正史の悪魔

飯田太朗

第1話 転機と、論文。

 僕の恩師、社会心理学の北先生が亡くなったのは、去る一二月のことだった。


 葬儀はしめやかに行われた。先生の弟子の一人である僕は、最後の挨拶をしに行った。鬱陶しい霧雨が降る日だった。喪主は先生の奥さんだった。


 享年五三歳。あまりに早すぎる死に困惑したのは、奥さんや僕たちだけではなかったようだ。


 大学側も大混乱だった。講義を受け持っている現役の教授が死んのだからそりゃそうだろう。彼らはすぐにポストを探し始めた。学期の途中だったこともあるが、社会心理学は学部を跨いで人が集まる人気の講義だったこともあり、その年中、とはいかなくても、来年すぐに教えられる学者が必要になった。


 そこで白羽の矢が立てられたのが、北先生の弟子の一人である僕だった、という訳だ。

 弟子だから当然、というか、偶然北先生と趣味嗜好が合ったから、というか、僕の専門も社会心理学だった。


 僕は一応博士課程を卒業している人間だった。講師である。最近は専ら色々な大学に赴いて社会学や心理学の講座を受け持つことが多かった。元々人に教えるということが好きで、学部生時代も塾講や家庭教師をして稼いでいた。教職課程も一応とっている。


 ところがこの度北先生の死によって、母校で社会心理学の准教授のポストが出た。ポジション的にはいち講師……学者というのは、助手、講師、准教授、教授の順で偉くなる……であった僕は、すぐさま募集に応募。


 北先生の弟子であったこと、専門が社会心理学であったことなどが幸いして、無事僕は准教授になることができた……齢三二にして、である。


 三〇代……教授職にしては若い方である。もっとも、二〇代で准教授になった稀有な例が僕の身近に一人いたが。僕の同期。僕と同じ、心理学博士。


 けれど今は、その人のことは置いておこう。


 これは、僕が体験した物語であると同時に、僕が僕自身に体験させた物語でもある。



 社会心理学の講義は、北先生の死んだ一二月で一旦休講という扱いになった。履修していた学生には一律で単位が与えられることが決まり、非常に不謹慎だが、先生の死を喜んでいる学生がいるのも事実だった。


 僕の准教授としての仕事は、その翌年の四月から始まった。


 春の芽吹きが感じられる大学構内を歩く。久しぶりの母校だった。僕の博士としての研究室は一応この大学にあるのだが、しかし僕は生活のほとんどを他所の大学での講義にあてていたので、肝心の研究をほとんど行っていなかった。


 だから実情を述べると、僕のデスクだけが大学に置いてあるような、そんな感じである。


 研究をしていない博士なんているのか。そう訊かれたらこう答えるしかない。


 それは人によって異なりますよ、と。


 実際僕は、フィールドワークと言うか、人に教えることに特化していたので、肝心の自分の研究をほとんど行っていなかった。期間にして四年間……いや、五年か……くらい。短いようで長い時間である。僕はその間に、すっかり自分の研究テーマを失念していた。それくらい、僕は教職に夢中になっていた。


 だから母校で教鞭をとれることになった時、少なからず僕は昂っていた。


 久しぶりの講堂。僕が学部生時代を友と一緒に過ごした講堂だ。しかし今度は、講師として、いや准教授として教える側に立つ。初めて立つ母校の教壇は何だかすごく緊張した。


「そ、それでは、社会心理学の講義を、始めます」


 約六〇〇人。

 広い講堂に集まった社会心理学の履修者数だ。正確な数字を言うと六〇八人。でも多分、履修したまま講義を受けに来ない学生も一〇人くらいいるだろうから、ざっと六〇〇人くらい。想像してみれば分かると思うが、これだけの数の目線が僕という一カ所に集まるのだからそりゃ緊張もする。


 しかし最初の講義はつつがなく終わった。自己紹介にシラバスの確認。学期末にレポートを一本課すことと、毎回講義の度に提出するレスポンス・ペーパー……授業の感想用紙……を出席の代わりにするが、出席自体は成績に反映しない旨、伝えた。全て前任の北先生と同じ方針だ。


 僕が北先生と同じ方針を取ると知って、学生たちは安心したのだろう。翌週の講義でも履修者が大きく減ることはなかった。社会心理学は楽な単位、通称ラクタンで有名だった。北先生が学生の自由を重んじる先生だったこともあり、学期末のレポートもテーマは何でもOK、という感じだった。もちろん僕もそのつもりだった。


 担当が変わったのに履修者数を大きく減らさなかった、という意味では、僕は大学側の期待に応えたことになるだろう。


 しかし僕には一つ、気がかりなことがあった。それは社会心理学について考える時、あるいは久しぶりの母校学内を歩いている時、ふと、頭をよぎるのだった。


「君、最近は論文を書いていないそうだね」


 採用面接の時だった。心理学部長の四谷忠則教授は僕の履歴書を見てつぶやいた。この四谷教授は僕が学部生の頃からいる教授で、心理学部教授陣最年長とのことだった。


「一応、博士ではあるようだが……しかしこの四、五年くらい、論文を上げていないね」

「はい」事実なので肯定した。しかし僕には他大学での講義実績があったので、研究の穴は十分埋められると思っていた。


 実際、四谷教授は僕の履歴書を眺めて続けた。


「他大学での評判はいいらしいね。社会学、心理学の講師経験多数……」

「多い時は四つの大学で教鞭をとっていました」

 しっかりアピールしておく。すると四谷教授は笑った。


「よろしい。なかなか優秀そうだ。しかしね、うちの大学で教えるには条件がある」


「はあ」だったと思う。僕が口にした言葉は。と、いうのも記憶がひどく曖昧なのだ。その後に言われた言葉に、僕はとても追い詰められたような気分になったから。


「うちの大学で研究実績を一つ以上出すこと。つまり、論文だね。書いてもらわないと困る」


 四月から一年以内。そう、四谷教授は制限を設けた。


「再来年の四月までに研究実績を一つも出さなかった場合、我々は君に続く新たなポストを探さなければならないだろう」

 無論、そういうことのないように。


 面接はその言葉で締め括られた。


 どうやら採用に決まったらしい。と、いうことは僕は准教授だ。しかし、条件を付けられた。


 論文だね。書いてもらわないと困る。


 四谷先生は確かにそう言った。その言葉だけが耳に引っ付いて、離れなかった。頭の中でも何度も木霊する。論文だね。論文だね。論文だね……。


 正直に話そう。僕は、焦っていた。当たり前だ。考えてもみてほしい。訳あって離れていた仕事に、五年ぶりに復職することになったら? 少し勝手が分からなくなるものだろう。


 しかし、そんな悠長なことは言っていられなかった。期限は一年。その間に論文を最低一本。


 僕は思う。

 研究、しなきゃ。

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