勇者と魔法使い 4

 リーゼリット・リルミム。

 そう告げた彼女は、私たちの顔を交互に見比べ、察したような苦笑いに変える。


、」


 私の持っている本の著者の名前を、記憶から引っ張り出す。

 十年前にも出回り、城の書庫に寄贈されたあの本。ほとんど名を聞かない、正体不明の作家。唯一の本を書いたその人は実は存在せず、合作をした複数人の総称だとも噂された、顔の見えないだれか。それが――エマグレン・リルミム。


「あなたは、」

か。ならばあの腕も納得だな」

「……へ?」

「ん?」


 今度はさっきと別の理由で、ギンと顔を見合わせる。

 すると一部始終を見ていたお姉さんにくすりと笑われてしまった。次いで、「トウと呼びなさい。さん付けはしないで」と釘も刺される。


「キレイ髪のあなたのは置いといて、今はそっちの無愛想なギンくんからね」

「呼び捨てで頼む」

「あー、ギンね? はい。そこのギンの言うように、私はリーゼリットって呼び名で通ってる。勇者さまと旅をした魔法使い――だったヒトよ。正真正銘ね」


 予想外の大物に目を剥く。

 ということはこの人、もしかしなくても、勇者とともに魔王を討ち取った英雄のなかの英雄じゃないの? かつて存在した、世のことわりすらも覆す魔法をいくつも知り、絶大な魔力をもって奇跡を起こした存在……。魔王が生きていれば、あの『話題を生み出す』魔法だって使えたかもしれない。否、使えたに違いない。私など足元にも及ばない超人だ。

 たしかこのミネルバに招かれてるっていうマレクシドの客人も勇者と関わりがあったような。ギンが言うにはルートビフ、という名の剣聖らしいけれど。

 つまりなんだ。今この街には、勇者と旅をした四人のうち半分が滞在していることになるのか。

 なおさら信じられなくなり、目をこする。


「え、ほ、ほんもの……?」

「ええ。今はわけあって逃亡生活中だけど」

「無理もない。勇者一行のなかで、魔法使いリーゼリットはもっとも風当たりが強いからな」

「どういうことです?」


 疑問を口にする。

 するとリーゼリットが片目を閉じ、説明役をギンに預けた。


「スイ。魔王が倒されたのはなぜだと思う」


 なんですやぶから棒に。そんなの決まっている。


「人間の生活を脅かしたからでしょう?」

「そうだ。事実、勇者と旅をした者たちはほとんどが平和のために戦ったと言われている。だが、魔王が消えて数年たち、別の説を盲信する派閥があらわれた」

「それは?」

「曰く。勇者一行は『世界から魔法を消すため』に魔王を討ったという説だ」

「……それって」


 ああ、なるほど。

 私はゆっくりとギンから目を移した。視線がぶつかり、また苦笑いを浮かべるリーゼリット――トウがいた。どこか痛々しくも見えるその表情だけで、すべてを悟ってしまう。

 勇者が魔法を消そうとした。平和の均衡を崩す魔王を討伐した大本の理由をそう捉えるならば、この世界では必然的にこうなってしまう。黒い隠れるような装いが、彼女の生き辛さを物語っていた。


「一部の人間は、魔法をと捉えている」

「……そんな、」

「魔法使いリーゼリットは『魔法を司る者』として、勇者一行の中ではとくに嫌われる傾向にある。魔法が失われてからはなおさらに。近ごろは人数も増えているようだし、さっき襲った男もおそらくはソレだ。スイをリーゼリットと同じ排斥すべき標的と捉えたのだろうな」


 皮肉な話だ。

 勇者が魔法を悪と見なしたのならば、魔王を討ったひとりである彼女だって、魔法を悪と見なしたことになる。にもかかわらず忌み嫌われるのは、筋が通らない。彼女自身まで悪と見なされることなどあってはならないはず。だって、魔法使いリーゼリットは魔法を自ら捨てたことになるのだから。

 トウに目を向けると、彼女は私の視線から逃げるように顔を背けた。そしてがしがしと頭をかく。


「魔法がなくなった今、私はただの呪われびと。あなたが尊敬の眼差しを向けていい人じゃない」

「そんなことは……さっきだって、助けてくれたじゃないですか」


 そうだ。彼女がただの人なわけがない。人間の平和を切り開くために、時間と労力を使って旅をした人だ。その証拠に、トウは剣を見事に扱ってみせた。あれもきっと魔法によるチカラなのだ。

 そう思っていた私に、彼女の申し訳なさそうな瞳が「違う」と否定する。


「あれは、魔法なんかじゃない。あのに秘められた特別なチカラにすぎない」


 宝剣。あの錆びた剣が。

 その単語を耳にして、ハッとする。もしかして、あの剣。


「ギン。頼みがあるわ」


 ここからが本題、とでも言うように、トウの顔が真剣味を帯びる。


「なんだ?」

「その剣、貸してほしいの。一日でいい」

「……理由を聞こう」


 ギンが兜越しに、じっとトウを見つめるのがわかった。

 俯いて前髪を揺らした彼女だが、すぐに顔をあげる。そこにさっきまでの笑みは浮かべていない。真っ直ぐギンを見つめ返す。

 私はそんな二人の一瞬を、横から眺めていた。

 返答はない。

 ギンとて、宝剣がなんなのかは理解しているだろう。彼女の意図も。それでも敢えて理由を訊いたのだ。彼女の意思の強さを、確かめるために。

 だが、彼女は魔法使いリーゼリットだ。ギンも私も、ひと目で無粋だったと悟る。


「……」


 どちらが何を言うともなく、スラ、と音がした。

 ギンが許したのなら、それでいい。きっと私も彼の立場なら、そうする。

 鞘から抜かれた剣の柄を、トウの手袋がそっと掴んだ。それから、銀色に錆びた部分を鏡のようにして、目を細めた。


「この剣、どこで?」

「死の森、という場所を知っているか」

「……ええ。知ってる。とてもよくね」


 トウの指が刀身を撫でた。

 細められた目が映り込む自分をのぞき込むように近づく。彼女はそのまま、ゆっくりと顔を近づけていき、



 目を、閉じた。



 口を挟めないような雰囲気が満ちる。

 トウはそのまま、抱くように刀身におでこをつけた。


「――、ありがとう」


 感謝をきく。

 私は横に立ったギンを見上げた。彼はトウから目を離そうとはしなかった。


 これといった装飾のない、錆びた剣。

 どこにでもありそうなこの剣が、どうしてあんな切れ味を持つのか、私は不思議でならなかった。さっきの戦闘もそうだ。ギンが振るうこの剣は見事にさばききったし、トウの持った剣は離れている標的にまで刃を伸ばした。

 私は、命のやりとりという世界を知らない。だから、切れ味もきっと扱う者の技量によって変わるのだと思っていた。

 けれど答えは別にあり、そして単純だ。


「まったく、あんたは……報われないわね」


 誰かに向けて、優しく語りかけるトウ。

 押さえつけられた前髪のせいで、その表情は見えない。


 ただ、口元にだけは、うっすらと笑みが浮かんでいた。






 ひとつの再会を見た。

 魔王を討ち、魔法を失い、勇者が死に、数年が経ったのちの。

 私は勇者がいつ死んだのか、どうやって死んだのかは知らない。

 けれど確かに、この二人の間には時間という壁が挟まり、苦悩が彼女を襲った。そして今こうやって、回り回って、救いを得たのだ。


 知られざる、離別の年月の果て。記憶の巡礼とも呼ぶべきこの行為は、悲しみと感謝と、形容できない様々な想いで溢れていた。



 私たちの旅がその手助けになれたのなら。これほど嬉しいことはない。

 寄り添う二人を見て、私はそう思った。

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