クローゼットの中の骸骨

望月おと

第1話 「財布」

 祖母が亡くなってから、早2ヵ月。私たち家族は、いつもの日常を取り戻しつつあった。だが、母は時折「お義母さん、ご飯ですよー」と一階から二階に続く階段に声をかけることがある。祖母の部屋は二階にあり、いつも彼女はその部屋で裁縫や編み物、読書など趣味を楽しんでいた。長年の習慣は昨日今日で抜けるものではないのだなとリビングへ戻ってきた寂しそうな母の背中を見て実感する。


 父の元に嫁いでから母は祖母と長い時間を共にしてきたのだろう。祖母が好きだったおかずを作りながら、静かに涙を溢している場面を何回か目撃した。マイペースな祖母に母は困ることも多かったようだが、なんだかんだで仲良しだった。母が冗談で「私はお義母さんと結婚したようなものですから」と言えば、わざと怪訝そうな顔をして「やめておくれよ。気持ち悪い」と祖母は返し、二人は笑っていた。嫁・姑の嫌ないざこざはなく、理想的な関係だったのかもしれない。


「そろそろ始めないとね……」

「そうだな。今週の日曜にもやるか」


 夕飯を食べながら、母と父は何かの算段を立て始めた。


「何をやるの?」

「お義母さんの遺品整理」


 遺品整理──【亡くなった人の持ち物を整理する】というザックリとしたイメージは浮かぶが、どんなふうに行うのかは分からない。いつの間にか、考え事に夢中でご飯を食べていた手が止まっていた。母が「遺品整理っていうのは」と説明をし始めた。私の行動から考えていることが伝わったみたいだ。これがあるから、母には隠し事ができない。


「亡くなった人が生前使っていた物を片付けること。遺産相続なんかも遺品整理に含まれるんだって。遺産のほうは片付いたけど、遺品のほうはなかなか……。お義母さんの思い出が強く残っているものばかりでねー」

「確かに……。おばあちゃんが使ってた部屋も、そのままだもんね……」

「でも、いつまでもそのままにしておいてもなぁ……」


 父が言うことも分かる。祖母の部屋を片さない限り、私たち家族は祖母の死を乗り越えることができない気がする。祖父が亡くなった時もそうだった。当時の私は、小学5年生。梅雨とは違ったどんよりとした空気が家の中を覆い、自分の家だけど他人の家のような気を遣う雰囲気が漂っていた。大人たちの落ち込みようも激しく、どう声をかけていいのか悩むほどだった。


 中でも祖母は抜け殻のように祖父の遺影を眺めては泣く毎日で、とてもじゃないが祖父の部屋に入れるような状況ではなかった。そのため、私が学校に行っている間に両親だけで遺品整理を行ったそうだ。だから、私にとって人生初の遺品整理。


「亡くなった人がどんな人か生前よりも知れる」と母は悲しげに笑った。


***********


 週末は、とてもよく晴れた。気持ちの整理をするにもちょうどいい日かもしれない。だが、父は前日から出張で他県にいるため参加できなくなり、私と母で遺品整理を行うことになった。


 祖母の部屋は生活感が溢れ、今にも「人の部屋で何してるんだい?」と帰宅した祖母の声が聞こえてきそうだった。


「お義母さん、可愛いものが好きだったのね」

「あ! これ、人気のご当地キャラ!! こんなにたくさん集めるほど好きだったんだね」


 小さな棚にこれでもかというほど、たくさんの種類のご当地キャラが並んでいる。よほどのコレクターだったようだ。確かに旅行に出かけた先で何かをよく買っている姿は見たが、まさかこれだったとは……。


「見て! おばあちゃんが編んだマフラーがあるよ!」

「どれ?」


 籠の中に紅色・藍色・橙色の三種類のマフラーが入っていて、小さくそれぞれ私たちのイニシャルが入っていた。紅色が母、藍色が父、そして橙色が私。いつの間に私たちのマフラーを編んでいたのか。生前一言も祖母はマフラーの話をしていなかった。


「……お義母さん、自分の人生が残り少ないこと知ってたのかもしれないね」

「……そう、だね」


 母の言う通り、亡くなる何日か前から祖母の様子は変だった。部屋に籠り、誰も部屋に入れようとしなかった。


「でも、おばあちゃんはなんで部屋に籠ったのかな……」

「さぁ……。昔から、そういうところあったから」

「何か見られたくないものでもあったとか?」

「……まさか。それより、早く進めましょ」

「あ、うん……」


 どうしても気になる。祖母は亡くなるまで、ずっとこの部屋から出なかった。どうしてだろう。自分の最期を悟ったから? 【死】が近づいてくるのが怖かったから? どう考えても腑に落ちない。何度も下にいる私たちに会おうとしていた。祖母の部屋から廊下を挟んで斜め向かいに私の部屋がある。食事の時間に部屋から顔を出す祖母を何度も見ている。


──この部屋に【何か】ある……?


 遺品整理をしながら、私は祖母の秘密を探ろうとしていた。最期まで祖母は何を隠そうとしていたのか。知られたくないことかもしれないが、それが何なのか分からない限り、私はずっと気になったまま。目の前に、そのモヤを晴らす機会があるのなら、本当のことを知りたい。


 本棚を整理していると、洋服ダンスを整理していた母が私を呼んだ。


「ちょっと、これ見て!」

「なに? ……お財布?」


 何年も使ったものだということが一目でわかるほど、財布はくたびれていた。しかし、祖母が使用していたものは黄色の長財布で、これとは違う。それに、タンスの奥の方に洋服で隠すようにしまってあったと母は言う。


 「中、見てみて」母に言われ、使い古された折り畳み式の紺色の財布を開いた。カード入れの一番手前にビニールのポケットが付いている。電車の定期などを入れるのに便利だが、そこには一枚のセピア色の写真が挟んであった。


「え? これって──お父さん!?」

「似てるけど……お父さんが子供のときにはとっくにカラー写真になってたわよ。それに、写真の人と今のお父さんの姿がそっくりって──」

「それじゃ、この人は誰?」

「……」

「……おじいちゃん、でもないよね?」


 母は何か気づいたのか黙ってしまった。その姿を見て私もなぜ母が口を閉ざしたのか分かった。私たちは知らなくていいことを知ってしまったのだ。これが祖母が隠していた事実……?


「……お義母さん、お祖父さんが亡くなったとき──」

「ずっと謝ってた……」


 「ごめんなさい、ごめんなさい」祖父の遺影を見つめては、祖母は毎日泣いていた。ずっと言えずにいたのだろう。当然、父もこのことを知らない。


「おばあちゃん、私たちに打ち明けようとしてたんだと思う」

「え?」

「食事の時間になると、いつも部屋から顔を出してたから。多分、最期までずっと悩んでたのかも……」


 財布から写真を取り出すと、写真の裏に「幸せに」と書かれていた。


「もしかしたら……この人と別れたあとにお義父さんと結婚して妊娠が分かったのかもしれない。どちらの子でもおかしくなかったんじゃ……」


 母は恐ろしく勘がいい。写真に書かれた「幸せに」からも相手の人は、このことを知らなかったのだろう。祖父も自分の子だと信じて疑わなかった。祖母は成長する我が子を見て、浮彫になる事実にずっと怯えていたのかもしれない。そして、この事実をどう伝えていいか、人生を終えるその瞬間まで悩み続けていたのかもしれない。


 気づけば、私も母も抱き合って泣いていた。


 その晩、父が帰宅した。会社の同僚だという人物を連れて。


「こんばんは。お父さんと同じ会社に勤務している見吉みよしです」

「はは! 驚いただろ? 父さんと見吉さん似すぎてて! 他人の空似ってあるんだな!」


 私と母は顔を見合わせた。「似ている」のではなく、父と見吉さんは「同じDNA」かもしれない。祖母が持っていた写真の人物と見吉さんもよく似ている。


「実は、私。おばあさんのこと、知ってるんです」

「え!?」

「私の父の遺品の中に写真がありまして……。写真の裏に【あなたも】とだけ記されていまして、何か知りませんか?」


 疑いは確信に変わった。【幸せに】【あなたも】そうメッセージを送り合った写真の男性と祖母。その子供たちが偶然にも同じ会社に勤務し、今同じ家のリビングのソファーに腰かけている。これを【運命】と呼ぶのだろうか? だとしたら、こんなに残酷なことはない。


「……さぁ? 祖母の遺品には何も。今、お冷とおつまみお持ちしますね」

「お母さん、私も手伝うよ!」


 祖母が最期まで隠そうとした秘密だ。私は母と視線を合わせ、頷きあった。この先、何があってもこの事実を隠し通すと。



【完】


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