多分、ラブコメ

マグロ

001

 不知火しらぬいあいは、入学して一週間が過ぎる頃にはすでに「高嶺の花」なんていう敬称で真しやかに囁かれるほどに、孤高の存在としてクラスメイトから、或あるいは、学年から認識されていた。まるで彼女だけ別の世界にいるかのように、休み時間はおろか授業中もただ虚空を見つめているばかりで、口数もかなり少ない。隣の席の僕も50音全ての発音を彼女の口から聞いたか定かではないほどに。


 気後れしてしまうほどに、端正な目鼻立ち―例えるならば藤の花だろう―によるところも大きいのだろうが、それよりも彼女の腰まで流れる眩いばかりの銀髪の神々しさがほとんど彼女の印象を占めていた。そのおかげといってか、彼女は本を読んだり、外を眺めるということをせずとも、他人に近寄れない目には見えずともはっきりわかる壁をつくりだしていた。


 決して日本人離れした顔ではない。むしろ彼女の顔は日本人顔と呼べるものだ。そうでなければ藤の花なんて形容するはずがない。

 日本人顔に、日本人離れした銀髪。普通なら違和感を感じえないところではあるが、しかし、不思議と違和感はなかった。まるでそうあるのが当たり前であるかのように、彼女の髪は馴染んでいた。ゆゆしき美しさはこのことかと手を打ったほどだ。


 そんな、近寄りがたい彼女ではあるが、何も会話ができないという訳ではない。日常会話は普通にできるし、コミュニケーション能力は最低限備わっていた―あくまで人間社会で生きてけるだけの必要最低限でという意味だが。

 まるで誰とでも一定の距離を保たなければならないかのように、徹底されていて、友情を感じさせるギリギリのところを彼女は維持している。夢見がちな高校一年生であっても『僕のことを好きなのかも』と言った幻想を抱かせない程度に。

 例え消しゴムを拾おうが笑顔を見せず、プリントを配る時であろうが目を合わせず、隣の席になろうとも彼女の笑顔を見ることは叶わないと言った具合だ。


 そして、意図せずしてか、彼女は美少女にありがちな告白イベントの発生フラグをこれでもかとへし折り、回避していた。流石に、噂だけを嗅ぎつけてやってくるような輩を追い払っている原理は理解できなかったが、彼女の立ち回りはこの僕も感心するところがあった。


 とは言え、勿論見習うことはできない。25字以内で会話を終わらせるなど彼女以外にはいるはずもないだろう。理路整然の権化であるAIですら無理だ。いや、AIの方がむしろ不可能だろうか。コンピュータの世界は二進数らしいし。


 話を戻そう。


 そんな容姿行動共に人間離れしている彼女ではあるが、人間らしい欠点は確かに存在した。いや、正しく欠点とはなり得ないのだろうが、それでも目を引くのは事実だ。それは一回きりのことではない。ほとんど毎日のように、一日中ずっと起こることなのだから。


 彼女の書く文字はかなり薄かった。提出物を返される時に先生から注意されるほどには。一度であれば気にしないのだが、それが毎回となれば嫌でも目に付く。先生も注意するのを諦めるほどに、彼女が書く文字はいつでも薄かった。隣の席の僕が見たところ、彼女の使うシャープペンシルの芯は4Bだし、薄く書くのが難しいと言った濃さなのだが、それでも彼女が書く文字はいつも薄かった。


 それが逆に彼女の儚げだという印象を強めたのは流石だろう。普通の人間であればメリットに捉えられるはずがない。そうなるとそれは欠点ではなくむしろ長所なのだろうか。前言撤回。


 彼女は、あらゆる人間とねじれの位置に存在していて、彼女と仲良くなりたいと思ったところでどだいそれは無理な話で、ただ相手にされないという現実を突きつけられるだけ。そんな幻想を抱くことがそもそも間違いである。


 クラスメイトであれば男女関係なく思っていたこと。僕も例外なくそう思っていた。



 その時までは。



 それは五月に入り勉強も本格化し始めた頃、初めて理科室で授業があった時だ。目の前から足を滑らせた不知火愛その人が降ってきたのだ。彼女の下着パンツを見られるかもしれないという馬鹿げた妄想を抱いた僕に天罰が下ったのかもしれない。


 その場には僕と彼女以外に誰も居なかった。僕が避ければ彼女は後頭部を直撃し、何らかの怪我を負うに違いない。そんな状況では僕に避けることなどできるはずもできなかった。


 まるで唐突に告げられるラブストーリーの始まりかのように、上から落ちてきた不知火愛を、両手で受け止めた僕だったが、しかしそこにロマンスといった耽美なものは微塵も感じられなかった。

 お姫様抱っこするわけでもなく、ただ彼女の背を支えただけなのにロマンスを感じろという方が無理な話だ。

 組体操でやるサボテンの亜種のような格好をした男女に色恋沙汰を持ち込む阿呆はどこを探してもいるまい。


 条件反射のように手を伸ばした僕だったが、されども、その判断が正しかったのかどうかは分からない。腕を犠牲にしてまでするべきことでもなかったかも知れない。普通に彼女は体を捻らせて怪我をしなかったかも知れないし、僕がその機会を奪ったならば、むしろお節介だったのかも知れない。


 しかし、僕はその行いが正しかったと信じたい。僕にも善性があるのだと信じても良いだろう。


 例え彼女を受け止めた僕の両の手が白を通り越して透明になろうとも、人ひとりを救ったことには違いないのだから。ミイラ取りがミイラになったなんて野暮なことは言わないでほしい。


 さて、透明人間になったと聞けば、同年代の男子は皆羨ましがるんじゃなかろうか。血涙を流す奴もいるかもしれない。


 だが、それは体全体が透明になったらの話だし、何よりもとの姿になれることを前提とした話だ。

 つまるところ、僕の両手は学校中はおろか家に帰ってもその色を取り戻すことはなかった。

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