悪夢① side Kanata *

 出来る事なら、もう二度と会いたくないと心から願っていた。

 だって会ってしまえばきっと、気付いてしまう。


 自分を騙してまでしまい込んだ、本当の気持ちに。


 この感情が、現実に戻ろうとしている意識の邪魔をする。そんな悪夢の合間、携帯の着信音が鳴って誰かが応答するのが聴こえてきた。


「何だ? ……あぁ。だから先に帰ってろ。……いや、無理だ。……分かった、すぐに行く」


 恋の声だ。でも、何だろう? 僕の……知らない感じ。


 携帯を切る音と同時に、今度は聞き慣れ無い声が尋ねる。

「どうかしました?」

「クソ生意気な妹からだ。先に帰る」


 妹? 恋に妹なんていたかな……。


「あの、何やら凄い弱味を握っているって言う妹さんですか。それは早く行かないとある事ない事バラされかねませんね」

「……何でお前がそこまで知ってんだ」

 訝しげな口調の恋に、会話の相手は何処と無く楽しんでいる様子。

「私の情報網を見くびらないで頂きたいものです。でも、良いんですか? 目を覚ますのを待っていなくて」

「あぁ、どっちにしろ学園に居るんだ。逃げも隠れも出来ねぇだろ」


 ぼんやりとした中、耳に届いたやり取りが夢か現か判断出来ないまま、またしてもあの忌わしい夢路を辿る。




 ◆❖◇◇❖◆


 ───ギシッ……


 ベッドの軋む音に続いて聴こえてくるのは、知らない奴の喘ぎ声と恋の荒い息遣い。


『あ、レンっ。そこ……もっと! んあっあっは、あっや、ぁ!』

『ねだるんなら、自分で腰動かせよッ、ほら』


 この行為と出会でくわしてしまった時、僕は見慣れたドアの前でただただ立ち竦むしか無かった。

 だって耳を塞ぎたくても身体が言うことを聞いてくれない。

 突っ立ったままうつ向いて、涙が瞳から溢れ出し床に落ちる。それと同時に、僕の心も暗く深い闇の底に堕ちる。


 ねぇ、恋。

 僕は何回この感覚を味わえば良い? 何度この闇に堕ちれば良い?

 なぁ……答えてよ。


 早く答えろよっ!


『やぁン! ハっあぁぁ───!』




 返ってくるのはいつも、望んじゃいない誰かの喘ぐ声。




 ◆❖◇◇❖◆


 ようやく悪夢から開放されると、ベッドに横たわり大量の冷や汗をかいていた。

「カナちゃん! 良かった目ぇ覚めたぁ!」

 ベッドの縁から乗り上げた格好の聿流が安堵の叫びを上げる。


 あぁ僕、気を失ったんだ……格好悪。ココは……生徒会室の、奥の部屋か。


「大丈夫? もう大丈夫?」

 不安げな面持ちで尋ねてくる聿流を落ち着かせようと笑顔で答える。

「うん、大丈夫だよ。ごめん驚かせて」

 返事を聞いて安堵する聿流の隣から、今度は雪が僕を顔を覗き込んできた。先程とは、立ち位置が逆になってしまっている。

「まだ……顔色悪いよ?」

 絞り出すような小さな声で言いながら僕の額に手を伸ばす雪。その手のほのかな温もりが心地よい。

「ありがとう。もう平気だよ。手、暖かくて気持ち良いなー」

 目を瞑りもうちょっと心地良さに浸ろうとしたら額から手が離れてしまい、次の瞬間身体が重くなる。反射的に開いた目に入ってきたのは、聿流を押し退ける形で僕に抱きついている雪という構図だった。

「んだよ雪! 人見知りのクセに!」

 居場所を取られた聿流が拗ねたように嘆く。

「ごめんね雪くん、心配かけちゃって」

 身体を起こしながら語りかけると、こちらを見上げた雪はフルフルと首を横に振った。

 そこへ、会話の区切りを見極めた白衣の人物が割って入る。

「はいはい、君達ちょっと失礼するよ〜」

 登場したのは昔馴染みの顔だった。

「あ、れ? 英兄ちゃん……?」

「久しぶりだな、愛大。4年振り? くらいか。ここ数年は全然実家に顔出してなかったからな」

「何? 知り合い?」

 驚く僕に聿流が問い掛ける。

「そう、小さい頃よく遊んでもらってて。英兄ちゃんの実家、僕ん家の近所なんだ。……え、って事は今、蘇芳学園の保健医なの?」

「さっすが愛大は理解が早くて助かるわ」

 感心する英兄ちゃんの後ろから聿流が付け加えた。

「矢尾っちはウチの名物保健医だよな」

「そうなのよ、だからこれから宜しくね。てかさ、その名物って何なんだよ。皆言ってっけど。褒めてんの? 貶してんの?」

 聿流が「名物は名物だろ〜」とはぐらかすので、納得してない表情をした英兄ちゃんだったが、素早く気を取り直す。僕の脈を取ったり顔色や全身のチェックして状態を口にした。

「極度のストレスと緊張が原因かな。まぁ蘇芳の新入生代表挨拶なんざやりゃあ、精神的に来るかもな? あとは、最近寝不足だったんじゃないか?」

 倒れた本当の理由は誰にも知られたくないので、肯定しておいた。

「うん、少しだけ」

 答える僕の顔を見た英兄ちゃんは、何となく勘づいてる気がしたけれど追及はして来ない。

「今日は早く寝て身体を休めるのが得策だろ」

「そうする。ありがと、英兄ちゃん。あ、ここじゃ先生か」

「良いよ、別にどっちでも。生徒達も皆好きなように呼んでるからな。じゃ、後は任せるぞ。あんま遅くならないように、落ち着き次第早く帰れよ」

「分かった〜、バイバイ英兄ちゃーん」

 任された聿流は、ふざけた様に英兄ちゃん呼びをして手を振り見送った。そして、サイドテーブルに置いていたジュースを手に取り差し出してくる。

「そ言えばこれ、さっき雪と買って来たんだ。汗も凄いし、うなされてたみたいだったからさ」

 受け取りつつ礼を言った。

「2人も、ありがとう」

 ペットボトルのキャップを開け一口飲み、カラカラに張り付いていた喉が潤ったタイミングで再び新たな人物が現れる。


「へぇ……凄いですね、キミ」


 突然の気配に視線を向けると、銀縁眼鏡の生徒が隣の部屋からこちらへと向かって来ていた。男に言うのも何だが、かなりの美人だ。

「あ、夕凪さん! お見送り終了したんスね」

「えぇ、ついさっき。それよりも、初めまして宮津くん。2年の奉日本夕凪タカモト ユウナと申します」

 真っ先に反応した聿流に対して、相手の方はと言えば随分と素っ気ない。だが、聿流本人は全く気にしていないようなので僕も普通に受け答える。

「あなたは確か、副会長の」

 入学式で見かけた顔だ、とすぐ様思い出した。

「覚えて頂けているなんて光栄です」

 彼がベッドサイドまで辿り着くと、眼鏡を押し上げながら手を差し出される。無下にする事も出来ず握り返した。

「こちらこそ、初めまして」

 握手を終えると夕凪という生徒は、僕から身体を離した雪の頭を撫でながら言った。

「それにしても本当に珍しいです。雪がこんなにすぐ誰かになつくなんて」

「やっぱ思いました? 夕凪さんも。会って間もない人に話しかけて、更には抱きつくなんてあり得なくない?」

 聿流の言葉に「まぁ雪はこう見えて勘が鋭いから」とだけ応え、また僕に話題を振る。

「気分は、だいぶ良いみたいですね?」

「あ、はい。すみません、奉日本さんにまでご迷惑をおかけしてしまって……。しかも勝手にお借りしてしまいました」

 ベッドから降りようとしたが、肩に手を置かれ制止される。

「下の名前で呼んで下さって構いませんよ、宮津くんでしたら。それに、会長はもう帰られたので、まだ休んでいて問題ありませんが?」

 笑顔なのに目が笑っていない。そんな彼の発言で、知らず知らずの内に周囲を気にしながら話していた自分に気付かされる。けれど言葉通り思い当たる人物の姿はない。すると、夕凪さんが僕にだけ聞こえるように耳打ちした。


「お探しなのは蘇芳恋……いや、君の知っている名前で言えば緒沢恋、かな?」


 反射的にビクリとしてしまい、持っているペットボトルの中身がチャポンと微かな音をたてた。

「大丈夫、彼なら本当にもう帰りましたから」

 僕達の事を知っているらしい彼に不信感を抱きながらも、先程からの会話から得た情報を再確認する。

「あの……その蘇芳恋が、学園ここの生徒会長なんですか?」

「えぇ。今日の生徒会長挨拶だって本来は、彼が行う予定だったのですけれどね。見事にすっぽかして下さったんで私は急遽、代打で」

 その言葉に聿流が付け加える。

「ずぅ〜っと、挨拶なんざ面倒臭ぇ! て吠えてたからそんな気はしてた」

 今度は聿流に対して「そうでしたね」と相槌を打つ夕凪さんを見て思った事を心の中で呟いたはずが、無意識に口から漏れ出てしまう。

「あなたの方が会長に相応しい気がする……」

 彼等が会長と呼んでいる人間は、僕の知る限りそういう立場が嫌いだ。だから、頭も良さそうで隙のない夕凪さんが生徒会長だと言われた方が余程しっくりくる。まぁ、考えが読み取れない部分は少し恐ろしいけど、そういった役職には必要な能力かもしれない。

「あ、すみません。何か心の声が」

 謝る僕に夕凪さんは微笑みかける。

「本当ですか? 嬉しいですね。けれど、残念ながら私はあの方のように色々な才能を持ち合わせていませんから。ねぇ、聿流?」

 急に振られた聿流だったが大きく頷いた。

「ホントいろんな事出来過ぎて怖いわ。てかさっきから思ってたんだけど、カナちゃんって恋さんとも知り合いなの?」

「それは……」

 戸惑った僕を庇うかのように夕凪さんが口を挟む。

「いずれにせよ、直ぐに分かりますよ。ね?」

 また気分が悪くなった僕を悟ったのか雪が背中をさすってくれる。そんな彼の頭を撫でた後、ベッドを降りた。

「やっぱり失礼します。家に帰って休むことにするんで。本当にありがとうござい───」

 頭を下げようとした瞬間、不意に夕凪さんの指が僕の顎を掴む。

「あの人が、気に入りそうな顔だな……。帰りますか? うん、その方が良いでしょうね。家まで送りますよ」

 気になるセリフが鼓膜に響いたが、顎にあった手が肩の方へ動き引き寄せられたせいで頭からその言葉が瞬く間に吹き飛ぶ。

「!? だ、大丈夫です! 自分で帰れますからお気遣いなく!」

 身体を離そうと身を捩るが、体調が万全ではないからか抗える程の力が出なかった。

「遠慮しないで下さい。話したい事もありますし」


 反抗虚しく、不本意ながら高級車に乗せられ自宅へと送られる事となった。




 ◆❖◇◇❖◆


 車中では、話しがあると言っていたにも関わらず殆ど会話は無かった。


 が、どうしても引っ掛かる事柄だけは家に着く直前に一応質問してみる。

「あの……どうして苗字が変わっているのか、ご存じですか?」

 誰の、とは言わなかった為に聞き返された。

「ん? 恋さんの?」

「はい」

「まぁ、知ってはいるけれど……私から話すには荷が重過ぎますね」

 何となく教えては貰えないだろうとは思っていた。けれど聞かずにはいられない位、気になって仕方ない自分がいる。

「そうですか……あ、この角を曲がった所までで大丈夫です。色々とありがとうございました」

 僕の言葉で運転手さんは緩やかに車を停めてくれた。


 降車してもう一度頭を下げた後に、夕凪さんの口から放たれた不穏な言葉が脳裏に残ったまま登校初日を終えようとしている。



「近い内に生徒会室へ喚びます。その時は恋さんも居ると思いますし、先程の話も直接本人に聞くのが一番ですよ。あ、それから……彼から逃げようとしても無駄ですからね」

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