(6)そこはいつまでもアウェイのまま

「三次会行く人ー!」


 どこにそんな元気があるのか、幹事の陽気な声がカラオケルームに響き渡る。

 うるせえ。アルコールの酔いが回った頭はぼんやりしているし、睡眠不足も手伝ってなんだか気持ちが悪い。

 それでもおれはいの一番に手を挙げた。


「行きまーす!」

「マジで行くんか、お前」

「珍しー」


 普段付き合いが悪くてコンパにも一次会、遅くても二次会までしか顔を出さないおれが、ここ最近はとことん最後まで居座っていることに、みんなが不思議がっているのは知っている。何せ、おれにはカズという兄のような保護者代理人がいるのだ。あまり羽目を外しすぎると簡単に実家に連絡がいく。

 おれ自身も別にそこまで夜な夜な遊び歩きたいわけでもなかったから、おとなしく早めに帰宅することが多かった。だけど今はまだ帰りたくない。

 カズがいる部屋に、帰りたくない。一度苦しいと自覚してしまうと、あそこにいるのが急に苦痛になった。あんなに平気で居心地が良かったのに。

 二次会にいたメンバーに混ざってカラオケ店を出ると、深夜の涼しい空気が頬を撫でる。むかむかした気分がほんの少し爽快になった。

 どこ行こうか、と話し合っている奴らに意見を言うでもなくぼーっとしていると、同じく二次会に残っていたアオイがおれの手首をつかんだ。


「楽、今日は帰ろう」

「なんで」


 妙に怖い顔をしたアオイは、元が美人だから迫力がある。たじろいでいるとつかまれたままの手首を頭上に持ち上げられた。


「みんな、うちら抜けるね」

「アオイ!?」


 ぎょっと白目を剥くが、もう遅い。あらぬ方向に勘違いをされたおれたちは、冷やかしまじりの視線と別れの挨拶を受けて、三次会に行く奴らも行かずに帰る奴も見送るはめになった。


「どういうつもりだよ」


 ため息をつきつつアオイを睨むと、彼女は逆におれを睨んでいた目を緩めた。


「あんたこそ、どういうつもりよ。連日夜遊びして」


 家まで送るから帰ろう、と促される。


「普通、おれが送る側じゃない?」

「体調悪そうにしてる男に送られてもね。顔色青いよ」

「ぶっちゃけると吐き気がする」


 アオイのほうは全く酔っている雰囲気もなく、素面に見える。結構飲んでたはずだけど。さすが大学内で酒豪と言われているだけはある。


「馬鹿。調子悪くなるまで飲んだら楽しいもんも楽しくなくなるでしょうが。こういうのはね、たまにやるから良いの。楽みたいに連日こんなことしてたら体壊すよ」


 歩きながら酒豪アオイにこんこんと説教を受ける。途中でどうしても我慢できなくなって、コンビニのトイレに寄って吐いた。

 ついでに冷たいお茶のペットボトルを買って飲むと、けっこうすっきりした。

 時刻は深夜三時過ぎ。始発が動き始める明け方まで帰らないつもりだったから、大学付近の店からうちまで歩くとなるとかなり時間がかかる。改めて、この長い帰路にアオイを付き合わせていると思うと申し訳なくなる。


「アオイ、遠いのにごめん」

「いーえ」


 しばし、お互いに無言で川沿いの道を歩き続ける。鈴虫の鳴く音がやけに大きく聞こえる。

 ぼーっと機械的に歩を進めていたから、アオイが何か言っていることに気づくのに数秒遅れた。


「ごめん、なんて?」

「だから……帰りたくないなら、どっかで時間つぶす?」

「え?」


 おれ、帰りたくないって言っただろうか。アオイは呆れた笑みを見せる。


「歩く速度、どんどん遅くなってるよ。なんか帰りたくない理由があって、コンパにも顔出してたのかなって。違ったらごめん」

「……違わない。お前ってば、何でも察しすぎるっていうかなんていうかマジでさあ、」


 ありがとう、と口に出すのが気恥ずかしくて口ごもるけれど、それすらもわかっているかのようにアオイはおれの背中を軽く叩いた。世話焼きすぎな気もするけど、イイ奴、だよなあ。カズがいなかったらおれは彼女に惚れていただろう。


「帰りたくないけど、帰るわ」


 これ以上この友人に甘えるのも気が引ける。

 歩く速度を速めると、アオイもそれに合わせてくれる。


「アオイはさ、どんなとこに住んでんの?」

「え? 突然何さ」

「学生マンションだったよな。建物、ボロい? 隣人はどんな人か知ってる? 夜に寝てるとどんな音がする?」


 おれの矢継ぎ早な質問に、アオイは怪訝そうにしながらも一応うーんと考えてくれた。


「ボロくはなくて、わりと綺麗。お隣さんは同級生の文学部の女の子と、同じ法学部の一学年上の女の人。たまに一緒にごはん食べたりするよ。夜は……別に音はしないかな。静か。たまにバイクの音がするかも」

「そっか。いい住処だな」

「そう? 普通だよ」

「普通なのがいい。おれが住んでるのは、建物は普通なのに中に入ると使い方もわからん道具が転がってるでかいアトリエみたいな場所。隣人は会話したことないけど、右隣の人はいつも楽器ケースを持っていて、左隣の人はすれ違うと絵の具の匂いがする。夜は寝てるとどっかの部屋から楽器を練習する音が聞こえてくるんだ」

「へえ。私にとっての普通ではないけど、それはそれで素敵な住処じゃない」

「でも今のおれにはあまり居心地が良くない。どいつもこいつも突飛な個性に溢れていて、おれだけが浮いてる」


 結局いつまでもアウェイのままだ。ホームになったと思ってたけど、勘違いだったのか。ときどき置いてけぼりを食らったような気分になる。いや、置いていかれるどころかそもそもフィールドが違うのだ。エントランスの壁に立てかけられた、抽象的な絵。曲名もわからないやたら忙しそうなヴァイオリンの音色が聞こえてくる日。そんな日常の些細な疎外感がおれを蝕む。

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