Sweet Martini
1. Dry Gin
戸惑いを覚えながら、今日も社員証をタッチした。「ピッ」と鳴って白く光り、ゲートが開かれる。
なぜ自分がこの会社に入れたのか、入社して半年が経ってもよく分からない。立地と福利厚生だけで選んだこの大手化粧品会社に、僕はするりと入ってしまった。他の大手には軒並み“お祈り”されたのに、ここにはなぜか拾われた。
僕のような、何の個性もない人間がなぜ。
受験が近づけば本気を出したが、それ以前の成績は見事にオール3。ド平均を行く人間で、三者面談の時には、先生が僕の長所と短所を言うのに困っていた。でもそれは僕の両親も一緒だったので、特に問題はなかった。
運動も、上手じゃないが下手でもない。部活では、レギュラーにはなれないが戦力外というわけでもなく、常に補欠だった。
高校も大学も中堅の所だった。偏差値50は僕のデフォルト。上位校にチャレンジする意欲も、思いっきり安全圏を確保しておこうという算段もなかった。
人間関係も、派手ではないが地味でもない。いじめる側にもいじめられる側にもまわらない。中途半端に大学デビューして、一度茶髪にしただけで飽きるようなメンツと常に一緒だった。恋愛も一度はしたけれど、それっきり。モテないわけでもモテるわけでもない。
そして就活の時期を迎えた。
業界もろくに絞らずに、「絶対嫌だな」という所以外は割とどこでも
しかし今の会社から内定の電話が来た時は、本気で驚いた。結構有名だから、倍率は高いはずだった。僕みたいな、何の個性もない人間に内定を出す余裕があったとは思えなかった。でもその疑問を口にするのはさすがに
なぜ僕は内定を得たのか。
この問いに対する現在の暫定的な回答は、「僕のような癖のない人間は、ギクシャクした部署の潤滑油になりうるから」であった。
とりあえず働こう。と思ってデスクに着くと、先輩からの付箋がパソコンに貼られていた。
“9:00ぴったりに部長の所 木嶋”
部長の所って、自分は何かミスでも犯したのだろうか。でも先輩と一緒であれば、その可能性は低いか。……いや、分からない。
どっちにしろ、新入社員が部長に呼ばれるのは、なかなかストレスフルである。僕は満員電車で着崩れたスーツを直し、メールをチェックして、深呼吸をしてから部長のもとへ向かった。
「おはようございます」
「おう、おはよう」
「おはよう」
「おはようさん」
僕は付箋を貼った先輩に挨拶をして、少し驚いた。朝一番に呼び出されたのは、僕と先輩だけではなかったようだ。僕が最年少なのは変わりがなくて、最年長は35歳くらいである。僕達4人は部長を訪ねた。
「部長、失礼いたします」
「おはよう。……22秒、遅いわね」
「遅れて申し訳ございません」
白いカットソーに紫のタイトスカートを合わせた部長は、35歳くらいといった所だろうか。左の薬指に輝きはなく、代わりに小さな金色のピアスが日光に当たって輝く。
「あなたたちに、お願いがあるの」
彼女は長くて細い指でタブレットを操作する。朝だというのに、その動きは妙に
画面に映し出されたのは、今までに僕の会社が作ってきた男性化粧品のパッケージたちだった。
「20〜30代にウケそうな、男性化粧品のアイデアとコンセプトをちょうだい。これらと被らない、斬新なものね」
「……具体的にどんな商品が良いのでしょうか? 例えば整髪料とか、洗顔料とかでしょうか? 現在、部長が、ニーズが高まっていると考えていらっしゃる商品はどのようなものですか?」
最年長の先輩が発した言葉は、部長の笑いによってかき消された。
「そんなの、自分で考えなさいよ。その調査も含めて仕事でしょう?」
「いやしかし、商品の種類ぐらい……」
「明日の正午までね」
僕達は、9時4分に部屋を追い出された。先輩達は不満たらたらだ。僕も頭を抱えたい気分だった。——部長の出してきたタスクに関してと、僕がこのグループに入れられてしまった理由に関してである。
昼休み、先輩達のお弁当を買うためのお使いに出された僕は、廊下で部長とすれ違った。「お疲れ様です」と言い、そのまま歩こうとしたが、やはり気になって仕方がない。
「あの、部長」
「なに?」
「……どうして、僕をあのグループに」
彼女はわずかに微笑んだ。
「スパイスとして、よ」
全く意味が分からなかった。
カツカレーを頬張った僕達は、何とか頑張って頭を
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Dry Gin(ドライ・ジン)
ジュニパーベリー(胡椒のようなスパイシーな果実)をはじめとする、植物で香りづけされた蒸留酒。あまり癖がなく、ストレートで飲まれることも多い。
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