(7)山田が四人、如月が二人

 山田家には、書斎というのは大げさだけど、あっちゃんのお父さん……おじさんが仕事用の本や趣味の道具を置いているおじさん用の部屋がある。日曜で仕事も休みのおじさんは、俺が訪ねるとちょうどその部屋にいた。


「おじさん、ちょっといいですか」

「圭都くんかい? 今日は愛莉と出かけるんじゃなかったっけ?」

「そうだったんですけど、ちょっと予定が変わってあっちゃんだけ出かけてて……。あの、お話が、ありまして」

「え~、何かな? そんな改まって言われると緊張するなあ」


 そう言って朗らかに微笑むおじさん。和臣に似た憂いを帯びた、かっこいい大人。きっと俺くらいの年齢の頃はものすごくモテていたに違いない。

 今でこそ商社の管理職に落ち着いていつも家にいるけれど、俺がもっと小さかった頃は、海外に単身赴任をしていて滅多に会うことはなかった。その外国を転々としていた時期に集めたらしい、ヨーロッパ風の置物や英語、イタリア語なんかの書籍が並ぶ部屋。お洒落な雰囲気に気圧されて、ここに来るときは緊張してしまう。

 俺は唾を飲み込んで、おじさんに向き合った。




 和臣の言う「約束」はわかるようでよくわからないものだった。

 何か不安なことがあっても心が離れないように、愛し合う約束をする。だとかいう。


「和臣の言ってること、難しいうえにこっ恥ずかしい。お前らどんなややこしい恋愛してんだよ。なんかもっと簡潔に具体的に説明できないわけ」

「えー……あ、じゃあ。俺の先輩の話なんだけどさ。遠距離恋愛で関係が不安定になったときに、婚約したら安定したって話。婚約ってのは結婚する約束で、つまり一生一緒にいる約束でしょ? 将来的に結婚するっていう予定がわかってたら、一時的に遠距離でも耐えられるという仕組み」

「ほう」

「口約束ではあるけど、舐めてはいけない。恋人として大事にしますとかそれだけでも、ちゃんと何かを誓い合っておくと、意外と心の支えになるよ」

「ほうほう」

「兄貴、ほんとにわかってんの?」

「うん」


 さっきよりはわかった。ただ、相槌を打ちながら、考えていた。俺があっちゃんにできる約束って何なのか。

 そういえば、あっちゃんが一度だけ「結婚して」と言ったことがあった。本気ではなくて口を滑らせただけだったようで、後で「恋人になりたい」に訂正されたけど。

 でもあのとき、驚きはしても嫌な気はしなかったし、彼女の告白の言葉が訂正されなければ、「いいよ結婚しよう」とすんなり答えていたような気がする。

 そのくらい、俺にとっては何歳になっても彼女が隣にいるのがきっと、自然なこと。だったら……。


「決めた。俺もそうする」

「そうって……?」

「婚約。あっちゃんにプロポーズする」


 目の前で楽が白目を剥いた。和臣が少し慌てる。


「プロポーズって、そこまでちゃんとけじめつけろってつもりで言ったわけじゃないよ? 俺が愛莉の家族だからプレッシャーかけちゃった? ごめんって」

「大丈夫、和臣からのプレッシャーはそんなに感じてないから。自分で決めただけだから。とりあえずあっちゃんの前に、山田のおじさんに許可もらってくる」


 隣の家に乗り込むために立ち上がる。


「む、娘さんをくださいってやつ!?」

「うむ」

「待って、待って。うちのお父さん、愛莉は物じゃないって怒りかねないから、娘さんをくださいはまずいよ! せめてお父さん向けの適切な文言を作成してからにして!? 手伝うから!」

「わ、わかった……」


 もう一度その場に座る。弟と幼なじみに、いったい何の相談してんだろ、これ。




 そんなこんなで小一時間ほど相談した結果、変に相手の様子をうかがうよりもさっさと要件を言ってしまったほうが良いということになり。


「愛莉さんと結婚させてください」


 相談する意味もなかったくらい必要最低限でシンプルな台詞を、俺は頭を深々と下げて吐き出していた。


「……」

「……」


 部屋の中が異常に静か。自分が息をしている音がやけにはっきりと聞こえる。心臓はどきどきするとかいうレベルじゃなく、なんか痛い。

 相手の反応が、ない。こんなに恐ろしいことはない。

 も、もしかして膝ついて頭下げるくらいしなきゃ駄目だろうか……?

 そろそろとしゃがもうとすると、制止された。


「あ、土下座とかそういうのいいから。いつも通りにして。とりあえず座って話し合おうか」


 顔を上げて確認したおじさんは、普段と変わりなくにこやかだ。すすめられるまま椅子に座る。


「ところで和臣と楽くん、そこにいるのばれてるよ」

「え?」


 俺が振り向くのと同時に、キイ……とドアが開いて二人が決まり悪そうに顔をのぞかせた。き、聞いてたのか。


「ごめん、お父さん……圭ちゃんがプロポーズの許可もらってくるって言うから気になって」

「すんません……」


 黙って聞いてるだけなら別にいい。ということで、結局二人は部屋に入ってきて大人しく俺とおじさんのそばに来た。それを一瞥して、おじさんは俺に向き直る。


「うーん。まずね、圭都くんのことだから軽率にこんなこと言ってるわけじゃないだろうということは、わかる。だからひとまず、反対はしないよ」

「ほ、ほんとですか」


 心臓の動きがほんの少し落ち着きを取り戻す。痛くない、大丈夫。

 でもね、とおじさんは優しく言う。


「まず、愛莉はまだ結婚できる年齢じゃないよね」

「あ! 言葉足らずですみません! 今すぐじゃなくて、あの、将来的にっていう……婚約だけでもさせてほしくて」


 しどろもどろになってる自分、かっこ悪い。もう取り繕いようもないけど。


「僕はね、君たちがすごく仲良しだから別れる光景がいまいち想像つかなくてね。だからいつか二人は結婚するんだろうなあって薄々思ってた。だけど婚約も含めたそういう話はもっと先のことだと思ってたよ。なぜ今その気になったの?」

「……俺もあっちゃ……愛莉さんと別れる想像はできなくて、ずっと一緒にいたいし一緒にいるって思ってます。けど、どんなにそう思って大事にしてるつもりでも、年齢差とかもあるし俺が不甲斐ないっていうのもあるし、愛莉さんを不安にさせてることっていっぱいあります。少しでも安心してもらうために、繋がりを強くしておきたい、です。今、それが必要だと思いました。だから婚約したいです」


 どちらも大人になってしまえばそんなもの要らないかもしれないけれど。十代と二十代。成年と未成年。学生と社会人。違いを感じてしまいがちな今、苦しくなってしまわないように、強い繋がりがほしい。

 本当はそう思っているのに、口が上手くないから全部をちゃんと説明できないのがもどかしい。わかってもらえたか、わからない。


「愛莉にはまだ言ってないんだよね」

「は、はい」

「そう。じゃあね、僕としては、愛莉が高校卒業したら結婚してもいいよ。ちゃんと愛莉にプロポーズして話し合って、二人が納得できるお好きな時期にどうぞ」

「……あ、ありがとうございます!」

「良かった兄貴!」

「圭ちゃんおめでと~」

「その前に!」


 脱力しかかっていた俺と喜び始める楽、和臣を、おじさんはぴしゃりと止めた。

 また、きゅーっと心臓が痛くなる。一瞬で青くなった俺をからかうように、おじさんはニコリと笑みを浮かべた。


「揉め事が起こるとよくないから、両家双方の了解を取っておこう。如月さんのところは今、ご両親と皐月ちゃんはいるかな?」

「い、います……」

「じゃあ悪いけど、うちの妻と美蘭も呼ぶから、全員集合しておはなししようか」





 かくして、外出中のあっちゃん以外の如月家と山田家の面々が山田家のリビングに集められる事態となった。

 急なことで俺としては心臓に負担がかかりっぱなしだ。けれど幸いなことに、俺があっちゃんにプロポーズしたいんだという話に反対する人はいなかった。

 親たちは、どうせいつかはそうなると思っていたみたいだ。おばさんと母さんには圭都と愛莉なら安心だと謎の太鼓判を押された。どう安心なのかは謎だ。

 予想外に大喜びしていたのは皐月と美蘭。飛び跳ねて「ありがとう」とお礼を言われる。


「お兄と愛莉が結婚してくれたら美蘭と親戚になるってこと? 超嬉しい!」

「圭都くん、絶対に何がなんでも愛莉にプロポーズOKさせて、婚約破棄も絶対にしないでね。私と皐月が家族になれるかどうかがかかってるんだからね」


 美蘭の迫力が怖い。

 うちの父さんは一番のほほんとしていて「まあ前から愛莉ちゃんは半分うちの子みたいなものだったからなあ。そんなに変わらないなあ」と笑っていた。が、この発言がおじさんに引っかかってしまった。


「如月さん。お言葉ですが、圭都くんだって半分うちの子ですよ」

「え? は、はあ」

「もしかして愛莉がそちらに入籍するとでも思ってます? わかりませんよ。圭都くんがうちに婿養子に来たっていいんですからね。圭都くん、本当に山田家の息子になる気はないかな?」

「え、えぇ……?」


 正直、どっちでもいい。和臣が呆れた目をおじさんに向けた。


「お父さんの圭都くん好きが暴走してるよ……」


 母さんが困った顔をする。


「うちは圭都がそちらに行ってもかまわないけれど、それぞれの家に子どもが三人ずつでバランスが良かったのに偏っちゃうのが残念ねえ。山田さんのほうから誰かこっちに来てくれたらちょうどいいのにねえ」


 何のバランスの心配してるんだ……。皐月がぎょっとした顔で母さんを見る。


「お母さん、美蘭は駄目だよ。広瀬くんっていう彼氏がいるから!」

「ごめんなさい、おばさん」

「あらそう残念……和臣くんは……」

「あー、おれとカズ、同性だから結婚できねえわ。カズと皐月なら結婚できるけどおれが許せない」

「わたしだってお兄の彼氏取る気なんかないよ! ていうか彼氏いるし!」

「あらら残念……」

「おばさん、いつか同性婚が日本で認められるようになったら、俺が如月家に行くからね。いいよねお母さん」

「いいわよお」

「何のトレードだよ……」

「でもじゃあ結局現状は山田が四人で如月が二人の予定? どうするの?」

「どうするもこうするもないでしょ」

「めんどくさ! やっぱこういうときのために夫婦別姓制度は必要だ!」

「どういうときのためだよ! こんな話し合いしてる家族、全国探してもここだけだよ!」


 九人が部屋の中でやいのやいのと喋るから、何が何やらわからない。

 ちょっとした騒ぎになっていると、急にドアがばんっと開いた。


「ただいま……な、なんの集まり、これ? なんか事件!?」


 みんなで一斉に振り向く。帰ってきたあっちゃんが、目を丸くしてこちらを見ていた。

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