第6話 最後の試練

 馬鹿馬鹿しい騒動から一夜明け、ラドルファスとサフィラは珍しく朝から出かけようとしていた。仕事時間が自動的に夜になるので、夜狩りたちは昼夜逆転の生活を送っていることが多い。朝から出かけるのは稀だが、これはシルヴェスターの指示だった。今日は当初提示された一週間の最後日。彼は最後の試験として、一人で街からの要請を受け、《夜》を狩ることを要求したのだった。


 ラドルファスは父が死んだ後、夜狩りとして働いていたものの、大きな要請を受けるのは初めてだ。それに、憎き《夜》の化身として疎まれる《影》のサフィラもいる。一筋縄ではいかなさそうだ。


「ラド、変な感じがする」


「変な感じ?」


「《夜》の匂いがする。街の中から……」


「ああ……ベルナールは、《夜》を災厄の神使徒として祀って、その怒りを鎮めたと伝えられている街なんだ。だから、街の中心には《夜》の神殿があるらしいな。そのせいじゃないか?」


「変わってる」


「……それ、街の中で言うなよ?」


 サフィラがぼそりと零したのを諌める。確かに変わっていることには違いないが、面倒事は避けたい。ここはシルヴェスターの家からそう離れてはいないので、馬車に乗ればすぐ帰ることができる。いざという時はそうするつもりだった​──────あいつに助けを求めるのは癪だが。


 城壁がぐるりと囲う街は中々の大きさだった。サフィラと出会った場所よりも大きい。整備された街道が通るこの辺りにおいては、ベルナールは重要な中継地点のひとつのはずだ。必然、人の出入りも多くなる。予想通り、日中は開け放たれている城門の前には、完全武装の兵士たちが詰めていた。門の前に並ぶ人々も、思ったより数が少ない。


「そこのお前、顔を見せろ。どこの誰だ?」


 短剣を腰に指したラドルファスと、顔を隠したサフィラは目立ったようで、槍を持った兵士が威圧的に問うた。サフィラがびくりと肩を震わせて止まるが、ラドルファスは焦らず夜狩り連合のエンブレムを取り出し、兵士に放る。


「要請を受けた夜狩りだ。こっちは《影》だから、できればそのまま通してほしい」


 連合のエンブレムは偽造が出来ないように作られているので、身分証明としては最適だ。兵士は《影》と聞いて露骨に嫌な顔をしたが、夜狩りの権力は大きいのか何も言わなかった。


「失礼しました夜狩り様。どうぞお通りください」


 すんなりと通されるが、門をくぐり抜けたラドルファスは驚きに目を見開いた。人が少ないのだ。それはもう、明らかに人通りがない。この街では確実に何かが起こっている。サフィラも不安そうに辺りをきょろきょろと見回している。


 ベルナールには連合の支部はない。どうやって話を聞いたものか。これでは何が起こっているのかすら把握できない。とりあえず街を歩いてみるが、開いている店もちらほらある様だ。ラドルファスは、近くにあった果実店の店主に五テスカを放った。


「人通りが少ないが、何かあったのか?」


 茶髪の女性店主は一瞬不信そうな目でこちらを見たが、胸に付けているエンブレムを見て目を伏せた。


「……実は最近、誘拐事件が多いんです。だからみんなお昼でも家に篭っていて……」


 誘拐事件。確かに物騒だが、《夜》と関係あるのだろうか。続きを促すと、女性は少し躊躇いながらも教えてくれた。


「夜狩り様が呼ばれたのは、突然夜が来る現象についてだと思います」


咄嗟に強く聞き返しそうになって、抑える。自分たちにはどうにもならない《夜》を倒してくれる夜狩りは尊敬されてはいるが、それには畏怖も含まれており、粗暴な印象を持つ人も多いのだ。怖がらせてはいけない。それにしても、突然夜が来るとはどういう事だかさっぱりだ。


「どういう事だ?」


「……ベルナールでは、《夜》を抑えるため、街の中心部にある森に、神殿が作られたんです。その森の近くだけ、一瞬だけですがまるで夜が来たかのように真っ暗になる事があるんです」


「なるほど……ありがとう」


 確かにそれは夜狩りが招集されて然るべき案件だ。今人間が《夜》を退けることが出来ているのは、彼らが太陽が沈んでからしか現れないからだ。もしそれが朝でも昼でも​──────となれば、たちまち人類は滅びてしまうに違いない。誰でも暁ノ法が使えるわけではないのだ。


「あの……失礼ですが、もっと大人数の応援を呼んだ方がいいと思います……」


「どうしてそう思う?」


「今までにも何人かの夜狩り様たちがあの森に入っていきました。でも、何日待っても誰一人として戻ってこなかったんです……」


 相当勇気を振り絞ったのか、彼女の身体は少し震えていた。ラドルファスはさらに五テスカ、売り場を仕切る箱に乗せた。


「気をつけるよ。ありがとう」


 サフィラに行くぞと合図して歩き出す。彼女の言った通り、もう昼前だというのにほとんど人通りはなかった。


「ラド……行くの?」


 《影》の少女は心配そうに瞳を揺らす。純粋にこちらの身を案じてくれているのだ。


「行く。それが仕事だろ?」


 そう、夜狩りは《夜》を狩るのが使命だ。危険があるからと言って躊躇ってはいられないのだ。力を持たない人々は、《夜》に襲われれば死ぬしかないのだから。ただ​──────


(シルヴェスターめ、これは明らかに新人に任せる仕事じゃねえだろ……帰ったらどうしてやろうか……)


◇◇◇


 街を歩くこと数十分、だんだん道が細くなり、家屋が少なくなってきた。住民もこの辺りを避けているらしい。なんだか重苦しい雰囲気が漂っているような気さえしてくる。その内に鬱蒼と茂る木々が見えてきた。怖がってはいないかと隣のサフィラを見ると、彼女は予想に反してやけに真剣な表情をしていた。


「おい、サフィラ……?」


「ラド、《夜》の匂い、この森からする」


 そう言われても、ただの人間であるラドルファスには「《夜》の匂い」なるものはまったく感じ取れない。《夜》と混じっている《影》特有の感覚なのだろうか。


 もう一度口を開こうとした瞬間、ざあっ……と音を立てて嫌な風が吹いた。同時に、サフィラが腕を怯えたように掴む。思わず空を見上げて絶句した。


「なんだ、あれ……」


 森の中心から、黒を濃縮したような不気味な光が一筋、空へ向かって伸び上がっている。そこを起点に靄のようなものが広がり、拡散し​──────太陽の光を覆っていく。じわり、じわり、と空が暗くなっていく。


 夜が来る。


「嘘だ……そんなことがあるわけ……」


 しかし、世界に夜がやってきたわけではないようだ。サフィラに袖を引っ張られて振り返ると、この不可思議な夜は森の周辺にだけ訪れているようで、そう遠くない空に昼と夜の境目があった。通常では有り得ることのないそれは、どうしようもなく不気味で不吉だった。


「……見通せ銀夜の梟、八十一の門よ」


 ラドルファスはとりあえず暗視の呪法を唱える。一瞬目が眩むが、何度か瞬きをする内に、暗闇に梟の目が順応する。そこでラドルファスは、またしても驚くことになった。


 森の中が見えないのだ。黒いカーテンでも引かれたかのように、ぼんやりとした木々の輪郭しか把握できない。周りの光景は暁ノ呪法「オウル・ヴィジョン」によってくっきりと見えるというのに、だ。


「こっち」


「サフィラ?」


「私には見える。掴まってて」


 ぐい、と腕を引かれて、慌てて足を動かす。ここに至ってはサフィラを信用するしかない。守る対象だった《影》の少女は、今はとても頼もしく思えた。


 葉や草を踏む感触だけがやけに細かく伝わってくる。サフィラの腕を一瞬でも離してしまえば、必ず迷ってしまうだろう。何一つ見えない暗闇の中で、永遠に彷徨い続けることになるのだ。そう考えると酷く不安で、恐ろしい気持ちになってくる。普段どれだけ人間が視覚に頼っていたのか分かった。


 しかし、サフィラは迷うそぶりを全く見せず、毅然とした足取りで前へ前へと進んでいく。時間の感覚も狂っているのか、まだ着かないのか、と思い始めた頃にようやくサフィラが足を止めた。


「……ッ!」


 急に目から飛び込んできた情報が流れ込んできて、ラドルファスは顔を顰めた。そこには古めかしい神殿が鎮座しており、あの黒い光はそこから伸びていた。あれほどまとわりついていた暗闇は鳴りを潜め、そこにあったのはただの夜だった。


「サフィラ、ありがとう。お前のお陰でなんとかなりそうだ」


「……うん。ラドには助けてもらったから。今度は私の番」


 彼女は嬉しそうに笑うと、目を閉じた。


「やっぱりここから《夜》の匂いがする。それに……なんだか、法力エンシェントとは違う強い力も」


「強い力……」


 先程の匂いはよく分からなかったが、今度のはラドルファスにも分かる気がした。強敵を前にした時のように、肌がぴりぴりと危険信号を伝えてくるのだ。


 半壊した扉から慎重に中を覗く。人影は見えない。


「サフィラ、俺から離れるなよ」


 彼女が頷いたのを確認してから、腰の短剣を引き抜いたラドルファスは、中に足を踏み入れた。拍子抜けするほどに何もない。あるのは瓦礫と、何かの儀式に使ったのであろう鉱石や《夜》の核だけだ。ただ、黒い光は中央の地中から伸びている。地下があるのかもしれない。


 地下へ続く階段はすぐ見つかった。神殿の奥に普通にあったからだ。どうやら、これをやった奴は隠れる気もないらしい。もしくは、見つけられたとしても何の問題もないほどの実力があるのか。


「駆けろ疾風の大鷲、六十六の門よ」


 囁くようにことばを告げる。何があるか分からない。先に暁ノ呪法を自分にかけておく。サフィラに目配せして、階段を一気に飛び降りた。


 すぐさま敵の姿を探そうとしたラドルファスの目に飛び込んできたのは、あまりにもおぞましい光景だった。後ろから降りてきたサフィラが思わず口を抑えるのが分かった。


 地下に広がる空間は神殿よりも横に広く、床には真っ赤な何かで複雑な図案が描かれている。同じようなものを、暁ノ法で開く門に見た気がした。壁にも赤いものが飛び散っており、壁際にはぐったりとして動かない人間や、肉塊が無造作に転がっている。鎖に吊るされ、半ば腐敗した死体もある。


 図案からは例の黒い光が伸びており、思わず目を背けたくなるようなナニカがずるずると這い出ようとしている。その凄惨すぎる空間には、一人の青年が平然と立っていた。彼は床の図案を長い骨で弄っていたが、急に顔を上げた。


「お前たち、何処から入ってきたんだ? 夜で覆っておいたはずなのに……まあいいか」


「……穿て」


 呟く青年を無視して、ラドルファスは一節で暁ノ攻法を発動する。シルヴェスターに散々鍛えられた効果が出たのか、真っ直ぐに進んだ光線は、図案から出てこようと藻掻くナニカに直撃した。煙が上がるが、僅かに傷がついただけのようだ。


「まったく……夜狩りは相変わらず野蛮だな。少しくらい話をしようという気にはならないのか?」


 彼はこちらを小馬鹿にしたように嗤ったが、そんなことよりも気になることがラドルファスにはあった。


「お前、夜狩りじゃないのか」


「はぁ? そんなわけないだろ、一緒にするなよ。僕はもっと崇高で美しい術の使い手なんだよ!」


 苛立ったように叫んだ青年は、しかし急に平静を取り戻して優雅に一礼した。


「おっと、僕としたことが……名乗るのが遅くなった。僕は《天邪鬼》のことわり使い、テイワズ。どうせ殺すけどよろしく」


ことわり……?」


「ああ、そうか通じないのか……見れば分かる。これがどれだけ素晴らしい術なのか……」


 情緒不安定な上に意味不明な事をぺらぺらと喋っていた青年は、長い骨で図案を勢いよく突いた。


天を地に、土を雲にアントラーズ!」


 不意をつかれたラドルファスは身構えたが、次に起こった事は予想の遥か上を行った。ぱっ、と淡い光の様なものが弾け、壁際の肉塊と鎖に繋がれた人間が移動した。ただ動いただけではない。のだ。


「なっ……!」


 ラドルファスが知る限り、暁ノ法にはこのようなことができるものは存在していない。


「ふふ、凄いだろ? これが僕のことわりの力、《天邪鬼》。これで朝と夜を入れ替えることも出来る……便利だろう?」


「……そんなことをして、何をするつもりだ?」


「決まってるだろ?朝でも《夜》が呼べるかどうか、実験するのさ!もし成功すれば​──────が手に入る!」


 一向に外に出られないことに苛立ったのか、図案の中のナニカが地面を揺らすような音を立てて吼えた。ちょうどテイワズの言葉が掻き消される。


「いや……でもこれは失敗か。仕方ない……」


 そう言って歩き出そうとするテイワズを威圧するように、ラドルファスは短剣を構えた。


「逃がすと思うか?」


「ははは、逃げる? どうして? 確かに僕の直接戦闘能力は低いけど、目の前にお前たちを引き裂いても余りある力があるじゃないか。これが成功すれば、どうせ何回でもやり直せるんだ……」


 テイワズは再び歩き出す。ラドルファスの立つ入り口の方ではなく……図案に向かって。


「おい……!」


「さあ恐怖しろ! こいつの名はペルーダ! ベルナールを滅ぼす《夜》だッ!!」


 彼は哄笑と共に叫び散らすと、自らの喉に鋭い骨を突き通し、図案に半分だけ這い出ているナニカ​──────ペルーダの上に身を投げた。


「ひっ……!」


 後ろからサフィラの悲鳴が聞こえた。同時に、肉を噛み砕く粘着質な音が部屋に充満する。テイワズの嗤い声と、飛び散る血と共に。


 瞬間、ついに《夜》が図案から這い出た。頭は蜥蜴に似ており、尾は蛇のように長く細い。亀そっくりの太い四本の足には、鋭い爪が四本付いている。胴体は柔らかそうな羽毛に覆われているが、その隙間からぬらぬらと光る無数のトゲが伸びていた。黒い光は更にその勢いを増して飛び回り、地面に降り立った《夜》は、次の獲物を探してギラついた目で辺りを睥睨する。当然次の獲物は、ラドルファスとサフィラだ。

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