第21話 土曜の南町5


 角を曲がり裏通りに出ると3人は足を止め、透の持つタブレット端末の画面を覗き込んだ。表示に多少の誤差があっても、進んでいる方向さえわかれば脳内の地図で補完出来る。


「商店街を抜けて住宅街に入ったな。手分けして追い込んで、ひと気の無い所で捕まえよう」

「なんでわざわざ?」

「このご時世、人前で捕り物なんてしたらネットに上げるやつが絶対出てくる。さすがに全世界に顔晒されるのは可哀想だろ」

「なるほど。じゃあ、例えばどこら辺?」


 既に興奮気味の道行の問いに、透は一瞬迷ったのちに答えた。


「この方向だと、神社か。もしくはその下の公園」

「オッケ」


 透の指示でそれぞれグループ通話を立ち上げると、ハルと道行は別方向へ駆け出した。



「実智、追えてるか?」

「いま丁度見失ったとこ。でも、リボンはまだ着いてた」


 すぐさま冷静な声が返ってくる。大したもので、息一つ切らしていない。


「ハルと道行も合流した。指示するから、移動して道を塞いでくれ。出来れば神社まで誘導したい」

「わかった」




 ☆☆☆☆☆



 透の指示により、ハルは曲がり角の自動販売機の陰に身を潜めた。足音と荒い息が近づいて来たので、自販機の隙間から相手を確認する。背負ったリュックの端にピンクのリボンが揺れている。間違いない。


「おい、武田猛。大人しく捕まんな」


 曲がり角から突然飛び出してきたハルに衝突しかけ、青年はたたらを踏んだ。腕を掴もうと詰め寄るハルを振り払い、また走り出す。


 次の角から道行が躍り出て、立ち塞がる。


「諦めなよ。逃げられると思ってんの?」


 青年は踵を返し、細い路地へ飛び込みまた走る。後ろを振り向く余裕もなく、ひたすら走る。と、またハルが待ち構えている。


「無駄だよ」


 青年は真っ青な顔で汗をぬぐった。細い足がガクガクと震えている。荒い息の下から、ようやく声を絞り出す。


「な、なんだよお前ら……なんで……僕のこと、憶えて」

「あ? どういう意味だ?」


 ハルが一歩踏み出した途端、青年はまた身を翻し、ハルを突き飛ばす様に走り出した。複雑な作りの住宅街を、何度も何度も、闇雲に角を曲がり走り続ける。が、どこかの角を曲がる度、どこかの電柱の陰から、どこかの植え込みの隙間から、死角になった階段の上から、誰かが飛び出してきて道を塞ぐ。青年は完全に方向感覚を失い、パニック状態に陥り始めた。




 ☆☆☆☆☆




「なんで……なん、で………」


 泣きながら、足を引きずる様に走り続ける。息が苦しい。胸が痛い。脚が重たい。怖い。訳がわからない。あれは、さっきまでステージでライブしてた二人だ。なんでここに?

 混乱しつつ袖口で涙を拭うと、視線の先にあの女が現れた。肩を掴まれ、射抜く様な真っ直ぐな眼で見つめてきた女。


「待ちなさい! 武田猛!」


 反射的に暗い場所へ転がり込んだ。デコボコした敷石に足を取られながら、さらに暗い方へ。敷石を外れ玉砂利を踏み散らし、社の脇を通り過ぎて林の中へ………

 薄暗い木々に囲まれ、青年は力尽きて近くの木にもたれかかった。後ろを振り返ったが、追いかけてくる様子は無かった。追手は3人、うまく逃げ切れたのだろうか。


 急に立ち止まったせいで、大量の汗が流れ落ちる。顔と背中が燃えるように暑くて、青年はリュックを下ろした。と、リュックの下部にひらひらと長いピンクのリボンがくっ付いているのに気づき、それを毟り取った。


(クソッ、連中はこれを目印に……でも、そもそも何で)



「武田、猛くん。そうだね?」


 枝を踏む音とともに樹の陰から現れたのは、眼鏡をかけた細身の男だった。濃いグレーのボタンダウンシャツ姿で、片手にタブレット端末を抱えている。

 驚愕と絶望のあまり声も出せずにへたり込むと、男はゆっくりと近づいて来た。


「もう逃げるな。手荒な真似をするつもりは無い。もう盗みは止めて、きちんと罪を償うんだ」


「そうだよ、泥棒はダメ」

 別の方角からまた声がして振り向く。最初に声をかけてきた巻き髪の女だった。何なんだこいつら、全員グルか。


「万引きぐらい~、とか軽い気持ちでやってんのかもしれないけどさぁ、犯罪だからね?」

 植え込みを掻き分けてフェンスの上から飛び降りたのは、さっき追ってきた無駄に愛くるしい顔のチビ男だ。


「逃げたらこれでシバく。言っとくけど、俺らかなりアタマにきてっから」


 もう見なくてもわかる。この声は、思わず二度見するほど端正な顔立ちの三つ編み男………やはり、そうだった。だが悪いことに、さっきまで持っていなかった木刀を肩に担いでいる。


「もう逃げる体力なんて残ってないでしょ。15分以上? 全力疾走したからねえ」

  あの、威圧的な黒服女だ。


 いつしか5人に取り囲まれてしまっている。しかも、全員がじりじりと間合いを詰めて来る。素早く周りを見回す。一番ヤバそうなのは言うまでもなく三つ編み男、メガネ男は細いが上背がある。童顔チビもトリッキーな動きで危険。でもなんだろう。黒服の女が一番怖い。咄嗟にリュックを掴み、黒服女に投げつけた。怯んだ隙に、巻き髪女の方へ突進する。その向こうに、下へ降りる階段の手摺が見えたからだ。




 ☆☆☆☆☆



「花奈!」

 道行が地面を蹴って青年に飛び掛った。が、わずかに届かず指は空を切った。他の3人も弾かれたように飛び出したその時、花奈の姿が消えた。


「ぐぅっ」


 次の瞬間、青年は両手で脛を押さえて地面に転がっていた。痛みに顔を歪めている。傍には片足をほぼ伸ばした格好の花奈が、屈み込んでいた。


「花奈、大丈夫? 大丈夫?」

 道行が急いで駆け寄り、抱き起こす。


 花奈は目をパチクリさせながら、何度も頷いた。


「うん、大丈夫……ほんとに平気。ねえ、みっちゃん……あたし……」


 ハルが青年をうつ伏せに引き倒し、両手を後手に回させて馬乗りになっている。実智は皮革のブレスレットを外し、青年の手首を手早く拘束した。透が黙々と青年のスニーカーの紐を結び合わせ、逃げ足を奪う。



「あたし今、水面蹴り繰り出した! ね、見た?! 往年の橋本真也ばりの! 水面蹴り! 炸裂した!!」

「花奈……」


 花奈の二の腕を掴み、肩にがっくりと額をもたれ掛からせた道行が、深い深いため息をつく。


「ねえみっちゃん! あたし、すごくない? びっくりしてしゃがんだのに、自然と! 毎日のイメージトレーニングのおかげだよ! すごく自然に、スムーズにね、身体が動いたの! 水面蹴り!」


 花奈が興奮して連呼しているのは、とある今は亡きプロレスラーの得意技の一つだった。瞬時にしゃがみ込むと同時に回転しながら片足を伸ばし、相手の足を蹴り払うという技だ。


「うん、すごいよ。凄いけど……危ないから………ああいう時は、逃げなきゃ」

「でも橋本が! 破壊王が降臨して! サァッ!て」

「わかった。橋本真也はわかったから。そうだね、僕も悪かったし。油断してた。ごめん」



 その横では、実智が淡々とリュックの中を検め、GPSの発信器を透に返却していた。


「ごめん。まあまあいい感じのBクイック来たから、思わずアタックしちゃった。壊れてないといいんだけど」


「おお、それが『じーぴーえす』か……ちっちゃいな」

ハルが馬乗りのまま首を伸ばし、興味深気に覗き込む。


「いつの間に、そんな物……」


 愕然としつつもまだ痛みに顔をゆがめている青年の呟きに、実智が淡々と返答する。


「あんたが花奈に話しかけられて鼻の下伸ばしてる間に、リュックに差し込んだの。で、あんたの肩を掴んで強引に振り向かせた。その隙に、花奈が目印のリボンを付けた。私達はあんたの顔を覚えてなかったけど、GPSで追跡しつつリボンを目印にして、あんたを追いかけた。ところで、身分証は? リュックに入ってないんだけど」


 すかさずハルが青年のポケットを探り、財布を取り出す。透が財布を受け取り、中を確認する。


「免許証も保険証も無し。これは……ネカフェの会員証、か。名義は武田猛だな」

「え、まさかの本名かよ」


 ハルは別のポケットからスマホを見つけ出し、今度は実智へ渡す。


「嘘。本名で犯罪自慢するわけないじゃない」


「親の付けた名前は、捨てた」

「そういうのいいから。悪いけど、こっちも中見るわよ」


 しばらくスマホをチェックしていた実智だったが、首を振りながら透にそれを手渡した。


「……電話帳はほとんど空。メールもほぼ、携帯会社とかばっかり」

「時間かかりそうだな。ハル、道行。先に戻っててくれ」


 道行は気になるから残ると口を尖らせたが、ライブのお客さんが待っていることを思い出すと即座に気持ちを切り替え、頷いた。おそらく花奈の水面蹴りに動揺したあまりであろう、さっきまでの猛然とした怒りは鎮まった様だ。


「でもさ、一つだけ言っておきたい」

 未だ冷たい土の上に組み伏せられている青年の顔の前にしゃがみ、顔を覗き込む。


「あのね、武田くん。僕らみたいな商店って、ただ物を売ってるだけじゃないんだよ。少ない儲けでさ、それでも農家さんが精魂込めて作ったものを美味しく食べてもらおうと思って、頑張ってんの。こっちの魚屋さんだって、そう。漁師さんが命懸けで獲って来てくれたお魚だからね」


 道行に指差されたハルが、重々しく頷く。

「仕入れたもの並べてボーッと突っ立ってるわけじゃない。流通の過程にだって、たくさんの人の努力と手間がかかってる。みんな色んな勉強して、工夫して、やっと商売成り立ってんだ。それを、小額とはいえ盗まれちゃあ、やってらんねえんだよ」



「……盗まれる方が間抜けなんだ」


 吐き捨てる様にそう言った瞬間、ハルがその背中から降りたかと思うと、襟首を掴んで青年の体を引き起こした。膝立ちの姿勢で胸倉を掴まれ顔面蒼白となった青年はかなり苦しそうだが、震える声で精一杯の虚勢をはる。


「たかだか数百円ぐらい、どうってこと」

「あ? 何だって? よく聞こえなかったからもう一遍言ってみな」


「ハルくん。その人、本心じゃないよ」


 花奈がハルの背後に回り、握っていた木刀をそっと取り上げた。青年の目から木刀を隠す様に、背中へ回す。


「そうだよね? 武田猛くん。あたし、わかってるよ。疲れちゃったんでしょ。ほんとはもう、止めたいんだよね?」


 青年が、喉元で襟首をつかんでいるハルの手から逃れようとする様に、大きく身じろぎした。歯を食いしばり、小さな呻き声を漏らす。



「みっちゃん、ハルくん。もう行こう。後はみのりちゃん達に……」

「そうだね。お客さん待ってるし」


「……おう」


 不承不承、といった表情で、ハルが乱暴に手を離す。突き倒す程ではなかったものの、青年バランスを崩し不安定に背を丸めて座った。 


「おいお前。人目を避けなきゃいけないような生き方はやめろ。真っ当に生きろよ。どうすりゃいいかわからなかったら、俺を見習えばいい。商店街の魚屋にいるから。じゃあ、二人とも、あとは頼んだ」

「了解」


 ハルの言葉に頷いた実智は、花奈から木刀を受け取った。駆け出して行った3人の背中が見えなくなると、透と見交わした。



「さて」

「どうしますか」




 ☆☆☆☆☆




 項垂れたまま黙りこくっている青年の前に、実智が膝を抱えてしゃがみ込んでいる。


「あのさ、いい加減、名前ぐらい教えてくれない?」


 顔も上げず、黙ったままだ。

 透は青年の背後でこれまたしゃがみ込み、さっき結びあわせた靴紐を緩めに結び直している。


「さっき見たスマホの発信履歴に、電話番号があった。答えてくれないなら、そこにかけてみることになるけど」


 透の言葉に身を固くした青年が、ほんの僅か、首を振った。それに気づいた実智が、スマホを再度確認する。


「……番号だけで、電話帳には登録無し。これ……君の実家ね?」


 青年は答えなかったが、おそらくその通りなのだろう。後ろに回された手が固くこぶしを握ったのを見て、透はそう判断した。


「まあ今時、電話番号なんて実家ぐらいしか覚えてないわよね。で、その実家には連絡されたくない、と。当たり前か」


 透は立ち上がると、青年の脇に手を差し入れた。

「ほら、立って。フェンスのとこまで行こう」


 実智が反対側に回り、同様に腕を取って体を支える。

 靴紐の結び目を緩めて30㎝ほどの歩幅を確保してもらった青年は、両脇から支えられヒョコヒョコと歩いてフェンスに腰を下ろした。おかげで先程までよりは、屈辱的な体勢ではなくなった。



「このまま警察に引き渡しちゃってもいいのよ? 証拠映像もたっぷりあるし」


 本当は証拠としては弱いと言わざるを得ない映像ばかりだったが、警察に引き渡せば、こちらでは見られなかった防犯カメラの映像も検証されるだろうから、まんざらハッタリでもないだろう。


「でも、どうしても聞いておきたいことがあるの………私達、君の顔を憶えてなかった。商売柄、人の顔を憶えるのは得意だし気をつけて見てたはずなのに、忘れてしまっていた。それは、どうして? あんた、何をしたの?」


 青年は背中を丸め下を向いたまま、答えない。実智は青年の正面に膝を抱えてしゃがみ込むと、その顔を見上げた。


「さっきの女の子、花奈っていうんだけどね。何故かあの子だけが、君の顔を憶えてた。で、その花奈がね、言うのよ。『哀しそうだった、辛そうだった。あの人を助けてあげて』って」


 実智が手を伸ばし、青年の膝や足に付いた枯葉や土を優しく払い落とす。透もそれに倣い、胸や腕に付いたゴミを摘んで捨てた。


「ねえ、何か話してくれないかな。私達に出来ることがあれば、協力するよ」




 しばらくされるがままになっていた青年が、口を開いた。

「……わからない。自分の……元の、名前………忘れて、忘れてしまっ……わか、わからない」


 透が慌てて肩を掴み、青年を上向かせる。脂汗にまみれ目をいっぱいに見開いてキョトキョトと視線を彷徨わせるのを見て、実智が青年の膝をゆっくりとさすり始めた。

 

「落ち着いて。大丈夫だから。ゆっくり、ゆっくり息をして……ね? ほら、私の目を見て………そう、じっと見て……じぃーっと……」




 ☆☆☆☆☆





 浅い息遣いが正常に戻るのを待ち、手首の拘束を解いて、リュックに入っていた飲みかけのペットボトルから水を飲ませる。大きく息をついた青年は、それでもまだ取り乱している様子だ。


 実智が再び切り出す。


「自分の名前を、忘れたの?」

「そんなわけないんだ。知ってるはず、知ってる筈なんだ。でも……」


 指を差し入れて長めの前髪をグシャグシャと乱し始めた手を、実智がそっと掴んだ。両手を膝に揃えさせ、その上から優しく握る。もう一方の手で青年の乱れた前髪を梳きながら、低く柔らかな声で囁きかける。


「そうね、怖いね。当然だよ。ゆっくり、ゆっくりでいいからね。そしたら怖くないから、ね?」


 突然、青年の目つきがトロリと溶けた。膝をつき手を握って見上げてくる実智を一心に見つめ返し、魅入られ心酔しているかの様に薄く唇を開いたまま、従順に頷く。

 いつもながら見事な技だ。傍で見ていた透は背筋を寒くしながら、密かに唾を飲み込んだ。



「……ずっと、自分でつけた名前を使ってた。でも前の名前は、ちゃんと憶えてた……普通に。普通に。でも、さっき聞かれた時……急に、思い出せなかった。急に、出てこなくなって……今もわからない。思い出そうとすると、するって滑り落ちるみたいに、逃げて」


 言葉遣いが覚束ないのは動揺の表れだろうが、それでもだいぶ落ち着いてきた様に見える。


「名前が、記憶が、スルって、逃げて……」

「そう。そうなのね。他には? えーと………じゃあ、今朝何を食べたか、憶えてる?」




 ☆☆☆☆☆



 長い時間をかけて話を聞き終えた頃には、青年の口調はずっとまともになり、それどころか敬語で話すようになっていた。


 だからと言って、状況はそれほど良くなったわけでもなかった。

 青年は相変わらず、自分の本名は疎か親の名前や職業、実家の住所も思い出せず。だが不思議なことに、記憶の全てを失ったわけではなく、卒業した学校や学友、その他諸々のことは憶えていると言うのだ。



「じゃあ、抜けている記憶は……自分や家族に関すること?」

「……はい、多分。親の顔もぼんやりとしか……あ、でも声は、なんとなく。怒ってる感じ、みたいな」

「友人、あとはペットなんかについては、どうかな」

「………友達は、いません。学校行かなくなってから、データも全部消したし。でも憶えてはいる。顔も名前も」


 そう言うと青年は、明らかに顔を曇らせた。そして小さな声で、付け加えた。


「ペットは、小学生の時に小さいカメを飼ってたけど……捨てられました。内緒で飼ってたんで、怒られて」


 思ってもみなかった展開に、透と実智は目を見交わし、互いの困惑を確認した。そんな二人の様子を知ってかしらずか、青年は自嘲気味に笑った。


「なんか俺、嫌なことばっか憶えてるみたいですね……思い出したい事は、何も思い出せないのに」



 指を組んで握り合わせた拳で、軽く額を叩きながら目を閉じる。何度か額を叩いて、青年は細く長く、ため息をついた。


「僕、頭おかしくなったのかな。きっと、悪い事ばっかやってた罰が当たったんだ。自分がおかしくなってたことにも気づかないぐらい、頭おかしくなって。僕………僕は、どうなるんでしょう」



(そんなもん、こっちが聞きたいわよ……)


 そう思った実智だったが、もちろん口に出す筈も無かった。そしてそれは、透も同様だった。顔色を失い固く組み合わせた指先を震わせている青年を目の当たりにして、あまり酷いことを言う気にはなれない。


「とりあえず、大友さんに連絡してみるか」

「……そうね」


 自分のスマホを取り出した実智が、動きを止めた。画面を確認し、何やら操作する。すぐに呼び出し音が鳴り始めたので、スピーカー通話にしたのがわかった。すぐそばで微かな着信音が聞こえた。


「もしもし、大友さん? もしかして、聞いてらっしゃいました?」


 一瞬の間の後、きまり悪そうな大友の声が聞こえてきた。

「……すみません。実は、聞いてました。途中からですが」


 3人の背後の植え込みを掻き分け、フェンスの向こうから大友が顔を覗かせた。バツが悪かったのか、首を竦めるように一礼し電話を切ると、「そっち回ります」と言い残して消えた。



「今見たら、花奈からメール来てた。音消してあったから気づかなかったわ。大友さん、花奈たちが神社方向から戻って来たのを見て、すぐにこっちへ向かったみたい」

「やっぱ探してたんだな」


 実智は再び青年の前にしゃがみ込んだ。


「ねえ、君。混乱してるとこ悪いけど、教えて。私達が君のことを忘れてしまっていたのは、何故? どうやったの?」

「それは……わかりません。僕が頼んだのは、バレずに何でも盗めるようになりたい、ってだけで。親に嫌われてて、小さい頃からずっと、最低限の物しか買ってもらえなくて。だから」


 公園からの階段を駆け上がり、大友が姿を見せた。透はその場を実智に任せ、そちらへ向かう。自分達の記憶の喪失については、大友に聞かれたくなかった。話が混乱する恐れがある。




「……彼が、武田猛?」


 あの場所から、坂を下って回りこみ公園を突っ切って石段を駆け上がったにしては、息が乱れていない。大友はおそらく普段から運動しているのだろうと、透は推測した。


「はい。でもやはり、偽名です。実は……」


(こちらが状況を説明する間に、実智が記憶の謎を聞き出してくれればいいんだが……)

 透は出来るだけ、しかもそれがバレない程度に時間を引き延ばそうと決めた。


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