(5)大丈夫、なんて思えない

「わたしはちょっとだけ、大橋くんに怒ってます」

「ごめん」


 大橋くんはあまり悪いと思っていないような口調で、それでも一言謝った。

 部活終わりの夕方、二人で駅のホームに並んで電車が来るのを待つ。

 吹奏楽部の練習が終わって下駄箱に行くと、大橋くんがわたしを待っていて、「一緒に帰ろう」と言われたのだ。

 おかげで一緒にいた部活の同級生たちには冷やかされてしまった。

 そして、男子と二人で帰るという状況に気恥ずかしさよりも、わたしは妙な苛立ちを覚える。相手が大橋くんだからだ。


 昨日の朝、改札で美蘭に言いたいことをいえなかった。そうしたら、夜には彼女のほうからメッセージが来た。大橋くんと付き合っていることを知られていた。

 事情を説明しようとしても、もう遅い。何を言っても後からの言い訳や情けない弁明にしか受け取ってもらえないように思えて悩んでいるうちに、返信するタイミングを逃して今日になった。

 つまり、美蘭からのメッセージを無視した。一番やってはいけないことをやらかしたのである。

 悪名高い(?)野球部の公開告白だ。夏休み中とはいえ、部活動で登校している生徒には噂が広まったらしい。美蘭の耳にもチア部の誰かからわたしと大橋くんの情報が入ってしまったのだろう。

 今日は昼に廊下でチア部の子たちとすれ違ったとき、「あれが美蘭の好きな人を盗った子」とささやかれるのが聞こえた。美蘭本人はそこにいなかったけれど、彼女も概ねそう思っているんだと思う。

 こうなったらもう、美蘭との仲はこの世に生まれてから17年の中で史上最悪だ。

 むすっとして黙り込むわたしをちらりと見た大橋くんが、気まずそうにもう一度口を開いた。


「ごめん。強引に付き合わせて。でも、」

「でも、付き合うの辞めようって言ってくれるわけじゃないんでしょ」

「うん」

「……じゃあもう謝んないでいいよ。大橋くんに怒ってるのはちょっとだけだし」


 元々、彼に腹を立てているのはこっちが断ったのに有無を言わさず彼氏彼女の関係にさせられたことだけだ。しかも一週間という期限付きで。すぐ終わる期間。

 だから怒っているのはちょっとだけ。ほとんどはわたし自身に怒っている。美蘭に話すのを後回しにしたわたしが悪い。


「一週間、大橋くんのことをうーんと考えて、そんで別れるから。そしたらうちらの関係もおしまいだからね」

「うん」


 そこでわかりやすく顔を赤くして照れないでくれるかなあ!?

 腹が立つ……というよりも、どきっとして心臓に悪い。この人本当にわたしのこと好きなんだな。

 それにしてもさっきから彼、ごめんとうんしか言わない。その無口さはわたしの中の大橋涼のイメージ通りではある。けれど、そんな彼が怒ってわたしとのお付き合いを強要したというのがイメージと違い過ぎて、結びつかない。


「正直、全然わかんないよ。大橋くんのこと」

「それは……俺もだけど。如月さんのこと、そんなに知らない」


 待っていた電車がホームにすべり込んでくる。わたしも大橋くんも同じ中学出身。乗る電車も降りる駅も、同じだ。


「じゃあなんでわたしに告白したの?」


 わたしのこと、わかってもいないくせに。

 車両に乗り込むと、彼は一人分だけ空いていた席にわたしを座らせてくれる。目の前に立った彼を見上げると、そこにはこちらを見つめる真剣な顔があった。


「今年の県大会で、吹奏楽部が応援してくれただろ」


 先月にあった野球部の全国大会予選のことだ。大橋くんもチームの主力としてベンチ入りしていた。でも、うちの野球部はあと一歩で甲子園というところで敗れてしまった。

 わたしはそのとき、吹奏楽部のメンバーとして炎天下の中、応援歌に合わせて大太鼓(バスドラム)をどんどこ叩いていた。


「グラウンドから、すげえ一生懸命太鼓を叩いてる如月さんが見えて……かっこいいって思ったっていうか、惚れた」

「……大橋くんって変わってるね」


 普通、そんな力仕事をしている女子には惚れないと思う。吹奏楽部なら花形のトランペットかフルートあたり。野球部の応援ならば、帽子やタオルで武装して演奏している吹奏楽部員よりも、その隣で元気よく笑顔と声を振りまいてパフォーマンスをしているチア部。だいたいそこらへんに意識がいきそうなものだけど。

 でも、そんな中でわたしを見つけてくれたのは、美蘭という気がかりさえなければ。

 嬉しい、かもしれない。





「やっぱエミリア姫だよね~! その彼氏さん、わかってるう!」


 日曜の朝、わたしの部屋を訪れた愛莉がテンション高く叫ぶ。

 大橋くんに告白されてから数日。日曜日の今日、わたしは大橋くんに映画に誘われた。いわゆるデート。どうやら野球部と吹奏楽部は練習日もオフの日もだいたい被っているらしい。

 見に行く予定の映画のタイトルが愛莉の好きなシリーズ作品の新作なので、愛莉には入場者得点のポストカードを譲ってくれとせがまれている。


「あたしはね、来週圭都くんと一緒に行くから。特典の内容が週替わりなの」

「はーい。ちゃんともらってくるよ」


 鏡の前で服装の最終チェックをしながら返事をする。愛莉みたいに可愛い服なんか持っていない。相談したら「自分の一番のお気に入りを着ていけばいいんだよ」と言われたので、無理に着飾らないことにした。

 お気に入りの黒いブラウスにキャラメル色のキュロット。


「ほんとにこれでいいのかな」

「ばっちり~。皐月ちゃん可愛いよ」


 二つ下の幼なじみは、素直にわたしを褒めてくれる。可愛いのは愛莉のほうだ。わしゃわしゃと彼女の頭を撫でまわす。

 だけど本音は少し複雑。愛莉はわたしにとって妹のような幼なじみであると同時に、兄の彼女でありそして……美蘭の妹。

 美蘭とは、わたしがメッセージに返信しなかったきりで連絡を取っていない。もちろん会ってもいない。


「ねえ愛莉」

「なあに?」

「えっと……ごめんね」


 わたし、あなたのお姉ちゃんの好きな人とデートに行くんだよ。なんて言えないけれど。

 きっと美蘭はこのことを愛莉には言っていないだろう。急に謝られても愛莉も戸惑うだけだ。

 だけど何かを察しているのか、彼女はふっと微笑む。


「美蘭お姉ちゃんと喧嘩してる?」

「喧嘩っていうか、わたしが全面的に悪くて、でも謝るタイミングを失って怒らせたままというか」

「そう……」


 わたしが眉間にしわを寄せてため息をつくと、愛莉も一緒に悲しい顔をしてくれる。この子は優しい。


「でも、仲直りするよね」


 元気づけるようにそう言われて、気分が沈む。


「……もう、できないかも」

「大丈夫だよ。皐月ちゃん、お姉ちゃんのこと好きでしょ?」


 無言でこくりと首を縦に振ると、慰めるように背中に愛莉の手が添えられた。


「お姉ちゃんも、皐月ちゃんのこと大好きだもん。色々あるのかもしれないけど、大丈夫」


 圭にいの部屋に行くという愛莉と別れて、彼との約束の時間に遅れないよう家の外に出る。すると、ちょうどわたしの家の前を通り過ぎようとする美蘭がいた。

 制服にT高チア部オリジナルデザインのスポーツバッグ。部活に行くところみたいだ。


「あ」


 わたしの声を聞いて、彼女の顔がこちらを向いた。人形のように無表情な目がわたしをとらえる。一瞬、頭が真っ白になった。

 何を言えばいい? おはよう? ごめん? 話をさせて?

 混乱して結局何も言えないでいると、美蘭はふいとわたしから顔をそらして、さっさと歩いていってしまった。

 大丈夫だよ。愛莉はそう言ったけれど、大丈夫だなんて思えない。

 わたしはまた、謝るチャンスを見送ってしまった。


「……わたしってば、最悪」


 駅まで一緒に歩くの、気まずい。電車一本遅らせよう……。

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