織田家の盛衰

信長の家系を見てみましょう。

信長の祖父は、信定といいます。17画。7の外交力の人です。

信長の父は、信秀といいます。16画。6の突破力の人です。

信長には、男子が4人います。

 長男の信忠。17画。7の外交力の人。

 次男の信雄。21画。1の知略力の人。

 三男の信孝。16画。6の突破力の人。

 四男の秀勝。19画。9の異彩力の人。羽柴秀吉の養子となり、早世。

信忠のむすこ、三法師こと秀信。16画。突破力の人。


信定は、尾張守護代の織田大和守達勝の3老臣のひとり。事績は伝わっていません。しかしこの名前から鑑定判断してみると、信定は来たるべきときに備え着々と人材を集めていたのではないでしょうか。その代では果たせなかったものの、次の信秀の代に花開いたと思います。


信秀の時、織田氏は主君である守護代家をしのぐ大きな勢力を手に入れ、尾張国を事実上支配するところに至ります。

6の突破力の人というのは、到底無理な状態を先頭を切って突破する気概を持っているという意味です。ただ本人には、その自覚がありません。そしてこの突破力の人の最大の特色は、周囲の人間たちがそのひとの突飛な行動に驚きながらも心酔してしまい、このひとのためなら命を投げ出しても惜しくない!という雰囲気にさせるところです。つまり、このキャラのひとは、カリスマ力を持っているのです。

私がここで書いていることはすべて、天命としての力です。人が自覚しようがしまいが、育っていく中で天命を受けた力です。この持って生まれた力を生かすも殺すも、その人しだいです。

信秀の場合は、自覚は無いにしろ、その突破力を存分に発揮しました。戦国時代の下剋上の原動力は、秀吉・光秀のような向上力だけではありません。この突破力も、大きな原動力となるのです。そして向上力が個人的なものであるのに対し、突破力は周囲を巻き込むものです。突破力によって作られた新体制ないし新組織は、非常に強力なものとなって現れます。

信長の天下雄飛の素地は、父の信秀が作ったといっても過言ではありません。


信忠。父の信長と同じ、外交力の人。もし本能寺の変のときに逃れていたら、豊臣秀吉は天下を獲れなかったでしょう。それほどの大人物です。織田政権が存続し、信忠が天下を統一していたことでしょう。


信長の死後、秀吉に傾いた大勢に対し、柴田勝家と共に反旗を翻し、結局敗れた信孝。突破力のキャラです。そのキャラには、申し分ありません。じゅうぶんに天下を狙える器がありました。

ただ結果として秀吉方が勝利しました。それはあくまで結果です。

後世の人からは「敗れた=バカだった」みたいな言われ方をしていますが、織田家最大の人望力のある柴田勝家が擁立したのです。相当な能力があり、しかも人を惹きつけるカリスマ力があった証拠です。

もし信孝が勝利していれば、もちろん織田家が存続し織田信孝が天下を統一していたことでしょう。


信雄。このひとは、「おバカ」の代表みたいに言われています。しかし名前を鑑定判断する限りでは、このひとは「バカ」ではなく、逆に知略力の人です。父の信長、兄の信忠、弟の(じつは兄かもしれないといわれている)信孝が、あまりにも大人物というかド派手過ぎて、知略力という地味なキャラでは目立たない、つまりバカであると思われたのでしょう。

信雄が知略の人である証拠に、しぶとく生き残ってその血統を現代に伝えています。


信忠の子の秀信。清洲会議の後、豊臣政権下の大名の一人となり、関ヶ原の合戦のとき西軍に属し、敗れて改易されそのまま亡くなりました。

天下政治の表面から消えたため、織田の御曹司でただのお坊ちゃんという評価が一般的です。しかし、本人は突破力の人です。家臣たちからの人望は、相当厚かったと思います。敗れて岐阜城を開城したときの立派な姿に、敵将も感動したといいます。流刑地におもむくとき、家臣十数人が供をしたという話もあります。もちろん織田の嫡流という血統もあったでしょうが、それもカリスマ力にとっては大事な要素です。この末路は、ただ運が悪かっただけだと思います。

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