第6話 6日目

 子どものような体格。緑色の肌。頭頂部には皿があり、いつも体は湿っている。

 日本で一番有名と言っても過言ではない妖怪。

 水辺を通りかかった人間を襲い、尻子玉を抜いて殺すと言われる凶悪な存在。

「河童狩りじゃぁああああああああああああああああああああ!」

 そんな河童がいま、無残にも狩られようとしていた。


**

「ギリシャ文字ってどうしてあんなに格好いいんだろうね」

 岩崎くんが読んでいる小説のタイトルを見て、ぼくはふとそんなことを思った。タイトルにギリシャ文字を入れるセンスがすごいよ。

φ、θ、τ。他にもΣやΩなどスタイリッシュで格好いい文字たくさんある。そもそも「α、β、γ」の時点で「あ、い、う」や「a、b、c」とは一線を画すセンスだ。

重要なのは、その形と読みの両方が格好いいこと。まるで中学生が考えたオリジナル文字のような形状に、それ単体で呪文詠唱に使えそうなほどの音声。この二つを併せ持ったギリシャ文字は、少年なら一度は必ず憧れて、ノートに書き写したことがあるよね。

岩崎くんも頷いて、「ギリシャ文字を扱うために理系に来たみたいなところもあるからな」と嘯いた。それは嘘よ。

「あ、ただな。ギリシャ文字にも目立っていないだけでヤバいのはあるんだぜ」

「え、そうなの? ぼくはミューとかイプシロンにも格好良さを覚える側の人間だからよっぽどじゃないとヤバいと思えないけど」

「アルファベットのKってあるだろ? Xの次に格好いいと俺の中で話題の」

 Xの次に格好いいかどうかは置いておいて、確かにKは相当格好いい部類のアルファベットだ。ホーリーナイト。石を投げつけたくなる。

「ギリシャ文字は知っての通り基本アルファベットに対応しているよな。Aに対してα、Bに対してβ。それなら、Kに相当するギリシャ文字は相当格好いいはずだ、そう思うだろう?」

 ぼくはうん、うんと首を激しく縦に振る。きっと『カーク』だとか『キース』だとかそういう格好いい読みが付くはずだ。『キース』は微妙かな。なんか袖に切り札隠していそうだし。

 しかし岩崎くんが告げたのは無情な真実だった。

「カッパ」

「ん?」

「Kに相当するギリシャ文字の読みは、カッパなんだ」

 カッパ?

 かっぱ……カッパ……。うそでしょ? ああ、嘘か、と思って岩崎くんに「冗談キツイなあ」と言ったらずい、とスマホの画面を見せつけられた。

 本当にカッパだった。

 クソダサじゃん。

 頭の中でレインコートを着た緑色の妖怪が踊り始める。その横を新幹線が通過していく。

「だから俺は、ギリシャ文字って聞いて思考停止でかっこいいと思い込むのは危険だと思う。お前もこれから先、言葉の持つイメージだけで何かを判断しそうになったらカッパのことを思い出すんだぞ」

 岩崎くんが、そんなためになるのかならないのか微妙なところのアドバイスをした瞬間、勢いよく部室の扉が開いて、知らない男二人が入ってきた。

「いま、河童の話をしていたか!」

「ええ、カッパの話はしていましたけど……」

 ここ、民間伝承研究会はある種の悩み相談所のような役割を担っているため、部室はいつでもオープンだ。こんな風に部外者が押しかけてくることは日常茶飯事だったので、いつものように対応する。

「ってことは既に河童の噂を聞いているんだな、話がはやい」

 カッパの噂? 今さらギリシャ文字が噂になるとも思えなかったのでぼくは岩崎くんの方をちらりと見た。

 彼は彼でカッパの噂を飲み込もうと努力しているようで、右手で頭を押さえながら「質問していいか」と言った。

「カッパって、もしかして河童か?」

「何言ってんだよ、河童は河童に決まっているだろう?」

 駄目だ、文字に起こさないと何言っているかわからない。現実にも字幕機能が欲しい。ARの発達よ、急げ。

 しかしすれ違いコントをやっている時間も勿体なかったのでゆっくりと意識統一をした。

 その結果ぼくたちは、とんでもない事件に巻き込まれることになる。


「裏の山の、さらに奥の奥に進んだところに河童がいるっていう噂があるんだ」

「河童って言うと、あの緑色の?」

「そうそう」

「口から卵を吐いて巨大化する?」

「いやそれじゃない。皮膚の色しかあってない。手足は再生しない」

「頭に皿が乗っている?」

「そうそう」

「鳥のようなクチバシをしていて、アメリカの三か所でしか化石が発見されていない?」

「そぉれは……パキケファロサウルスか?」

 よく対応したな、この人。

「尻子玉を抜くやつか」

「そうそう」

「尻子玉を抜くと言えば葦名にいる首のない侍だよね」

「SHADOWS DIE TWICEの中でも無名なボスだからなそれ」

 使い切りアイテムの“紙ふぶき”を使えたら倒せるんだけどもったいなくて倒せないやつね。ゲームで使い切りアイテムを“ここぞ”というタイミングで使える人をとても尊敬する。

「そんなわけで、河童がいるらしくてさ」

「ふむ。まあ、いてもおかしくはないだろうな。有名な妖怪だし、有名ということはそれなりの根拠があるということだ」

 岩崎くんが愉快そうに頷く。

 実際、ぼくたちの周りにはたくさんの妖怪が現れているので、河童だっていてもおかしくないだろう。

 それで、この人たちの相談というのは何なんだろう。身内が河童に襲い掛かられた、ならこんなサークルに来ている場合じゃないし……

「これはその噂を言っていた留学生の奴らから盗み聞きしたんだけどな。河童を見つけたら、莫大な謝礼がもらえる可能性が高いんだって」

 ば……莫大な謝礼?

 それよりも、河童を見つけたら、だって?

 いやな予感がした僕は、ゆっくりと岩崎くんの顔を見る。

 彼の顔は、食べられる草を見つけた小学生のように、キラキラと輝いていた。

「一緒に、河童を見つけにいかないか?」

「河童狩りじゃぁああああああああああああああああああああ!」

 こうしてぼくたちは、河童を狩りに出かけることとなった。


「玲さん」

 河童狩りの前日、少しだけ不安になった僕は、怪異関連のスペシャリストである玲さんに相談をした。

「こういうわけで、明日河童をハンティングしに行くらしいんですけど、大丈夫ですかね……」

 すると玲さんは笑って「大丈夫だと思うよー」と言う。

「それにしても、河童を見つけたら莫大な謝礼が出るねぇ。一体だれが謝礼を出すんだろうね。というより誰がそんな噂流したんだろうね」

「さあ。相談に来た人たちは、大学の留学生たちが話しているのを聞いたって言っていたので、何かそういう裏ルートがあるんじゃないでしょうか」

 ぼくが真面目な顔でそういうと、玲さんはゲラゲラ笑い始めた。

 裏ルート、そんな笑うほどかなあ。

「いやいや、ごめんごめん。まあ、安心していいと思うよ。お姉さんが保証する」

 玲さんはぼくの頭を撫でて、そう微笑んだ。

 なら安心だ。


 狩り当日。

 ぼくたち四人は、獣狩りの夜に相応しい格好ということで動きやすい服装に両手が空くようなリュック、そこに色々な便利グッズを詰めて集まった。お互いの服装を見て思わず顔を見合わせる。

「……」

「……」

「……」

「……」

「「「「なんで全員kappaのジャージを着てるんだよ!」」」」

 当然みんなのリュックサックの中にはレインコート(kappa)も入っていた。

 そんなわけでぼくたちは森の奥へと進んでいく。

 大学生にもなると森の奥を徘徊する機会も少なくなってくるので、ぼくたちは少しだけワクワクしている。手ごろな長い木の棒を拾って「エクスカリバー」と名付ける恒例行事ももちろん行った。ぼくはじゃんけんで負けたので「エッケザックス」という名前を付けるハメになった。いや、誰の聖剣だよ。

 森の奥はじめじめとしていて、怪しげな雰囲気が漂っている。

 時刻は昼過ぎのはずなのに、どこか薄暗い。

 背後でガサガサ、と音がするたびにぼくはビビッて体をくねらせた。

「……このあたりか」

 岩崎くんが指差す先には川が流れていた。綺麗な水だ。そして深い。ぼくたちは奥まで見渡すために、昼だというのに懐中電灯をつけた。

「確かに河童が出てくるにはおあつらえ向きの雰囲気だね」

 ぼくは聖剣エッケザックスを捨て、リュックからきゅうりを二本取り出す。それぞれ「干将」「莫邪」と名付けた。

「河童はきゅうりと相撲が好きっていうイメージだよね」

「河童は水神様の零落した姿だっていう説があって、きゅうりはそれに捧げる初物の野菜の役割を果たすらしい。相撲は知らんな」

「相撲で負けた子供は尻子玉を抜かれるとも言いますよね」

 尻子玉を抜かれると死んでしまうはずなので、物騒な妖怪だった。

 ところで尻子玉って何さ。

「尻子玉って言うのは……そうだな、肛門にある架空の臓器で」

 そんなぼくの疑問が顔に出ていたのか、前を歩く相談者の一人が言葉を選びながら尻子玉の説明をしてくれる。

 溺死者の肛門括約筋が緩くなっている様子から、河童によって尻にある何かを抜かれたんじゃないかという話に繋がったらしい。

 へー。

 理解不能なために怪談話として伝わっていたものが、科学によって解明されていく様子は痛快で少しだけ寂しい。

 河童もゆくゆくは科学の前に丸裸にされてしまうんだろうか。

 いや、あいつら既に裸みたいなものだけどさ。

 そこで岩崎くんが、ぴたりと足を止めた。

「どうしたの?」

「……なんか、匂わないか?」

 ぼくたちは足を止めてあたりの匂いを嗅ぐ。

 河童は生臭いらしいので、そういう匂いを期待したけれど、鼻に流れ込んできたのは全然別の匂いだった。

 そして、生臭い匂いの方がよっぽどいいと思える匂いだった。


「……血の匂い?」


 鼻血を出したときの。鉄棒をやった後の手のひらを嗅いだときの。あの匂いが鼻を突き刺した。

「オイオイ、それはさすがに聞いてないぜ」

 珍しく岩崎くんも不安そうな顔になっている。

 河童がいるにしろいないにしろ、このあたりで何かの事件が起きた可能性があるということだ。

 もしかするとすぐ近くに、人間の死体が転がっているのかもしれない。そんな不吉な妄想を頭から振り払う。

 動物の血だよ。きっと。

 それでもゾッとするけど、森の奥で動物が死んでいること自体は何も不思議じゃない。

 玲さんだって大丈夫だって言ってたわけだし、きっと何もないさ。

 ぼくは自分にそう言い聞かせる。

「……」

 ぼくたち四人は固まって、慎重に歩を進めた。

 血の匂いが濃くなっていく。

 ねえ、戻ろうよ。

 そう言おうとしたけれど、不思議と口に出せなかった。他の三人も同じかもしれない。

 ぼくたちは惹きつけられるかのように、森の奥へと足を運ぶ。

 薄明るい木漏れ日の光。微かに川に反射する太陽の光。

水が流れる音。鳥が囀る音。

 腐葉土の匂い。そして、血の匂い。


「ちょっと待て、あれはなんだ」

 不意に、岩崎くんが再び足を止める。

 頭の中に「テレレー テレレー」と某テレビ番組のBGMが流れ出す。今日は岩崎くんのことを「岩崎くん、」と呼ぼう。

「なんだ、河童か?」

 その問いかけに岩崎くん、は首を振って、岩壁の一点を指差した。

 ぼくたちはそこに懐中電灯の光を向ける。

 その瞬間、キラリ、と何かが光ったように見えた。

「……なに、これは」

 岩壁に近づいて、壁面を撫でる。指に冷たい感触が走る。

「これは……」

 その壁には、ところどころ、銅色に光る粒が埋まっていた。

「銅鉱石!」


 後日、岩崎くんをはじめとしたぼくたちに、莫大とは言わないものの多額の謝礼が支払われた。

それからしばらくして、ぼくはようやく玲さんがゲラゲラ笑っていた理由に行き着いた。

 多額の謝礼、留学生のコソコソ話、河童。

 こんなオチ、許されるの?


<『か』っぱー 発掘>

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