第三章 如月楽

(1)深夜のメッセージ

 山田和臣やまだかずおみという男は、昔から少し変わったところがある。


「見て、俺も色変えたー」


 そう言ってカズが髪を突然ピンク色に染めて帰ってきた日、おれはびっくりして言葉が出なかった。俺が高一でカズが高二のときのことだ。

 数日前におれはクラスでつるんでいる友達に誘われて茶髪にしてみた。人生初の脱・黒髪である。

 親にはいい顔されなかったし先生にも注意された。そんな中でカズは何を言うでもなく、ただ興味深そうに色が変わった俺の頭をしげしげと眺めていた。と思ったら、まさか彼も染色するとは。


「……があ?」

 無言のおれをカズは不思議そうに見る。

 カズは幼い頃に「がく」と発音できなかった名残で今も「があ」とおれを呼ぶ。いい加減ちゃんとがくと呼んでほしいような、今さらどうでもいいような。


「なんで、ピンク?」


 染めるにしても奇抜すぎやしないか。けれど当の本人は何でもないことのように微笑んだ。


「ヘアサロンで雑誌見せてもらったんだけど、この色が一番綺麗だと思ったから。夕焼け空に浮かぶ雲みたいな色じゃない?」

「……雲」

「うん」


 言われてみれば、夕方の空で太陽の色にうっすらと染まる雲はこんな色だったような気がする。じっくり見たことがないからうろ覚えだが。


「カズって面白いよな」

「そう?」

「うん。学校で怒られなかった?」

「うちの高校、髪は校則でなんでもオッケーだから大丈夫。ピアノ教室の先生はちょっと困ってたかなあ。コンクールにこんな髪で出るの? って」

「あんま困らせんなよ。見た目で落とされたらもったいねえじゃん。でも似合ってる」

「ありがとー」


 カズはちょっと変わっている。おれには見えないものが見えていて、さらっとそれを身にまとう。

 そういうところが芸術家肌の特徴なのかもしれないし、そうじゃなくてただの本人の特性なのかもしれない。

 とにかくおれは、そんなカズがわりと好きだ。自慢の幼なじみだと思う。






 カズのことが好きなのはお互いが大学生になった今でも変わらない。

 でも、好きの意味合いもおれたちの関係性も全く同じというわけにはいかなくて、変わっていることに薄々気づいてたまに流されたりしながらも、まだ気づいていないふりをしていたりする。

 喉が渇いて目を覚ますと、おれはカズのベッドの上にいた。横を見て誰もいないのを確認してから、ああそういえばカズ本人は今海外だったわ、と思い出す。じゃないとこんな広々と寝ていられないし、というかカズがいるときは自分の布団敷いて寝るし。……セックスするとき以外は。


 起き上がって部屋の時計を見ると、まだ深夜。明日の授業は二限からだからまだまだゆっくり寝られる。

 おれがカズの下宿先に転がり込んだのはおれが大学生になるのと同時で、お互いになんとなくそうするものと思っていたし、親もすんなりいいよと言ってくれた。兄貴と愛莉ほどべったりではないけれど、おれとカズも一緒にいることが昔から結構多い。いないと少し不安に思う程度には。

 冷蔵庫から出した麦茶のペットボトルに口をつけて、なんとなくそのままベランダの窓を開けると、どこかの部屋からヴァイオリンっぽい音色がこっちに流れてきた。あれは窓開けて練習してるな、近所迷惑だってあとで大家さんに怒られるやつだ。

 このアパートは元々、大学でピアノを専攻しているカズが防音環境で練習できるように選んだ部屋で、カズんとこの芸術大学の学生ばかりが住んでいる。

 俺が通う大学の最寄とは言えないけど、非常識な時間に演奏してる人がいたり階段の踊り場とか共有の場所で変なもんを作ってる美術科の知らん奴がいたりと、わけわかんない空間。法学部で座学中心の勉強をしてるおれにはなかなか面白い。

 だけどそんな面白い場所も、カズがいない夜にはどこかアウェイに感じる。


「カズ、早く帰ってこねーかなあ」


 おれのつぶやきは初秋の夜空に吸い込まれた。

 学校に通う以外の時間は黙々と家でピアノの練習をしているカズは本当にたまに、コンクールに出るために遠くへ行くことがある。

 大抵は国内のどこかだけど、今回は海外らしい。音楽のことはよくわからないけれど、なんかすごそう。そのまんまカズにそう言うと、


「出てみるだけで先生にもあんまり期待されてないから」と自信なさげに笑われた。


 その言葉が本当なのかはおれにはわからない。ただ、順位とかどうでもいいからカズが本番で満足のいく演奏をできたらいいなあとは思う。おれも小中高でサッカーをやってた頃は、試合で失敗したら超落ち込んだりしてたから、ここぞというときに上手くいかなかったときの気持ちはわかる……はず。

 ふいに、ベッドのヘッドボードに放置していたスマホが振動した。

 ベランダから部屋の中に戻って確認すると、カズからのメッセージだった。


『どうしよう、一位だった』


 そんな言葉と一緒に送られてきた写真は、先生っぽいおじさんに肩を抱かれたカズが、どこかおろおろとした様子で記念品っぽい盾を手にして写っている。

 どうしようってなんだよ。いいじゃん一位。なんでおろおろしてんだ。でも、隣のおじさんもなんかびっくりしたような表情だし、本当に予定外の結果だったのかもしれない。


『すげー。おめでとう』


 ありきたりなお祝いの言葉とクラッカーのスタンプを送って、そのままベッドに寝転ぶ。

 何はともあれコンクールが終わったならカズが帰ってくる。

 まず部屋を散らかしてるのを見られたら軽く説教されそうだし明日は掃除しとこ。

 それからカズがいない間にあいつが好きなアニメのブルーレイがうちに宅配で届いた。ご丁寧に初回限定版を発売日に予約していたらしい。あれどこやったっけな、床が汚いからどっかいったけど、ちゃんとカズに渡さなきゃ。

 愛莉は知らんがカズと美蘭の山田兄妹はそろってオタクなのだ。帰宅したら一目散に現物の確認を行う姿が目に浮かぶ。

 あとはー、まあ帰ってきた日には焼肉でもおごってやろう。コンクール優勝したんだもんな。高いもん頼んでもいいよって言お。カズはいつも「俺のほうが年上」って言っておれにあんまり払わせてくれない。たまにはおれが払う。

 それからー、えーと……他にやること……。


 考えているうちに深い眠気が襲ってきて、おれはいつの間にか眠っていた。

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