第3話 峨山賊

 こんなに早く賊が来るなど誰が想像しただろうか。宣戦布告の焼死体が置かれたのは昼前だったと聞いている。それがほんの数時間後に仲間を引き連れてやって来た。


 水晶は老夫婦の家の陰にうずくまって恐怖に身体を震わせていた。

 今逃げれば自分は助かる。だが、このまま老夫婦を見捨てて逃げる事はしたくない。水晶の脳裏には、かつての孤児院での惨劇が鮮明に甦っていた。院長や孤児の友達。そんな人達を見捨てて自分だけ逃げた。あの頃はまだ幼く逃げる事しか出来なかった。でも今は違う。あれから成長した。1人で何でも出来るようになった。山賊と戦う力はなくとも、大切な人を逃がす事は出来るはずだ。


 水晶は震える脚に鞭打って立ち上がる。家の周りを探すと手頃な棒があった。それを両手で握りブンブンと振ってみる。


「……よし」


 賊を撃退する武器を手に入れた水晶は老夫婦を無理矢理家から連れ出す為、玄関の方へと回り込む──だが、その時、遠くで喊声やら悲鳴やらが聞こえ始めた。それと同時に複数の馬蹄の音が近付いて来たので、水晶は咄嗟に家の陰に身を隠した。


「こんな生気のない村の奴らがまさか反撃して来るとはな」


「ああ、だが軍もいねー見捨てられた村だ。すぐ片付く。おい、早く若い女を探せ。孟の小親分がお待ちかねだ」


 馬蹄の音と共に聞こえて来たのは、2人の男の会話。内容からして賊だろう。水晶は身を隠したまま胸の前で棒をぎゅっと握り締める。身体中から汗が吹きでるのを感じる。賊は若い女を探している。見付かったら終わりだ。今ならまだ逃げられる……今ならまだ……

 しかし、身体は逃走を拒んだ。それは老夫婦を守る為なのか、恐怖で身体が動かないだけなのかは分からない。ただ、事実として水晶はそこから1歩も動く事が出来なかった。


「ここから探すか」


 運の悪い事に、賊が目を付けたのは老夫婦の家。馬から下りると気配が近付いて来て止まった。水晶のすぐ近く。玄関の前だ。

 玄関の横の壁際に身を潜めている水晶の位置から賊までの距離は僅かに身体2つ分。少し覗けば水晶の姿は見付かってしまう。


 ──2人を助けなければ──


 そう思っても身体が動かない。やはり身体が動かない理由は恐怖だった。孤児院を襲われた時の記憶が水晶の思考を支配する。心臓がバクバクと脈打っているのが分かる。呼吸の音もいつもより大きい。抑えなければ見つかってしまう。


「この賊めが!!」


 突然、家の中から老爺の声。それと同時に争うような音が聞こえて来た。食器が割れる音? 棚が倒れる音? 賊の怒声。老婆の悲鳴……老爺の呻き声……


「ちっ! 死にかけのジジババの家じゃ金も飯も酒もねぇ!」


「それに孫娘の1人もいねーときた。大ハズレだな。行くぞ!」


 2人の賊は一仕事終えたような会話をして家から出たようだ。

 いつの間にか膝から崩れ落ちていた水晶は家の外壁に寄り掛かり震えながら涙を流していた。

 確認せずとも分かる、老夫婦は殺された。

 2人を救えなかった無力感。いや、救えなかったのではない。救わなかったのだ。自分は何しにここへ戻って来たのか。

 涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔を袖で拭う。鼻を啜る。今水晶に出来る事はそれだけだ。

 そんな水晶の顔に不意に陰が掛かった。そしてフードがスっと外される。


「いたいた。女だ」


 ──見付かった!


 咄嗟に逃げようと握り締めていた棒を賊の方へ振る。しかし、片手で捕まれ簡単に取られて放り投げられてしまった。


「やめて! 殺さないで!」


 水晶が甲高い声で叫ぶと賊の男はハハハと笑う。


「大丈夫だ。殺しはしない。ほらおいで」


 口髭を生やした賊の男は、気味の悪い程に優しくニヤリと笑って言った。もちろん、それが嘘だという事は分かっている。いや、殺さないというのは本当かもしれない。峨山賊は若い女を捕まえては慰みものにした挙句、飽きたら子供を産ませるだけの“物”として扱うと聞いた事がある。自分もそうなるに違いない、と水晶は抜けたままの腰を後ろに引き摺りながら賊の男から離れていく。


「おいおい逃げるなよ。殺さないって言ってんだろ? お嬢さん。名前は何て言うんだい?」


「時間がねーんだ。そんな事してねーでさっさと連れてくぞ! おら! 来い、ガキ! 持ち物くらい先に調べとけよ気が利かねー」


 もう1人の顎髭だけ生やした賊の男は短気なようで、先に水晶を見付けた口髭の男を押し退けて無理矢理水晶の肩を掴み、服の上から身体中を探り持ち物を物色する。

 ゴツゴツとした大きな手が身体中を這い回る不快な感覚。胸も尻も股さえも無遠慮に触ってくる。

 そして顎髭の男は水晶の腰から小銭の入った袋と、懐から乾燥した薬草を取り上げた。


「金を持ってると思ったが、銅銭たったの5枚だぜ。それと、何だこりゃ? 薬草か?」


「どれ、見せてみろ……ははーん、こりゃあ売っても金にならねーただの雑草・・だ。コイツと良く似た薬草があるんだが……このガキ、ただの雑草を薬草と言って老人相手に金儲けでもしてたんじゃねぇか? とんだ悪ガキだな」


 薬草を鼻に近付けて匂いを嗅いでいる口髭の男の言葉に、水晶は目を見開いた。


「そんなはずない……おじいさんはそれが効くって言って……最近は元気になって……」


「爺さん? もしかして、この家のジジイか? そりゃあお前、優しいジジイだったな。雑草食わされて治るわけねーのにお前の為に効いてるフリして、さぞ大変だったろうよ。にしても、まさか病気じゃなくまさか賊に殺されるとは思わなかっただろうな!」


 賊の男は2人してゲラゲラと笑い始めた。

 何が面白かったのか水晶には分からなかった。この男の言う事が本当なら、水晶は何年も効かない草を渡していた事になる。それを老爺は知っていたのか、知らなかったのか……どちらにせよ、水晶の心の中に芽生えたのはとてつもない罪悪感。


「おじいさん……ごめんなさい……私……私……」


 水晶は口を押え嗚咽を漏らす。


「泣くなよめんどくせー。ほら行くぞ」


 泣き出した水晶にイラついた短気な顎髭の男は水晶の腕を掴んで引き摺っていく。


「嫌ぁぁあっ!! 助けてぇえ!! 誰かぁぁ!!」


 無駄だと分かりながらも水晶には叫ぶ事しか出来ない。この村には軍はいないし村人達が賊に勝てるとは思えない。

 終わりだ。孤児院で死ぬはずだったのに運良く自分1人だけ助かった報いか。ついに水晶の人生は終わるのだ。


 諦め掛けたその時。


 水晶の顔にいい香りのする優しい風が当たった。

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