第10話 水晶、飛脚屋を訪ねる

 裏路地を抜けると大通りに出た。

 先程の露店が出ていた通りよりもさらに栄えている。その中でも一際人が集まっている建物があった。

 水晶は頭を打って流血している額を右手で押さえながらその人集りに近付いた。

 人集りの前には立派な建物があり、入口の提灯には「飛脚」と大きく書かれている。

 集まっている人々は、荷物をその飛脚屋へと持ち込んでいる客のようだ。パッと見ただけでも50人以上はいるだろうか。かなり繁盛しているようだ。


「ここか……」


 水晶は人の隙間を潜り抜け、飛脚屋の中へと入った。

 中にも客は大勢いて、それを捌く店の男が6人いる。店の広さに対して人が多くかなり混み合っていて居心地が悪い。


「順番だよ! 順番に預かるからちゃんと並んで!」


 荷物を受け取る若い男の1人が大きな声で言った。


「あの……すみません……」


 水晶は客の列を抜け出し受付の男へ声を掛ける。しかし、男は水晶が見えていないのか、声が聞こえていないのか客を捌き続けている。


「あの!」


「ん? 何キミ? ちゃんと並んで」


 ようやく気が付いた男は水晶を客だと思ったようで列に並べと最後尾を指差す。

 普段の水晶の声量ではとても伝わらないようなので息を吸い込み腹から声を出す。


「私、お客さんじゃないんですけど!」


「じゃあ邪魔だから出てってくれるかい? 見て分からない? 忙しいの! ……あ! はい! 鄧州とうしゅうまでですね! はいはいー」


 男は水晶を手で追い払うとすぐに客の応対に戻ってしまった。額から血を流す少女を見てもまるで気に留めない。

 ここでもいつも通り女は邪険に扱われる。

 何故こんな所に来たのか。早くこんな騒がしい場所から出て行きたい。先程の足の速い女に言われて何となく来たが実に不愉快だった。

 水晶が肩を落として店から出ようとすると、突然沈んだ肩に背後から手が置かれた。


「待ちなさい。君。うちの店に何か用だったのかね?」


 振り向くと、白髪頭に白い髭を生やした優しそうな老爺が不思議そうな顔をして水晶を見ていた。


「あの……楊譲ようじょうさんて方を訪ねろと、燐風りんぷうって女の人に言われて来ました」


 水晶がここへ来た理由を告げると、老爺は顔色を変えると水晶のフードを外し、前髪を掻き分けて額の傷を見た。


「こりゃいかん。すぐに手当てして差し上げよう。さあ、こっちにおいで」


 言われるがままに水晶は老爺に手を引かれ店の奥へと入った。



 ♢



「これでよし。傷が浅くて良かった」


 手当をしてくれた老爺は楊譲本人だった。楊譲はこの店の店主で燐風は確かにこの店の者らしい。


「助かりました。ありがとうございます」


 白い布切れを貼られた水晶が頭を下げると楊譲は笑いながら手を振った。


「礼儀正しい子だ。だが、礼には及ばんよ。燐風の知り合いなのだろ」


 楊譲は台所の方へ行くと、口から湯気を吹かした薬缶やかんと湯呑みを持って来て水晶の前で茶を注いでくれた。


「知り合い……って程じゃないんですけど……」


 水晶は机に出されていた茶に目を落とす。


「遠慮なさらず飲みなさい」


「あ、ありがとうございます。頂きます」


 水晶は湯呑から湯気を立ち昇らせる茶をふーふーと冷ましながらゆっくりと口に含んだ。茶葉の風味が口いっぱいに広がり鼻から抜ける。もう久しく飲んでいなかった。その優しい味と温かさが身体に沁みる。


「さて、水晶と言ったかな? 見たところ旅人のようだが、1人でここへ?」


 楊譲は水晶の向かいに座ると興味深そうに訊ねる。


「いえ、連れが1人います……今は訳あって街の外で待っていてもらってますが」


「そうか……訳ありなんだな。事情を話してくれれば力になるよ? もちろん、良ければだが」


 楊譲は優しく微笑んだ。その顔は、崔霞村さいかそん峨山賊がざんぞくに殺された老爺を思い出させた。

 悪い人ではない。女である水晶を素性も知らぬままに傷の手当をしてくれ、茶まで振舞ってくれたのだ。


「……実は」


 水晶が口を開いた時、背後に人の気配がした。


「あ、さっきの子。良かった、無事に手当してもらえたみたいだね。ありがとう、楊譲さん」


 振り返るとそこには暗緑のショートヘアの女がローブのフードを外して立っていた。キリッとした凛々しい眉毛が意志の強さを象徴しているようだ。


「おお、燐風、早いな。戻ったか。お前もこっちに座って一息入れるといい」


 楊譲は嬉しそうに燐風を手招くと、もう1つの椅子を引いて座らせた。


「先程はありがとうございました、燐風さん」


 畏まって頭を下げた水晶を見て燐風はケラケラと笑う。


「固いなー。あたしは何にもしてないし。えっと……君、名前は?」


「水晶です」


 2人の会話を聞いた楊譲は驚いた顔をして燐風を見る。


「なんだ、燐風。お前この子の名前も知らずに助けたのか」


「だから、あたしは助けてはいないよ。この子、布屋の露店の前で客の男に突き飛ばされてすっ転んで額から血を流してたんだよ。だからここに来るように言っただけ。楊譲さんの事だから怪我した女の子を見たら助けてくれると思ったからね。そしたら案の定」


 燐風はニッカリと笑い水晶を見る。


「なるほどな。まあその判断は正しかったな。時に欲しかった物は買えたのかな? 水晶」


「いえ……連れの分のローブを買おうとしていたのですが、高くて買えませんでした。転んだ時に手持ちも落としてなくなってしまいましたので……」


 あまりにも情けない状況を思い出し水晶は唇を噛み締め俯いた。潘紅玉はんこうぎょくにローブを買っていけないばかりか、代わりの食べ物さえ買う事が出来ない。一体何しにここへ来たのか。ただ金を捨て怪我をしただけではないか。


「あー、泣くな泣くな水晶。楊譲さん、水晶にローブあげて。あまりに不憫過ぎるよ」


「ああ、もちろんだ。燐風のお下がりなら確か残ってたな」


 水晶は2人の会話に顔を上げる。楊譲は部屋の奥へ行くと箪笥たんすの中を探り始めた。


「そんな、頂けません。見ず知らずのこんな私にそこまでして頂くなんて」


「遠慮は無用だ。大した事をしているわけじゃない。おお、これだこれだ」


 楊譲は1着の灰色のローブを取り出すと微笑みながら戻って来た。


「さあさあ、これを持って行きなさい。それと、これから旅を続けるなら路銀もいるだろ。少ないが持って行くといい」


 楊譲は灰色のローブとその上に銀子ぎんすを2つ、合計10両もの大金と共に水晶に差し出した。


「頂けません! 楊譲さんにはもう傷の手当もして頂いたし、お茶まで出して頂きました。これ以上は私、バチが当たります……」


「子供がそんな事気にするなよ。訳ありなんでしょ? 貰っときなよ。ウチはあたしのこの俊足のお陰で儲かってるんだから。ね? 楊譲さん」


 燐風はローブの中から綺麗に筋肉の付いたしなやかな脚を出し得意気な顔をしてペシンと叩いて見せる。


「ああ、そうだ。ウチの飛脚屋は燐風のお陰で景気がいい。いいかい、水晶。今のこの国は腐り切っている。理不尽で辛い事ばかりだろう。そんな中でも、人々がお互い助け合えるようになれば、きっといつか嶺月れいげつは男女の溝のない良い国になる。儂はそう思っている」


 地獄にも仏がいた。水晶は楊譲の考えに感銘を受け、一筋の涙を流した。必ずこの恩に報いよう。今は何も出来ないが、潘紅玉を撈月渠ろうげつきょに送り届ける事が出来れば、撈月が再びこの世に甦ればきっと国は変わる。膝の上で拳を握り締め水晶は固く誓った。


「楊譲さん、燐風さん、ありがとうございます。このご恩はいずれ必ず……」


「おい!! 若い女はここにいるか!!」


 水晶のか細い声を掻き消す突然の大声。

 それは店の方から聞こえた。

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