怪人斬侠伝 〜最強ヤクザに飼われた俺の末路〜

じょにおじ

第1話:俺とジジィと魔法少女


「怪人」。


それは魔法と呼ばれる技術を使い、地上のあらゆる場所で猛威を振るう生命体の呼称である。


彼らは突如として人の歴史の表舞台へ現れ、物理法則すら無視した破壊を伴って人間社会を混乱へと陥れた。


時の大国、列強国は軒並み怪人への国策を講じるも、成す術もなく敗北。


彼ら怪人の脅威に晒され、亡国の道を辿った国家も少なからず存在している。


そんな彼らに対抗するには、「魔法少女」と呼ばれる怪人への反抗者たちを頼る他に存在しない。


魔法少女は「レガリア」と呼ばれるアイテムを操り、魔法の力を行使する異能の少女たちである。


少女の面立ちをしながら、彼女らはどんな怪人にも劣ることのない力を有している。


身体能力、精神能力、特殊技能。


常人のいかなる力を持ってしても、魔法少女らにさえ敵うことはない。


そんな人間が、怪人に抗おうなどと大それたことを思うだろうか。


警察や軍事のトップにおいてさえ、今や怪人の存在は黙認せざるを得ない状況となっていた。


市民への最低限の安全確保と避難誘導を除き、彼らに出来ることは何一つないとさえ言える。


かくして怪人は、人間にとって最も身近で最も警戒すべき対象として、その力を遺憾なく発揮し続けていた。


しかし、そんな怪人にも明確な序列は存在する。


堂々と人を蹂躙するもの、社会の裏で暗躍するもの。そのいずれもが、怪人全体からすればほんの一握りにすぎない。


人が認知しうるのは、彼らにとって目に見える恐怖となる、上位の怪人ばかりである。


その大半は、人間へ擬態して細々と悪事を行う、下級怪人と名付けられた者たちで構成されていた。


シルバーも、そんな有象無象の下級雑魚怪人のうちの一人だった。


その名の示す通り、銀の髪と銀の瞳を持つ、青年の姿をした怪人。それがシルバーである。


しかしひとたび彼が怪人の本性を表せば、その全身は金属のように光沢を帯びた、鋼の肌へと変化する。


怪人体となった彼は、鋼の肉体を刃物のように変化させ、街ゆく市民を襲うのだ。


両腕が鋭利な刃物となったその異様を見たものは、みな一様に恐れ慄き、逃げ惑うが必定である。


しかし彼の実態を知る者は、そのような反応を起こさない。それはおしなべて、彼が弱いことに端を発していた。


『弱い』。これは怪人にとって、致命的な事実であった。


彼が相手取って抹殺出来るのは、何の力も持たない一般人か、彼と同じ下級怪人ばかりである。


そしてさらに言えば、彼はとある何の力も持たない一般人にすら、手痛い敗北を喫していた。


それは彼にとって、何事にも代えがたい屈辱であった。


『強くなりたい』。


彼が怪人としての生を受けて三年。その思いとは対称的に、彼は人間社会の裏通りで未だ燻り続けたままである。


そして今日も街の片隅で、彼の咆哮はこだまする。


「ジジィ!!勝負だ!!」


ビルのドアを蹴立てて、シルバーはその中にいる人物へケンカを吹っかけた。


ここは千仁町(せんにんちょう)。


日本でも有数の歓楽街であり、色街としての気風を濃く残す土地である。


そしてそれに比例して、社会の表には顔出し出来ない人間が多く住まう街でもあった。


その中には、人間社会に溶け込んで悪さをする怪人たちも多く含まれる。


今シルバーが音を立てて開けたのは、ヤクザの組事務所のドアであった。


街並みの中に建てられた三階建てのビルは、全てがとあるヤクザの所有物である。


広いとは言えない室内には簡素な椅子と机しかなく、壁に飾られた額縁には『捨身飼虎』との故事が描かれている。


そこには一人の老人が、シルバーの叫びなど聞こえていないかのように堂々と座っていた。


黒の着流しに赤い帯を締め、競馬新聞をゆったりとした動作でめくっている。


腹を切ったように見えることから「腹切り帯」とも呼ばれる、粋人の出で立ちをした老人だった。


その姿は、シルバーにケンカを売られたことなど全く気にかけていない様子である。


「今日こそはテメェを殺して、俺は自由になる!!」


その時点でシルバーは、人間の姿でなく鈍色の怪人形態へと成っていた。


しかし老人は、一向に新聞から顔を上げず、指で耳の穴をほじっている。


「そういうこたぁ黙ってハラにしまっとくもんだぜ」


余裕綽々といったそのセリフに、シルバーの鈍色の額に太い血管が浮かんだ。


「上等だよ……今すぐそのケツぶっ刺してガタガタイワしてやらぁ!!」


途端、彼の右腕はすらりとした長刀へと変化し、老人へと斬りかかった。


数歩先から走り寄り、長刀のリーチを生かして老人の間合いの外から腕を振るう。


当たれば怪我では済まされない一撃である。


その動きの最中、老人は上半身を刀の軌道から逸らし、下半身をシルバーの足へ向かって動かしていた。


前へつんのめるように刀を振りかざしていたシルバーは、老人の避ける動作に体を泳がせる。


コンクリのビルの壁に刃が食い込み、それを引き抜くために数秒余計な動作が必要となった。


その隙に、老人はシルバーの下半身へ足払いを食らわせたため、シルバーは無様にも激しく後方へ転倒してしまった。


老人はおもむろに椅子から立ち上がると、シルバーが体勢を整えるより早く、その背に体重を乗せる。


「ぐおっ!?」


ご丁寧にもその足は、シルバーが倒れた姿勢から刀を振り回せないよう、踏みつけにしていた。


「その程度の技前で殺せると思うなんざ、この瀧もナメられたもんだな?」


屈辱に歯噛みするシルバーを睨めつけ、老人はシルバーの刀をぐりぐりと下駄の歯で踏みつける。


「それより、今日は事務所の便所掃除当番だろうが。さっさとやれ」


そこまでを一方的に述べ、老人はシルバーの背から腰を上げた。


その去り際に、シルバーの顔に一発の放屁をひり出すと、再び席に戻って新聞をめくる。


「クッソがぁぁぁ……!!」


シルバーは床を何度も拳で殴りつけ、悔しさに顔を醜く歪ませていた。


「まーたシルバーが莫迦やってらぁ」


「いっつも負けてばっかのクセに、懲りねぇなぁ〜」


事務所のドアの隙間から、そんな言葉とクスクス笑いが聞こえて来る。


そこには数人の人影が、たむろして室内を窺っていた。


その姿はどれも普通の人間からはかけ離れており、一目で全員が怪人であることが分かる。


その影をシルバーが睨むと、彼らは関わり合いにならないよう一目散に退散していった。


「覚えてろよジジィ!!俺はいつかお前を殺してやるからな!!」


そんな大言壮語もどこ吹く風と、老人は軽く聞き流して新聞をめくり続けている。


そしてシルバーが走り去ると、それまでとは打って変わって室内は静寂が支配した。


「……いつかなんて言ってるうちは、アイツもまだまだだな」


そんな老人のぼやきも、聞き届ける者はいなかった。




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  ─────

     ─────



老人とシルバーの因縁は、二年前にまで遡る。


当時のシルバーは、己の腕前を試すために、街を歩けばどこにでもいるチンピラを狩って歩いていた。


シルバーの名も、初めて殺したチンピラに自分の見た目を問うてみて決めたものである。


無論のこと、相手の生死など度外視しての殺し合いである。


その最中に怪人と出遭えば、それすら戦い切って伏せる。それが彼の日常的な行動だった。


とはいえ、こんなところに上級怪人などいるはずもなく、彼が相手取ったのはいずれも下級の域を出ない怪人ばかりである。


多少は暴力に覚えのあったシルバーは、彼の前に立ちふさがる怪人どもを真っ二つに切り捨てては勝ち誇る日々を過ごしていた。


そんな彼が日を増すごとに増長し、その鼻を天狗のごとく高々と伸ばしていたのも無理はない話だろう。


己の他に強い者はいない。


もっと強い敵と戦いたい。


そう思って日ごと闘争に明け暮れるシルバーの前へ、現れたのが件の老人である。


名を、瀧桜閣(たき・おうかく)。


近隣のチンピラなぞ物の数でない、本物の極道であった。


その背には名と同じく桜の刺青を彫り、切れ長の瞳はどこか鷹の目を思い起こさせる。


白髪頭はシルバーとどこか似通った色をしており、老いを感じさせないほどの生命力に溢れていた。


彼はいきがるシルバーの行き先を阻むと、その斬撃を二本の長ドスで易々と凌いで見せた。


そして彼を素手にて殴打し、ぐうの音も出ないほど完璧にノックアウトせしめる。


「人間は怪人に敵わない」という常識を覆されたシルバーは、不肖不肖ながらも彼の傘下の一員となる約束に従った。


人間の殺しはご法度、揉め事は自身で解決する、瀧の言いつけには絶対服従。


その掟を遵守することを条件に、シルバーは瀧率いる代田しろた組の構成員となった。


驚いたのは、瀧がシルバーの他にも複数の下級怪人を従えていたことである。


その数は、総勢二十名にも及ぶ。


瀧は近場で暴れる怪人を倒し集め、地域住民に手出しさせないよう目を配っていたのだ。


そんなことが、常人に出来るはずはない。しかし、目の前の老いた人間は、それを現実のものとしている。


いかに上級でないとはいえ、怪人は怪人である。


それをこうも簡単に組み伏せるなど、一体どのような手段を使えば可能であるというのか。


シルバーに分かっているのは、彼が本気を出すとき、二丁のドスを構えて振るうということだけである。


そして今のシルバーでは、瀧にそのドスを抜かせることすら出来てはいない。


刃物となる体と二丁のドス、武器が似通っているのもシルバーが瀧を毛嫌いしている理由の一つである。


かくしてシルバーは、毎日のように瀧に挑んでは返り討ちにされる日常を繰り返していた。


瀧の寝込みを襲ったことも、トイレで用を足している隙を襲ったこともある。


しかしそれでも、瀧に一撃くれてやることすら叶わなかった。


シルバーは瀧の事務所を飛び出すと、人間形態へと変わって険しい顔をしながら歩いていた。


この二年で、瀧に挑んだ回数は千回を下らない。


その千のうち、ほとんどは瀧に素手で打ち倒されている。


残る僅かな数回も、逃げられるかスカされるかしただけで、とても本気を出させたとは言い難い。


どう当たろうと瀧には勝てない。そんな思いが、彼の胸の中に燻って熱を放っている。


いっそ建物ごと切り刻んでやろうかと、シルバーが物騒な思考に至りかけたその時、背後から彼の名前を呼ぶ声が上がった。


「おーい!シルバー!」


シルバーが振り向くと、背後から一人の怪人がついてきている。


人間形態ではあるが、その背丈は170cmを越えるシルバーより遥かに低い。


目と目の間が異様に離れており、まるで毒を持った蝦蟇のような顔をしている。


「んだよ……俺に何か用か、アンラッキー」


アンラッキーと呼ばれた怪人は、立ち止まったシルバーに肩で息をしながら並んだ。


「おやっさんに、シルバーが悪さしないか見張れって言われてよぉ」


愛嬌のある不細工な顔で、アンラッキーはへへへと笑う。


「カーッ……どいつもこいつも、ジジィの犬かっての」


シルバーは苦い顔をすると、喉に絡んだ痰を路上に吐き捨てる。


怪人のくせに、いや怪人だからこそと言うべきか、まるでチンピラと変わりない所作である。


アンラッキーはそれを見なかったことにして、歩くシルバーに何とか追いついた。


シルバーの大股のストライドに歩調を合わせるように、アンラッキーはやや小走りになっている。


「いい加減おやっさんを殺そうなんて、諦めた方がいいんじゃねーかぁ?小物には小物の置き場所ってもんがあるんだって」


アンラッキーは横を歩くシルバーを見ながら、そんな小言を呟く。


彼はその怪人としての性質から、何かと苦労を背負いがちな男である。


気性の荒いシルバーのなだめ役を負わされることも、日常茶飯事であった。


「うっせぇわ!怪人がただの人間に負けっ放しでいられるかよ!」


しかしシルバーに一喝され、アンラッキーは逆に体を萎縮させてしまった。


何も間違ったことは言っていないはずなのだが、シルバーに備わっているのは正論を押しのける強引さである。


アンラッキーの言葉はシルバーを気遣ってのものだったが、そんな気遣いは彼にとって侮辱でしかなかった。


すっかり縮こまってしまったアンラッキーを見もせずに、シルバーはぶつぶつと独り言を呟いている。


「しかしだ、このまんまジジィに挑んでも、何も進展しねぇのは違ぇねぇ」


「今の俺に必要なのは、とびっきり強い相手との修羅場だ。そう思わねぇか?」


顎に指を当て、シルバーは神妙な顔でそんなことを言い出した。


アンラッキーはわざとらしく溜め息をついてみせると、シルバーのことをじとりと睨む。


「何千回と負けといて、今さらそんなもんがタメになるのか?」


「ケンカは場数踏むのが大事なんだよ。お前も協力しろ、な?」


アンラッキーの肩をばしばし叩くと、シルバーはそれまでの腹立ちも忘れて意気揚々と歩き始めた。


そして二人がやってきたのは、事務所から程近い場所にあるコンビニだった。


「こんなとこに何の用だよ?」


アンラッキーがそう尋ねると、


「お前、金持ってるか?」


まるでカツアゲのように、シルバーはアンラッキーの服のポケットをまさぐった。


「うわ、何すんだバカ!!」


「ジジィの仕事サボってばっかだから、金持ってねーんだよ。ちょっと貸せ」


「わーっ!?服をまさぐるな!気持ち悪いな!」


アンラッキーはシルバーから体を離すと、服の胸ポケットから財布を取り出した。


「おー、お前けっこういい財布持ってんじゃん」


「お前と違って、俺は人間社会に順応したいんだよ!それで、何か買うつもりか?」


するとシルバーはニヤリと笑い、


「このコンビニに売ってる大学ノートありったけ、それとサインペンとセロハンテープ買ってこい」


「はぁ?」


何故か得意げな顔で、そんなことを言い始めた。


アンラッキーは仕方なく、その言いつけに従った。


シルバーを外に待たせて買えるだけのノートとペンを買ってくると、シルバーはキョロキョロと辺りを見回す。


「ここじゃ書きもんが出来ねぇな……中でいいか」


「結局入るなら自分で買ってこいよ!!」


しばらく思案した後、シルバーはコンビニに入店すると、商品も持たずに真っすぐにレジへと向かった。


「ヒッ!?」


明らかにカタギとは見えないシルバーの風体に、コンビニの店員が一瞬息を飲むのが伝わった。


シルバーはレジの商品置きの台座へノートを広げると、ペンを使ってそこへ何か書き殴り始める。


「あ、あのーすみません。他のお客様のご迷惑になるので、イートインスペースに移動していただけますか……?」


「そうだぜ。こんなとこおやっさんに見つかったら、またドヤされんぞ?」


店員はおずおずとシルバーへ向けて進言し、後ろから着いてきていたアンラッキーもそれに同調した。


店員のネームプレートには、『梔子』という珍しい名字が刻まれている。


ふわりとした茶髪の、若い女性店員である。


シルバーの強面にやや怯えながらも、理不尽な行動には物怖じしない度胸が窺えた。


「いいじゃねぇかよぉ。どうせ客なんて一人もいねーんだから」


しかしシルバーは、店員とアンラッキーの注意にも動じす、居座ることを止めなかった。


事実、ヤクザの事務所が近いという立地もあってか、昼前にも関わらず客は一人もいない。


どちらかというと、深夜に賑わいを見せるタイプの店舗なのだろう。


だからといって、堂々と居座っていいということにはならないはずだが。


結局シルバーは、弱りきった顔の店員を差し置いて十分もそこに居座り続けた。


それほどの時間をかけて、大学ノートの1ページごとに、下手くそな文字をでかでかと書いている。


「よし、出来た!」


そしてノートの全ページを文字で埋め尽くし終わると、今度はそれを一枚一枚破り始めた。


「何してんの、マジで……?」


アンラッキーが、そろそろ止めた方がいいかもしれないと言いたげな顔でシルバーのやる事を見ている。


店員はというと、レジの下で強盗撃退用のカラーボールを握っていた。


シルバーは破いた紙を目の高さに掲げると、再び辺りをキョロキョロと見回す。


そしてコンビニのガラス窓に、セロハンテープでその紙をべたべたと貼り付け始めた。


「ちょっ、ちょっと!何してるんですかぁ!?」


店員の言葉も聞かず、シルバーは手に持った紙を次々と店内に貼り散らかす。


あんぐりと口を開けたアンラッキーがその紙に目を運ぶと、そこにはこんな文句が書かれていた。



『ケンカあいて求む。

 まほう小女、かいじんキボウ。

 ふかはぎ公えんにてまつ。  』



その文面を見た途端、アンラッキーの体からみるみるうちに力が抜けていくのが分かった。


「シルバー……お前まさか、これを見た誰かがケンカ売ってくると思ってるのか?」


「おう!これからノートが切れるまで、市内中にこのビラ貼りまくってやんぜ!」


「……色々言いたいことはあるけど、お前コピー機って知ってる?」


コンビニの片隅に置いてある機械を指差して、アンラッキーは尋ねた。


「あ?何のことだ?」


「いや、なんでもない……」


深く大きな溜め息をつくと、アンラッキーは背後の店員にくるりと向き直った。


店員はその顔色を窺い、ますます強くカラーボールを握りしめる。


しかしアンラッキーは、彼女へ向けて深く頭を垂れて、さめざめと言い放った。


「すんません。俺らが帰ったらこのビラ剥がしてもいいんで……」


「あ……ハイ。元からそのつもりなので……」


「アレがあんなバカだとは、俺も知らなかった……!!」


まるで我が子の頭の不出来を嘆くように、目頭に涙さえ滲ませている。


「……よく分かんないですけど、苦労してるんですね」


梔子という名前の店員は、心底同情したような様子でひっそりとカラーボールから手を離した。


「おう、何してんだアンラッキー!チャッチャと行くぞ!」


そんなやり取りも露知らず、ガキ大将のような不遜な態度で、シルバーはアンラッキーを呼びつけた。


その後、明らかに嫌がる態度を隠さなくなったアンラッキーを伴い、小一時間もかけてシルバーはビラを拡散し続けた。


電柱、商業施設の窓、民家の入口、地域の掲示板、エトセトラ、エトセトラ。


ノート五冊分のビラは、そこそこな分量となってヤクザ事務所の近所へと貼られていった。


もとよりコンビニで書いたビラはノート一冊分だけだったため、書きながら破いては貼り付けるという非効率極まった作業である。


そのため、途中から文字はガタガタに歪み、かろうじて文字が判読できるレベルのビラへと成り果てていた。


嫌々するアンラッキーを小突きつつ、シルバーは実に楽しそうにその作業を遂行した。


アンラッキーは何がそんなに楽しいのだろうと、終始呆れつつ振り回されている。


そうして最後に辿り着いたのは、事務所から一時間程度の距離にある、深萩ふかはぎ公園という名の児童公園だった。


昨今の事情を踏まえてか、児童公園の名を冠しつつ、遊具はそれほど用意されていない。


簡素なベンチと、砂場があるばかりである。


シルバーはここで、ビラを見たケンカ相手を迎え撃つつもりであった。


「ケンカするにはうってつけの場所だな!!」


広々とした公園のフェンスに背を預け、シルバーがその声を轟かせる。


アンラッキーは、聞いただけでやつれてしまいそうなその声を、何とか聞かないように努力していた。


「どうせ無駄だと思うけどなぁ……どこの誰があんなビラで、ケンカしようなんて思うんだよ」


アンラッキーはヤンキー座りでその場に腰掛けて、やる気満々のシルバーを見上げた。


「アホ。だからお前を連れて来たんだろーが」


「……ハァ?」


シルバーは胸を反らして、自信ありげな様子を見せながら言った。


「お前の魔法があれば、不都合やツイてないことがバンバン起こるだろ?」


「お前にとって一番ツイてないのは、今ここに強ぇ魔法少女や怪人が現れることだ。そうだろ?」


物騒なシルバーの発言に、アンラッキーは目を見開いて驚く。


「シルバーお前、最初から俺を巻き込むつもりだったのかよ!!」


弱々しくシルバーの上着を掴むアンラッキーに、彼はいけしゃあしゃあと返した。


「ジジィが俺を呼び戻すなら、お前に頼むだろうと思ってな。まぁ諦めて最後まで付き合え」


あまりにも悪気のないその姿に、アンラッキーは肩を落として落胆した。


アンラッキーの使役する魔法は、その名前の示す通り、本人にも操作不可能なものである。


それは、『自身の身に不幸を呼び寄せ、周囲にもそれを波及させる』というものだ。


たとえば今ここで、アンラッキーが車に轢かれるという不幸に見舞われたと仮定する。


すると、撥ねられた彼の体が横にいるシルバーの体へ衝突する等して、シルバーにも不運な事故が発生するのだ。


アンラッキーはそのようにして、副次的な不幸の連鎖を生み出すという能力を持った怪人なのである。


無論、その被害者はまず一番に自分となるため、彼は怪人社会で強くなることをとっくに諦めていた。


そしてアンラッキーの身に降りかかる不幸は、その時点で考えうる最も妥当な不運に限定される。


今回考えうる最も不幸な出来事というのは、シルバーの言うとおり、『まず来ないと思われていたケンカの相手が現れる』ことである。


最初からそれを見越して、シルバーはアンラッキーを連れ回していたのだ。


「あんまりだぜ、シルバーよぉ……俺が全然ケンカ強くねぇの知ってるだろ……?」


「もし俺まで殺されたら、一生恨んで化けて出てやるからな……?」


ぶーたれるアンラッキーを余所に、シルバーにはまだまだ余裕があった。


「心配すんなって。獲物が来たらお前はさっさと逃げりゃいいんだ」


腕組みして仁王立ちするシルバーは、ケンカ相手が現れることを微塵も疑っていない様子である。


しかしその予想に反して、一時間が経ち二時間が経過しても、公園を訪れる者は誰もいなかった。


「あれー……っかしぃなー。そろそろ来ると思うんだが……」


首を傾げるシルバーを横目に、アンラッキーは徐々に生気を取り戻していった。


「魔法少女も怪人も、そんなヒマじゃないってこったろ!今日のとこは諦めて帰ろ、な?」


しかしシルバーは、テコでもその場から動かない決意である。


「今帰ったらジジィにシメられるだけだろ!俺は絶対にここから動かねぇからな!」


そっぽを向くシルバーは、まるで駄々っ子の一人芝居を見ているかのようだ。


それをあやすようにして、アンラッキーはどうにか帰宅を促そうとする。


「おやっさんには俺が取りなしてやるから、とりあえず事務所前まで行こうぜ?」


そう言って、アンラッキーがシルバーの袖を引こうとしたその時だった。


キンという、金属の鳴るような澄んだ音が、続けざまに何度も高く鳴り響いた。


それと同時に、公園の周囲を透明なガラスの被膜のようなものが、パキパキと覆ってゆく。


立体パズルの組み立てを、早送りで見ているかのような不思議な光景だった。


「こいつぁ……『結界』か!!」


シルバーがその透明な被膜を見て、嬉々として叫ぶ。


『結界』は、魔法少女が周囲への被害を防ぐため、簡易的に張る防護壁である。


それが張られたということは、魔法少女がここを訪れたということに他ならない。


「あーっ!!お前がモタモタしてるから本当に来ちゃったじゃねぇかよー!!」


アンラッキーは絶望的な表情で、頭を抱えた。


結界は公園をぐるりと囲み、その中にいる者を誰も逃さないよう構築された。


「さぁて、お相手さんはどんなヤツかなっと」


シルバーは舌なめずりをし、アンラッキーはガクガクと震えながら、公園の入口を見つめた。


そこに立っていたのは、怪人二人と比べても、公園の中で最も異彩を放つ姿をした少女だった。


黒に近い紫のマントを羽織り、魔法少女が魔法を行使する際に変身する『正装』をその身に纏う。


そこまでは、シルバーの知る魔法少女らと何も変わりない。問題なのは、その首から上である。


少女は、髑髏であった。


正確には、マントと同じ濃い紫の、髑髏を模したヘルメットを被っていた。


ヘルメットは宝石で出来ているかのような不気味な煌めきを放ち、その眼窩には黒い遮膜が貼られている。


そして数少ない露出した肌は、髑髏の紫に侵食されたかのような、淡い菫色をしていた。


「おうおう、俺好みのずいぶんイカついヤツが来てくれたじゃねぇーか!」


シルバーはこちらへ向かって歩いて来る髑髏の少女へ、無造作に近づこうとする。


しかしその歩みは、アンラッキーの絶叫によって止められてしまった。


「す、す……『スカージオ』じゃねぇかァァァァァァ!!?!!??」


その驚きように、普段頭をほとんど使わないシルバーですら、何事かと疑問符を浮かべる。


アンラッキーは動揺のあまり、人間の姿を保てず怪人の姿へと戻っていた。


「お前知らねーのかよ!!アイツはヤバい!!俺は逃げる!!お前も逃げろ!!いいな!?」


言うが早いが、アンラッキーは結界で封じられた公園の隅へと、走って逃げてしまった。


「よく分からんが……知ってる人間にとっちゃ、かなりヤベェやつみたいだな」


眼光鋭く、シルバーは目前に迫りつつある少女を睨みつけた。


公園の中ほどまで歩き、シルバーは数メートルの距離を置いて少女と対した。


「よぉ。こんなチャチな公園まで来たってこたぁ、俺の撒いたビラ見て来たってことか?」


シルバーが上から物を言うと、少女は縦に数度、首をこくこくと動かした。


「そうかい。じゃあ俺とケンカしに来たってことで、間違いねぇんだな」


そのセリフを皮切りに、シルバーは自身の体を人のそれではなく、怪人形態へと戻す。


そして上着を脱ぎさると、両腕を鋭利な刀へと変化させた。


「俺がしてぇのはバッチバチの殺し合いだ。その辺の期待に、ちゃんと応えてくれんだろうな?」


少女はその言葉に応じず、黒い髑髏の眼窩でシルバーを見つめている。


ひりつくような数秒の睨み合いの後、先に仕掛けたのはシルバーの方からだった。


地面を蹴ったシルバーは、切っ先を少女へと向けて真っ直ぐに突進した。


技もフェイントもなく、ただただ愚直に切り進むのみである。


そして刃が少女の体へ触れる圏内に至ると、シルバーは左腕を横薙ぎに払う。


防戦へ回った少女は、後ろへ跳び退きながらシルバーの刀をかわした。


二度、三度。シルバーは続け様に切ってかかるものの、少女に反撃の様子は見られない。


ひたすらに後退を繰り返し、もうすぐ自身の張った結界に背を着きそうである。


「どぉしたぁ!!その程度か、魔法少女ォ!!」


勢いこんで挑発するものの、手応えの無さを最も感じているのはシルバー本人だった。


その厳つい容姿から、どんな苛烈な攻撃を繰り出すかと思っていれば、ただひたすらに逃げるのみ。


それはシルバーが望んだ殺し合いからは、程遠いものだった。


(チッ……つまんねぇな。アンラッキーのヤツ、こんなガキにビビってたのか)


(これならさっさと済ませて、もう一時間粘った方が良さそうだな)


期待外れの結果に落胆したシルバーは、すぐさま目の前の少女を切り殺そうと踊りかかる。


乱舞する刀は少女に当たらず、それでいて少女は未だ反撃の様子を見せない。


焦れたシルバーは、刀を大きく振りかぶって上段から少女の頭蓋を狙う。


その斬撃を避けた少女はシルバーから大きく距離を取り、片足を結界に着けて動きを止めた。


「そっちに逃げ場はねーぞォ!!」


自分の大振りな攻撃が少女を追い込んだと思い、シルバーは体ごと押し込むように少女へ詰め寄ろうとした。


しかしそれが大きな間違いであることに、シルバーはその直後気づいた。


少女は壁についた片足で、結界を思い切り蹴った。


金属が軋む音に似た鈍い悲鳴を上げ、結界がたわみ凹んだ。


その蹴り足の衝撃を推進力として、少女はシルバーの間合いへと、一瞬で潜り込んでいた。


(は……!?)


少女は追い込まれていた訳ではなく、結界壁を跳躍へ利用するために、自ら後ろへ下がっていたのだ。


その速度に、シルバーは両腕の刀で体の前面を守ることしか出来なかった。


その刀ごと、少女はシルバーの体を吹き飛ばした。


(重っ……!!)


たった一発の頭突きで、シルバーは公園の半ばまで押し戻され、尻もちを着きそうになっていた。


髑髏の面相はともかく、体格はシルバーより遥かに劣る少女のものでしかない。


そのはずが、たった一撃でシルバーは形勢を逆転されてしまっていた。


しかも少女の攻撃は、それだけにとどまらない。


緩んだガードの隙間から、シルバーの肘の付け根を握り、刀の動きを制する。


そしてその顔面へ、伸びをするように何度もヘッドバットを見舞った。


一度。二度。三度。


四度、五度、六度、七度八度九度十度……。


その度にシルバーの体は後退し、顔面からは重い石を叩きつけたかのような凄まじい音が響く。


肘を握って上半身を固定されているため、後退することでしか衝撃を逃せないのだ。


「がっ……ぐっ……ぐあっ……!!」


呼吸さえ出来なくなるほどのその威力に、シルバーは短い絶叫を発するしか出来ない。


鼻は折れ、唇はズタズタになり、顔面のそこかしこが醜く腫れ上がってゆく。


後退を続けたシルバーは、背を入口とは反対側の結界へ預け、ぐったりと倒れた。


まるで相撲の電車道のように、地面にはシルバーの後退った跡がくっきりと残されている。


それほどまでに、少女の食らわせたヘッドバットが重いものだったということだ。


そしてシルバーの体から完全に力が抜けきったのを見計らい、少女もシルバーの体重を支えていた肘を離した。


(なん、だ……こいつ……どこからこんな……バカげたパワーが……)


朧気に霞む意識をなんとかたぐり寄せ、シルバーは意識を失うまいと必死に抵抗する。


その様子を、公園に植えられた灌木の陰から、アンラッキーが見守っていた。


(だから言ったじゃねぇかよぉ……そいつを相手にするのはヤベェって……スカージオは、バリバリの肉弾戦闘型魔法少女なんだぞ……!!)


魔法少女の中には、その名を冠しながら肉弾戦闘を好んで行う者たちがいた。


その理由のひとつに、彼女らの継承した魔法道具≪レガリア≫が、身体強化の能力を持っている場合が挙げられる。


現在、シルバーが対している魔法少女『スカーレット・ジオ』は、肉弾戦闘型魔法少女の筆頭である。


特徴は、「本来守るべき弱点である頭部の強化」。


レガリアである水晶髑髏のヘルメットを装着している間、その頭部は強化され、如何なる攻撃をも受け付けなくなるのだ。


頭部に限定された無敵化能力。それがスカーレット・ジオの秘めたる力である。


上級怪人すら退けた経験のある、魔法少女界隈きっての武闘派だった。


倒れたシルバーを感情なく見下ろし、スカージオは次の攻撃動作へと容赦なく移る。


髑髏ヘルメットの口腔部がガパリと開き、スカージオはシルバーの横へひざまずいた。


そしてヘルメットを肩口へ近づけると、開いた口腔が自動的に開閉を繰り返す。


「ぐあぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」


朦朧とした意識も覚めるほどの激痛が、シルバーを襲う。


彼女の頭突きはチタン合板をも軽く凹ませ、その咬合力はウルツァイトさえも粉々に噛み砕く。


恐るべきその「噛む力」は、倒れたシルバーの肩の肉など容易く抉っていた。


「く、食ってるぅぅぅ……ヒィィイ……!!」


遠目に見ているにも関わらず、いや、遠目に見ているだけだからこそ、アンラッキーはその異様な光景を、まざまざと見せつけられてしまった。


世にいう「怪人を倒し悪を滅する清廉な魔法少女」の姿はそこになく、おぞましい捕食を行う死神の姿がそこにはあった。


実際は、ヘルメットの口を開閉して筋肉を噛み切っているだけで、彼女がその肉を腹に収めている訳ではない。


しかし仮にそうと分かっていたところで、その不気味さは余計に増すばかりだろう。


戦闘開始から僅か数分足らずで、シルバーの肉体は彼女の意のままとなってしまった。


そこにあるのは、弱者と強者の間に広がる、圧倒的な実力差であった。


シルバーは渾身の力を振り絞り、噛じられた肩とは逆の腕で、めちゃくちゃに刀を振るった。


しかしスカージオは、膝をついたままの姿勢からぴょんと跳びはね、攻撃とも言えない悪あがきを簡単に避けてしまう。


シルバーは肩で息をしながら立ち上がると、返り血で血まみれのスカージオへ刀を向ける。


「おいおい……この程度のキズで俺を仕留められると思ってんのかぁ……?」


「勝負は……こっから……だ……」


満身創痍のその強がりは、髑髏頭の少女には通用しなかった。


すでに誰の目から見ても、シルバーが重傷を負っていることは明白なのだ。


その傷を押してシルバーが勝つ姿は、誰がどう考えても現実的ではない。


ましてや相手取る魔法少女は、この状況においてさえ一切の隙を見せはしなかった。


スカージオは地面を数度足で蹴ると、再び頭突きを喰らわせようと極端な前傾姿勢になる。


明らかにこの戦闘をお終いにしようという構えである。


対するシルバーは、突進してくる相手へ合わせてカウンターを決める、ただそれだけのことに集中していた。


突進してくるスカージオの首へ、ジャストのタイミングで刃を走らせるのだ。


シルバーが逆転するためには、そのカウンターを過たず決めなければならない。


ただしそれは、焦点の定まらない胡乱な瞳で、そのようなことが出来るのであれば、の話である。


ぎりりと絞られるような緊張感の中、スカージオが決着をつけようと、猛スピードでシルバーへ迫る。


シルバーの刀は、傍目から見ても彼女の攻撃のタイミングに合っていなかった。


それどころか、太刀筋はふらふらして刀を真っ直ぐに振れてすらいない。


そんな程度ではスカされるか止められるかして、致死の頭突きが彼を襲うのは明白である。


(駄目だ……シルバーが死んじまう!!) 


アンラッキーがシルバーの死を予感し、その瞳を固く閉じた。


その瞬間だった。


先ほど、スカージオが結界を蹴った時より遥かに大きい衝撃が、結界内部に走った。


大地も揺れんばかりの、とてつもない衝撃である。


スカージオも思わず足を止め、辺りの様子を注意深く探った。


どうやらその衝撃は、スカージオの背後、公園の入口側から響いているようだ。


アンラッキーはその時、結界に隕石がぶち当たったのではないかと、本気で心配したほどだ。


落雷の如きその衝撃は三度まで続き、三度目で結界は音を立てて割れ砕け散った。


勝負を決しようとしていたスカージオも、今にも倒れそうなシルバーも、その震源へと目を向ける。


そこには、帯に二本のドスを引っさげてこちらへやってくる、一人の老人の姿があった。


「ずいぶんと、男前が上がったじゃァねぇか。シルバーよぉ?」


口角を上げてニヤリと笑い、その男は足を止めた。


「ジジィ……」 


「おやっさん!!」


その男、瀧桜閣。弱小怪人たちを取りまとめるヤクザの頭目であった。


ずけずけと遠慮なく結界内へと侵入した瀧は、鷹の目で全体を見るともなく見ている。


一方のスカージオは、彼から大きく距離を取り、慎重にその様子を観察していた。


只者ではない。そのことが、結界を打ち壊したその一点からだけでも窺える。


彼女たち魔法少女には、誰でも使用出来る『通常結界』と、対上級怪人専用の『強化結界』とがある。


強化結界は結界を張ることに特化した魔法少女しか使えないため、彼女が今回用いたのは通常結界である。


それにしたところで、通常結界も薄いコンクリート壁と同じ強度は保持しているはずなのだ。


それを破壊し、目の前の老人はこの場へ割って入ってきた。見た目通りの老人に、そんな荒業が可能なはずがない。


スカージオは、老人を新手の怪人だと認識して、その暗い眼窩の奥から睨みつけていた。


滝はひとしきり状況を眺めた後、スカージオへと体ごと向き直った。


スカージオは頭を前に出す前傾姿勢で、瀧の次の行動を迎え撃とうとする。


しかし、瀧が次に起こした行動は、この場にいる誰の予想をも越えたものだった。


瀧は下駄履きの足を大きく開き、上半身を軽く前に倒した。


そして左手を膝に、右手を開いて前へ差し出すと、スカージオの髑髏の面を真っ直ぐに見据える。


聞くものが惚れ惚れとするような朗々とした声で、瀧は次のように謡った。


「お控ェなすって。さぞや名のある魔法少女の方とお見受けいたしやした。お初にお目にかかりやす」


「手前、白奪会はくだつかい傘下代田組さんかしろたぐみが古参、瀧桜閣ってぇケチな老いぼれでござんす」


「浮世渡世にドスの一本懐呑んで、これまでやって参りやした」


なんと瀧はこの状況において、ヤクザの礼である仁義を切ったのである。


それは現在において、映画ですら見ることの無くなった見事な仁義であった。


それを見たシルバーとアンラッキーの両名は、場違いが過ぎるその挨拶に、瞳を丸くさせている。


表情のうかがえないスカージオでさえ、ヘルメットの下で困惑しているだろうと思われるような有様である。


しかし瀧はそんな三名を置いてけぼりにするように、姿勢を崩さず仁義を切り続ける。


「この度は不肖のセガレがあんたがたに迷惑かけちまったようで、この通り頭ァ下げさせてもらいやしょう」


そこで瀧は一旦口上を切り、着物の裾を翻して深く頭を垂れた。


「だが見たところ、街の民人(たみひと)にゃあ際の際で手を出しちゃいないと見える」


「セガレの不始末ァ親が拭うのが、この世界の生業でさぁ。指の一本腹の一つで済むたぁ思わねぇが、

 ここはどうかこの老いぼれの命ひとつに免じて、見逃してやっちゃあもらえやせんか」


スカージオはそこでようやく、眼前の老人が命乞いをしているのだと気がついた。傷ついた仲間を救うため、頭を下げる用意があるらしい。


そしてそのような場合、スカージオの取る手段は常に冷酷にして非情である。


『怪人の命乞いに耳を貸す必要はなし』。


結論は、それ以外に有り得なかった。


みっともなく命乞いする下級怪人が、次の瞬間には一般人を人質に取って逃げようとする。スカージオはそんな場面に、腐るほど遭遇して来ているからだ。


ましてや目の前のこの「怪人」は、自分の張った結界を堂々と壊して見せた。


危険度では、先ほど相手にした刀の怪人よりも遥かに上であろう。


今ここで始末する以外の結論はなし。彼女は最終的に、脳内でそう自己完結した。


とはいえスカージオが、瀧の存在を強く警戒していることに変わりはない。


そのため彼女は、一度はその命乞いを聞くフリをして見せることにした。


どんな人間でも、自分が許されたと思った瞬間に隙は生じるものである。


その習性を利用し、瀧が油断したところでその背後を取るのである。


言葉を発せないスカージオは、両手を上げて手のひらをひらひらはためかせ、「参った」のポーズをした。


そして何の気取りも見せず、公園の入口まですたすたと歩いていく。


それは先ほど殺されかけたシルバーでさえ、戦意を失ったのだと誤解するほど完璧な偽装だった。


それが嘘だと気づいたのは、スカージオが瀧の横を通り過ぎようとした時である。


それまでゆったりとした歩調で歩いていたスカージオは、瀧の横で急に歩幅のリズムを変えた。


瀧の背後を取るために、斜め横へ素早く一歩ステップインしたのだ。


シルバーとアンラッキーからは見えているが、瀧からは完全な死角となる位置である。


「ジジィ!!気をつけ……」


シルバーの口から言葉が放たれるより早く、頭突きをくれようと身を反転させたスカージオ。


その低くした額に、ガチリと音を鳴らして冷たいものが当たった。


「日陰もんの背中取ろうなんざ、ちぃっと甘ェんじゃねぇかい。嬢ちゃん」


瀧が、いつの間にか帯に刺したドスを抜刀し、逆手に握って背後へ突き出していた。


スカージオは突然目の前に現れた刃に驚愕していた。そして同時に、ゾッと肝を冷やしてもいた。


今、自分の頭部をガードするヘルメットがなければ、瀧の刃は自分の眉間へするりと潜り込んでいただろう。


瀧は少女が、頭突きを主体として戦闘を組み立てていることを知らないはずである。


それでもなお顔を狙ったのは、ヘルメットでドスが防がれることを見越しての「峰打ち」だったということだ。


もし頭から突っ込まず、普通に殴りかかるか何かしていたとしたら、瀧に触れようとした箇所が、どこであれ深く切られていたに違いない。


そう確信出来るほどの、冷酷無比なドス捌きである。


スカージオはそれまでの冷静さを失い、明らかに狼狽した様子で公園の入口まで走る。


シルバーたち怪人にも怖じ気づくことの無かった少女は、ただの人である瀧を前に、一目散に走り去っていった。


去り行くその背を最後まで見届けて、瀧はシルバーの目の前に立って腕を組んだ。


その目に宿るのは怒りでも憐憫でもなく、稚児の駄々を見る親の諦観と同じものである。


「しかし、しこたまバカだなお前は。あんな小汚えビラ撒いて、バレねぇとでも思ってンのか?」


シルバーは瀧の皮肉を聞きながら、ボコボコにされて傷む体でなんとか立ち上がろうとする。


「うるせぇな……これからって時に邪魔しやがって……」


それが強がりであることは、明白であった。普通の人間ならすでに死んでいる傷だが、何しろ彼は怪人である。


抉られた肩口の出血は止まり、折れたであろう骨も歩ける程度には繋がっている。


それでも膝はがくがく震え、目の焦点は未だに定まっていない。


瀧はぐるりを見回し、近くにあった金網製のゴミ箱に目を留める。


それを運んで持ってくると、その中身をシルバーの上へぶちまけた。


ゴミすら避けられないほど消耗しきったシルバーは、それを頭からまともに浴びた。


「ぐあーーーーーー!!」


「これで治んだろ」


中身を出し切った瀧は、汚れた空き缶をシルバーの口へと押し込んだ。


これは何も、シルバーを虐げるためにそうしている訳ではない。


怪人とは、この世に存在するありとあらゆる物質をエネルギーとして吸収・昇華出来るのだ。


そしてそれは、動物細胞や植物細胞で組成されたものでなくても構わない。


たとえそれがゴミであっても、摂取してしまいさえすれば傷はみるみる回復する。


怪我の治りが常軌を逸して早いのも、エネルギーの循環が異常に早いためである。


それゆえ怪人と会敵した魔法少女は、確実にその命が消えたと確信するまで、攻撃の手を緩めることはない。


もっとも、瀧のそれがシルバーへの嫌がらせの意味を含んでいないとは、とても言えないのも事実である。


屈辱に打ち震えながら空き缶を咀嚼するシルバーの前で、瀧は尻を掻きながら大きな欠伸をした。


「シルバー、てめぇは罰として帰ったら俺の肩ァ揉め。いいな?」


「なんッで俺がそんなことしなきゃならねぇんだよッ!!」


口から空き缶の破片を飛ばして激昂するシルバーに、瀧はわざとらしく白々しい声を上げる


「命の恩を肩揉みで帳消しにするなんざ、俺もずいぶん気前がいいもんだぜ。なぁ?」


「くっ……!!」


「おら、お前も帰るぞ。アンラッキー」


植え込みの陰に隠れたままだったアンラッキーまで、瀧は目ざとく見つけていた。


「へ、へい!待ってくださいおやっさん!」


悠々と肩で風を切る瀧の背中へ、叩きつけるようにシルバーは叫ぶ。


「俺は絶対、お前をぶっ殺してやるからなーーーーーーーーーーーーーっ!!!!!」


その声が聞こえたはずの瀧は、唇だけを笑みの形にして、悠然と公園から立ち去っていったのだった。



≪続く≫

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