第5話 生贄(5)

 坂道を登りながら、カウルは木に吊るされた白い三角形の紙飾りを見た。生贄を見送るために皆が折った三神教のシンボルだ。

 道の左右には村人たちが並び、カウルに祝福と感謝の言葉を述べながら祈りを捧げている。カウルに同情してくれているのか、中には涙を浮かべている者もいた。

 生まれ育った村のはずなのに、よく目にしていた道なのに、まるで見知らぬ場所に来てしまったかのようだ。自分は一体今どこを歩いているのだろうか。こんなところで何をしているのだろうか。自分でもよくわからなかった。

 刻呪の祭壇は村の北端にある大きな岩場の中に建てられている。そこへ行くためには岩壁に囲まれた細い道を通り抜ける必要があり、その入口の前に村長と祈祷師が立っていた。

 いよいよ儀式が始まるのだ。村の呪い――刻呪と呼ばれる何かに身を捧げる儀式が。

「カウル。覚悟は良いかね」

 村長が微笑みながらカウルを見下ろした。

 もう間もなくお前は死ぬけど、いいかい? そう突きつけられた気分だった。

 カウルは周囲を見渡した。最後に父と母の姿をひと目見たかったのだ。

「残念だが、カエルムとサーリアはこの場には来れない。実はお前が生贄に選ばれた日から、毎日のように生贄を変わりたいと申し出をされていてね。念のために儀式当日は別の場所で待機して頂くことにしたのだ」

 その言葉にカウルは驚いた。

 父と母は真面目な人間だ。悲しくは思いつつもてっきり自分が生贄になることに納得はしていたと思っていたのに。

 村長は複雑そうな表情でカウルの肩に手を置いた。

「カウル。誤解しないで欲しい。カエルムもサーリアも君を愛している。我々だって、出来れば君を犠牲にしたくはない。……だがこれは仕方がないことなのだ。村の皆が生きていくためには。まだ若いお前には難しいと思うが、どうにか理解して欲しい」

 村長の目に嘘の色は見えなかった。建前を守るための口上ではない。本当に心から申し訳ないと思っているのだとわかった。

 誰かが生きるためには、誰かが犠牲にならなければならない。狭い池の中で作れる泥人形の数は、決まっているのだから。

 カウルは最後に見た今朝の両親の顔を思い出した。あの辛そうな優しい笑みを。

 かえってこれで良かったのかもしれない。今両親の顔を見れば、きっと我慢ができなくなってしまうかもしれないから。

「じゃあ行こうか。ここからは祈祷師殿が案内をする」

 村長は一歩後ろに下がった。それを見た祈祷師が岩場に囲まれた細い道の前に出た。いつもとは違い儀式用のフードを被っているせいで表情は見えないが、ついてこいと言っているのだろう。

 そういえば、ゴートとモネもいないな。

 あの二人がカウルと親友であることは周知の事実だ。もしかしたら両親と同じように拘束されているのかもしれない。カウルは強い寂しさを感じた。

「さあカウル」

 村長が後ろから声をかける。

 カウルは大きく息を吸い込むと、思考を切り離すように息を吐き出した。

 カウルの動きを見て歩き出す祈祷師。カウルが彼に続くと、

「神は全てに御手を伸ばされ、全ては手を取り合い神位へと至る」

  村長が三神教の教義を引用した見送りの言葉を述べた。



 岩と灰色の木々の中を歩いて行く。

 聞こえるのは風と葉の揺れる音だけだ。急に訪れた静寂にカウルは強い孤独感を抱いた。何だか世界に居る人間が自分だけになってしまったかのような気分だった。

 前を歩く祈祷師を見る。いつも厄払いの時は嫌と言うほど饒舌な彼だったが、まるで人が変わったように口を開かない。覚悟を決める時間を作ってくれているのか、それとも役目に徹底しているのか。どちらにせよその静寂はカウルの不安を助長させた。

 道は徐々に狭まっていき、それに連れて左右に立ち並ぶ岩の高さが増していった。半ば強制的に視界は祭壇が置かれた正面の岩穴に釘付けとなる。

 足が上手く動かせない。前に出しているはずなのに体のバランスが取れない。勝手に左右にふらついてしまう。

 大量の汗が拭きあがり肌着が胸に密着する。もういっそ早く終わって欲しいとすら思った。

「カウル!」

 突如どこからか声が聞こえた。

 カウルはばっと顔を上げた。ありえないとは思いつつも、勝手に体が声の主を探してしまう。

 道の先の左側にそびえたつ灰色の大木。その後ろから、見慣れた坊主頭が姿を覗かせていた。

「ゴート。何でこんなところに居るんだ!?」

 声を聴いた祈祷師も足を止め彼を見つめる。カウルはまずいと思った。

「今すぐ帰れ。清像の儀式の妨害は大罪だぞ」

「そんなこと知るもんか! 逃げるぞカウル。今ならばれずに村を出れる」

 よく見るとゴートの後ろにはロープが垂れさがっており、岩場の下へと続いているようだった。

「モネも下で待っている。早くしろ」

 モネも? 嘘だろ……!

 こんなことをすれば、例え未遂だろうとただで済むはずがない。間違いなく酷い罰を受けるはずだ。

 自分を大事に思ってくれていたことは感じていた。姉が生贄にされたことを恨んでいるのも知っているつもりだった。でもまさか彼がこんな暴挙にでるとは思ってもみなかった。

「ゴート、カウル、早くして」

 下の方から確かにモネの声が聞こえる。本当に彼女もこの場に来ているようだった。あれだけ三神教や祈祷師の熱心な信者だった彼女がこんなことに手を貸すとは、信じられなかった。

「何で……モネまで」

「おい祈祷師様。下手な真似はするなよ。邪魔をしなければ何もしない」

 ゴートの手には短刀が握られていた。それを前に突き出し祈祷師を威嚇する。大人たちから聞いた野盗の口調をそのまま使っているようだった。

 祈祷師は一言も口にせず、黙ってゴートの姿を見ている。相変わらずフードのせいで表情が見えずらいが、僅かに驚いているような気配は感じた。

 どうする? 逃げるべきなのか? 逃げていいのか? でもそんなことをしたら二人や父さんたちが……――

 考えが追いつかない。何が正しい選択なのかわからない。本心では今すぐにでもゴートとモネについていきたい。だが理性がそれを押しとどめてしまっていた。

「カウル、早くしろ!」

 ゴートが怒鳴る。それを聞いてカウルは思わず足を前に出しかけた。

「……子供はいつも本当に大胆な真似をする」

 いつもとはどこか違う祈祷師の声。彼はカウルの肩を押しとどめると、ゴートに向かって歩み寄った。

「おい動くなって言ってるだろ。こいつが見えねえのか」

 短刀をこれ見よがしに突きつけてみせるゴート。しかし祈祷師はそんなものなど全く気にしていないようだった。

 何やら聞きなれない言葉を小さくつづる。いつも聞いている神言とはどこか雰囲気の違う言葉だった。

 呟きを終えた祈祷師が手を横に振った瞬間、ゴートの目が泳いだ。そのまま短刀が手からすり抜け、筋肉が無くなってしまったかのように崩れ落ちる。

「ゴート……!?」

「心配ない。寝ているだけだ」

 祈祷師はそのままロープの下に向かって同じ動作を繰り返した。カウルが岩場の隙間から下を見ると、倒れているモネの姿が見えた。

「……さあ行こう。祭壇はすぐそこだ」

 何事も無かったかのように振り返ると、祈祷師は変わらぬ声でそう言った。



 坂を上り切り、岩場の洞窟の中に入った。

 中はたいして広くはなく、カウルの家の一部屋くらいの大きさしかない。そしてその中央に、無造作に古びた石の台が置かれていた。

 カウルは前に何度かここに来たことがあった。まだ刻呪について知らなかった頃、村の中を遊びまわっているうちに偶然辿り着いたのだ。あの時はただの古い三神教の崇拝場所だとしか思っていなかった。ゴートたちとここで秘密基地ごっこなどをして、おやつを持ち込んで食べたりもしていた。もし十年ごとに人が殺されている場所だと知っていれば、決して近づいたりなんてしなかったのに。

 祈祷師は無言で台座の前を指さした。地面がわずかに円形にへこんでいる場所だ。それを見ると、思わず足がすくんだ。

 ちくしょう。俺はこの期に及んでまだ覚悟ができないのか。

 先ほど無理にでもゴートやモネと逃げていれば、そんな考えが浮かぶも、何とか振り払う。自分はあの二人や両親を守るためにこの場にいるのだ。彼らが大事だからこそ、ここで死ななければならない。

 円形の地面に進み座り込む。ちょうど祭壇を見上げる形だ。祈祷師の黒い影が目の前でただずんでいた。

「それでは儀式を始める」

 祈祷師は不愛想にそれだけを言うと、カウルの背後に立ち先ほどと同様によくわからない言葉を口ずさみ始めた。

 変だな。事前に聞いていた話と違う。

 祭壇では三神への感謝の儀礼を述べた後、生贄の手首を切ってその血を祭壇の上にある杯に注ぐ流れだったはずだ。血を触媒にして自然に祭壇の術式か発動し生贄を媒体に封印の呪術が再結束される。と、そう聞いていたのだが。

 次第に眠くなっていく。先ほどゴートやモネに掛けられた術式と同じ神言のようだった。

 気を使ってくれたのだろうか。あの祈祷師がそんなことをするとは思えないのだけれど。

 視界がぐらぐらと揺れる。目の前に映る祭壇が生き物の様に揺れ動き歪んだ。

 これで終わりか。これで……。何だ。大した事ないじゃないか。随分とあっさりした感じだ。

 ゴート。モネ。元気でな。父さん、母さん。今までありがとう。

 最後は大好きなみんなの顔を思いだして死にたい。薄れゆく意識の中、必死に楽しかった記憶を思い出そうと足掻いていると、こちらを見つめる祈祷師と目があった。

 ……あれ?

 気のせいだろうか。祈祷師の顔が変に見える。いつもよりずっと若い別の誰かに……――。

 そこでカウルの意識は途切れた。



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