第9話 竜殺しの街

 小休憩をいれつつ、十時間ほどは飛んだだろうか。凄まじい持久力だが、シルヴェスターによるとこれも法力エンシェントの力らしい。高位の宵喰であるランディは、法力エンシェントの量も規格外なのだ。


 空の色は僅かに赤みを帯びてきている。もう夕方だ。シルヴェスターの指示で、竜は徐々に高度を落とし始める。しかし、まだそれらしい街は見えない。アストラはそれなりの大都市だと記憶しているのだが……


「シルヴェスター、降りるのが早くないか?」


「馬鹿だな、ランディに乗ったままアストラに近づいてみろ、撃ち落とされるぞ」


 それが冗談なのか本気なのかラドルファスが判断する前に、本格的に高度を落とし始めた竜の体が大きく揺れた。危うく舌を噛みそうになったので、ラドルファスは仕方なく口を閉じる。


◇◇◇


 近くの村落で休んだ次の日、ラドルファスたちはアストラに向けての旅を再開した。今度は馬車だ。サフィラにはフードを被りっぱなしでいてもらうしかなく、いつもシルヴェスターが肩に乗せていくランディも背嚢の中に隠れている。しばらく馬車に揺られていると​──────シルヴェスターがケチったので酷く揺れる​──────彼は思い出したように言った。


「そういえば言ってなかったが、アストラで夜狩りの権力が使えると思うなよ」


「どうしてだ?」


「奴らはな、《竜殺しの巫女》に病的な信頼と誇りを持っている。夜狩りなんぞ不要だ、そう思っているんだ。まあ、事実気性が荒いやつも多いから分からなくもないがな」


「守銭奴だしな」


「うるさい」


 いつもならこの後痛い目に合わされるのだが、安い馬車が狭いのが災いしてか(ラドルファスにとっては幸いだが)彼はラドルファスを小突くだけで済ませた。


 程なくして街が見えてきた。流石に王都には負けるが、ベルナールよりも数倍立派な城壁が姿を現す。門も見るからに頑丈そうで、兵士たちの数も多い。櫓のようなものまで立っていた。《竜殺しの街》に恥じない姿だ。


 街に入ること自体は簡単だった。いや、サフィラを誤魔化すのは大変だったが。普通に生活していると忘れがちだが、《影》は一般的には疎まれ、差別される存在だ。人々の《夜》への恨みは深いが、一般人が《夜》に直接復讐することは不可能だった。その結果、そのはけ口は社会的権力がなく、武力も持たない《影》へと集中する。門番に暴言を吐かれたサフィラは少し悲しそうだった。


「サフィラ……」


 慰めようとすると、首を横に振られた。大丈夫だから、と。そう言われると何もできない。ラドルファスは《影》ではないので、真にサフィラの痛みを理解することはできないからだ。


 そんなサフィラをよそに、シルヴェスターは人並みをすり抜けてどんどん歩いていく。アストラに来るのが初めてであるラドルファスは、ついて行くのでやっとだ。


「シルヴェスター、どこへ行くの?」


 珍しくサフィラが聞いた。彼女は初めての街並みを興味深そうに眺めている。疲れはあまりないようだ。基本的に《影》の身体は人間よりも丈夫だからだろう。


「俺の友人の夜狩りがこの街にいるらしい。何か聞けるかもしれないし、お前たちも紹介しないといけないだろう?」


「友人……」


 サフィラはぼそりと呟いた。《影》の少女は後方にいるため見えないだろうが、考えていることが顔に出やすいサフィラの顔には、「シルヴェスターに友人なんていたんだ、信じられない」 とでかでかと書かれている。


「友……むぐっ!?」


 しかも口に出そうとした。ラドルファスは慌ててサフィラの口を塞ぐ。抗議の目で見られたが、身振り手振りで口に出してはいけないと必死に主張した。確実に面倒なことになる。


「……? どうかしたか?」


「な、なんでもない! それより、その友人はどこにいるんだ?」


 とりあえずラドルファスの言いたいことは伝わったようなので、サフィラを離してやる。彼女はむくれているが、シルヴェスターを怒らせるよりはまだかわいいものだ。


「ああ……街のはずれの宿だ。あいつは街を転々としているから家を買わないんだよ……ほら、あれだ」


 街の端ではあるが、その宿、《銀の鴉》の雰囲気は悪くなかった。というか、高そうだ。入る時躊躇するくらいには。しかし、シルヴェスターは当然のように重厚な木の扉を押し開ける。ラドルファスとサフィラは一瞬顔を見合わせたが、大人しく後に続いた。入口で突っ立っている方が目立つし、何より迷惑だ。


 中も予想通り暗めの木造りで、広い一階のカウンターの横側には、ソファやちょっとした酒場も併設されている。見渡すと、ラドルファスたちの他に客は一組しかいなかった。背の高い壮年の男性が立ち上がり、こちらに近づいてくる。落ち着いた深みのある声が宙に流れた。


「久しぶりですね、シルヴェスター」


「ああ。お前がくたばってなくて残念だよ」


 あまりにも失礼な物言いにラドルファスはギョッとしたが、男性は怒るでもなくむしろ微かに笑った。どうやら、いつもの事らしい。不意に男性の青い瞳がこちらを見やった。


「おや……? 見かけない顔ですね。もしかして、シルヴェスターの弟子の方ですか?」


 シルヴェスターがぐい、と肩を押してきた。自己紹介しろ、ということだろう。


「初めまして、ラドルファス・ブランストーンといいます。こちらはパートナーのサフィラ。階級は第四アクトです」


「こちらこそ。私はアルフレッド・クロフォード。あなたの師には及びませんが、第二セーデを任されています」


 第五オーダーから第一シビュラまでの夜狩りの階級は、連合によって決められている。《夜》の危険度によって任務を割り当て、無駄な犠牲を減らすためだ。第三プロティアまでいけば上々、第二セーデからは人外の世界だ。


 ラドルファスはペルーダを倒したことで階級が上がったのだが、よくて第三プロティアが関の山だろう。シルヴェスターの第一シビュラは四人しかいない規格外だが、第二セーデも十分化け物である。が​──────アルフレッドはかなりまともそうだ。その仕事の関係上、夜狩りは気性が荒く、シルヴェスターのように他人と明らかにズレていたりする人種も多い。だが、彼はいかにも紳士然としており、礼儀正しく穏やかだ。自己紹介を終えたアルフレッドは後ろを振り返った。


「来なさい、ウィスタリア」


 こちらに歩いてくるのは、恐らくラドルファスと同年代であろう少女だった。肩くらいの長さの燃えるような赤い髪に、気が強そうな琥珀色の瞳をしている。


「この子が私の弟子です。ほら、自己紹介なさい」


「……ウィスタリア・ティアーベル。第四アクトです」


 そう言って少女はぺこりと頭を下げたが、その声には僅かに不機嫌そうな響きが混じっていた。シルヴェスターが驚いた顔をする。


「意外だな。お前が弟子をとるなんて……しかもティアーベルときた」


「それは貴方の方もでしょう? 私はギルバートに頼み込まれましてね。ウィスタリアは凄く優秀なので助かってるんですが……」


「へぇ? 優秀、ねぇ……」


 シルヴェスターはちらりと少女を見た。何か言いたげだったが、結局何も言わないことにしたようで、アルフレッドのほうに向き直る。


「俺たちは連合に呼びつけられたんだが、何か知ってるか? 最近この街にいるんだろう?」


「ええ。ここでは少しはばかられますので上へどうぞ」


「助かる。あー、ラドルファス、お前はティアーベルと仲良くやっといてくれ。同じくらいの歳だろ?」


「え!?」


「ああ……確かにそうですね。ウィスタリア、私の代わりに彼に話をしておいて下さい」


 アルフレッドも同意し、二人は上の階​──────恐らくアルフレッドの部屋に向かった。


(くそ、シルヴェスターめ……)


 ラドルファスは何度目になるか分からない恨み節を心の中で吐き出した。あまり同年代の異性と喋ったことの無いラドルファスには荷が重い。話が続くのか心配だ。そんなことを思っているうちに、明後日の方向を向いたウィスタリアと仲良く突っ立って五分が過ぎた。


(あれ、なんか話があるんじゃないのか……? 実は人見知りとか……?)


 こちらから話しかけるのは大変気が引けたが、このままずっと突っ立っているわけにもいかない。


「おい……」


「話しかけないで」


 ラドルファスの努力は秒で切って捨てられた。何か嫌われるようなことをしただろうか、と自分の行動を振り返るが、そもそもウィスタリアと会って十分くらいしか経っていない。


(というかこいつ……一向に俺の方を向こうとしないし、師匠に話しろって言われたんじゃないのかよ? 失礼なヤツ……)


 初対面というのもあって遠慮がちだったラドルファスも、段々苛立ってきた。そもそも殊勝な性格ではない上、シルヴェスターとの生活で反抗心に磨きがかかっている。ラドルファスはウィスタリアの言うことを無視することにした。


「お前、ちょっと失礼じゃないか? だいたい、俺に話すべきことがあるんだろう? さっさとしてくれよ」


 ぶっきらぼうにラドルファスが言うと、ウィスタリアは初めてこちらを見た。……見た、というより睨みつけた、が正しいが。


「私は誇り高きティアーベル家の人間なの。だから、私が価値があると思った人間以外とは話さない。私の師匠も、きっとあなたの師匠も強いわ。でもあなたは第四アクトでしょ? おまけに《影》まで連れてるじゃない、気持ち悪い。私に話しかけていいかなんて、少し考えれば分かることでしょ? 頭まで弱いのね」


(はぁ? こいつ……)


 腹の底からふつふつと怒りが沸き起こってくるのを感じた。失礼どころではない。人を馬鹿にしている。それに、サフィラまで侮辱した。このままにしておけるものか。


 それと同時に、ギルバート、ティアーベルの名で思い出すこともあった。最初の夜狩りと呼ばれるのがファーレイン・ティアーベルだ。ティアーベル家は代々夜狩りを排出しており、その全てが第二セーデ以上の強さを持っている。今の夜狩り連合の長はギルバート・ティアーベルだ。つまり、こいつはギルバートの娘なのだろう。


「お前も第四アクトだろうが」


「何を言ってるの? ティアーベル家の私と、ただの第四アクトは格が違うに決まってるじゃない。そんなことも分からないの?」


 いちいち人を馬鹿にするのはどうにかならないのだろうか。あのまともそうなアルフレッドの弟子がこれとは。いや、師の前では猫を被っているのかもしれない。シルヴェスターも同じようなタイプではあるが、ここまで露骨ではないし、そもそも、あいつは間違いなく最高峰の力を持っている。しかしウィスタリアは第四アクトで、家の名前を借りて威張っているようにしかラドルファスには感じられない。アルフレッドからは確かに強者の雰囲気を感じたが、こいつは違う。目の前に立っていても、全く危機を感じないのだ。


「……格が違うかどうかは、やってみないと分からないだろう? お前は俺だけではなくサフィラまで馬鹿にした。そのツケくらいは払えるよな。お前が口だけじゃないか、試してみようじゃないか、ティアーベル様?」


 そう言いながら、ラドルファスは短剣を鞘ごとウィスタリアの足元に投げた。流石の彼女も顔を強ばらせる。


 夜狩りたちの間で争いが起こった場合、あるいは単純に作戦のリーダーを決める時。乱暴者の集まりである夜狩りたちが殺し合いを始めてしまっては、貴重な戦力が減ってしまう。それを防ぐために行われるのが決闘だ。自分の武器を鞘ごと相手の足元に投げる。それを相手が拾い上げれば成立だ。夜狩りたちの間には「ファースト・ブラッドの掟」という慣例があり、決闘は最初に傷つき血を流した方が負け、というルールで行われることが多い。


「どうした、受けないのか腰抜け?」


 いつまで経っても何も言わないウィスタリアを煽ってみるが、彼女が答える前に呆れた声がかかった。


「おい、何やってる?」


 いつの間にか降りてきていたシルヴェスターだった。隣にはアルフレッドもいる。ラドルファスは諦めて短剣を拾い上げた。


「馬鹿かお前? こんな所で決闘を申し込むなんて……」


 シルヴェスターは咎めるような声を出したが、怒ってはいないようだった。一方アルフレッドは、底冷えのするような冷たい目でウィスタリアを見ている。


「貴方、また失礼なことを言ったんじゃないですか? この前も言い聞かせたはずですよね?」


 ウィスタリアは反省しているのかいないのか、俯いたまま何も言わない。が、アルフレッドは無言を肯定と受け取ったようだ。


「私は言いましたね? こんな事が続くなら、残念ですが貴方をギルバートにお返しすると」


「そんな事をしたら、ただでは済みませんよ。私はティアーベル家の娘として然るべき態度を​──────」


 そこでウィスタリアは口を閉じた。アルフレッドは無言かつ無表情だったが、今すぐここから逃げ出したくなるような殺気を放っていたからだ。家柄はこの場では意味をなさなかった。そんなものでは、アルフレッドの腰に下がる短剣を防ぐことはできないからだ。


「ウィスタリア。少なくとも今、貴方は私の弟子です。貴方が私に従わないというのなら、私もを取らせて頂きます。私の狩りに役立たずはいらない。どうしますか?」


「…………申し訳ありません」


 ウィスタリアは初めて謝罪を口にした。このままでは本当にこの場で「役立たず」として始末されかねないと思ったのだろう。アルフレッドから放たれる静かな殺気を浴びれば分かるが、彼は間違いなく本気だった。ウィスタリアが謝罪しなければ本当にやったかもしれない。彼は満足したように頷いた。


「上で頭を冷やしてきなさい」


 今度はウィスタリアも反抗しなかった。大人しく上に向かうのを見届けてから、こちらに向き直ったアルフレッドからは、もうあの恐ろしく冷たい雰囲気は消え去っていた。彼は困ったな、とでも言うように苦笑する。


「見苦しい所をお見せしましたね、すみません」


「構わんさ、こんな所で決闘を仕掛けたこいつも悪い。ここはお互い様ということで始末をつけようじゃないか」


「ありがとうございます……でも、懐かしいですね。私たちもよくこうやって喧嘩をしたものです」


 その言葉を聞いて驚いたラドルファスは、ついまじまじとアルフレッドを見つめてしまった。確かにシルヴェスターは気に入らない相手を力でねじ伏せそうな所はあるが……


「おいラドルファス、今お前よからぬ事を考えただろ。確かに仕掛けていたのは俺だが、こいつはファーストじゃなくてシュルテ方式で決闘するのが大好きだったんだぞ」


「シルヴェスター、捏造しないでくださいよ」


「してないさ。こいつと俺がシュルテ方式の決闘ばかりしていたのは本当だしな」


 決闘は主にファースト・ブラッドの掟に従って行われるが、そうでない時もあった。シュルテ方式とは、その名の通り降参シュルテするまで決闘を止めないという代物だ。相手が降参しなければ、死ぬまでやり合うこともある。それもあってか、滅多にこの方式では決闘は行われない。咳払いをしたアルフレッドは、ラドルファスの方を見た。


「私の弟子がすみませんね。あの子がああなったのはティアーベル家の教育のせいもあると思うので、どうか許して頂けると幸いです」


「……大丈夫です。シルヴェスターの言う通り、こんな所で決闘を仕掛けようとした俺も悪いので」


「ありがとうございます。……では、貴方とパートナーに朝の光の祝福を」


 彼はそう言い残して、自分も二階に上がっていった。なんだかどっと疲れた気がする。


「はぁ……めんどくせぇから他の宿を探すか……ラドルファス、ついてこい」


 頷こうとして、重要なことを思い出す。


「シルヴェスター、結局俺、何も話を聞いてないんだが……」


「はぁ? まったくあの餓鬼、相当だな……仕方ない、歩きながら話す」


 そう言って歩き出したシルヴェスターを追いかけた所で、サフィラがついてきていないことに気づく。


「……サフィラ?」


「……ごめん、ちょっとぼうっとしてただけ」


 彼女はすっと立ち上がると、ラドルファスを追い越して宿の扉から出ていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る