第18話 木曜・緑の道


 最後の配達を済ませて車に戻り、エンジンをかけると、道行はすぐにオーディオを起ち上げ目的の曲を探し出した。急遽決まった土曜の路上ライブへ向けての確認のためだ。


 昨日の会合は衝撃的だった。衝撃的だったけれど、事前にハルとみのりのグダグダがあったおかげで、ショックは受けたもののそれほど深刻にならずに済んだ気がする。透がふたりを遮らずにあれに付き合っていたのは、それを見越してのことだったんだろう。


 そのショックから一夜明けた朝一番、優秀な司令官である透から「土曜日ライブやるから」とお達しが来たのだ。

 どうしてそういう運びになったのかは不明だが、取り急ぎ、ハルがセットリストを組んで送ってくれたので、いつもの様に曲の確認がてらイメージトレーニングを始める。最小限の音量の楽曲に合わせて軽やかにハミングしながら、道行はウインカーを点滅させた。心地よい振動と共に、自慢のミニバンが走り出す。


 街はすでに動き始めている。信号を避けてなるべく裏道を駆り、新緑眩しい並木道の大通りに出ると、道行はスピードを上げた。この分なら、開店時間には余裕を持って着けそうだ。店に車を置いたら、透くんのところに顔を出してみよう。


 透は既に、もはや半分私物化していると言っても過言ではない商店街事務所の設備でポスターを刷り終え、駅前にばら撒いたらしい。ハルは凪一に話をつけて寺尾を借り受け、当日の助っ人として召喚済みなのだとか。

 計画の全容は不明ながら、皆それぞれに素早く動き出している。


 ハンドルに置いた指先で軽快にリズムをとりながら、徐々に声量を上げる。わざわざ考えるまでもなく、歌詞がひとりでに唇にのぼるに任せて歌いつつ、道行は昨日の話し合いを思い出していた。




 ☆☆☆☆☆





「………記憶が、消されてる」



 自分を見つめる驚愕の表情に、実智は組んでいた腕を解き、顎先に触れていた指で慌てたように前髪を撫で付けた。


「もしくは、何らかの操作をされてる。あのね、私だって、おかしなことを言ってるのはわかってる。でも、あの動画やみんなの状況を聞いた限り……」


「実は俺も、同意見だ」

 今度は透に、驚愕の眼差しが集まった。


「莫迦げてるのは、百も承知だ。でも……もう一度、この映像をよく見てくれ」



 再生したのは、先ほど見たハルと道行のパトロール時の映像だった。


「ほら、二人とも歩きながら周囲をよく観察しているのがわかるだろ? 画像は粗いけど、それでもあちこち見回したり覗き込んだりして、確認してるように見える」


 画面を覗き込んだ4人は、黙って頷いた。特に道行は、唇を噛み締めながら何度も頷いた。何故なら、最初の会合の後からはずっと、そう心がけていたのだから。


「で、この場面だ。ふたりとも、この人物に目を留めて……立ち止まりかけながら、一緒に振り返ってる」


 透は映像を一時停止し、画面を指差した。指の先には、淡いグレーのフード付きトレーナーに黒いリュックサック姿の男性が映っている。



「な? ふたりとも同じ人物に着目してるんだよ。でもその直後、何事もなかったようにまた歩き出してる」

「ちょっと待って。今のところ、もう一度再生して」


 実智が身を乗り出し、パソコンのキーボードに顎先がくっつきそうなほど近づく。


「ここ! 振り向いた直後から数秒間、周囲に全く目を向けずに歩いてるの。さっきまでは、あんなに見回してたのに」

「……ホントだ。しかもなんか、歩き方が空ろな感じに見えるね。みっちゃん、ハルくん。どしたの?」


 道行とハルは目を見交わし、不安げに首を振った。


「……やっぱ憶えてねえ」

「僕も、何にも憶えてない。この人を見た記憶も」



 透がパソコンを操作し、別の映像を呼び出した。


「今度はこっちだ。ハルがドラッグストアから出てきた時の映像。残念ながら店内の映像は無いんだが……ほら、ドアから出て来て……」


 画面には、ドアから出て数歩のところで立ち止まったハルの姿が映っている。そのまま数秒間、無表情のまま立ち尽くし、またおもむろに歩き出して画面から消えて行った。



「こえええええええ! なんだよ俺、あのフリーズ状態! 意味わかんねえ!憶えてねえし」


 珍しく動揺を見せ、拳を齧りつつも画面から目を離せずにいるハルが、再びフリーズした。


「出てきた。こいつ……」


 全員が、同じ人物を凝視していた。前髪で目元を隠すように俯き、背を丸めて生気なく歩くリュック男。



「他にもまだ、映像があるかもしれない。でも今のところ、有力なのはこれだけだ。データ不足なのは否めないが……この男とすれ違った後の数秒間。ここで、俺らの中に何かが起きている可能性がある」


「俺ら、ってことは、映像証拠には無いけれど、私たちもそうなってるかもしれないってことね?」


 道行が飛び起きるように立ち上がった。

「何してくれてんだよ! 僕の頭、僕らの記憶、時間! どうなってんの?」


「ねえ、それって……あたしたちの記憶、とかが……盗まれてるって、こと?」


 心底怯えた様子の花奈が、腕を交差させて胸を抱え込んだ。

 それを受けて、実智がゆらりと立ち上がった。険しい眉の下、目には鋭い光が瞬いている。


「私もそう思う。信じがたいことだけど、もしこの仮定が合っているとしたら、奴は物品だけじゃない、私たちの一部をも掠め取ってるってことになる。でもさ、透。一つ、わからないことがあるの」


 透は黙って頷き、続けるよう促した。


「花奈よ。花奈は前に、この人のことを認識してたのよね?」

「そう。金曜の路上ライブの時だ。その時の録画を見て、『道行の歌を聴いて泣いてた人』と言ってたんだ……どうして花奈の記憶だけが、消えずに残っているのか」


 もの問いたげな視線が花奈に集まり、花奈が道行の肘のあたりをぎゅっと掴んだ。道行はすかさず、その手を握り締めた。


「え、わかんない……あたし、ただ普通に、憶えてて……みっちゃんの歌、聴いて……」




 無理もない事だが、花奈が混乱して怯えてしまったので、みな大慌てで口々に花奈を慰め謝り落ち着かせ、その場は解散となった。どのみちまだ何も、本当に何も、わかってはいないのだ。



 そんな流れからの、ライブ開催決定。あのふたりのどちらか、もしくは両方が、きっと何か思いついたのだろう。


……よくわかんないしダメ元とは言ってたけど、透くんとみのりちゃんの立てた計画だったらやってみる価値はある。僕らの記憶の一部が消えちゃってる理由も、花奈だけが犯人を憶えていた謎も、犯人を捕まえればわかるかもしれない。ダメ元の計画だとしても、出来ることを出来る限りやるんだ。心無い窃盗の被害に胸を痛めている、商店街の店主や住民達のためにも。


 曲が終わってからの数秒、道行は改めて決意を心に刻み、次の曲に備えた。






 ☆☆☆☆☆



 杉原眼鏡店に客がいないことを確認して、道行はガラスのドアを押し開けた。


「透くん、配達終わったよ。ビラ貼るやつ、まだある?」

 

 パソコン画面から顔を上げた透が、ゆるく首をふる。


「いや、両隣駅周辺と、めぼしいところには全部貼ってきたから。そっちは?」

「うん。取引先には告知したし、SNSにも上げといた」


 よし、と頷く透に飛びつかんばかりに、道行はガラスケースのカウンターに手をついてピョンピョンと小刻みにジャンプする。


「ライブの件は僕とハルくんに任せて。他にやることは? なんかない? 指令! 次のミッション! ねえねえ、どんな作戦なの? 作戦名決めた?」


「落ち着け道行、仔犬か。カウンターから手を離せ。さっき磨いたばっかなのに、指紋が付くだろ。あっ、袖で拭くなよ全く。これ高かったのに、傷が入るだろうが」


 ガラス拭き用のクロスを放られ、道行は下唇を突き出しながらもカウンターを磨き始めた。その様子に納得したのか、透が作戦の全容を語り始めた。




 ☆☆☆☆☆




「ねえそれ、花奈が危なくない? それにみのりちゃんだって、一応女子だよ? 大丈夫かな」


 道行の尤もな危惧に、透が思案顔で頷く。渋い表情のまま、骨ばった指で顎を撫でた。


「花奈は大丈夫。すぐに離脱させる。心配なのはむしろ実智の方なんだが……本人が『自分の方が適任だ』って聞かなくてさ」



 犯人を誘導するためには、確実に行く手を塞ぐ必要がある。そうすれば、少なくとも犯人の逃走する方向は予測しやすくなる。人手が足りない以上、相手の行動範囲はできる限り狭めておきたいのだ。


「私と透、どっちが威圧感ある? もし相手を突き飛ばして逃げるとしても、相手が男なら躊躇もしないだろうけど、女相手なら手を出さず反対方向に逃げる可能性が高いと思う。もしこっちに向かって来たとしても、私なら身を躱せるもの」


 透が語った実智の言い分に、道行は結局頷いた。映像からは武器を携帯している様には見えなかったし、犯人の逃げ道に立ちはだかるには、たしかに運動神経の良い実智の方が適任だと思える。それに、相手が女性とあれば、逃げた後油断してくれる可能性もある。



「その後は、お前とハルにかかってくる。俺がバックアップするから、追跡頼むぞ」

「わかった! ライブの方は寺尾君とメンバー呼んであるから、バッチリだから」


 道行はウズウズして、再び小刻みなジャンプを始めた。(ただし、今度はカウンターには手を触れなかった)

 高揚感が膨らんで、じっとしていられない……だってだって、GPSとか超かっこいいじゃん!!! スパイものの映画みたいじゃん!



「道行、眼鏡落としたら弁償な」


 即座にジャンプを止めた道行は、直立不動で敬礼の姿勢を取った。


「ハイ、司令官! わたくしこれより、食育教室のついでに花奈と打ち合わせの後、ハルくんにSNS講習をしつつ作戦を煮詰めるであります!」

「おう、頼んだ」


「あ、ねえねえ。透くんも合流しようよ」

「悪い。今日は店終わったら、編集と打ち合わせなんだ」


「そっか。じゃあ、アマネさんによろしく! 会ったことないけど」

 キビキビと身を翻し、道行はガラスのドアを引いた。


「僕、作戦名考えるから! 思いついたらメールするねー!」


 言い残すと、振り向きもせずに走り出す。途中、高柳鮮魚店でスピードを緩め、店先のハルに「ハルくん、後でね!」と手を振り、道行は人ごみを縫って自分の店を目指した。今日は忙しくなりそうだ。






 ☆☆☆☆☆





 失恋のショックから一転、早くも活路を見出していたハルからの要請で、道行はSNS個人講習を行っていた。それぞれのサービスの違い、利点欠点、利用者層などをかいつまんで説明する。


 「部分的な記憶の欠損」という答えの出ない疑問はひとまず置いておいて、差し当り手をつけられる問題から片付けていく。この切り替えの早さは誠にハルらしい、と道行は心の中で感心していた。



「……となると、仕事で使う分にはこっちの方が良いワケだな?」

「そう思うよ。獣医さんだったらリアルタイムで呟くとか、あんまり意味無いと思うし。あと、ブログやホームページ、いろんなSNSとも連動できるんだよ」


 顔をしかめて黙り込んだハルを見て、道行は慌てて言葉を継ぐ。


「あ。連動とかはほら、将来的にさ、色々作った場合の話ね。慣れないうちにあれこれ手を出すと、面倒だから。とりあえずはこれだけを始めるのがいいと思う」


 なんと、ハルの想い人であるアサミさんはインターネット関連に著しく疎かったために、ハルの投稿を見ても、あの独特の寒さがわからなかったらしい。それどころかむしろ、「仕事に使えるかも」と興味を持ったというのだ。そのチャンスに、即座に飛びつこうというわけだ。

 今まで「リプだのフォロー云々だのめんどい」と、気まぐれに呟きっぱなしで放置していた某SNSサービスについて遅まきながら勉強し、なおかつ様々な情報も仕入れて彼女に披露し、協力するという態でお近づきに……という算段なのだ。



「それにしてもさ、ハルくんらしいよ。あれで凹まないで、逆転に持ち込もうとか」

「転んでも、ただでは起きない。それがモテる男。いろいろ詳しいとこ見せてさ、年下なのに頼れる! ってアピールするチャンスだからな。大体年上の女性ってのは、年齢差への壁が高いんだよ。遠慮とか敬遠、将来の不安とかさ。そこをいかに切り崩すかが……」


 ハルは滔々と「年上女性攻略法」を語っているが、話の内容は道行の耳を右から左へと流れていった。

 この手の演説は今までに何度も聞いている。最後には、” 人が精神的に自立するには経済的自立が不可欠で、経済的に自立するには経験値が必要。ある程度の経験値を得るためには、相応に時間がかかるのは必然。よって、交際する女性は少なくとも28歳以降、出来れば35歳以上であることが望ましいのだ ” と言う主張に帰着するのだが、道行には「なんだかんだ言ってるけど、単にハルくんの好みなだけじゃん」としか思えない。


……だってハルくん、高校生ぐらいの時からそれ言ってるじゃん。自分は未成年で自立してないくせに相手は自立した人がいいとか、主張と矛盾してたもん。昔っから今まで一貫して、仕事の出来る年上女性が好みなだけなのに、なんでこんな熱弁するんだろ。ハルくんて、たまに変なスイッチ入るよなあ。


 でもまあ、ハルがここまで饒舌な時はすこぶる機嫌がいいことは確かだし、落ち込んだままでいるよりずっと良い。何より、ハルにも幸せになって欲しいのだ。

 道行はいつものように、ニコニコしながらハルの演説に頷いた。頭の中は例の作戦の命名でいっぱいで、ほとんど聞いていなかったけれども。



 SNS講習はまだまだ序盤だ。道のりは長いけど、アサミさんに教えてあげられるようになるまで、頑張れハルくん……


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