第7話 無垢を染めるオレンジ色

「……あの、二度も助けて頂いて本当にありがとうございました」


 木の下に下りて根元に座り込んだ水晶は隣で伸びをしている潘紅玉に礼を述べた。


「私は守れるものを全力で守るって言ったでしょ。気にしないで」


 潘紅玉は涼し気な顔で応える。


「潘さん、そんなに強いなら村を守れたんじゃ」


 水晶が小さな声で潘紅玉の様子を窺いながら言葉を投げる。決して村を守ってくれなかった事を責めたのではない。単純にそう感じたからこその質問だ。潘紅玉という女は、水晶がこれまで見てきたどんな人間よりも強かった。


 すると潘紅玉は水晶の隣にしゃがんだ。剥き出しの尻を地面に付けないようにしているのか完全に腰を下ろす様子はない。


「峨山賊は1つの村を100人くらいで襲うらしいから、崔霞村さいかそんにもそのくらいは来てるよ。私は1人で100人も相手に出来るような武神じゃない。ただの人間。自分の力も分からないようじゃ、守れるものも守れなくなる」


 水晶は肩を落として潘紅玉の綺麗な顔から視線を同じく綺麗な剥き出しの太ももへと向ける。普段見なれないものが近くに堂々と存在しているとどうしてもそこへ目がいってしまう。


「潘さんは、どうして撈月渠に行くんですか? 」


「撈月の血を引いている私には頭領の召集に必ず応じる義務がある。……それに、私はこの国が嫌いだから。女を蔑ろにする世界なんて滅びればいいと思ってる。撈月の悲願と私のやりたい事は同じ。この嶺月帝国という国が変わらないのならば滅ぼして撈月が国を作る。だから私は撈月渠に行く」


 この国でここまでハッキリと国の批判を口にする女はいない。しかも大胆に肌を露出して女の身体を露わにした状態の女が言うのだ。その憎しみと怒りは本物だという事がひしひしと伝わってくる。


「それじゃあ潘さんは、撈月渠で賈南天に会って撈月を復活させるんですね? そして嶺月帝国と戦う」


「そう。賈美嬢の子孫の賈南天と、潘僑零はんきょうれいの子孫の私がいたらとりあえず格好はつくでしょ?」


 潘紅玉はニコリと白い歯を見せて微笑む。

 水晶は無表情で頷いて見せる。


「それじゃ、私は行くね。水晶ちゃん、何とか生き延びて」


 潘紅玉が急に立ち上がったので水晶は慌てて赤いマントの裾を掴む。


「あの……潘さん」


「何?」


 小首を傾げた潘紅玉のオレンジ色が揺れる。


「私は黒双山こくそうざんには行きません。やらなければならない事が出来ました」


「やらなければならない事?」


「はい。貴女を撈月渠へご案内する事です」


 水晶の発言に、潘紅玉は微かに口角を上げた。しかし、それはすぐに元に戻ってしまう。


「ありがとう。でも、それは危険だよ。私と一緒にいたら貴女も撈月だと思われてさっきみたいに賊に襲われる。賊だけじゃない。この国の人々からも冷たい扱いを受けるよ」


 水晶は赤いマントから手を放すとスっと立ち上がる。


「構いません。私は潘さんに二度も命を救われました。この御恩を返す事。それが帰る場所もない、大切な人もいない私のやるべき事。潘さん。どうか私を使ってください。貴女を必ず撈月渠へご案内します」


 潘紅玉は腕を組んで考え込む。


「魚釣りは得意です。料理も作れます。洗濯だって……何だってしますよ?」


 恩を返す事。潘紅玉について行く理由をそう述べたが、それ以上にこの潘紅玉という女に興味を持った。撈月という女戦士の子孫というのにも興味がある。この女なら嶺月帝国の腐り切った風も変えられるかもしれない。

 そんな期待が水晶の中にはあった。


「……そう。でも、私は貴女を使わない」


 潘紅玉は腕を組んだまま冷たい視線を水晶に向ける。

 “拒絶”。それも無理はないだろう。予期していた反応の1つだ。

 武術も出来ない子供が、しかも女が1人増えるという事は、この国では荷物が増えるのと同じ。これまで潘紅玉は道に迷いこそしたが、1人で生きていく事は十分に出来ていたのだろう。水晶を連れて行くことはリスクでしかない。

 水晶は無意識に溜息をつく。


「……そうですよね。ごめんなさい。忘れてください。でも、貴女に恩を返したいという気持は──」


「私は貴女を仲間として連れて行く」


 断られたのだと思っていたが、潘紅玉の顔には微笑みが戻り、通気孔だらけの不思議な右手の篭手を外すと水晶に差し出した。

 その手は白く繊細で綺麗な女の手だった。


「……本当に……本当にいいんですか?」


 水晶はすぐにはその手を取れず潘紅玉の顔を見上げる。


「いいよ。でも、私、引くほど何も出来ないから、たくさん甘えるよ」


 潘紅玉の輝くような笑顔に、水晶の目尻からポロリと涙が零れた。

 そして差し出された手を両手でぎゅっと握る。とても温かい手だ。


「ありがとうございます! 精一杯お役に立ちますね!」


 涙は嬉し涙。人間嬉しい時でも涙が出るというのは本当だったのかと、この時水晶は初めて実感した。


 潘紅玉。それは不思議な女。


 その日、水晶の無垢な心に潘紅玉という女は綺麗なオレンジ色を着けた。



 ***



「女にやられた?」


 崔霞村さいかそんでは100人もの峨山賊が広場に集まり、2人の下っ端の男を一際大柄な男、峨山賊の小親分である孟鳳玄もうほうげんが高圧的な態度で問い詰めていた。

 その周りには農具を持った村の男達が何十人も血塗れで転がっている。峨山賊に逆らった無力な人間の末路である。


「はい、それはもう一瞬で……あ、その女は大胆にも肌を晒し……そう! まさに撈月・・のような──」


 言いかけた顎髭の賊の首が地面に転がった。

 真っ赤な血が空高く噴水のように噴き上げる。首を失った身体は重力に負けて地面へと倒れ血溜まりを広げる。周りを囲んでいた賊共はどよめき1歩後退する。

 その首のない死体の隣で、口髭の男は腰を抜かし歯をカチカチと鳴らしながら血の付いた剣を持つ孟鳳玄を見上げる。賊とは思えない立派な兜を被り顔はゴツゴツとして岩のようだ。


「撈月なんているわけねーだろ。俺に嘘の報告をしやがって。それよりも、お前は女に負けた。それも露出狂の頭のおかしい女に。それは事実なんだな? 俺の部下に女に負ける奴はいらん。呉鉄竜ごてつりゅうの兄貴の顔に泥を塗りやがって」


 孟鳳玄は剣を腰を抜かしている口髭の男の首元に当てる。恐怖に引き攣った男の顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃだ。


「ゆ、許してください……! 孟の旦那……」


「酷い面だな、お前。本来ならそこの死体と同じようにしてやるところだが、お前には仕事を与える。その仕事をやり遂げたなら命は助けてやる」


 挽回の機会を得た口髭の男は、剣で首のない死体を示している孟鳳玄を見上げながら何度も頭を縦に振った。


「お前、名は?」


馬馮ばふう……でございます」


「よし、馬馮! その女を見つけ出せ。いいな?」


 孟鳳玄はニヤリと笑うと剣を腰の鞘に納めた。

 100人の賊共は奇声を上げて騒ぎ始めた。






 月を撈う者 ~完~

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