第2話 レリアの弟子入り志願

 シュウ・ナカトミがグリモリッジ魔術学院の講師となったきっかけは、強盗を撃退したことだった。

 学院都市にある交換屋。貴重品を現金に、あるいは現金を貴重品に換えるその店にある日、突然、強盗が押し寄せたのだ。

 強盗は五人組で統率が取れており、店内にいた客を縛り上げると、店員を脅して金品を奪い始める。その客に交じっていたシュウは隙を見出すと、拘束から抜けて強盗を峰打ちで叩き伏せていったのだ。

 そうして時間は解決したが、実はその客の中に学院長が交ざっていたのである。

 シュウの剣術を認めた学院長により、スカウトされて講師となったのだ。

 といっても、彼が担当する講義は生徒たちの体力を鍛える『基礎鍛練』や身を護るための体術を教える『護身鍛練』など、多学科にむけた一般教養科目を担当するばかり。

 研究室で何かを研究し、生徒を教え導くのは無縁であった――。

 つい、昨日までは。


「お師匠様っ、お茶が入りました!」

 元気よく響き渡る、鈴の鳴るような声にシュウは現実逃避から引き戻される。視線を上げると、そこには制服の上にエプロンをした少女がお盆に乗せた湯呑を差し出している。

 愛らしく八重歯を見せて微笑む彼女の手から、シュウはそれを受け取って半眼を向ける。

「……で、キミはなんでここにいるのかな」

「お師匠様のお手伝いをしようかと思いまして」

 えへ、と笑みをこぼす彼女はお盆を胸に抱き締める。半眼のまま、シュウは湯呑に口をつけて一口お茶を飲み、深くため息をこぼす。

「キミを弟子にしたつもりは、一切ないのだが」

「はい、ですから、お師匠様が頷いてくださるまで、私は懸命に尽くすつもりです」

 ぐっと拳を握りしめ、真紅の瞳を輝かせるレリア。どうやら、彼女は何が何でもシュウの研究室に所属したいらしい。

 シュウはお茶を飲みながら、視線を部屋に向ける。

 部屋は六枚ほどの畳が敷かれた和室だ。行燈が部屋を穏やかに照らし、目の前の文机には丁寧に和綴じの本が積まれている。いかにも東方風な部屋だ。

 壁には木の棚があり、そこにも本が収められている。そこの大半の本は、昨日まで畳の上に適当に散らかしていたはずなのだが、丁寧に収納されている。

 よく見れば、畳は綺麗に磨かれ、つるつるになっている――。

 研究室は、いつの間にかレリアによって綺麗に掃除されていた。

 その畳の上に膝を崩して座ったレリアは、興味津々に部屋を見渡している。

「それにしても、素敵な研究室ですね。このランタンは……紙なんですね」

「行燈という東方の照明だ。東方はガラスが少なくてな」

「なるほど、温かみのある灯りですね。この床材も、綺麗ですね」

「ああ、畳という。東方に生えるイグサという草を編んだものだ。そういえば、掃除してくれたようだな。ありがとう」

「いえいえ、お師匠様のためですから」

「いや、キミを弟子にしたつもりはない」

「ガードが堅いです。先生は」

 むぅ、と頬を膨らませるレリア。こうして見ると、学生主席という印象はあまりない。どこか人懐っこいような感じすらある。

 シュウは文机に向かい、ペンを取りながらレリアに訊ねる。

「そういえば、ルマンドさん、今日の授業はもう終わったのか?」

「はい、私の履修している授業は終わりました。あ、ぜひレリアと呼び捨てで呼んでください。ルマンドだと堅苦しい気がして」

「いや、遠慮しておくよ。ルマンドさん」

「……じゃあ、私は全力でお師匠様と呼ばせていただきます。人前でも憚らず」

「誤解を招くからやめてくれ……分かった。レリア」

「はい、先生。ありがとうございます」

 くすぐったそうに彼女は笑みをこぼす。本当に愛らしい笑顔だ。彼女が一人いるだけで、この寂れた和室も少し華やいでいる気がする。

「……で、レリアはいつまでここにいるの?」

「先生が弟子入りを認めてくれるまで、です」

「頑固だな。レリアは」

「先生こそ。認めて下されば、掃除、洗濯、お茶くみ、授業のお手伝いまでします!」

「生憎、そういうのは間に合っているから」

 そう言いながら文机に向かい、書類にペンを走らせていく。

(……よし、と。あとは、印鑑を……)

 そう思いながら文机を見渡すが、印鑑が見当たらない。シュウはため息をこぼしながら、辺りを見渡すと、ふと目の前に印鑑が差し出される。

「はい、先生」

「あ、ああ、ありがと……」

「何故か本の間に挟まっていましたよ」

「……そういえば、栞代わりにしていたか……」

「先生って意外に面倒くさがりですね。はい、インクです」

「……どうも」

 用意周到に差し出された朱肉。シュウはそれを使って印を押しながら、レリアを横目で見る。彼女は嬉しそうに笑みをこぼしながら、何かを期待するような眼差しでシュウの顔を見ている。

 その視線に促され、彼はぶっきらぼうに言葉を返した。

「……ありがと。助かる。レリア」

「いえいえ、先生のためですから。あ、それと先生」

「ん?」

「こちらの書類に不備があるので、ハンコかサインをお願いします」

 そう言ってレリアは文机の上に書類を広げる。そこに書かれた文字は『研究室所属届』――。

「ささっとサインしていただければ、それだけで――」

「うん、非受理。返すよ」

「……やはり、ガードが堅いです」

 むむ、とレリアは唇を引き結び、差し戻された申請書に視線を落とす。シュウは苦笑いをこぼしながら、文机の上に置いてある本に手を伸ばす。

「ま、もう一度、考え直せ。意外と他の研究室の方が面白いかもしれないぞ」

「そんなことないですっ! 私は先生一途なんですっ!」

「……そういう言い方は止めてくれ」

 なんだか誰かが聞いたら誤解を招きそうだ。シュウはため息をつきながら本を片手に立ち上がる。

「とにかく、今日はここまでだ。レリア。俺のこれから担当の講義がある」

「あ、そうだったんですね。失礼しました。ちなみに何の授業ですか?」

「『東方文化論』だ」

「……意外です。先生の担当って、実技だけではないんですね」

「一応、これでも東方の国出身だからな」

 この学院のある国はかなり広大であり、異国ははるか彼方。だからこそ、異文化を語れる人材は貴重だということで、そういう講義も担当させられている。

 意外と学生たちも興味があるのか、この講義を取ってくれる生徒も多い。

 レリアは残念そうに吐息をこぼし、エプロンを外しながら言う。

「意外と先生のガードが堅いです。押せばサインしていただけると思ったのですが」

「そんな時間があるのなら、別の勉強をしなさい」

 ほら出ろ、と軽くシュウは視線で促す。レリアは立ち上がって研究室の扉に向かう。だが、少しだけ名残惜しそうに振り返り、小さな声で訊ねてくる。

「あの、先生……ご迷惑でなければ、また来てもいいですか?」

 どこか捨てられた子犬のような目つきで見つめられる。それに思わずシュウは気圧され――仕方なく深くため息をこぼす。

「……講師は、生徒の質問に応じる義務があるからな」

「あ……では、東方文化論をしっかり勉強してきますっ」

 その言葉にぱっと顔を輝かせ、無邪気に笑うレリア。愛くるしい笑顔にやれやれとシュウは苦笑いを返し、その肩を押して外に追いやる。

 シュウは研究室の鍵を閉めてから、レリアに軽く手を挙げる。

「じゃ、俺は講義だから。お茶ありがとう。美味かったよ」

「いえいえ、お気になさらず。では先生――また後で」

 楽しそうに笑みをこぼす彼女は意味ありげにウインクをすると、軽い足取りで廊下を歩いていく。シュウも歩き出し、講義のある教室を目指しながらふと思う。

(……また後で、ね)

 また明日、でも、さようなら、でもない。また後で。

 その言い回しになんだか引っ掛かるものを感じる。妙な予感を感じつつも、シュウは途中にある図書館で参考書を借り、その足で教室に。

 廊下を歩いていると、鐘の音が鳴り響く。始業前の予鈴だ。慌ただしく生徒たちは廊下を歩き、教室の中へと消えていく。それに続いてシュウも教室に入る。

 教室の前の教壇につき、参考書を置くと、丁度本鈴が鳴り響く。

 さて、とシュウは深呼吸して気持ちを切り替え、視線を上げる。

「それでは、『東方文化論』の講義を始める」

 そう告げてぐるりと教室を見渡し――ふと、一点で視線が止まる。

 見覚えのある顔に驚き……ああ、なるほど、とシュウは思わず納得してしまう。

(なるほど、確かに『また後で』だな)

 教室の最前列。教壇からよく見える場所の机を陣取っているのは、金髪紅眼の少女。レリアの悪戯っぽい笑顔から視線を逸らし、彼は内心でため息をこぼす。

 どうやら、彼女は想像以上に押しが強いらしい。

 深呼吸を一つ。気分を切り替えてから、黒板を振り返ってチョークを手に取った。

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