」

「本部?」


 怪物がわんさかいるってこと? 本拠地ってこと?


 行きたくないよ、そんなとこなら。怪物にも会いたくないし、人型の存在がバタバタ死んでいくのも、慣れてはいない。

 戦場を経験したことなんてもちろん無いし、殺人現場に立ち会ったことも無い。ましてや競争相手で殺してきた原始人なんかにも会ったことは無いんだから。


「そ。便宜的に呼んでいるだけだけど、この本の所有者の基本的な居場所ってことね」

「あ、そう。はい。ええ、はい」


 野良じゃないってことね。本の所有者が居るのね。

 そいつがこいつらを操っているのね。おっけーおっけー。


 良く分からんがそう言うことにしておこう。


「待って」


 頷きつつも、先に歩き出した朱音さんを呼び止める。


「ここに俺を連れてきて、探し人が此処にいるって言ったんだよな。で、この本には所有者が居る。探し人ってのは所有者か? それとも、所有者に連れ去られたのか? あるいはどこかで怪我して動けなくなっているとかか?」


 返答によっては、とは思いつつも、自分に選択肢はない。

 力では絶対に朱音さんに敵わない。逃げることもできないだろう。ついて来いと言われればついていくしかない。


 だから、これは意味のない問いかけだ。


「置いてけぼりにしちゃったの。一度、攻略に失敗して」

「……なぜ攻略を?」

「禁書を焼くのが私たちの目的だから」

「禁書って? なに?」

「逆に聞くけど、こんな世界を形成できて、怪物を生み出す力を持った本が、そこらに氾濫していても良いと思っている?」


 小さく何度もうなずきながら、舌で唇を湿らせる。


「俺の持つゴケプゾも、外にいる人を害する力を持っている、ということか?」

「誠二さんもゴケプゾで死にかけたじゃないですかー」


 朱音さんが明るく笑った。


 なるほどね。

 これは、本にして凶器、いや、兵器か。


 狂ってやがる。


「朱音さんも、本を持っているのか? その力で炎を出しているのか?」

「うーん……。うん、まあ、そういう認識でいいかな」

「炎を出すときとかに呟いている意味不明な言葉は、この文字の発音か?」


 朱音さんが不気味なほど美しい笑みを浮かべた。

 抱くのはただただ見知らぬモノへの恐怖。そこに心惹かれる淡い感情や羨望などない。

 街中で見かけるものなどとは違う。テレビでよく見る美人とも違う。

 恐怖を抱くほどの美しさ。


「存外、頭が回っているんだね。それともこの異常さえも受け入れえしまうのが、ゴケプゾ攻略者たる貴方の本質? 混乱も恐慌も一時のモノとして飲み下し、常の思考を取り戻す。禁書に選ばれた異質な人間。それも神に近い純粋な書物に選ばれた」


 踏み込んではいけないところに立っている気がした。これ以上は聞いてはいけない気もした。


 でも。

 既に。


 自分は崖の上には居ないのだろう。崖から踏み出した状態でいるのだ。下は断崖絶壁で海が飛沫を上げて鋭い岩が獲物が来るのを待ち構えている。


 ならばせめて。

 空中を歩いている内に岩場からは逃れたいと思うのは自然の発想ではないだろうか。


「その言葉は肯定だな。『禁書に選ばれた』『読めると思っていた』ということは、この本を持っていれば一から学ぶよりは何らかの方法で訳しやすいってことか?」

「既に知っているのに思い出せていないだけ、とも言えるかもね」


 身構えそうになるほどに綺麗な声に。

 動きかけた手を何とか止める。


「移動が遅くなっちゃったね。来たよ。第二陣」


 直後になった言葉に振り向けば、金切り声を上げながら走り回るモノが一瞬見えた。

 次いで、数々の木々を揺らす音。大きな足音。


「私が二回目だからかな。出てくるのが早いねえ」

「何が」


 自分の疑問への返答は、視界の方が早く。


 目の前に、二メートル五十はありそうな巨体が現れた。

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