羊皮紙に惹かれた三人 5

「本当ですかっ」

「う、うん、そうだけど」

「はじまったな」


 私がガタリと詰め寄り、トウが顔を引きつらせ、ギンが呆れ声をこぼした。


「あの本を書いた張本人がまさかリーゼ――ごほん失礼、トウだったなんて! 訊きたいことがたくさんあります! あの物語はやっぱり非現実の話なのですか? なんで『エマグレン』なんですか? 書いたときの心境は?」

「あーっと……ギン、これは?」

「スイの病気だ。エマグレン・リルミムに憧れている、のだと思う。おそらくだが。もと姫とは思えないだろう?」


 なんでしょう、今とても引かれている気がします。しかもギンにはさらっと酷いことを言われた気がします。

 トウはまあいい。でもギン、あなたはダメです。あとでお話があります。

 そういった意味を込めて笑顔をくるりと向けると、察したギンがそっと顔を背けた。


「あ、あはは、まさかあなたが愛読してくれてるとはね。あの本キツかったでしょ? 痛々しい妄想ばっかりで。私が昔書いたものだから、思い出すのも恥ずかしいのよ。……今も死にそう」

「スイ。ほどほどにした方が良い。トウの目が本気で参って――」

「ギンは黙って」

「……はい」


 一言で制する。

 ギンはジョッキの水とにらめっこしはじめた。あとで謝るけれど、今は邪魔しないでほしかった。

 私がなおもきらきらした目で見つめると、トウは目を泳がせた。気圧され、身を仰け反らせながらも、視線から逃げようとする。それでもなお「おねがい」と訴える。


「そ、そんなに聞きたい話? あなたが思っているような内容じゃないけど。ただあの頃は……ああいうのに憧れてて。大人になったら運命の出会いなんかにも巡り会えないかな、と思って。それで、た、旅の途中に趣味で書いてただけで」

「それで、それでっ?」

「そ、それで、旅仲間にもてはやされて、つい本に……く……」

「スイ、さすがにもう――」

「ギン」

「……はいすみません」


 や、やはり。あんなに甘ったるくて夢にあふれた常識破りの本は、そういう経緯でできたのか。なるほど。

 勇者とその仲間との旅は、私の想像が及ばないほど特別だったに違いない。楽しいことばかりではなかったのだろうけど、刺激的な日々が作り上げた妄想世界なのだと考えれば納得がいく。

 と、そのときだった。



「その本を勇者に笑われて、三巻で打ち切りにした話も覚えてるかぁい?」



 不意に聞き覚えのあるしわがれ声が飛び込んできて、私とトウ、そしてギンもそちらへ目をやった。背丈の小さい、いつぞやのおじさんがいた。

 私は目を丸くし、トウは苦虫を潰したような顔をする。


「わはははは! 数日ぶりだねぇお嬢ちゃん、それと朴念仁の騎士」

「朴念仁とは初めて言われたが、言い得て妙というやつか? ともかく先日は世話になった」

「なに、二人ともこいつと知り合ってたの?」


 トウもどうやら知り合いらしい。それも話し口調からしてずいぶん昔からの。

 羊の皮を積んだ馬車に乗せてもらったのは、とても助かった。

 護衛をする代わりに乗せてもらう、という取引きだったのだけど、もはや十割近くがこのおじさんの懇意だったと思う。そう考えると、今ここで再会できたのは恩を返すよい機会なのではないだろうか。

 というわけで、トウの食べている手羽肉を追加で注文する。

 そしてギンに席を譲られ座ったおじさんが、思い出すように会話にまざった。


「懐かしいねぇ。まさかまさか、本を馬鹿にされたヤツに惚れ込むとはなぁ」

「ちょっ、恥ずかしいこと掘り起こさないでよっ」

「なんですかそれ。詳しくおねがいします」

「ちょっと!」


 トウが赤くなる。おじさんが大笑いする。

 赤裸々な話が飛び交うたびに顔を手で覆う者、冷静な口調で突っ込みをいれては、怒鳴られる者。また笑う者。取っ組み合いになる二人。

 それを見て、笑いを堪える私。



 『人と物の交流地点』とは、よく言ったものだ。

 ここでは、ありとあらゆる物が交易につかわれ賑わいを見せている。だけどきっとそれ以上に、人のつながりが集う場所でもある。建国記念ともなれば、今もそこかしこで、再会や邂逅かいこうが起こっているのだろう。


 そう考えると、とても素晴らしく、夢みたいな時間だと思えた。


 いつの間にか温かい集団に加わっていた私は、ふと我が身を振り返り、そして微笑んだ。


 私が殺し、塗りつぶしてしまった故郷の人々。彼らに置いて行かれ、現実などアテにならないと諦めていた私が。

 すべてを自らの呪いで手放し、生きる意味を見失っていたかつての日々。そのなかで閉じこもっていた私が。


 今まさに、憧れた世界にいる。

 ズキリと刺す罪悪感を意識し、それを受け止め、今を噛みしめている。


 目の前にある彼らを俯瞰して、気づく。


「……これもきっと、夢のひとつだったんですね」


 穏やかな口調でこぼす。聞いている者はいない。

 そう思っていたのだけど、ふとこちらを見ていたギン――その兜の奥と目が合う。なんだろう、と思っていると、ここでは飲めないくせに、わざわざジョッキの水を掲げて見せてくる。「乾杯」とでも言うように。

 楽しめ。そう言っているのが伝わってきた。


 私も大きすぎるジョッキを掲げ、笑みを浮かべた。

 口にせず、つぶやく。

 乾杯。





「あんたが余計なこと言うからぁっ!」

「やめっ、いたいけなわしに乱暴をするのかぁい!?」

「いたいけぇ? それは私の台詞でしょうがっ」

「わはははははっ」

「何がおかしいのよっ!」


 ところで……お酒、飲んでないのですよね? 二人とも。

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