吾妻くん、大好きです

由友ひろ

第1話 出会いは雪の中でした

 今年も雪が降った二月上旬、私は単語帳片手に試験会場へ向かっていた。

 今さら新たに英単語覚えたって意味がないことくらいわかってる。でも、最後の足掻きじゃないけど、一文字でも頭にいれておけば、一点加点できるかもしれないじゃない? その一点が合否をわけるかもしれないし、できれば現役で合格したいもの。


 都会では珍しく積雪十センチを記録した一週間前の大雪。晴れることなく底冷えのする日が続き、今朝からまた雪になった。電車は除雪してあったから動いていたけれど、帰り道はどうなるかわからない。でも、試験さえ終わってくれれば、後は野となれ山となれだ。


 受験料も馬鹿にならないから、三大学に絞って受験申し込みをした。一つは、憧れのW大学。これは受かる見込みは三割(ほぼ無理💧)、両親が出会った大学で、小さい時からW大に行くんだって思ってた。でも、W大の両親の遺伝子を貰った筈の私の学力は、ちょっとかなり……かすることも難しいくらい○○○○○《おばかさん》で、だから残念ながら気分だけ味わう為の記念受験。三日前に無事終了しました。

 で、今日は大本命のH大学。

 A判定ではないけど、ギリギリ合格狙えそうな大学なの。だから、無茶苦茶必死に今さら英単語めくってる訳です。

 ちなみに、明日は滑り止めのK女子大。これは田舎(新幹線二時間プラスバス一時間の山の中)だから、できれば行きたくない。女子大だしね。


 そんな訳で、一心不乱に単語帳をめくっていた自分がバカだった。

 一週間前の雪はほぼ氷となりアスファルトに点在し、その上に新たに降った雪がそれを隠してしまっていた。それに気付かず足元も確かめずに踏み出した一歩はツルリと滑り、しかも運悪くもう一歩踏み出した先にも氷が……。


「ワッ……! 」


 見事に転びました。

 コートとズボンは泥だらけの雪のせいでグジョグジョ。とっさに右手をついたせいで、手首が尋常じゃないくらいズキンズキンしている。立ち上がろうとしたら、左足にも激痛が走った。どうやら、右手左足を捻挫してしまったらしい。

 折れてはいないと思うけれど、あまりの痛さに涙が溢れてくる。

 沢山の受験生に追い越されながら、必死に歩こうとするが、それでなくても歩きにくい雪道で、ケンケンすら出来ずに、H大の校門が見えるところまで来て、とうとう立ち止まってしまい、立ってられずにしゃがみこむ。


「ウー……ッ、フグ……、ズズッ」


 痛みと、辿り着ける気がしない絶望で、ほぼ号泣状態だ。

 でも誰も手を差しのべてはくれない。皆、自分の受験のことで頭がいっぱいだからしょうがない。「どうしたの? 」なんて声をかけてすがられちゃった日には、受験に間に合わなくなるかもしれないからだ。


 あと十分で試験開始時間となった時、いきなり視界に影がさした。


「どうした? 」


 低音の穏やかな声が頭上から降ってきた。

 驚いて顔を上げると、そこには大きな山が……違った、人だ。男の人が腰をかがめて私を覗き込んでいた。


 しゃがんでいるせいもあるんだろうけれど、私が145センチしかないせいか、目の前の男の人は見上げるのに首が痛くなるくらいバカデカイ。180……ううん、190センチはあるかもしれない。

 しかも体格も良い。デブとかじゃなくてガッシリしている。格闘技とかしているんじゃないかってくらい首とか腕とか筋肉質で太い。横を刈り上げたツンツンしたベリーショートは、ザ・硬派って感じがした。

 顔は強面? 切れ長の一重が 睨んでいるようで怖い。

 年齢はわからないけれど……受験票手に持っているから同じ受験生みたいだ。


「具合悪いのか? 」


 見た目は怖いのに、その声質があまりに穏やかで優しくて、涙がさらに激しく溢れてしまう。


「ヒッ……、ズズッ、ウー……、ズズズッ。こ……転んでしまっ……て、あ……しと……手が。エグッ……ヒック」

「あぁ、足首腫れてるな。手もか。痛かったな。頑張った、偉いぞ。お母さんは? 」

「は……母は……仕事……ヒック」


 大学受験にさすがに母親連れではこない。この雪で送って行こうかとは言われて、仕事休ませるのも悪いしと断ったけど、送ってもらえば良かった。


「そっか……。この辺に病院あるかな? 俺、この辺りは初めてきたからわからなくて。歩けるか? 無理そうだな。お兄ちゃんがおぶって病院連れてってやるから、もう泣くな」


 病院?!

 お兄ちゃん?!


 受験だから病院になんか行ってられないし、お兄ちゃんってこの人何浪しているの?


「受験……だから。大学に行かないと」

「受験? 大学? えっ? 」

「あなたも……受験……生ですよね? 私にかまわず行っちゃってください。遅刻……しちゃう」

「君受験生? 」


 私は涙を袖で拭って頷いた。キョトンとした彼の表情に、またかと理解する。

 145センチの身長、童顔も過ぎる顔。これでまだボン・キュッ・ボンのナイスボディーだったらそれなりに見られたのかもしれないけど、残念なことにスーパースレンダーボディー。

 せめて! と、ユルフワパーマをあて、髪色を茶色くしてみたものの、元の色素が薄いのもあり、ただの天パーの色素薄め小学生にしか見えない。

 お化粧よりもランドセルが似合いますけど何か?!


「高三、十八才、あと二ヶ月で十九になります! 小学生じゃありません! 」


 受験票を取り出して見せると、背の高い男性はまじまじと写真と私の顔を確認した後、さりげなく視線を泳がした。


「小学生なんて……そんな、思ってないし。受験生なら急がないと。でも病院……」

「受験したいんです」

「だよな。よし、わかった! 」


 背の高い男性は私に向かって背を向けてしゃがむ。


「ほら、のって。保健室、連れて行くから。具合悪い人は保健室受験もできるんじゃないかな」

「でも……あなたも受験じゃ? 」

「大丈夫。遅刻も二十分くらいまでならいいらしいし」


 いくら大学側が遅刻を認めても、問題を解く時間がなくなるんじゃない?


「ほら、早く。それとも抱っこがいい? 」

「おんぶで! 」


 知らない男の人におぶさるのは抵抗があるが、抱っこよりは絶対におんぶがいいに決まっている。私はバフッと大きな背中におぶさった。私の傘は閉じて右腕に引っかけ、背の高い男性の傘に一緒に入る。


「しっかりつかまって。洋服握りこんで大丈夫だから。ついでに傘も押さえてて」

「はい」


 早足ながら安定感のある歩き方、一歩一歩が大きいから、グングンと進んでいく。右手が痛くてしっかり捕まれないから、申し訳ないけど、左手をしっかり首から前に回させてもらって、傘を押さえつつ言われたようにがっちり洋服をつかんでしがみつく。

 背中が広いから、足を大きく開かないといけないのは恥ずかしいけれど、ズボンだしコートは膝丈だから色々隠してくれているだろう。そんなことを考えていた時に、自分の洋服が泥だらけだったことを思い出した。


「あ……私汚い。転んで、雪が、泥だらけ」

「大丈夫、俺、この服着て何回もスッ転んでるから。元から汚ないし。ってかごめん、そんな服着てんのにおんぶするとか言って」

「ううん。凄く助かりました。ありがとう。一人だと動けなかったから。都会で遭難するかと思ったし」

「アハハ、遭難か。確かに、こんなにつもるの久しぶりだもんな」


 あんなに遠く感じた大学の門はすぐで、入り口の所にいた職員に保健室の場所を聞いて保健室まで運んでくれた。


「あの! ありがとうございました」


 保健室の椅子に下ろされて、私は身体を折るようにして頭を下げた。


「どういたしまして。じゃ、お互いに試験頑張ろうな」


 爽やかな笑顔……ではなかったけれど、強面の顔で多分微笑んでくれたんだと思う。顔怖かったけど、口調は凄く優しかったから。


 それから私は右手左足に湿布をはってもらい、テーピングでグルグルに固定され、試験会場へ向かった。


 この後、親切なあの男性の名前も聞いてなかったと猛烈に後悔したのと、当たり前だけれど三十分遅刻して開始した試験は「桜散る」結果になったのだった。





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