第2話 学院長の呼び出し

 数多の講師が数多く集う魔術学院。その講師たちは誰もが一癖も二癖もあり、実力者揃いだ。彼らの一人でも敵に回せば、恐らく相当厄介なことになる。

 そんな実力者揃いの講師たちの中で、最強は誰に当たるのだろうか?

 答えは一瞬で出るだろう――学院長だ。

 その答えに誰も否は唱えないはずだ。どの講師たちですら、最強を聞かれたら間違いなく学院長と答える。それは権威にこびへつらっているわけではなく、確固たる事実だからだ。

 誰もが畏怖と敬意を払い、その実力を認める存在――。


 それが学院長、キース・シュバルツという男である。


「ナカトミくん、ルマンドくん、よく来てくれた」

 その学院長が待ち受ける執務室に足を踏み入れると、機嫌のよさそうな声が響き渡る。シュウは軽く頷くと、机に向かう一人の壮年の男性に一礼する。

「お呼びということでしたので、参じました」

「うむ、ブラームスくんもご苦労だった」

「いえ、お安い御用です」

 ユーシスは背筋を伸ばし、はっきりとした声で答える。普段、柔らかい物腰の彼もさすがに学院長の威厳を前に畏まっている。

 シュウも背筋を伸ばしながら、学院長に視線を向ける。

 その顔つきはいかにも厳めしく、頬には一本の切り傷が刻まれている。軍服に似た詰襟の服に身を包み、自然体であるにも関わらずどこか張り詰めた空気を放っている。剣士であるシュウから見ても、その自然体には隙がないのだ。

 まるで、歴戦の軍人のように。

 その気配に畏怖したのか、レリアとイルゼもシュウの後ろで縮こまっている。

 それを庇うように少しだけ気迫を放ちつつ、さりげない口調でシュウは訊ねる。

「レリアの届け出を提出して以来ですね。学院長」

「うむ、学生が良き道を見つけられるのはいいことだ。どうだね? ルマンドくん、ナカトミくんの教えは」

「は、はい、勉強になっています。師匠も、その、すごく優しいですから」

「なるほど、良いことだ。その実績も目を通させてもらった」

「……実績?」

 きょとんとレリアはシュウに視線をやる。軽く頷きながら、シュウは懐から帳面を取り出す。

「学院長は学生の全ての成績を把握している。研究室の講師たちが書いた報告書に目を通している。レリアのこともきちんと報告申し上げている。将来、レリアが就職や仕官するときに困らないようにな」

「あ……お師匠様」

 少しだけ嬉しそうにレリアは表情を綻ばせる。学院長もわずかに視線を緩め、シュウとレリアに視線を行き交わせる。

「報告書はとても丁寧だ。ナカトミくん、よく教え子を見ているようだな」

「弟子ですので。師匠として、彼女の面倒を見るのは当然です」

「そう言い切れるのが、キミの美徳だ。この学院に招いてよかったと心から思う」

 学院長はしみじみと頷いて言ってから、ふとその視線を鋭くさせる。

 その張り詰めた気迫に、シュウとユーシスは反射的に姿勢を正す。

「今月末、遠征実習を行う。それにレリア・ルマンドくんとイルゼ・モルグくんを同行させる。ついては、ナカトミ、ブラームス両講師にも同行を命じる」

 遠征実習。聞きなれない言葉にシュウは眉を寄せるが、ユーシスはすぐに理解したらしい。軽く頷きながらはっきりとした声で問いかける。

「目的地は? 二人とも、非戦闘員です。前線には行かせられません」

「警戒区域にあたるベスト平原の遺跡探査を目的とする」

「規模は」

「二十名ほどとする。ルマンドくん、モルグくんの両名は主に後方支援を担当。講師陣は生徒の補佐に回る。他に関しては、書面で通達する」

「……了解しました」

 ユーシスは一礼し、視線を上げる。その顔つきはどこか厳しい。それを学院長は見て取ったようだ、低い声で静かに訊ねる。

「ブラームスくん、何か言いたげな様子だな」

「……はっ、恐れ多くも申し上げますが」

 ユーシスはわずかな逡巡の後、シュウとレリア、イルゼの顔を順番に見る。それから学院長に向き直り、はっきりとした声で言う。

「まだ、ルマンド、モルグ両名は遠征に出るには些か実力不足に思えます。また、講師ナカトミに至っては、遠征実習の経験がない講師です。春まで待つことを、具申します」

 ユーシスが珍しく強気な口調で学院長に意見をしている。その言葉を学院長は耳を傾けていたが、やがてその目つきを険しくして一際低い声で言う。

「私の決定が、不服か?」

 瞬間、ずん、と肚に響くような気迫が部屋に満ちる。それにユーシスは息を詰まらせ、一歩後ずさる。膝が震え、顔色が悪くなる。

 その余波を受けたのか、レリアとイルゼが苦しそうに吐息をつくのが分かる。

(……さすが、学院長。学院一の実力者というのは、伊達ではない)

 威圧感だけで、ここにいる講師を封殺することができるのだ。

 恐らく戦場で出会えば、シュウもひとたまりもなく消し飛ばされるだろう。

 だが、ここは戦場ではない。

 シュウは一息つくと、一歩踏み込む。それだけで、ふっと部屋の中の空気が軽くなる。その動きに学院長の視線がシュウへと向けられる。

 彼は目を細めながら、ゆっくりとした口調で訊ねる。

「学院長。そう押し通すのは、少々筋違いでは?」

「……ナカトミくんも、不服だというのか」

 その視線の温度が下がった瞬間、肚の底にまた何か重たいものが響く。まるで歴戦の強者が放つような濃厚な気迫がシュウを正面から押してくる。

 だが、シュウはそれに逆らわず、ただ穏やかに受け止めて続ける。

「ええ、不服です。筋の通らぬ話をお受けするのならば、当然のこと。そして、私たちには弟子たちを護る責任があります」

 シュウは学院長を見つめ返す。激しいほどの気迫を宿した視線がじっとシュウを注ぎ込み――やがて、ふっとその厳めしい顔つきに苦笑いを浮かべた。

 途端に薄らぐ気迫。部屋の中の空気が一瞬にして柔らかくなった。

「ふむ、やはりナカトミくんは一筋縄ではいかないか」

「それなりに場数を踏んでいますから。それにユーシスがこれだけ学院長に具申しておりますから……本当に二人を同行させるのは危険なのでしょう」

 そこで一息置くと、シュウは学院長に視線を注いで続ける。

「だが、学院長としても理由を言わずに押し通したい事情がある。そうですね?」

「……ほう、そこまで見抜くか。剣士の目は、さすがだな」

「そうでなければ、ここまで生きていません。それで、学院長」

「うむ、説明せねばなるまいな。できれば、あまり口にはしたくなかったが」

 学院長は椅子に深く背を預けてため息をこぼす。やがてその眼差しをシュウとレリアに向け、低い声で続ける。

「言うなれば、二人の師弟関係が問題になってな」

 その言葉にレリアが身を震わせたのが伝わってくる。シュウはそれを背に庇いながら、言葉を返す。

「書類に不備はなく、正式なものであるはずですが」

「そうは言っても諦めが悪いものはいる。故に、文句をつけてくるわけだが……その文句のつけ方が巧妙でな」

「と、いうのは」

「はたして、シュウ・ナカトミはこの学院の講師に相応しいのか、ということだ」

 その言葉に、シュウは思わずああ、と頷いてため息をこぼす。

「ああ、考えましたね。浅知恵ではございますが」

「まさに、いかにも浅知恵だ」

 だが、それで全て理解が行ってしまった。ユーシスもなるほど、と頷く。

 合点がいかないのは、レリアとイルゼだ。つい、とレリアは後ろから裾を引きながら遠慮がちな声で訊ねてくる。

「あの、お師匠様、それはつまり……お師匠様のお立場が悪く?」

「ということではない。学院長もそれを理解されている」

 視線を学院長に戻すと、彼は深々と頷いて声を和らげて言う。

「ルマンドくんのせいで、ナカトミくんの立場は悪くなってはいない。それは安心して欲しい」

「あ……よかったです」

「だが、浅知恵は浅知恵で効果はある。意味のない讒言でも、学院一の優等生を独り占めしているナカトミくんを面白くないと思う者はかなりいる。意味のない声であっても大きくなっていけば、それは無視できなくなる」

 学院長はやれやれと心底からため息をこぼす。それを引き継いだのはユーシスだ。安心させるような口調で生徒たち二人に声を掛ける。

「だから、学院長は遠征実習を企画した。そこでシュウやルマンドさんが無事に行き帰りできれば一応の格好はつく。実績が伴えば、学院長も説得しやすい」

「逆に今の俺たちは目立った実績がない状況だ。学院長が説得を続けても、講師たちは納得できない。結果、講師たちの不和を招くことも予想がつく。この前のアズールみたいに実力で訴えてくれればいいけど……そうもいかないのが、大人だからな」

 学院長と講師二人の解説に、ああ、とレリアは頷いて顔をしかめる。

「なんというか、はた迷惑ですね」

「大人の都合に付き合わせて、申し訳ないとは思うよ。ルマンドくん。だが、これはいい経験になることは間違いない」

「俺もそう思います……ただ、疑問がもう一つ」

「ふむ、なんだね? ナカトミくん」

「ええ……それならば何故、イルゼ・モルグさんも?」

 振り返って後ろを見ると、イルゼが気まずそうに肩身を寄せていた。話に出てきてほっとしたのか、こくこくと賛成するように頷く。

「疑問は尤もだが……これも、大人の事情だ」

「と、いいますと」

「ナカトミくん、ルマンドくんの遠征には万全を備える必要がある。不和の講師を連れて行けば、足を引っ張りかねない。そうなれば、適任なのはブラームスくんと言える」

 確かにユーシスは薬学に優れつつ、シュウとは仲の良い講師だ。その上、魔術結界など術式の腕前も優れており、遠征実習も何度も場数を踏んでいる。頼りになる存在であるのは間違いない。

「だが、その優秀さ故に、ある意見が上がったのだ。『ここまで優秀な人材がいるのであれば、一人は経験を積むことも兼ねて、未経験の人材を連れてはどうだ?』と」

 学院長の困ったような声に、シュウはわずかに眉を寄せる。

(足を引っ張らせるつもりか。に、しては少し徹底し過ぎているな……)

 なんだか、不自然な意図を感じる。だが、それを払拭するようにユーシスは冷静な声で訊ねる。

「それでこの人選としたのは、学院長ですか」

「うむ、成績などで考慮をした。何よりルマンドくんとの交友があることを重視している。その方が連携を取りやすいと思ったが……どうかね?」

「いえ、適任だと思います。彼女は未経験ですが、僕の助手なら務まります……どうかな? モルグさん。僕の助手として、同行するというなら」

「あ……はいっ、がんばりますっ!」

 イルゼは息を呑むと、唇を引き結んで真剣な表情で頷く。

(そういえば、イルゼさんはユーシスの研究室を志願していたからな)

 ここで成果を出せば、恐らく彼の研究室に入るのは有利になる。そこも学院長は汲んで判断したのかもしれない。シュウはそれを見やって口角を吊り上げると、学院長に向き直った。

「了解しました。遠征実習の旨、確かに承知いたしました」

「うむ、皆の成果に期待する。後で書類の方は届けさせる」

「はい」

 シュウとユーシスが頭を下げ、レリアとイルゼがそれに続く。学院長は満足げに頷くと、手で下がれと合図した。

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