第29話 アナフィラキシーショック

「確かに最初はフラれるつもりだった。だからストーカーじみたアプローチをして告白したんだ。まさかオッケーもらえるなんて思わなかった」

「……だったら作戦ミスでしたね。頻繁に会いに来てくれるなんて情熱的だなぁってよけい好きになりましたもん」

「付き合うことになったら今度はわざと嫌われてフラれようとしたんだ。いきなりノープランでデートしたり、ネカフェで寝たり。最低だろ?」

「初めてのデートですね。楽しかったなぁ……」


 琴梨ちゃんは懐かしむように呟く。

 あれらの工作は全て無駄だったようだ。


「ヲタ部屋見せても引かないし、素っ気ない態度を取ってもぐいぐい来るし……そんな風に付き合っている内に、本当に琴梨ちゃんのことが好きになっていったんだ」


 飾った言葉を使ってきれいにまとめようという考えは捨てていた。

 これまでずっと騙してきたのだから本当のことだけを言って謝る。

 そう決めていた。


「自分の気持ちに気づけたから、琴梨ちゃんと本気で向き合って、ちゃんと付き合おうと決めたんだ」

「いつからですか?」

「あの水族館に行ったときからだよ」

「あー……あの最悪だったデートの時からですか。なんか様子が違うなとは思ったんですけど」

「色々騙していたことは謝る。YouTubeチャンネルのことも、親のことも、もちろん変装してナンパしたことも。許してくれとは言えないけど、でも元の明るい琴梨ちゃんに戻って欲しい。俺とはもうこれきりだったとしても……またいつもの元気で明るい前向きな琴梨ちゃんに戻って欲しいんだ」


 ドアに向かってそう訴えた。

 しかしなんの言葉も帰ってこない。

 静寂の中、外で遊ぶ子どもの声だけがぼんやりと響いていた。


「やっぱり先輩はなんにも分かってません」


 一分ほど経ったとき、琴梨ちゃんの声が聞こえた。

 見なくても泣いていることが分かる、涙で滲んだ声だった。


 がちゃ……


 ドアが静かに開いて琴梨ちゃんが俺の前に姿を現した。

 目を真っ赤にして、頬に涙の筋を作って、笑っていた。


「先輩のこと、嫌いになるわけがないじゃないですか。私の先輩に対する愛を舐めないでください」

「じゃあなんで学校にも来ないで家に引きこもってなんか……」

「先輩が好きだからに決まってるじゃないですか」


 そう言って琴梨ちゃんは俺の手を握った。

 ついアレルギー反応でぴくんっと震えてしまう。

 それを見て琴梨ちゃんは悲しそうに笑いながら手を引っ込める。


「私と一緒にいるとアレルギーで苦しいんですよね? それでも優しい先輩は私の期待に応えようと、邪険にできない。私が先輩の心も身体も苦しめているんです」


 琴梨ちゃんは顔をクシャっと歪ませてしゃくりあげた。


「だから私は先輩を忘れることにしたんです。大好きな先輩を苦しめるなんて辛すぎるから……」


 今にも崩れ落ちそうに肩を震わせる琴梨ちゃんの頭を撫でた。

 もちろんアレルギー反応は出る。

 しかしそんなこと、知ったことか。


「なんにも分かっていないのは琴梨ちゃんの方だろ? 琴梨ちゃんは俺のことを、なんにも分かっていない」

「え?」

「確かにアレルギー反応はある。だからなるべく女の子とは関わらないようにしたり、嫌われるようにしてきた。でもそんな俺を琴梨ちゃんが変えてくれたんだ」


 ゆっくりと頭を撫でていると、琴梨ちゃんは恐る恐る顔を上げる。


「アレルギーがなんだ。そんなことより俺は琴梨ちゃんを愛したい。そう決心した。それにこうして琴梨ちゃんと付き合っていればいつかアレルギーは必ずなくなると信じている」

「先輩……」

「それとも琴梨ちゃんはここで逃げ出して、俺に女の子アナフィラキシーショックでも与えたいの?」


 琴梨ちゃんの肩を抱いてグッと引き寄せる。

 俺に体重を預けきったその身体は、想像していたよりずっと軽くて頼りないものだった。


「俺をここまで本気にさせて、今さらさよならなんて許さないよ。このアレルギーがなくなるまで、いや、その後の経過観察も含めて一生そばにいて貰わないと」

「そんな言い方ずるい……一生先輩から離れられなくなりますよ、私」

「そうして貰えると助かる」

「今よりもっと好きになって、よけいひどいアレルギー反応が出るかもしれませんよ?」

「試してみよう」


 俺は琴梨ちゃんの唇に自らの唇を重ねた。

 腕の中の琴梨ちゃんの体温が急上昇するのを感じた。

 拒絶する反応がアラートのように脳を苛むが、心と身体はそれを拒否した。


 ゆっくりと唇を離すと惚けた顔の琴梨ちゃんが俺を見上げていた。

 しかしすぐに顔をプイッと背けてしまった。


「どうしたの?」

「そ、その顔嫌いです! ちゃんとメガネを掛けて前髪で目を隠してください!」


 そういえば来る途中でメガネを捨てて髪を掻き上げていたことを忘れていた。


「もうバレちゃったし、別によくない? この方が多少は父さんとも似てるし、琴梨ちゃんもいいだろ?」

「駄目です。そんなのは私の愛した先輩じゃないですから!」


 琴梨ちゃんは背伸びして俺の前髪を元通り下ろしてくる。


「私の大好きな先輩はこのスタイルなんですから」

「そ、そう?」

「それにこの方が悪い虫も寄ってきませんし……」

「悪い虫って……そんな虫なんかいくら来ても俺には大切な琴梨姫がいるから見向きもしないって」


 意外と嫉妬することもあるんだなと新鮮な驚きを感じる。


「もうそろそろ、いいかしら?」

「え?」


 ビクッと二人で振り返ると飲み物をお盆に乗せたおばさんが立っていた。


「す、すいませんっ」

「ちょ、お母さん! いつからそこにいたのよ!」


 琴梨ちゃんは普段見せない子どもの顔で怒っていた。


 アレルギーがいつ収まるのかは分からない。

 でも俺は何があっても琴梨ちゃんと離れたりはしないと心に誓った。

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