第2話「日常」という名の檻から脱して

 朝、目が覚める。

「はぁ、またか……」



 昨日と同じ台詞を口にする。

また、大して刺激のない1日が始まる。


 親は仕事で滅多に家にいないので、平日は会うこともほとんどない。

そのため、一般の家庭より規律やセキュリティは甘いので、俺は週に2.3回程夜の街へと足を運ぶ。

 夜の街はもちろん危険もあるが、昼には見れない非日常を体験できる。


 

 ガチャガチャした電光掲示板がひしめく、夜の街"宿新じゅくしん"。

今日は少し気が向いたので、夜の街へと足を運んだ。もうすぐ夜中の24時を回るころだが、夜の街はここからが本番だ。


ふと道の端に目をやれば、酔い尽くして落書きだらけのブロック塀によたれかかっている者。


うずくまり、口から何やらキラキラしたものを出している者。


道ゆく通行人に、なにやら怪しい袋を押し付けている者。  


どれも見たことのある光景だ。


人通りのない裏道を覗けば、ガラの悪い兄ちゃん数人が二人のギャルっぽい女の子を取り囲んでいる。

昼の街が陽の世界なのだとしたら、夜の街は陰の世界だ。

俺は大きな欠伸あくびをして一通りスルーしながら、のんびりと夜の街を歩いていく。


 その時、俺の足元にドンッと何かがぶつかってきた。

ふと目をやると、7.8歳くらいだろうか?

角度や光の当たり方によっては少し茶髪にも見える、肩ほどの長さのある黒髪の女の子がそこにいた。

女の子は目を真っ赤に腫らして、涙目で俺を見上げている。

そして震える声で


「あ……助けて、お兄ちゃんっ!」


と言ってきた。


なんでこんな時間に小さい女の子が……。

助けてって、何からだ?

わけがわからずそう思いながらも、俺はその女の子に目線を合わせてしゃがんだ。


「どうした? ダメじゃないかこんな夜中に出歩いちゃ」


すると、2人の男と女がこちらに向かって走ってきた。


「探したわよ、花音カノン! ふざけんじゃないわよ! 手間かけさせんな、このガキ!」 


この子は花音と言うのか。

それにしても、なんとも口の悪い女だ。

男の方はどこのヤクザだろうか。

女の連れだろう。もしかしたらこの子の父親か?

俺と同じ金髪で、オールバックの髪型。

筋骨隆々としていてえらくガタイが良い。

タンクトップ一枚姿でその両腕には大きな入れ墨が掘ってあり、手には金属バットを握っている。


おいおい、なんでこんな小さい子相手にそんな物騒なもん持ってんだよ。


 女の子は、よりいっそう力を入れて俺にしがみついてきた。体も震えている。


「あの……娘さんですか?

なんか、すごい怖がってるようですけど、

何かあったんですか?」


少し面倒臭いなと思いながらも、二人に話しかける。


「ハァ? あんた何?

ヒョロそうなガキが、あたしの娘にちょっかい出してんじゃねぇよ。あんたには関係ないでしょ!」


なんとも口の聞き方がなってない女だ。

俺より年上なのは確かだが、それでもまだ20代前半だろう。

男の方は何も答えずにただこちらを見下す様に睨みつけ、ガンを飛ばしてきている。


俺は女の口調にかなりイラッときたが、女はそんな俺にはお構いなしだ。

俺から女の子を引き剥がす様にして、引きずって連れて行こうとした。


その女の子は恐怖のあまり、声を出そうにも出せない様子だ。必死の表情で俺を見る。


あぁ。虐待か。


 女の言動と行動を見れば一目瞭然だった。改めて女の子の全身を見ると、薄汚れたシャツから見え隠れする肌はところどころ青くなり、痛々しく膨れていた。


今時こんなクソ親が存在するのか。


 人通りがある場所でも、何一つ構うことなく他人に罵声を浴びせるのだ。

今回のような事も一度や二度ではないのだろう。


てゆうか、よく捕まらないな。


そう思いながらも、これ以上は関わりたくないなと考えてしまう。


 刺激は欲しいが、危険な目にはあいたくない。なんともまぁ都合の良いことだ。

自分でもそう思う。

変に首突っ込んだらやばそうだな……。

そう俺の心が危険信号を発した。

だが、次の瞬間その考えは一瞬で消し飛んだ。


「お兄ちゃんっ!」


目に涙を溜めながらも、女の子は俺を呼び叫んだ。その小さな体から発せられた声は必死に助けを求めていた。


「あのっ! 待ってください!」


そして俺は思わずその女と男を呼び止めていた。


「なんなの?」


あーっ。何言ってんだよ俺。

そう思いながら頭を掻きむしる。

だが、こうなったらやってやるぜ!


「あの、その子すごい嫌がってるじゃないですか!

それにとても怯えてますよ。親ですよね?

少しは子供のことを考えて……」


「はぁっ!? だからあんたには関係ないでしょ? これはうちの問題なの! 部外者が口挟んできてんじゃないわよっ!」


 女はさっきより大声を上げて、食い気味で俺に突っかかってくる。

一気にヒスになって暴れ出す様子をみて俺は思う。


これはだめだ。


とんでもなく家庭環境が悪そうだ。


「あんた、さっきからなんなわけ!?

ガキの分際でいっちょづらに説教??

次なんか言ってみな! その口聞けなくしてやるよ!」


「いや、でもっ、やっぱり子供のことは親ならきちんと考えてっっ……!?」


次の瞬間、俺の視界は女ではなくコンクリートの地面を捉えていた。


はっ?


地面には赤いものがポタポタと滴り落ちている。


なんだ?血か?


誰の血だ?


一瞬のことすぎて、頭がパニックになる。

だが、すぐに理解した。


これは俺の血だ。


男に殴られたのだ。

それも金属バットで躊躇なく。


「次はねえって言ったろ?」


男はバットを握りしめて俺に言う。


おいおいマジかよ。


女はフンっと俺を嘲笑うように見下している。周りを見渡しても、誰も助けようとする大人はいない。

みんな素通り、あるいは見て見ぬフリをする。

これも夜の街の特徴だ。

いや、これは現代の社会全体を表しているか。


女の子が駆け寄ってくる。


「お兄ちゃん……っ」


「ハハッ……イッテェ……こんな小さい子の前で、あんたら親失格だろっ!」


「てめえちょっと面かせ」


 男に首元を引っ張られる。抵抗する間もなく、人目の無い裏路地へと連れていかれる。


「お兄ちゃんっ!」


「大丈夫だよ……それより警察に早く行くんだ……っ!」


「あんたは大人しくしてろよっ!」


女の子は女に再び捕まれ、二発ほどその場で殴られた。


「なっ!お前っ……!」


その光景を目にした俺は、男から手を振り解こうとする。

だが、「じっとしろやぁ!」と無防備の腹にパンチをお見舞いされその場でうずくまり悶絶する。

男に目を向けようとした瞬間、顔面を殴られ立て続けに何発も思いっきり殴られる。


痛ってぇ。


殴られるのってこんなにも痛えのかよ。

バキッ! と骨が音を立てる。鮮やかな鮮血が壁に飛び、やがて殴られている感覚すらも無くなりそうだ。


 俺はなす術もなくひたすら殴られ続け、最後はフラつきながら硬いコンクリートに倒れ込んだ。意識が朦朧とする。

関節の節々が悲鳴をあげており、この調子では何箇所か複雑骨折してるだろう。

男は再び金属バットを手にすると、俺の頭を一発打ちつける。


「てんめぇ!」


 俺は血が流れるのを感じながらも、男が振り下ろしたバットを掴み、そのまま男を引き寄せると一発顔面を殴った。


痛すぎた。 


人の顔を殴るのってこんな感じなのかよ。


 殴り慣れてない俺は腕に痛みが走り、思わず腕を引っ込める。

パンチが軽かったのか男は怯むことはなく、俺の体を担ぎ上げると、そのまま勢いよく硬いコンクリート目掛けて叩きつけた。


「ガハッ!!」


 全身に痛みが走り、息ができない。

体が痺れる様に痛み、まるで内側から破壊される様な感覚に陥る。

手足は動かず、ピクピクと体が痙攣する。


あー、これは完全にアウトだ。


全身骨折確定だ、これ下手すりゃ内臓も潰れてるか?


その時、サイレン音が聴こえてきて、大通りの方が何やら赤い光でいっぱいになった。


警察だ。


先程の口論をみて、誰かが通報してくれたのだろう。


 警官が5.6人程降りてきて、女がわめきながらも取り押さえられているのがぼんやりと見える。女の子は女から引き離され、女性の警官に保護されている。

男の方にも、警官が3人ほど駆け寄ってきた。男は抵抗しようとバットを振り回したが、直ぐに取り押さえられた。


2人の警官が俺に駆け寄り、


「大丈夫ですか!」


「もしもーし! 意識はありますか? しっかりしてください!」


と、しきりに声を掛けてくる。



「あのっ、女の子は……」


俺は声を絞るようにして、尋ねた。


「大丈夫ですよ! 無事です!

とりあえず通行人から軽くお話は聞いているので、女の子の両親を詳しく取り調べした後お子さんを両親に引き渡そうと思います」


「いや、それじゃダメなんですっ……。

あの子、ひどい……虐待を受けています……」


 今にも意識が飛びそうだが、なんとか声を出して警察に伝える。

ああゆうタチの悪い大人は、どんなに事情聴取や取り調べをしたって適当に流してしまうものだ。そうなったら、また女の子は前と変わらない虐待を受け続けることになるだろう。


俺は必死に、真実を伝えようと警官に手を伸ばす。

「あ、あまり動かないで下さい!」

そう言われたものの、俺はゆっくり立ち上がって1人の警官の両肩を捕まえる。

頭がふらふらする。かなりの量出血しているだろう。


俺の行動に押されたのか、

「あっ……分かりました。とりあえず女の子にしっかり話を聞いて、結果次第で児童養護施設に保護して頂こうと思います。なので心配しないでください。もうすぐ救急車が来るので安静に……」とその警官は言ってくれた。


「お願いします……っ」


 その途端、安心感と同時に体の力が一気に抜けた。

警官の声が遠くなっていく。

ふと大通りに目をやると、女性警官に抱きついていた女の子が俺のそばまで駆け寄ってくるのが見えた。

女の子は、俺の耳元までやってくるとそっと俺に耳打ちしてきた。


「ありがとう」と言われた気がした。


「ああ」と答えたかったが、すでに俺は意識が途切れ途切れになっていて、言葉を発することすらもできなかった。


まぁ、とりあえずこれでよかったんだ。

ハハッ今日は非日常すぎたな。


そう考えながらも俺はゆっくりと瞼を閉じる。


 痛みはもう感じない。それになにやら心地よい感覚だ。さっきまで全身が痛んで苦痛で仕方なかったというのに。

遠のく意識の中、なんとなくだが俺は悟った。




「あ、これ、もしかして死んだか?」




 そして意識が無くなると共に、あらゆる感覚が遮断され、目の前には暗闇が広がった。 

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