第51話 目撃者(1)

 黒く艶やかな毛並みの馬。筋肉は細すぎず、かといって余計なぜい肉は微塵も無い。手で頬を撫でると人懐っこく頭を下げた。かなりっしっかりと調教されているようだ。

「店主」

 カウルが声をかけると、汚れた前掛けを付けた背の高い男が厩舎の入り口から顔を覗かせた。手に持っていた桶を床に置き、こちらを眺める。

「この馬にします。いくらですか」

「四百万だ」

 店主は無表情でそれだけを呟いた。かなり不愛想な質らしい。

 通常これだけの馬であれば、軍馬として利用されてもおかしくは無い。四百万という価格は荷馬にしては高い方だが、馬の種類から見ればかなりお得な値段だと言えた。

 カウルは四年間退魔師として稼いだ貯金とベルギットの残した資金があったため、四百万程度であれば何とか支払うことが出来た。少し悩んだ後に、懐から硬貨を出し店主へと渡す。金を受け取った店主は静かに額を確認すると、黙々と馬の背に鞍(くら)を乗せ始めた。

「名前はあるんですか」

「……ティアゴだ」

 ぼそりと呟くように店主は言った。

 柵を開け手綱を引きカウルへと渡す。ティアゴは大きな丸い目でじっとカウルを見つめ、どういう意図があるのか耳をぴんと前に立てた。

「宜しくティアゴ」

 そっと頬に手を添え撫でると気持ちよさそうに瞬きをする。

 いい馬が見つかるか心配だったが、これならばうまくやっていけそうだと思った。

 長期の旅において馬は必需品だ。よい馬を持てばそれだけ移動が速くなるし、禍獣から逃げることも楽になる。何より大型の禍獣と戦う際は馬の有無によって退魔師の生死は大きく分かれる。そのため馬の選定はある意味剣以上に、退魔師にとって重要な要素だった。

 手綱を引いて馬小屋の外まで出ると、店主が後ろからぼそりと囁いた。

「馬の扱いは慣れているか」

「村で世話をしていました。一緒に旅をすることは初めてですが、乗り方や扱い方は心得ています」

「……そうか」

 カウルがまだ若いから心配になったのだろうか。店主はそっとティアゴの首を撫でた。

「長旅で使うなら、蹄の状態は常に注意しろ。土や糞が引っかかって溜まれば、簡単に病気になってしまう。それと、食料は常に意識しておけ。馬の摂取する水と食料はとてつもなく多い。いくら足の速い馬だろうと食事をさせなければすぐに動けなくなる」

「わかりました。気を付けます」

 意外と親切な人だったようだ。カウルがそう言うと、彼はティアゴの首を再度撫で、馬小屋の中へと戻っていった。

 荷作りや必要な買い物は済ませた。噂を聞いてから少し時間が経ってしまったが、これでようやく例の目撃者を探しに行くことが出来る。焔市場で聞いた話では東部は急増した禍獣の被害で酷い有様だという。出来るだけ早く見つけなければ、目撃者の発見は難しくなってしまうかもしれない。

 背中に背負っていた荷物をティアゴの尻の上に乗せ、グレイラグーンの北門から外に出る。顔見知りの兵士に挨拶をしてしばらく進んだところで、カウルはティアゴの背中に飛び乗った。

 背後には円形に広がる高い壁と、そこから飛び出すように見える町並み。偽祈祷師と刻呪の動向が掴めれば、恐らくしばらくはこの街に帰ってくることはないだろう。

 初めて訪れた時は人の多さとその冷たさに衝撃を受けたものだったが、今では名残惜しくすらある。何となく黙っていると、ティアゴが不思議そうに耳をくるくると回した。

「……行こうティアゴ」

 カウルは手綱を握り締め、彼の腹部を足で軽く押した。

 ティアゴはカウルの指示を正確に受け取りゆっくりと走り始める。こうして広い場所を出歩くのは久しぶりだったのだろうか。心なしか喜んでいるようにも見えた。

 いくつか山を通り過ぎ、半刻ほど歩き続けると、小さな川が目に入った。一昨日、黒剣を落としてしまったあの川だ。

 カウルは橋の手前で進路を右へ変え、そのまま東に向かって進んだ。王都で買った地図が正しければ、この川は海岸まで真っすぐに伸びているらしい。つまりこの川に沿って進めば、ある程度は迷わずにグレムリアの東部へ辿り着くことが出来るはずだった。

 数日前の濁流が嘘のように穏やかに流れる川。それを眺めていると、自然と黒剣のことが頭に浮かんだ。

 あの剣は一体どこまで流されたのだろうか。豪雨は長い間続きはしなかった。濁流に飲まれたとしても、それほど離れた場所までは行っていないはずだ。もしかしたらこうして気を付けて歩いていれば発見出来るのではないかと、小さな期待を抱く。

 黒剣のことを思うと何とも複雑な気分だった。

 退魔師としての立ち回り。仲介屋との交渉。必要な道具や心構えの作り方。基本的な技術や知識の多くはイーダから習ったものだけれど、こと剣技に関してだけは、おそらくカウルの師は黒剣なのだ。彼女がカウルに今の技術を叩き込み、力をつけてくれた。彼女のおかげで戦える力を得ることが出来た。

 見つけたら間違いなく破壊するべき代物であることはわかっている。けれど心のどこかであの剣を破壊したくないという気持ちも残っていた。

 カウルは東部にたどり着くまでの三週間、黒剣の姿を探し続けたが、結局最後まであの剣を発見することは叶わなかった。

 どこかで誰かに拾われたか、それとも見逃してしまったのか。東部に着いたカウルはほっとしたような残念なような、何とも言えない感情を抱いた。

 東部の土地は傾斜が激しくやたら道が上下に入り組んでいる。少し注意を怠ると簡単に崖から下へ落ちてしまいそうになるため、カウルは注意してティアゴを操作する必要があった。

 海へ近づくごとに空気に妙な重さが乗っていく。この感覚には覚えがあった。四年前。刻呪の呪いが溢れた直後のロファーエル村。あの時とそっくりなのだ。

 虫や鳥、小動物の声も消え失せ、森の中が静まり返っている。まるで死の世界へ足を踏み込んでしまったかのような、不気味な感覚だった。

 意識を五感に集中させながら街道を進んでいくと、しばらくして人の声のようなものが聞こえた。周りが静かなだけにはっきりと耳に届く。目を向けると、高い岩場の中央を反対側までくり抜いたような場所に、小さめの砦が見えた。声はそこから聞こえているようだ。

 人がいるのであれば、何か情報が得られるかもしれない。カウルがそちらへ近づいていくと、砦の入り口付近に複数人の人だかりが見えた。

 目から下が吹き曝しになった逆さ三又のような兜に、グレムリアの紋章である珊瑚が描かれた鎖帷子。恐らく国の正規軍だろう。五人ほどの兵士が簡易的な木の陣を引き道を塞いでおり、その前に数人の旅人が足を止められているのが見えた。

 関所……いや駐屯地か……?

 地図が正しければ、海岸へ向かうにはこの岩場を越えなければならない。そして岩場の向こう側へ行くには、どうやらこの砦を中継する以外、近くの道は無いようだった。

 犠牲者を増やさないために兵士を配置しているのだろうか。グレムリアの兵士がそこまで国民の命を大事にするとは思えなかったが、せっかく久しぶりに見れた生きた人間だ。情報収集のために、カウルはティアゴから降りて彼らへと近づいた。

「――だから駄目だと言っているだろう。ここから先は禍獣が溢れかえっている。誰だろうと通すわけにはいかない」

「お願いしますよ。この先の村には俺の娘夫婦が住んでいたんだぁ。あんたらに迷惑はかけねえから」

 大きな荷袋を背負った初老の男がすがる様に兵士に訴えかけた。後ろに居る二人は彼が雇った護衛の退魔師だろうか。面倒くさそうにそのやり取りを眺めている。

「駄目だ。お前らが死ねば禍獣の材料となる死体が増えることになる。こっちは既にいっぱいいっぱいなんだ。害になるとわかっていて通せるか。……大体ここより先にはもう生きた人間は兵士しかいない。家族を探したかったら、手前にあるルシード街を探せ。海岸側に居た住民の多くはそっちに避難しているはずだ」

 ルシード街。聞いたことの無い名前だ。東部では有名な街なのだろうか。

 黙って聞いていると、初老の男は諦めたように列の先頭から離れた。続けて今度はいかにも傭兵といった顔立ちの男が兵士の前に進み出た。どうやら彼は仕事を求めてやってきた退魔師のようだった。自分の腕を自慢しながら兵士に金銭交渉を始めたが、まったく相手にされず軽くあしらわれている。

 どうあっても人を通すなと、通達を受けているのだろう。この雰囲気ではきっと何を言ったところで通してくれはしなそうだ。ルシード村とやらに海外沿いの多くの村人たちが避難しているというのなら、そちらに向かった方がいいのかもしれない。

 カウルは横に立っていた別の兵士に話しかけ、ルシード村の位置について尋ねることにした。

「あの……ちょっといいですか」

「何だ?」

 あからさまに面倒くさそうに返す兵士。さっさと集まっている人々を追い払いたいのが目に見えて読み取れた。

「この近辺の住民はみな、ルシードって街に避難しているんですか」

「ああ。そうだ。大抵の連中はあそこに避難している。なにせこのあたりで一番でかい街だからな」

「そこへはどうやって行けばいいんですか。道を教えて欲しいんですが」

 そう言うと、兵士は値踏みするようにカウルを眺めた。

「お前さんも、死門の騒ぎにあやかって仕事探しに来た退魔師か」

「似たようなものです」

 余計な問答はしたくなかったため、カウルは適当に話をごまかした。

「……ルシード街ってのは、元王都グレイリーブスの跡地に建設された街だ。王都の廃墟の一部をそのまま利用してるからかなり大きな街でな。ここから南下すれば、嫌でも目に入る」

 確かグレムリアの王都は二百年前に死門から離れるため移転したとの話だが、それがここ付近だったのか。確かにそれなら多くの人が避難するにはもってこいの場所だろう。カウルは兵士の話に納得した。

「ありがとうございます。行ってみます」

「気を付けろよ。死門のせいで大量発生した禍獣はここみたいな砦のいくつかで何とか抑え込んではいるが、それでも包囲を突破する禍獣はちらほらいる。森の中はいつも以上に危険なはずだ」

「わかりました。注意しておきます」

 礼を言って回れ右をすると、特に引き留められることも無く駐屯所の前から離れることが出来た。先へ進もうとしない人間に対しては、それほど興味は無いのだろう。

 カウルはティアゴに跨りすぐにルシード街を目指そうと思ったが、ふと思い直した。

 せっかくここまで来たのだ。停滞しているという死門の姿を自分の目で一目見ておきたかった。ここは海岸にかなり近い。駐屯地から先へ進むことは無理でも、高台に登れば景色くらいは眺められるはずだ。

 カウルは近辺で一番高そうな丘を探し、そこへティアゴを走らせた。道中死体やら見たことの無い禍獣の姿などを目にしつつ、戦闘は避け迂回して進む。ある程度上まで来るとちょうどよい開けた場所に出た。木々も岩もほとんどない、かなり見晴らしの良い場所。少し前に進むだけで海岸線が目に入り、風が頬を強く殴りつけていく。

 怯えているのだろうか。ティアゴが小さく鳴き声を上げた。カウルは落ち着かせようと彼の首を撫でながら、そっと海の奥で渦巻くそれに目を向けた。

 幾多に降り注ぐ雷に、吹き荒れる竜巻。そして重々しく空を覆い隠し、あらゆる光を奪く黒々とした雲。

 間違いようがない。幼い頃より何度もロファーエル村から遠目に見てきた姿。触れたものの命を吸い死を与える嵐――死門。それが確かにそこにあった。

「……本当に、止まっている」

 噂では何度も耳にしていた。けれどこうして自分の目でそれを確認すると、改めて事態の異常さを再認識させられる。

 死門が目視出来る範囲にいるということは、同時に自分自身もその即死効果の範囲内に収まる危険があるということ。本来であれば、今すぐにでも回れ右をして逃げ出すべき距離。たとえ馬に乗っていたとしても、追いつかれ命を吸われてもおかしくは無い。そのはずなのに、どれだけ見つめていても、どれだけ時間が経とうとも、目に映る景色は一向に変わらない。まるで世界の一部が釘で縫いつけられ、死んでしまったかのようだった。

 例の目撃者は死門が止まる直前に、巨大な三つ目の化け物と怪しい人影を見たそうだが、こんな真似を本当に人の手で起こすことが可能なのだろうか。いざ自分の目で確認しても、にわかには信じられない。

 もし目撃者が目にした怪物が本当に刻呪であるなら、偽祈祷師は最初からこのためだけに刻呪の封印を解除したのだろうか。死門の動きを止めて、禍獣を溢れさせて、こんなことをして一体何になるのか、いくら考えてもその意図はわからないけれど。

 しばらくそうして観察をしていると、視界の端で何やら動いているものが目に入った。カウルがそちらに目を向けると、別の丘の上に灰色の外套を身にまとった複数人の人間が立っているのを発見した。

 彼らの間には小さな木製の祭壇のようなものが設置してあり、立ち並ぶ面々はそれに祈りを捧げているようだった。

 左右の親指と人差し指で円を作り、それを胸の前で重ねた構え。あの祈り方は、三神教のものではない。

「……災禍教の信者か」

 グレムリアや焔市場で何度か目にしたことがある。カウルはすぐに彼らの正体に思い至った。

 災禍教は九大災禍それぞれで個別の信仰と組織を形成しているというが、ここで祈りを捧げているということは、彼らは恐らく死門信者に違いあるまい。位置的に考えて、別の場所から兵士たちの関所をすり抜けてあの場所へ陣取ったようだ。

 この辺りは禍獣が急増しているため、いつ襲われてもおかしくは無いのだが、まったく気にしていないようにも見える。

 死門信者は自殺願望者や死に憧れを持つ者が多いと聞くが、そのせいだろうか。無表情で祭壇と死門を眺め、ひたすら祈りの言葉を呟き続ける彼らの姿は、三神教の教義を持って育ったカウルにとって、酷く異質で不気味なものに見えた。

 ティアゴが鼻を鳴らし、こちらに目を向ける。カウルは彼を落ち着かせるように声をかけた。

「ああ。わかってる。そろそろ行くよ」

 ここは死門の影響が強すぎる。そこら中から禍獣の気配がするし、何より空気や周囲の草木に降り注いでいる呪いの量が尋常ではない。長居をすればするだけ体への害は大きくなってしまうだろう。

 手綱を引き向きを変えると、ほっとしたようにぴんと立てていた耳の力を緩めるティアゴ。

 カウルは苦笑いを浮かべて、そんな彼の背中をそっと撫でた。




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