好きな人と夢 5

「――は」


 一瞬、なにを言われているのかわからなかった。

 予想外の言葉に、目を見開く。


 けいやくを、はき……?

 ケイヤクヲハキ。

 破棄。

 けいやく、を?


 なぜ?

 どうして?


 聞き間違い?



「今、なんて、」

「契約を破棄する。スイ、ここからは君ひとりだ」


 開いた口が塞がらない。

 全身から血の気が引いていく。

 無機質な兜はなおも私を見つめ、無慈悲な言葉を放ったのだ。信じられなくて、何も理解できなくて、手に持った袋と本をどさりと落としてしまう。


「なんで……?」

「……」


 ギンは無言で俯いた。

 ウソですよね? ウソだと言って。悪い冗談はやめてほしい。やめてよ、本当に。

 やめて。


「ねえどうして? ねえ、ギン……」


 鎧に触れて、乞う。

 冗談と言ってほしい。このまま私と来てほしい。

 それでも、ギンは動かない。それどころか、暗い現実を私に突きつけた。


「行け。君は夢を見ろ」

「いやだっ!」


 いやだ、いやだいやだいやだ。

 首を横にふり、現実を否定する。拒否する。

 こんなことあっていいはずがない。間違ってる。正しくない。


「来てよ! 私と来て! もうあとすこしなんでしょう!?」

「……」

「ギンッ!」

「俺は行けない」

「なら私も行かない! ギンがいないなら夢なんていらない! 海の水も意味がない! 砂の感触も価値がない!」


 今の私は、駄々をこねる子供と相違ない。そう思う自分がいても、こればっかりは譲れなかった。

 トウがいなくなって、どうしてギンまでいなくなる?

 旅は別れもあってこそだから? ちがうよ、だってまだ契約が終わってない。

 あなたまで私を置いていくの? お母様のように?

 あなたは私の騎士で、私のために国を裏切ってまで旅をしてくれたのに。なのにそんなあっさりと裏切るの?

 きっとなにか事情があるに違いない。一緒に残ってチカラになりたい。


 そうやってすがる私を、ギンがドンッ、と突き放した。今までにないくらい強くて、危うく転びそうになる。


「行けッ!」

「ギ――」

「俺はもうお前の騎士じゃない! 契約は破棄した、ここからはスイの旅路だ! 寄り添うことはできない! お前ひとりで行け!」


 冷たく、言い切られる。

 今までに無いくらいハッキリと、怒声まじりに別れを告げられる。


 愕然として、震えながら後ずさる。誰よりも信じ、追いかけ、恋していた騎士が、私を捨てた。『ずっと好きだった』という言葉に喜んだ矢先の結末だった。

 なにも理解できないし、納得がいかない。

 でも事実、私の騎士は私を捨てた。

 何がいけなかった?

 足の呪い?

 この目立つ銀髪?

 口調? 態度? 報酬?

 それとも、浮き足立つ私に嫌気がさしたの?


「もう、戻ってくるな……!」


 震える唇からは、もはや言葉も発せられない。あまりのショックに口も渇いて、声も出せない。伸ばした指先が、絶望でチカラを失った。

 放たれた拒絶が冷たくて、この現実を受け入れたくなくて、でも選択肢はなくて。意味が、わからない。

 ひとつだけ言えることは、ギンはもう、私を……。


「――ッ!」


 その場に落ちていた麻袋と本をかき集め、私は走り出した。

 ギンは当然止めることもない。それが悲しくて、顔を伏せた。


 風が頬にあたって、涙が流れた。


 大切な人を失った。

 大好きな人に捨てられた。


 今までに無いくらい、悲しくて仕方なかった。


 厚底のブーツが夢中で地面を蹴り、転んではまた走った。両手で抱えた袋の中身もぼろぼろこぼして、だけど本だけは握りしめて、とにかく走った。


「っ、……ぅっ……!」


 食いしばった歯の奥から嗚咽をもらし、泣きたいのを我慢して、逃げた。

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