夢現

 「綺麗な髪だねぇ」


 幼い少年は縮こまり、膝を抱えうつむいている。身体の熱を逃がさないように丸くなり、寒さから逃げるように建物の影に潜んでいる。人の行き交う通りから存在を消し、隠れていた。


「夜空に浮かぶ月のように、美しくて綺麗な髪ね」


 老婆は少年の前にしゃがみ、もう一度話かける。少年は最初、自分のことだとは思わなかった。生まれてこの方、容姿を褒める言葉を聞いたことが無い。罵倒ばとうされ、さげずまれ、時には乱暴につかまれる髪の毛。両親とは違う髪の色を、呪いのように頭部に被り、自らに課せられた罰だと受け止めていた。


 少年は顔を上げ、言葉の主を確認する。そこには真っ白な白髪しらがと赤みがかった茶色い瞳の老婆が、少年にニッコリと微笑みかけていた。


「僕のことですか?」


 二度褒められ、目の前に座っているにも関わらず、いまだ自分のことだと理解できない少年。


「そうさね、他に誰がいるんだい?」


 ゆっくりと返事を返す老婆。ストールをとり少年に巻きつける。


「何もありません、持ってないんです。僕はからっぽだから……」


 少年は、老婆の温もりが残るストールを外し、返そうとする。より一層、風の冷たさを感じながら。


「子供から何か取ろうなんて、思っちゃいないよ! 私の家にはね、同じ色のストールが三枚もある。一枚くらいあげたって困りゃしない。それは坊やが使いなさい」


 老婆はまたストールを少年に巻き直す。一度目よりもキツく。


「坊や名前は?」


 優しく頭を撫でる。少年にとって初めての経験だった。


「…… ヒエムス・ノクス」


 少年は、毛糸のように細い声で答える。老婆は見通すような瞳で少年を見つめ、付け足す。


「真名はどうしたんだい?」


 少年は驚き老婆を見つめる。何故真名を初めて会った人間に話さなければいけないのか、疑問と戸惑いから返事が出てこない。


 ストールをギュッと握り、返せるモノが無い少年は、せめて誠意で答えるのが礼儀だと考える。その結果相手を不快な思いにさせ、立ち去ってしまったとしても。


「僕の名前はヒエムス・ノクス。ヒエムス・・ノクスです」


 恥じるようにルナの名を口にする少年。初めて容姿を褒められ、寒さをしのぐ贈り物をくれた老婆に、恩を仇で返すことしか出来ない不甲斐なさがくやしかった。何も持っていないことを初めて哀しく感じ、暗く深い闇に気持ちが落ちていく。目の前の老婆も、きっと立ち去るだろうと。


「きれいだねぇ」


 驚き見つめ返す少年。


「髪の毛と同じ、美しい真名だよ」


 所々抜け落ちた歯を見せ、ルクリアの花のように笑う老婆の姿に、少年の心は溶かされてゆく。



♦︎♦︎♦︎



 涙がノクスの頬を伝って落ちる。


「……師匠、真名を美しいと言ってくれたのは、貴女だけでしたね」


 ノクスは涙を拭きとり、起き上がる。燃え尽きた薪の残りカスが、冬の侵入を易々とゆるしていた。


 幾度と見た師匠との出会いの夢。昨日のことのように鮮明に現れ、ノクスの心を暖める思い出の魔法。


「あと少しです」


 話し掛けるようにささやく。サルトゥス王国を遠くに確認し、立ち上がり歩き始める。



♦︎♦︎♦︎


 城下町に着き、スキエンティア魔術院の場所を尋ねて確認する。行き交う人の視線が自らに向けられていると錯覚し、ローブのフードを目深く被る。


(千年後にも人はいたが、こんなに大勢集まっているのは初めて見る)


 人の多さに驚きおののくノクス。

 

 千年後の人々は、先の見えない未来に疲弊ひへいうつむきながら歩いていたが、この時代の人間はもうすぐ訪れる春に期待し、朗らかに上を向いて歩いていた。フードを目深く被り、オドオドと歩くノクスは、場違いな存在に思えた。


 城下町の中を、スキエンティア魔術院の方角へ向かって歩く。道中師匠に会えないかと、キョロキョロと辺りを見回しながら。


(若い頃の師匠は、赤毛だと聞いた。きっと美しく、聡明な女性だろう)

 

 空飛ぶ自転車にまたがり、笑顔で手を振る女性や、壁をすり抜け現れる少年。何故か男性の周りにだけ雨が降り、トボトボと傘をさし歩く初老の人。千年後の世界では見たことのない魔法の数々に、はからずも心踊るノクス。師匠には会えぬまま、スキエンティア魔術院の外部生試験会場へと辿り着く。


 師匠探しを一旦諦め、受付の男性に声をかける。


「スキエンティア魔術院の外部生試験を受けたいのですが、どうすれば受けられますか?」


 丸い眼鏡をかけた、気難しそうな青年は資料から顔を上げ、ノクスを見上げる。


「こちらの附属学校に在籍したことはありますか?」


 早口な口調で喋る青年。無いと答えると用意された次の質問を提示してくる。


「では、どなたかの推薦状をお持ちですか?」


 それも無いと答える。まさか試験すら受けることができないのかと不安になる。


「ではお金ですね、こちらに八十万テルお納め下さい」


 金属で出来た四角い箱を差し出す。上部には直径十センチ程の丸い穴があった。


「今手持ちの通貨が少ないのですが、きんや宝石での支払いは可能でしょうか?」


 途中の村で、きんと交換した貨幣が多少残っていた。小指の爪程の大きさの金と千テルを交換し、パンや飲み物を買った残りの五百テルだけだったが。


「ん? 構いませんよ、その為の鑑定ボックスです。初めて見ますか? では説明しておきましょう。こちらの鑑定ボックスに入れたモノはなんでアレ、我が国の通貨へと等価交換されます。手数料も引かれません。支払いが発生する場合はその金額プラス国に納める税として、金額の十パーセントを上乗せされ引かれ、残りの金額は杖か指輪のメモリーへと記録されます。因みに先程申し上げた八十万テルは税込価格となっており、試験に合格した場合、別途学費として二百四十万テルお支払い頂きます。私が学生の身でありながら、受付のバイトをしているのは、この学費の二百四十万テルが足りず、分割ローンの返済にあてる為であります」


 矢継ぎ早に説明され戸惑う。ノクスにとって初めて聞くことばかりだった。


(杖や指輪に、通貨を保存する? それとも一旦全て国に預け、金額のデータを数字として記録されるのだろうか??)


 色々と質問したいノクスだったが、この時代の常識なら、浮いた存在で認識されてしまう。目的の為にも目立つ行動は極力避けたいと考え、質問することをやめる。


「では、お願いします」


 ノクスは鑑定ボックスへ、金銀宝石の入った袋をひっくり返し、丸ごと放り込む。小指の爪の大きさの金が千テル、宝石が高く換金されることを願う。


 箱の中でジャラジャラと音がなり止まる。受付の青年は箱の後ろを見て驚きの表情を浮かべた。どうやら周りに見られないように、鑑定結果は箱の裏側に表示されるようだ。


「いちじゅうひゃくせんまん…………いっ!! 一億二千万テル!!?」


 かなり大きな声で金額を読み上げる青年。ノクスは背中に視線を感じながら、早く終わらせようと、杖を差し出す。


「ももも、申し訳ございません、つい大きな声を出してしまいました。では杖を握られたまま、こちらの中に入れて下さい」


 青い液体の入った盆を指差し、説明する青年。盆と鑑定ボックスは、透明なチューブで繋がっていた。


 ノクスは杖を強く握り、青い液体の中へと沈める。時折肌を刺すように、ピリピリと刺激を感じた。


「はい、これにて手続き終了でございます」


 ノクスは液体から手を出す。何かで拭こうかと手を見ると、手も杖も乾いていた。


(私の杖の中に、青年が驚く程の大金が入っているのか……、不思議なわざだな」


「それで試験が始まるのは何日ですか?」


 気を取り直し、質問する。運が良ければ、試験会場で師匠に会えるかもしれない。


「何日ではありません。今日でも明日でも明後日でも構いません。外部生自体が少ないのです。魔術院の門は、常に開かれています。ただし通ることは非常に難しいのです」


 ニヤリと笑い、門を指差す。






 

 


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