第4話 哲学とは哲学書を読むことではなく自分の哲学を作ること

 やあ、おいらです。


 まだ、おいらがキチガイではなかった頃、長いこと書店で働いていたんだ。いまもむかしも、小説を読むのが好きだからね。最初の六年間は学習参考書を担当していたんだけど、おいらは学生時代に参考書を買うという発想がなかったし、社会人になって学習参考書を買うはずもないから、あくまでも『商品』として、思い入れもなにもなく学習参考書を棚に入れたり平積みにしたり、機械的に働いてた。まさにルーティン・ワークさ。それはそれでいい。


 六年後に店が変わったんだ。そして担当も変わった。人文・経済・法律・社会・教育・理学・工学って店の半分がおいらの担当なの。店長が鬼瓦みたいな顔したおっかない人でさあ。顔見て三日目に十二指腸潰瘍になっちまって病欠しちゃった。でも、意地で一日で復帰したら、鬼瓦が「ああ、来たんだ」って驚いた顔で言ったんだ。それから二年くらい背広のポケットには必ず胃薬と鎮痛剤が入ってたよ。


 その鬼瓦は人文書のプロだった。人文科学って心理学や哲学が中心であとは宗教や精神世界(スピリチュアル)と言ったところ。おいらはどれひとつとして知識がなかったの。というよりさ、全ての担当ジャンルがちんぷんかんぷんで、なにから手をつけていいか全くわからなかったよ。そうしたら鬼瓦が「有斐閣の『哲学入門』を読め」というので買って読んださ。その結果わかったことは「哲学者というものは、ごく簡単なことをわざわざ遠回りして小難しくして、普通の庶民に『僕にはわかるけど、きみらにはわからないだろ?』と言ってふんぞり返ってるような学問だから、知らなくてもいいものだ」ということだった。


 難しいことを難しく説明するのは簡単なことなんだ。いまの社会、そういう人間が偉そうにしてでしゃばっている。でも本当は、難しいことを簡単にして説明してくれる人間が本当に学問、今日のテーマで哲学を教えることができる優秀な人間だと思わない?


 おいらはね、哲学というものは「自分の生き方の信念」ではないかと思うんだよね。前に言ったポリシーと同義かも知れないね。だから、先人の哲学者の言っていることが理解できなくてもなんの支障もない。だって、哲学は自分が生きているうちにゼロから徐々に作り上げていって、大人と呼ばれるようになった時点で、その骨格が作れていればいいと思うんだ。そして年齢を重ねていくにつれて、それをブラッシュアップして行って、最終的に次世代にこの世界を託すときに、彼らの哲学形成のヒントになるようになっていたら素敵だね。だから、有斐閣の『哲学入門』なんて本は読まないでブックオフで売ってしまおうよ。


 いまの世の中には心に自分の哲学を作れていない大人モドキが多くて辟易するよ。きみたちはそうならないでくれよな。まず第一歩は電車内でスマホは見ないこと。読書をするとか、音楽を聴くとか、車窓の景色を眺めるとか、脳を活性化することをしないと、おバカになるよ。スマホの画面を眺めていても脳は活性化されないからね。約束だよ。


 ではまた。

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