6 賢治の事故
それからしばらくの間は平凡な日が続いた。
学食で久美の姿を見ることはあっても、お互い別のグループだったし、声を掛け合うほど親しいわけではない。
あれだけ「久美ちゃん」と騒いでいた賢治も、最近ではあまり名前を口にしないようになっていた。
そんなある日、午前中の授業を終え、家でのんびりしていた時に携帯が鳴った。
相手は同じサークルの春江だった。
春江はおしゃべりなサークルメンバーのなかでは、いつもニコニコと人の話を聞いているような物静かな女の子だった。
サークル内で旅行などあると一緒に行くし、おしゃべりもする、しかし個人的な付き合いはなく、携帯番号はお互い知ってはいたが、、サークルの連絡以外で使ったことなど一度もなかった。
『もしもし? なに?』
『賢治君が──』
その並々ならぬ雰囲気が電話口からも伝わり、僕はゴクリと唾を飲み込んだ。
──賢治が交通事故にあった。
頭が真っ白になった。
昼休みまで一緒に授業を受けていたのに。
その後の春江の説明はあまり覚えていなかったが、△〇病院にいるからすぐ来てという言葉だけが電話を切ったあと心に残った。
どこに行くのという母親の問いかけに答えず、そのまま脱兎のごとく病院に向かった。
行く間のことはよく覚えていなかった、気が付いたら病院の受付で賢治の名前を叫んでいた。
びっくりしたような看護婦さんの目で、ようやくハッと我に返る。
それからもう一度ささやくように、賢治の友達であることを説明した。
病院の廊下はもうすぐ夏になろうというのに、どこかひんやりとしていた。
看護婦にいわれた病室をあけると、4つ並んでいるベッドが一つだけ使われていた。
そしてそこには顔に白い布がかけられた人が一人。
「賢治?」
裕介はベットの横に立って名前を呼んでみた。
返事はない。
涙が出そうになるのを必死に抑えながら、その肩を軽く小突く。
「おい、賢治、嘘だろ、おい、起きろよ」
顔にかけられていたいた布がハラリと落ちる。
そこに現れた賢治の顔はまるで眠っているように安らかな表情をしていた。
「裕介君」
振り返る。
花の入った花瓶を持って春江がドアの前に立っていた。
「春江ちゃん」
その時の僕はどんな情けない顔をしてたことだろう、今でも思い出すと顔から火がでそうだ。
「おっ、裕介ずいぶん早かったな」
なんだかずいぶん間の抜けた声が僕の耳に届いた。
「春江、腹減った。リンゴ剥いて」
さらに甘えたような声音が、僕の頭を冷静にさせた。
「賢治、お前……──」
「んっ?」
首をコキコキ鳴らしながら、上半身をベットから起こした賢治の、間抜けな顔があった。
「あれ、裕介なに泣いてるんだ」
「泣いてなんかいねぇよ、このバカが! 紛らわしいことしやがって」
「あぁ、これか」
顔からとったタオルを片手に賢治がニヤリと笑った。
「カーテン閉めたくても今動けないから」
そう言ってギプスのつけられた右手と右足を見せる。
眩しくて寝れなかったからと、手の届くとこにあったタオルを目の上に置いていただけだったらしい。ただ半分に折っていたものが寝てる間に丁度顔に被さるように開いたようで。それを勝手に勘違いしたのだ。
冷静に考えれば、分厚いタオルの時点でおかしいと気が付くだろう。
ほっとしたのと同時に恥ずかしい勘違いに顔が真っ赤になる、そして堪えていた涙が頬を伝った。
「そうか、そうか、そんなに俺のことを──」
感極まったように賢治が抱きつこうと手を広げる、しかし、右手につけられたギプスが邪魔をして、賢治は痛ってといって腕を抱えた。
「動いちゃだめよ」
春江がベットの脇の机に花瓶を置くと、僕を押しのけるように賢治に駆け寄る。
「はぁ。で、これはどういうことかな、お二人さん」
涙を引っ込め悪魔的な微笑を浮かべる。
「えっ、とこれは……」
説明されなくても見れば二人の関係ぐらいわかる。
「最近付き合い悪いと思ったら、お前とはなんでも話せる親友だと思っていたのによぉ」
失態を間際らわすように棘をある言い方をする。
「言おうと思ってたんだけど、つい言いそびれちゃって、あっ、でも正式に付き合いだしたのはまだ一週間ぐらいだぞ」
なぁ、と助けを求めるように賢治は春江を振り返る。
「う、うん、今度のサークルの集まりで言うつもりだったの」
春江も賢治に話を合わせる。
「まぁいいけど」
裕介はそこでフッと笑った。
賢治も春江もつられて微笑む。
「じゃあ、じゃましちゃなんだから、もう帰るよ」
「なんだよじゃまって。大丈夫だよな」
春江に確認するように語尾を強める。
「私のことは気にしないでいいから」
すでに夫婦のようなやりとりに、逆にこそばゆくなる。
「僕だって暇じゃないんだ。車に引かれて緊急手術だっていうから来てみれば、腕と足骨折しただけじゃないか」
「大怪我だぞ骨折は」
「はいはい」
「私の説明が下手で、なんか心配させちゃったみたいで、ごめんなさい」
「心配なんてしてないよ、ただ、こないだ貸した千円が帰ってこないかと慌ててきただけだよ」
笑ってそういうと、背を向けながら手を振る。
「あれは、お前が賭けに負けたおごりだろ」
出てきた病室から賢治の元気な声が聞こえてきた。
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