第1章 月を撈う者

第1話 水晶

 人が燃えていた。

 街の広場に無造作に立てられている十字架の鉄柱に、鎖で縛り付けられた細い身体を真っ赤な炎がごうごうと下から焼き付けている。

 真っ黒に焦げてしまったそれは、男か女かも判らない。ただ異臭を放ち、もくもくと白い煙を立ち昇らせて街中を行き交う人々への見せしめとしての意味だけを持つ。


峨山賊がざんぞくがこの街にも来たらしい」


 咽び泣く人々がいる中、一部の人々はその焼かれた人間を見ながらヒソヒソと噂話をしている。

 街中にいる人々は皆男だ。そこに女らしき村人の姿はない。


 その傍らに全身を隠すように、ボロボロの茶色いローブを纏った少女は住民の話に聞き耳を立てながら、フードを深く被り直し顔を隠す。

 峨山賊というのは、この崔霞村さいかそんから北西に50里 (200km)程の所にある峨山を根城にする山賊の名だった。だが、数年前から峨山賊の頭領が呉鉄竜ごてつりゅうという男に変わってから、各地の山賊や海賊を傘下に加えるようになり今やこの嶺月れいげつ帝国内で10万もの勢力にまで成り上がり大規模な賊軍となった。

 そのせいで、比較的平和だった崔霞村にも、峨山賊の手が伸びてきたのだ。

 峨山賊は初めて訪れた街でその侵略の挨拶代わりに人を焼き殺して街中に晒すと聞いた事がある。つまり、今目の前で人が焼かれているという事は崔霞村侵略の宣戦布告の意思表示という事だ。


 その恐怖の洗礼を見ていた少女は、地面に置いていた空の瓶を持ち上げると足早に崔霞村を抜け、外れの森の中へと走って行った。


 ***


 “水晶”という名前が付けられたその少女は、山賊に両親を殺された孤児だ。自分の名前も分からぬうちに1人この残酷な世界に放り出された少女は、幸運な事に、軍が守っている孤児院に引き取られた。そこで院長から付けられた名前が“水晶”だった。水晶のように穢れのない純粋な女の子だったからだそうだ。もちろん、自分でそんな風には思った事は一度もない。

 水晶はその孤児院でしばらくの間平和に暮らしていた。

 ところが、6年前。水晶が10歳を過ぎた頃、孤児院は勢力を拡大していた峨山賊によって襲撃され、職員は全員殺され、孤児達は皆捕まってしまった。

 ここでも水晶は幸運にも1人だけ逃げ延びる事が出来た。軍に守られているはずの孤児院が何故襲撃されたのか。幼い水晶にはその理由が分からなかった。とにかく生き延びてしまったからには1人で生きていくしかない。

 それから水晶は、たった1人で村々を渡り歩き、峨山賊から身を隠しながらの生活を余儀なくされた。



 ***


 森に戻った水晶は、岩陰に枝や葉っぱ、蔦や木の皮などを使って作った家とも呼べない粗末なテントの中に飛び込み、空の瓶を置くと膝を抱えて縮こまった。

 もう崔霞村には行けない。宣戦布告があったという事は、近い内に峨山賊がやって来る。崔霞村は軍も駐屯していないような貧しい村。峨山賊が来たら戦わずに屈してしまうに違いない。そうなれば、この森にも峨山賊はやって来るだろう。


「逃げ……なくちゃ……」


 水晶は震える身体に鞭打って急いで荷物をまとめ始めた。この森での暮らしも実に4年近くに及ぶ。川ではたくさんの魚が釣れたし、森の木の実や山菜も豊富に採れた。崔霞村へ魚を売りに行けば僅かだが金も貰えた。とても暮らしやすい場所だった。


 ────自分だけ逃げていいのか……


 そう思った時、水晶の荷物を纏める手が止まる。恐怖の余り、自分の事しか考えていなかったが、村には病気で寝たきりの老爺とその看病をする老婆がいるのだ。


「もう一度……もう一度だけ村の様子を見てこよう。もしかしたら賊は来ないかもしれないし……そうよ。何事もなければ私はここに留まる」


 水晶はテントからゆっくり顔を出し、当たりの様子をキョロキョロと確認して外に出た。そして、外に干しておいた薬草を何本か取って懐にしまうと、木々に身を隠しながらまた崔霞村へと戻った。



 この選択が後に世界の命運を分ける事になるとは気付きもせずに。

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