第5話 穏やかな旅路

 目的地であるベスト平原は、学院のある王国中心から離れた西方面にある。

 山脈を一つ越えた先、まだ人の整備があまり行き届かない辺境にあり、辛うじて街道は開通しているものの、軍の魔獣掃討はあまり行き届かない。

 故に、未だに危険が多い地帯として、人々の往来があまりない。

 その街道を、学院所有の大きな馬車がゆっくりと西へと向かっていた。


「しかし、天気がよくて助かったな」

「そうですね。お師匠様」

 その馬車の御者台では、シュウが手綱を握っていた。着物の袖を軽く揺らしつつ、馬と外の様子を眺めながらつぶやき、その隣のレリアがこくこくと頷く。

 街道に吹く風に金髪を揺らしながら、彼女は目の前の光景を眺める。

「たまには、こういう外出も悪くはないですね」

「ああ、穏やかでいいものだ」

 そう言いながら視線を街道沿いに向ける。周りは広々とした穀倉地帯。黄金色に染まった穀物が風に穂を揺らし、のどかな雰囲気を醸し出している。

 街道の行く先の見えるのは、鬱蒼と茂る森、その先にあるのは白く雪化粧をした山々。これから向かう山脈だ。空は青く晴れ渡り、穏やかな陽光が降り注いでいる。

 自然に包まれていると、なんだか心まで洗われる心地だ。

 その風と陽光に包まれながら、シュウはレリアに笑みを向ける。

「丁度いい息抜きだ。のんびりしようか」

「お師匠様も最近、お忙しそうでしたからね」

「弟子も最近、根を詰め過ぎじゃなかったか?」

「あ、あはは、そんなことはないです、よ?」

 レリアは視線を逸らす。だが、その目元に浮かんでいるのは薄い隈。淡く浮かんでいる疲労の蓄積だ。シュウは苦笑いをこぼしながら視線を前に戻す。

「ならいいが。でも、こういうときくらいは寝てもいいと思うぞ」

「でも、それは勿体ないです……その、お師匠様のお隣にいられるわけですし」

 そう言いながら、恥じらうようにレリアは頬を染める。だが、それにシュウは気づかず遠くの山脈を見つめながら、ああ、と一つ頷く。

「そう言えば、隣り合って座る機会なんて、あまりなかったな」

「……そういう意味じゃないのですけど」

「ん? じゃあどういう意味だ?」

「いいえ、何でもないです。実際、ずっと向かい合っていたのは確かですし」

 手合わせでも、雑談の際でもシュウとレリアは向かい合っている。いつも視線を合わせ続けて過ごしていた。視線も合わせずに、隣り合う機会の方が少ないのだ。

(けど、意外に悪くないな……)

 視線を合わせていなくても、一緒にいた時間でなんとなくシュウはレリアが考えていることが分かる。レリアもきっと同じ気持ちなのだろう。

 しばらく二人はのんびりと居心地のいい空気を共有しながら、つかの間の沈黙を楽しむ。視線を交わすと、すぐにレリアと視線が合い、どちらからともなく微笑みを交わし合う。

 満ち足りた、行きの旅路だ。


「……イルゼ殿、いつも二人はあんな感じなのか」

「はい。夫婦か、というくらいに息がぴったりです」

 その二人を見やったイルゼとアズールは複雑そうに顔を見合わせていた。

 大型馬車の中、広々とした空間にはこの遠征に同行する生徒と講師たちが乗っている。とはいえ、十人以上は入り切らないので、馬車の二階席も利用。

 そこにイルゼたちも自然の風を味わっていたのだが……。

「……なんだか、空気が甘い気がします」

「同感だな。イルゼ殿。胸焼けしそうだ」

 その二階席から御者台は丸見え。仲良さげに微笑みを交わし合う師弟の絆を見せつけられることになっていた。イルゼとアズールは小声でやり取りしながらため息をこぼすと、対面に座っている講師二人が苦笑いを浮かべた。

「仲が良いことはよろしいですけど……これは、凄まじいですね。ユーシスくん、いつもこんな雰囲気なのですかな?」

「ええ、シモン先生、いつも仲睦まじいですよ」

「そうですか、いやはや、良き師弟関係なのですね」

 しみじみと頷くのは初老の講師。顎鬚を撫でつける彼に、アズールは困ったように眉を寄せて首を傾げる。

「こんな感じなのですが、一応、二人とも腕が立つのです」

「聞き及んでいますよ。アズールくん。まさか、こうして共に旅するとは思いませんでしたが」

「そうですね。シモン先生とご一緒できて光栄です」

 ユーシスが深々と頭を下げるのを見て、イルゼはアズールに小声で訊ねる。

「アズールさん、シモン教授はアズールさんのお師匠様、ですよね? やはり、すごい方なのですか?」

「ん、ああ、イルゼさんは直接言葉を交わしたことがなかったな。では、改めて紹介しよう。私が所属する研究室の講師の、フランツ・シモン教授だ」

「どうも、ええと、イルゼくん、でよろしいですかな?」

 にこやかに笑いかけてくるシモン教授。皺の寄った顔に愛嬌のある笑みを浮かべて穏やかに告げる。その声に表情を緩めながらイルゼは頭を下げる。

「は、はい、イルゼ・モルグです。よろしくお願いいたします……あの、シモン先生の専門はどの分野でしょうか?」

「軍学部の兵法を中心に講義を行っています。元が、軍人でしてね」

「軍人さん……ですか」

「ああ、主に参謀に加わっていらっしゃったが、足を痛められてからは講師として赴任。以来、二十年以上、学院で教鞭を取られている。確か、ブラームス殿もシモン教授の教えを受けられたとか……」

「ええ、もう六年前のことですが。その節はお世話になりました」

 ユーシスが深々と頭を下げる。なるほど、とイルゼは小さく内心で頷く。

(だから、こんなにブラームス先生が敬意を払っているんだ……)

 つまり、シモン教授は学院の中でもかなりの古株ということになるのだ。アズールもまたシモン教授に畏敬の視線を向けながら熱っぽく言葉を続ける。

「もちろん、兵の動かし方だけでなく、先生は魔術に対しても造詣が深い」

「そうだね。遠征で同行してくれるだけでも心強いです」

「二人とも、そこまで持ち上げても何も出ませんよ」

 シモン教授は品のいい笑みを浮かべて首を振る。それを見て、イルゼは思う。

(シュウ先生も頼もしいけど、シモン教授はどっしりと構えられているな……)

 イルゼはこの遠征に伴って護身術の教えをシュウに受けた。『シュウ先生』と名を呼べるくらいに親しくなったと共に、その剣の腕前を痛感している。

 だが、シモン教授とはそれとは違い、どちらかというと貫録を感じるのだ。

 どんなときでも、彼の判断さえ聞いていれば安心できるような雰囲気を漂わせている。それにイルゼは安心の視線を向け――ふと、シモン教授の足元に気づく。

 そこにあるのは一本の杖と、二つのトランク。

 かなり大きめのトランクに見つめていると、シモン教授は視線を追いかけて頷く。

「これはですね、私の武器なのですよ」

「武器、ですか?」

「そうなのです。実は……」

 シモン教授は口を開きかけた瞬間、不意にその身体が進行方向に揺れる。ユーシスは眉を寄せながら、腰を浮かして御者台を見やる。

 そこではシュウが険しい顔をしながら、前方を睨みつけていた。

「……どうしたんだい? シュウ」

「……どうやら、招かれざる客がいるようでね」

 シュウは落ち着いた口調で言いながら、手綱を引いて馬足を緩めていく。その横でレリアは表情を引き締めている。

 その二人が見やる前方に、イルゼとアズールも視線を送り、気づく。

 前方に現れた茂み。そこから揺れ、のっそりと巨体が現れる。黒い体毛に覆われた、獰猛な獣は爛々と瞳を光らせる。


 ――魔獣だ。

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