第16話 不誠実

「はい、これ。プレゼント」


 翌日家にやってきた琴梨ちゃんにプレゼントを渡すと、目をキラキラさせていた。


「ありがとうございます! わー、うれしいな!」

「大したものじゃないよ」

「あー! これ欲しかったんです!」


 袋から取り出したジルスチュアートのリップを見て、琴梨ちゃんは大きな目をさらに大きく見開いていた。


「ピンクだけど清涼感があって琴梨ちゃんに似合いそうだなぁって思って」


 琴梨ちゃんは無言でじっと俺を見詰める。

 喜んで言葉も出ない、というのとは違いそうだ。


「気に入らなかった?」

「そうじゃないんですけど……なんか先輩って感じがしません。てっきりアニメのグッズとかなのかなって……」

「あ、そ、それは……その……ネット、ネットで調べて人気だって言うから」


 ついキモオタキャラを忘れて素で女の子の喜びそうなものを選んでしまった。

 そもそもオタク男子はすっぴん至上主義が大多数だから、女の子に化粧品などをプレゼントしない。たぶん。


「わざわざ調べてくれたなんて嬉しいです。さっそくつけてみますね」


 琴梨ちゃんはぷっくりとした唇にリップを塗る。

 潤いのある艶やかなピンクで唇がさらにプルンとした感じになった。


「似合います?」

「うん。よく似合ってるよ」

「へへへ。先輩に誉められちゃった」


 琴梨ちゃんは頬を赤くしながら指先でそっと唇を撫でていた。


「そうだ! 私も先輩にプレゼントがあるんですよ!」

「え、そうなの?」

「はい、これです!」


 渡してきたのはブレザーの下に切る白いシャツだった。


「だいぶよれよれになっていたので新しいのをと思いまして」

「はは……ありがとう」


 あれは不潔感を演出するためにわざとよれよれにしたものだった。


「あとこれです」


 そういって琴梨ちゃんはハサミを取り出す。

 光を浴びた刃先が怪しく光る。

 え? まさか刺されるの!?


「えっ……な、なに……?」

「私が先輩の髪をお切りします!」

「い、いいって!」


 髪を押さえて慌てて琴梨ちゃんと距離を取る。

 そして大きなミスを犯してしまっていたことに今さら気付いた。

 カラコンをいれて髪を染めていたとはいえ、素顔で琴梨ちゃんと会ってしまった。

 髪を短くして顔がはっきり見えたら昨日の『スズキ』と俺が同一人物であることがバレてしまう。

 つまり俺はこのままずっと琴梨ちゃんに素顔を晒せなくなってしまったということだ。


「そんな前髪が目にかかったままだと視力落ちちゃいますよ」

「これはこのままがいいんだ。僕のポリシーだから」

「そうですか? まあ、そこまで嫌がるんでしたら……」


 ポリシーといったのが効いたのか、琴梨ちゃんは渋々引き下がってくれた。


「さて。では料理を開始しましょう! 今日は中華牛すね肉シチューです」

「えっ!? なにその突っ込みどころ満載なメニュー」

「まあまあ。先輩はゲームでもして待っててください」

「よく分からないけど今からそんな手の込んだ料理作ったらすごい時間かかるんじゃないの?」

「大丈夫ですよ。牛すね肉は圧力鍋で柔らかくするんで意外と時間は掛からないんです」


 圧力鍋はお母さんが買っておいていったものだ。

 使ったことないのはもちろん、使い方すら知らない。


 ゲームをしていると圧力鍋のしゅんしゅんしゅんという蒸気機関車みたいな音が響いてくる。

 俺は振り返って手際よく料理を作っている琴梨ちゃんを眺めた。


 女の子が俺の家で料理を作っているなんて、ほんのつい最近まで考えもしなかった光景だ。


 琴梨ちゃんは不思議な存在だ。

 接近しすぎるとやはり他の女の子同様拒絶反応が出てしまうが、離れていれば感じない。

 もしかすると俺の女性アレルギーも琴梨ちゃんと付き合っていれば治るかもしれない。そんな期待さえ芽生えてくる。


「そんなにジーッと見られたら料理しづらいですよ」

「あ、ごめん」

「冗談です。先輩が見たいだけ見てくださって結構ですよ」


 琴梨ちゃんはおどけた顔をして近付いてくる。

 でも半径二メートルを切ると、やはり例の拒絶反応が出てしまう。

 こんなに真っ直ぐに愛してくれる琴梨ちゃんに申し訳ない気分になってしまう。



 小一時間後、完成した料理がテーブルに並べられた。

 今日は琴梨ちゃんも一緒に食べる日だから茶碗も二つある。

 牛すね肉の中華風シチューは深いブラウンでとろっとしていた。


「おー、なんかすごいね。一流店で出てきそうな感じ」

「見た目はまずまずですけど、味はまだまだです」


 さっそくスプーンでシチューを掬ってご飯にかける。


「あ、お肉柔らかい」


 塊のすね肉は口の中でほどけるように溶けていく。

 味は醤油とオイスターソースがベースで、中華料理ならではの香料がほんのりとアクセントとして効いていた。


「美味しい! 味もすごくいいよ」

「ほんとですか? よかった! いっぱい食べてくださいね!」


 たけのこやチンゲン菜もソースとよく合い、白ご飯が進む。

 相変わらず琴梨ちゃんの料理は美味しい。

 しかしどうしても気持ちの入り込んだ料理というのはアレルギー反応が出てしまう。

 愛情を抜いて料理してほしいとお願いしたくなるほどだ。



 食後は二人でキッチンに立ち洗い物をする。

 隣に立つというのはなかなかハードルが高いが、ご飯を作ってもらった上に洗い物までさせるのは気が引けるので手伝っていた。


 かけっぱなしにしていたテレビで携帯電話会社のCMが流れる。

 うちのお母さんが出演しているやつだ。


「あー、私この女優さん好きなんです」

「へぇ……」

篠宮しのみや玲子れいこって方なんですけど、元々うちのお母さんがファンで、その影響を受けて私もファンになったんです」

「そうなんだ。このお皿はここでよかったんだっけ?」


 話題をそらしたくて関係のない質問をする。


「あ、それはこっちです」と琴梨ちゃんは皿を受け取った。


 隠し事だらけだ。

 素顔のことも、YouTubeのことも、昨日の変装のことも、両親のことも、俺はあまりにたくさんのことを琴梨ちゃんに隠してしまっている。

 琴梨ちゃんはこんなにも俺に誠実に向き合ってくれているというのに。

 そんな不誠実さに自己嫌悪しながら泡のついた食器をすすいでいた。


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